夢~あの背は~
はっと目を覚ました佑奈は真っ白な世界にいた。
いや、よくみるとその白は限りなく降り積もる雪。しんしんと、音もなく降り続ける雪の真ん中に、佑奈は立っていた。
そんな佑奈の目の前には、大きな一本の木。
蕾をほんのすこし膨らませているその木は、桜の木だと、佑奈は知っていた。
ここには何度も来たことがある。
初めてみる世界だったけれど、そう思った。
「さむいなぁ」
そう呟いて、そっと目を閉じる。
浮かんできたのは、佑奈が通う高校の校門。あぁと佑奈はため息をついてから、そっ
と校門の横にある人影に目を凝らす。
そこには予想通り〝猫〟がいた。
毛皮と同じ茶色のマフラーに首を巻いて、寒そうに体をちぢこませる〝猫〟。
そんなに寒いなら、私が暖めてあげるのに。
声にならない声で、丸くなる背中にそう呼び掛ける。
「おまたせ!」
そんな〝猫〟に駆け寄る人影が一つ。
この高校の制服を身にまとった女の子だ。
〝猫〟は嬉しそうに顔をほころばせ、立ち上がるとその女の子と手を繋いで、歩いていってしまった。
佑奈は一歩も動かず、目もそらさず、その背中を見つめ続けた。
少し前まであの背の隣は、佑奈の場所だった。
これからも自分だけのものだと思っていた。
たとえ、離れても。
「私は待つよ」
何度その言葉を口にしただろうか。
「でもね、家出猫が帰ってくるまで、寂しいから」
ちょっと散歩してくると〝家〟を出ていったきり、帰り道がわからなくなって、気付いたら他の飼い主にちやほやされたバカな〝猫〟。
「ちょっとくらい、拗ねたっていいでしょう?」
頬を流れる雫は、気づかないふり。
きりきりと音をたてて痛む心も、気づかないふり。
不安もなにもかも、気づかないふりをして佑奈は、遠ざかる背中にそっと笑いかけて、目を閉じる。
そして再びゆっくりと目を開けた佑奈はそっと呟いた。
――あぁ幸せな夢だ。
あの家であの部屋で〝猫〟に初めてを捧げた。
「俺が幸せにしてやるよ」
「うん!」
疑いなんてなかった。
そばにいるのが当たり前だと思ってた。
あの階段で一生の印をもらったと思っていた。
「ずっと愛してる。お前だけな。いつかその指輪、左手にはめてくれな」
「もちろん。でもね、私の方が愛してるよーだ」
「はぁ? 俺のほうが愛してるわ!」
言い争いながらも笑い合って手を繋いでた。
あの場所であの公園で〝猫〟を手放した。
「ごめんな。こんな俺、嫌ってくれていいから」
「嫌わないよ。だからきっと……帰ってきてね」
「絶対帰ってくる。愛してる佑奈」
「私も愛してる。いってらっしゃい」
「あぁ……行ってきます」
お互い泣きながら抱きしめあった。佑奈は声をあげて〝猫〟の胸で泣いた。
〝猫〟は佑奈の頭を撫でながら、ぎゅっと佑奈を抱きしめて、声を殺して泣いていた。
冗談を言いあって笑いあって、永遠の愛を誓って、約束を交わした。
はずだった。
佑奈はそっと目を開ける。
降り続ける雪だけが見えた。
誰かこの雪を止めてほしい。
誰かこの桜を咲かせてほしい。
「ごめんね、私それでもまだ」
そのさきに続く言葉は佑奈自身も聞こえないほど小さな声だった。