01翔
『学校サボってきいや! 話そうぜ!』
れいからそうメールがきたのは、二限目の生物が終わったときだった。
3限目は体育。佑奈は脱ぎかけたブレザーを羽織り直した。
「佑奈? どうしたの?」
隣で着替えていた美加子が、不思議そうに佑奈を見つめる。
「ちょっと、サボるー」
「えぇ! もう、また? いくらテスト終わったばっかりだからって……」
「今回だけ、今回だけ! 見逃して頼む!」
「今回だけって何回目なの!?」
美加子の小言を聞き流しながら、佑奈は引き出しに入った教材をロッカーに片づける。
「もう。いい加減にしときなさいよ?」
「はーい、母さん!」
「誰が母さんよ! どうせまたノート貸さないといけないんでしょ?」
「是非よろしくお願いいたします母上」
「しょうがないなあ」
「あざーっす! またお菓子持ってくる!」
「おいしいのね」
「任せい。んじゃ、また明日ね!」
「気をつけて。早く帰るのよ!」
はーいと手をあげて返事を返してから、先生に見つからないようにこっそり裏門へと向かう。
まぁ見つかったところで適当にごまかせば、帰してくれるのだが。
「あ、れいだ」
自転車置き場の奥にある裏門に佇むれいらしき人影に小走りでかけよる。
「お、佑奈。早いな」
「ちょうど休み時間だったからね」
そう佑奈が返すと同時にチャイムが鳴り響く。授業開始の合図だ。
「ほな、いこっか」
「うん。お腹すいたからパン屋いこう?」
「佑奈はほんまパン好きやなぁ。ええで、行こ」
通学路をたどって、駅まえのパン屋に向かう。
奥の方がカフェになっていて、そんなに大きいといえる程ではないが、おしゃれな店だ。
左側は全てガラス張りとなっていて、向こう側を歩き急ぐ人々の姿が見えた。
「で、どうしたの? いきなり」
「いや、耳寄りな情報が入ってん!」
「耳寄りな情報?」
れいはキョロキョロと怪しそうに辺りを見渡してから、そっと声をひそめた。
「佑奈と同じ状況のヤツが、おった」
「……はい?」
「やから、別れた元カノがまだ好きやけど叶わないかもしれんから、違う幸せを探してるやつ!」
「あぁ、まぁ私と一緒だね。てか、あなたに教えられたことですが……」
「な、そいつと会ってみたらどうや?」
「あぁ、うんそうだね……は?」
適当に流そうと思っていた佑奈の手が止まる。
れいは頭をかきながら、満面の笑みで佑奈を見つめていた。
「いやー実はさ、佑奈にええ男おらんかなって相談した男友達から聞いた話やから会ったことないんやけど、なんでも、佑奈と同じ高校の二年らしいねん」
「え、年下!?」
「でな? 同じ境遇なら分かり合えること多いんちゃうかなって話しになって!」
「私の知らないところで話を進めないでいただけませか!?」
「まぁまぁ、そんなわけだから」
「なにその最後の投げやりな感じ!」
「ここにいること、さっき伝えたから、もう来るんちゃうかな」
「ちょっとまて、このやろ、あぁん!?」
「しー! ほら、まじでもう来るから!」
顔を真っ赤にして立ち上がった佑奈をなだめるように、肩を押さえてから、そっと入口のほうに顔をのぞかせる、れい。
「あ、きたっぽいな。あれ、佑奈のとこの制服やろ?」
「……どれよ」
ここまできたら逃げれない、と仕方なく佑奈はれいと同じように顔をのぞかせる。
視線に気付いたのか、一人の男子生徒がぺこりと頭を下げる。
佑奈と同じ高校の制服を着崩し、ブレザーの胸元が寒そうに開いている。
蛍光の赤色をしたメガネのふちが、光に反射していた。
「見たことはあるような、ないような……」
「おーい、こっちこっち!」
はるが大きく手を振る。
「――はっ! ちょ、まじで来ちゃった!」
「今更なに言うとんねん。逃げんなよ」
がしっと佑奈の腕をつかみ、にんまりと笑うれい。
佑奈はふぅとため息をついてから、降参、と手を上げた。
その間に、男子生徒は人懐っこそうな笑顔で佑奈たちに近づいてきた。
「はじめまして、俺、椎名翔っていいます。あの……」
「おう、聞いとるで。てか、お願いしたん、うちやしな! うちの名前は仲れい、な。で、こっちが……」
「吉崎、佑奈……先輩?」
「ほぇ?」
「お?」
自己紹介をしようと口を開いた佑奈が戸惑ったように固まる。
「え、え、えっと……なんで、私の名を? 初対面……だよね?」
「はい、初対面ですよ! でも、俺の中では有名人なんです!」
「……へ?」
れいに、どういうこと? と、視線を送る。
この会を開いた張本人は、翔と名乗った男子生徒と佑奈を交互に見やってから、ぽんっと手を叩いた。
「そういや、翔くん? って、美少女好きやったな!」
「はい!」
「え、いや、だからどういうこと?」
「そういうことや!」
「……どういうこと?」
意味が分からない、と首を傾ける佑奈をそっちのけで、れいはさっさと自分の隣の席を開けるためか、荷物をどけている。
「まぁまぁ、座りいや、翔くん」
「あ、失礼しまーす。あと、俺のことは翔って呼び捨てしてもらっていいっすよ」
「了解! じゃあ翔な。ほら、佑奈も何か話しいや」
「は、はぁ……」
何か話せと言われましても、初対面なんですが?
と、言い返すと、そんなん関係ないわ! という理不尽な答えが返ってくるのが目に見えた佑奈は、なんとか話題を探そうと視線を泳がす。
「え、えぇっと、翔……くん?」
「遠慮とかいいですよ、普通に翔って呼んでもらったら」
ニコっとほほ笑む翔。
イカツイなりからは想像しにくい、意外に可愛い笑顔だった。
「じゃ、じゃあ翔……?」
「はい、佑奈先輩」
なんとなくそれ以上、その笑みを見ていたら駄目な気がした佑奈はふっと目線をそらして、はるに助けを求める。
れいはニヤニヤとしながら呑気に頬張っていたパンを皿の上においた。
「ほな、うち帰るわ」
「は?」
「え」
佑奈と翔が同時に目を見開く。
れいはさっさと自分の荷物をまとめてマフラーを首に巻くと、びしっと敬礼をした。
「じゃ、あとは頼んだ!」
そう言うと同時に席を立つと、出入り口まで速足で消えていく。
「え、いや、は? れ、れい…?」
「あ、え……っと」
婦たちが再び言葉を取り戻した頃にはもう、れいの姿は見えなくなっていた。
「……あいつ、あとでシメる。ぜったいシメる。おぼえとけよ」
「――…ぷっ」
怒りで手にしていた紙コップをぐしゃと握りつぶそうとしていた佑奈は不意に聞こえたその笑い声に、おっと目をあげた。
「おもしろいですね」
「はい? れいが?」
「いや、佑奈先輩が」
どういうこと、と目で訴える。
翔はまた笑顔だった。
「今すぐおっかけないんですね。それって俺がいるからでしょ? だから、おもしろいなって」
「お、おもしろいの? それって」
「俺、佑奈先輩ってもっと冷静で冷たいイメージでした」
「ま、じですか……。結構アホ面でアホなことしてますけど」
「真顔で死ねとか言ってると思っていました」
「どんな印象!?」
そんなやり取りにまた翔が笑う。
つられて佑奈も笑った。
さっきまでの緊張はもうどこかに行ってしまた。
「翔、敬語じゃなくていいよ」
慣れるために、必要もないのに名前を呼ぶ。
なんだか、温かい響きだった。
「よかったぁ。敬語、なれないんだわ」
「だと、思った」
「え、俺、ちゃんと敬語つかえてなかった?」
「ううん、そういう意味じゃないけど、苦手って顔に書いてあった」
まじで、と頬を押さえる翔。
その仕草が何となく可愛く見えて、佑奈はまた笑った。
そいえば男子とこうして楽しく話すのは久しぶりかもしれない。
でも今は、何故かなにも気にせず笑えた。
「それにしても、今はまだ授業中なんだねぇ」
「そうだな。今、昼休みくらいか」
「なんか優越感!」
「だな」
はるが残していったパンを頬張る。
桜味のあんパンだった。
それからは時間が許すまで話した。
「佑奈先輩、誕生日は?」
「9月14日!」
「じゃあまだまだだな」
「翔は?」
「俺は5月1日。もう終わってるよ」
「そっかぁ……。あ、じゃあ好きな物!」
「リラッ○マ」
「えっ! 可愛い」
「可愛いって言うな。佑奈先輩はどうせス○ーピーだろ」
「わぁ、何で分かったの?」
「佑奈先輩の周り、ス○ーピーばっかりだもん」
「あ、そういえばそうでした!」
「じゃあ次は――…」
気がつけば、高かった太陽も消えて、お月さまが顔をのぞかせはじめていた。
佑奈はそっと翔から視線を外し、何気なしにガラスの向こうがわを行き交う人影に目を向けた。
「それでさぁ、………っ?」
「ん? 佑奈先輩?」
見知った顔と目が合った。
佑奈の席からガラスばりの壁まではせいぜい十メートル。お互いの顔を認識するのには、十分すぎる距離だった。
「佑奈先輩? どした?」
「わっ、ご、ごめん!」
ふっと翔に顔をのぞきこまれ、はっとする佑奈。
「なんにもないよ! それでさ」
話しながら、そっと視線を外に向けたときには、もう誰もいなかった。
激しく脈打つ心臓を少しでも落ち着かせようと、翔に怪しまれないようにそっと深呼吸を繰り返す佑奈。
翔はそんな佑奈を見て気付かぬふりをしてくれていた。
「――そんじゃ、そろそろ帰るか」
「あ、もう十八時か! めっちゃいたね」
「だな! また楽しかったからいいけど」
「おなじく!」
よっこらしょと掛け声ともに腰を浮かす。
トレーを返却口に返し、そとに出ると、初夏らしい生ぬるい空気が佑奈たちを包んだ。
「あっついねぇ」
「これからだけどな」
「まぁね。じゃ、私、駅だからこっちいくね。翔は?」
「おう。俺はチャリだから下に降りないとな」
「そっか。じゃ、気をつけてね」
「佑奈もな」
手を振り合って、互い同時に背を向ける。
先ほどのパン屋から駅の改札口まではすぐだ。
佑奈はじめじめとした暑さに耐えかねて、スカートの裾を使って風を送りながら鞄の奥からケータイを取り出す。
「……うわぉ、なにごと」
ディスプレイの受信メール数を見ると、十件を超えていた。
急いでメールを開いてみると、そのメールはすべて同じフォルダーに入っていた。
「……〝猫〟」
確かに、メールは来ているだろうと思った。ガラス越しに目が合った時から。
まさかこんな大量に来ているとは思っていなかったけれど。
メールを開けて、1つずつ読んでいく。
『あれ誰?』『彼氏?』『セフレ?』『同じ学校のやつ?』『なあ?』『無視するな』
メールは大体そんな内容のものばかりだった。
「これ、端から見たら嫌がらせだよ」
ふふっと小さく笑いをこぼして、返信画面へとうつったその時。
トルルルルル、と携帯が震える。
「わ、び、びっくりし……え、〝猫〟?」
落としそうになった携帯をにぎりなおし、震える手で通話ボタンを押す佑奈。
「は、はい。もしもし」
「返信しろよ!」
「だ、だって今見たんだもん!」
久しぶりの〝猫〟の声。嬉しいような哀しいような。
そんな感情が佑奈を支配する。
「で? あいつ誰?」
「りょ……、あなたに関係ないじゃん」
「関係ある!」
「どんな?」
「いいから! あるの! で、だれ?」
高鳴る胸を必死に押さえて、冷たくあしらおうと出来る限りの冷めた態度をとる。
しかし、〝猫〟は興味津々といったように何度も同じ質問を繰りかえした。
佑奈はとうとう我慢できなくなったように、言い返した。
「もう! いい加減にして! 関係ないって言ってるじゃん!」
「うるさいな! 関係あるって!」
「だから、どんな関係よ!」
「俺は! 確かにお前の事完璧に吹っ切れてないよ! いちいちお前の男関係に過剰反応するよ!」
言い返そうとした佑奈の口がつまる。歩き続けていた足もあゆみを止めてしまった。
「でも仕方ないだろ!? あれだけ好き同士だったんだからなあ!」
「……そうだね」
「でも今の俺は、もう一人大切な人ができたよ! あいつの方が好きだけど、お前の事ガン無視できるかって言われたらできねぇよ!」
言いたいことが、言葉が、喉まで出かかって消えていく。
やめてと叫びたいのに。先を聞きたい好奇心がそれをさせない。
「お前も俺の事好きで、でもさっきの人のことも好きなんだろ!」
「……私、あなたのこと好きじゃないけど」
「はぁ!?」
「愛してるよ」
「……っ」
言葉を失ったように息をのむおとが電話越しに伝わる。
「なんじゃそりゃ……。泣くぞ」
「あなたの泣き声なんて聞きあきたから、いくらでもどうぞ」
「うるさいわ」
「相変わらず、自分勝手な人。なんにも変ってないね」
まあ、そこを愛してしまってるんだけどね。
「私はちゃんと守ってるよ、〝約束〟。あなたが、いつでも帰ってこれるように。一人になって泣いちゃわないように」
「……帰らんかもしれないのに?」
「うん、それでも。ちゃんと待ってるよ」
「なん……で?」
〝猫〟の震えた声が聞こえる。泣き虫なところも変わってない。
「そんなこと聞かなくても、分かってるでしょ」
「――……あぁ、そうだったな。お前は、……そういうやつだったな」
「え、知らなかったのー?」
「改めて思っただけじゃ」
クスクスと笑いが漏れる。
久しぶりに〝猫〟の笑い声が聞けた。
「はん! まぁ見てろ! 俺はあいつと幸せになるんじゃ!」
「あーはいはい、言ってろ言ってろ」
肌を刺す寒さと同じように、胸の痛みが増していく。
それでも〝猫〟が笑っていて、私がいる。
幸せな瞬間だった。
「んじゃあね、もう電車のるから切るよ」
「おう」
ツーツー、と機械音が流れ、深いため息とともに携帯を閉じる。
心のなかを降り続ける雪がいっそう激しさを増す。桜の木はその雪の風に押され、ざわざわとゆれていた。
「私は」
私の、いますることは。
「あなたより大切な存在を見つける旅に出ながら、ただあなたを待つだけ」
たとえ、この先の道が険しくても。
たとえ、この先にゴールがなくても。
前に進む、そのことが一番なにより大切だから。そして、それを気付かせてくれたのも、あなただから。
それが分かっているから、佑奈は何度でも立ち上がれる。
時が止まった世界で。時の止まった桜の下で。止まない雪の中で。
佑奈は未来をみつめていく。