01いつもの日々
『別れよ』
それだけのメールの本文が送られる送信画面を見送ってから、佑奈はふぅっと小さくため息をついた。
このやり取りを何人の男と繰り返しただろう。
あの日のことがあってから。
――キーンコーンカーンコーン…
「起立、礼」
『ありがとうございました』
授業が終わり、先生が教室から出ていくと同時に、教室がさわめきだす。
佑奈は携帯を机の中に隠し、ポケットに忍ばせていた飴を頬張った。
「佑奈! あんたまた授業中に携帯いじってたでしょ!」
「げ、美加子」
「げ。じゃない! バレたらどうするの。もう私たち高三なんだよ!?」
「だいじょーぶだよ、あのおっさんは」
「またそんなこと言って……。しかも何か食べてるよね」
「あ、ばれた?」
「ばれるよ! リンゴのあまぁい匂いがここまで匂ってるよ!」
「気のせい気のせい。つぎ、なに?」
「あたしは世界史だから、佑奈は日本史じゃないの?」
「……ありがとー」
日本史。こんな最悪な日に。
「おぉ、今日記念日の、おめでたい大原くんじゃーん」
「おーあざっす」
遠くで聞こえるそんなやり取りから逃れるように、佑奈は三組の教室を出た。
「駄目だなぁ慣れないと」
そんなことをつぶやきながら、佑奈はいつものように2組に顔を出す。
後ろのドアから教室を見渡し、見慣れた黒髪の少女を見つけると、大きく手を振った。
「あ、お、い」
「佑奈。どうした?」
「つぎなに?」
「英語だよ。サボるの?」
「よくお分かりでぇ! 頼む!」
「えー」
「あったかい飲み物おごるからぁ!」
「よし、言ったね。三杯ね」
「さ、さん……。は、はぁい」
「じゃ、はやくいこ」
満足そうにほほ笑む葵衣と手を繋いで、教室がある棟とは違う棟へと移り、屋上に繋がる階段の手前で腰をおろした。
ここはめったに先生が来ないサボりの穴場だ。
「さっむいねぇ、葵衣」
「もう四月なのにね」
持ってきた温かいお茶をずずずっと、すすりながら縮こまる。
「で? 今日はどうしたの佑奈」
「う。いや……なにも?」
「……まぁ話したくないなら別にいいけど」
とか言っても、もう全部お見通しなんだろう。
知っててなにも言わずに隣にいてくれる葵衣は、本当に優しい。
「……ねぇ、葵衣。寒いから、ぎゅーしてもいい?」
「甘えん坊だね、佑奈は」
葵衣の甘酸っぱい香りに包まれて、佑奈はふふふと笑いをこぼす。
「なに佑奈。変態みたいだよ」
「変態じゃないよ、匂いフェチだよ」
「それを世間一般に変態って言うの」
「匂いフェチは変態じゃないよぉ!」
はいはい、とあしらわれて、ひどいっと泣き真似をして笑い合う。
いつも通りの会話だった。
いつも通りじゃないのは佑奈だった。
「……葵衣」
「うん?」
「私、猫派なんだ」
「知ってる」
「少し茶色の毛をしてて、笑ったら三日月みたいに目が細くなる、可愛い猫が好きなんだ」
「めっちゃ限定するね」
「あほでバカで、人のことすぐひっかく最低な猫が好きなの」
「うん、知ってる」
「そんな猫はねこの世界に一匹しかいないの」
「そだね」
「……帰ってくるかなぁ」
「帰ってくるよ」
大丈夫。
なだめるようにゆっくりと頭を撫でられ、佑奈は一粒雫を頬に流した。