02〝猫〟
佑奈は久しぶりにバイトがない放課後、だれにいない四階の廊下のまどから、グランドをみていた。
「ゆーうな!」
「うにゅ?」
グランドで楽しそうにサッカーボールを追いかける〝猫〟を見ていた佑奈は、聞きなれた声に視線をやる。
すぐ後ろに、にやにや顔をした葵衣が立っていた。
「ありゃ葵、どうしたの?」
「なぁに見てるの? ねぇねぇー、なんでここにいるの?」
ふふふーと笑いながらわざとらしく佑奈のひじをつっつく葵衣。
佑奈は、頬が赤みを増すのがわかった。
「い、いいいいや? 深い意味はございません!? だ、だってほら暑いし!」
「いま四月だよ? 膝掛けを二枚も腰に巻き付けてるひとに、暑いって言われてもねえ」
「ぐぬぬ」
「お顔がまっかだよ? 佑奈さん?」
「うるさいやい!」
げしっと小さく葵衣の足をける。葵衣はわざとらしく、いったーと足を抑えて笑っていた。
「あ、葵衣「」
「うん?」
「今日一緒に帰れないんだ。……〝猫〟に、会うから。ごめんね、探してくれたんだよね」
「……いや、用事があっただけだから」
「うん……。ありがとう」
「じゃ、帰るね」
「気をつけてね!」
うん、と返す葵衣が階段をくだるのを見送り、佑奈はもう一グランドへ視線を移す。
あの子はまだ、元気にサッカーをしていた。
「そうだね……。私は、誰を……見てるんだろうね」
ぽつりと呟いた言葉は、サッカー部や野球部の掛け声、とともに世界にとけていった。
やがて聞こえてくるのは吹奏楽部が奏でる音楽。
今日の曲は『魔女の宅急便』だった。
――君が大好きな魔女の宅急便だよ。
いつもそうするように、佑奈はそっと呟いた。
携帯に記される時計は二十時をさす。部活は、もうとっくの昔に終わっていた。
しかし佑奈はいまだ、学校から徒歩十五分の駅前にある、ショッピングセンターの本
屋にいた。
立ち読みをしているのはいいが、文が全く頭に入ってこない。佑奈は、何度も同じペ
ージを読み返していた。
「はぁ」
重いため息が口から漏れる。佑奈は仕方なくその本を棚に戻し、またぶらぶらと本屋をうろついた。
「――あれ? 佑奈?」
「ん?」
聞きなれた声に、そっと後ろを振り替えると見慣れた顔がそこにあった。
「あ……美加子」
「やっぱり佑奈。部活、お疲れ様。こんな時間まで、どうしたの?」
ポヨンポヨンと胸を揺らしながらかけよってきた美加子は、そっと佑奈の顔を覗きこんだ。
「……またあいつ?」
「……ん」
覗きこむ美加子の顔が、少しずつ歪んでいく。気が付くと佑奈のマフラーに、ぽたぽたと雫が落ちた。
「あのね……あのね。どんなに最低なことされてるって、わかってても……愛してるんだよ、あのこの事」
「知ってるよ。佑奈はずぅっと一途だもんね」
「うん……。だからね、きっと大丈夫なんだよ……? 私は大丈夫なんだよ」
自分に言い聞かせてるだけだって分かってるのだろう。だけど、そうでもしないと自分の行動が全て否定されるような気がした。
「佑奈はどうしたい?」
「……待つ」
「辛くても?」
佑奈は、こくんとすぐに頷いた。辛いことくらい、この道を選んだときから知っている。
「あの子があの〝約束〟をやぶったから。私は……私だけは守らないといけないの」
あの子が帰ってくる〝約束〟という名のこの〝家〟を。
「あの〝約束〟だけはこの私が、なかったことになんか、させないの」
「……もう約束じゃないのに?」
美加子の言葉が胸に刺さる。
確かにそうかもしれない。約束とは、互いが守るから約束なんだ。
だけどそれでも。
「それでも、私は守ると決めたから。守らないといけないの……!」
美加子はそっと佑奈の頭を撫でた。なだめるように。哀れむなように。応援するように。
ぎゅっと目をつぶり、これ以上涙を流すまいとマフラーに顔をうずめる。
そんな佑奈を美加子は、そっと抱き締めてくれた。
「――佑奈はいま、幸せ?」
美加子の優しい匂いに包まれ、さらに涙が流れ出る。
佑奈はその最後の質問にだけは答えれなかった。