01弱さ
「翔が好き。離れて、改めて思ったの……!」
それはまるでマンガのような巡り合わせだった。
別に急ぎの用だったわけじゃない。
放課後でも、帰ってからの電話でも良かった。
けれど無性に翔に会いたくなって、五時間目が終ると同時に佑奈が二階へと階段を下ろうとしたときのことだった。
階段を途中までおりて、ふと、階段のよこをつづく廊下から顔を出してみると、翔の背中がみえたんだ。
後ろから抱きついてやろうと駆けだそうとした佑奈の足を止めたのは、その言葉だった。
もう一度、顔だけをのぞかせると、翔の前に一人の女の子の姿。
どこかでみたことがあった。
それは、もう三ヶ月も前に、カラオケボックスで翔と笑っていた女の子に良く似ていた。
「……っ」
翔が声を発する気配を察した佑奈は、その場から逃げるように階段を駆け上がる。
――離れて、改めて思ったの……!
先ほどの言葉が頭から離れない。
教室に逃げるようにもどり、寝たふりをして机にうつぶせる。
やがて始まった授業の内容はまったく頭に入ってこなかった。
一日最後の授業が終わり、ホームルームも終わり、掃除も終わった教室で一人、佑奈は自分の席に座っていた。
美加子は心配そうに何度も声をかけたが、佑奈はその度に大丈夫と答え、先に帰ってもらった。
塾のある葵衣とは昼休みから会っていない。
もうとっくに帰っているはずだ。
「はなれて、あらためて、おもった」
それは、どういうことなんだろう。
離れてって、だれと。翔と、だ。
帰ってきた、と、いうことだ。翔の大切な人が。
なら、終わりだ。佑奈たちの関係は終わる。
翔には本当に大切な人が返ってきて、これで翔は幸せになれる。
これで、いいはずだ。
佑奈は、また違う人を探しながら〝猫〟を待ったらいいだけの話だ。
佑奈だけがまた、待ち続ける。
それだけの、話のはずだ。
「……っ」
佑奈はもう耐えられなくなって、逃げるように怯えるように、家にかえった。
「ほんで? そっから翔とは連絡とってないんやな?」
「うん……」
れいはまるで自分の部屋のようにくつろぎながら、佑奈の部屋で話を聞いていた。
まぁ、れいの当初の目的は暇な休日の昼を、お菓子がたくさんある佑奈の家で過ごしたかっただけなんだが。
インターホンを押して出てきた佑奈の様子が普通じゃないことに気付いたれいは、事情を説明してもらったのだ。
「んじゃあ、佑奈はこのまま別れてええんやな?」
「い、いいよ。だってお互い大切な人を忘れるために付き合ってたみたいなもんなんだから。その、大切な人が、戻ってきたんだったら……もう、いらないじゃん」
「そう思うんやったら今から、電話なりメールなりして別れたらええやん」
「そ、そうだけど……。私、ほら……ヘタレだから」
「――あぁ、ヘタレやな。こんの、大ヘタレ!」
れいが容赦なく、佑奈に向かって思いっきり座布団を投げつける。
突然のことに避ける暇もなかった佑奈は、その座布団にもろに顔をぶつけた。
「――っ! な、にすんの!」
「結局、佑奈はなんも分かってないやん! 失ってから気付くことを、〝猫〟で十分に味わったんちゃうん! なんも、変わってないやん!」
「か、変わってないってなにさ! 私は翔の大切な人が戻ってきたなら、その人と一緒にいたほうが幸せだって思ったから!」
「はあ? そんなこと翔がいうたんか? 元の奴と一緒にいたほうが幸せやって、言ったんか!?」
「違うよ! けど……!」
俺の新しい一歩だ、と佑奈の手を引いてひいてくれた翔。
だけど、いまはその新しい一歩だっていらないのだ。
だって翔の願いは叶ったんだから。
「じゃあ、佑奈は、翔の言葉は全部嘘やったっていうんやな? 元に戻りたいって思ってないって言ってた、あの言葉全部!」
「だ、だって! それは、翔が諦めてたからで! でも今はもう叶ってて……!」
「アホ佑奈! 分かってるくせに! 目をそむけんな!」
「そむけてないよ! ちゃんと、ちゃんと見てるよ!」
「いいや、見てないね」
ぼろぼろと涙を流しながら、訴える佑奈。
それを冷たくあしらう、れい。
見てる、見てない、見てる、見てない。
そんな終わりのないやりとりのさなか、インターホンは鳴り響いた。
れいが立ちあがって、窓から下をのぞく。
ちょうど家の門が見えるのを知っているれいは、そこで誰が来たのか把握すると、上がってきてと叫んだ。
「ちょうどいいタイミングや。ナイトの、登場やで」
「え……」
玄関が開く音。靴を脱ぐ音。彷徨ったように動く足音。
そうして、二階へと繋がる階段をみつけたその足音は、トントンと上に上がって姿を現した。
「――翔……!」
「いらっしゃい、翔」
「……えっと、……え? どういう状況?」
キョロキョロと二人を見渡して、首を傾げる翔。
佑奈はさっと顔を逸らした。
「逃げんな、佑奈!」
その言葉にびくっと体を降るませる佑奈。
れいは、まだ状況が読めず戸惑う翔を自分の隣に座す。
「翔、こいつな、翔の何も信用してないみたいやわ」
「な、ちょ、そんな言い方……!」
「なんやねん、佑奈。間違っとんか?」
「ちがう、私は……! 私は、翔が幸せな道を……」
「それが逃げとるって言っとんねん!」
翔が幸せな道を。
佑奈から発せられたその言葉で、翔は大体のことに想像がついた。
おそらく、あの廊下でのやりとりを聞かれていたんだろう、と。
「翔の幸せってなんやねん! 佑奈が決めることか!?」
「ち、違うけどでも」
「でも、やない。佑奈は逃げとるだけや。捨てられるかもしれんって怖くなって、『翔が幸せな道』なんて綺麗な言葉使って、自分から離れて。でも、本当に離れるのも怖くて」
ちがう、ちがう、そうじゃない。
そう叫びたいのに、声が出ない。
「――佑奈」
翔の声が、今は心に突きささる。
佑奈はもう、耳をふさぐしかできなかった。
じゃないと、なにかが壊れて溢れだしそうだった。
「俺、そんなに、信用ない?」
佑奈を笑顔にしてあげたいって言葉は、そんなに、信用なかった?
翔の悲しそうな声が聞こえる。
けどきっと、翔の顔は笑ってるんだ。寂しそうに、笑ってるんだ。
「ち…、がう、ちがうよ……! でも、でもこんなの許されない!」
そんな笑顔にさせているのは誰のせいだ。
考えなくても分かる。
「その一番の原因の私が! 羨ましい、なんて……! 翔にとっての大切な人は帰ってきたのに、〝猫〟は帰ってこない! なんで、どうしてって。翔が羨ましいなんて思ったんだよ!」
心のどこかでかぶせていた蓋が外れ、どろどろしたものが佑奈の体を覆う。
佑奈はもう、どこかに落ちてしまいそうな感覚だった。
「そのくせ、寂しいなんて! 思って! 翔がいなくなることに不安、なんか、覚えちゃって……!」
汚い気持ちを認めたくなくて、距離を取ったのに、次は寂しいなんて気持ちが邪魔をする。
「そんな、そんなこと思う資格、ないのに…!」
頭を抱えて縮こまる佑奈。
いろんな自分で、体がはりさけそうだった。
〝猫〟を待つ自分。翔を羨ましがる自分。翔と離れることを恐れる自分。
そんな佑奈をみた、翔とれいはまったく同じ行動に出た。
「――ひっ……」
抱きしめた佑奈の体が息をのんだように、ピクリと震わせる。
右はれいが、左は翔が、佑奈の体を包み込む。
「いいよ、佑奈。そのままの佑奈でいいよ」
翔がそっと呟いた。
「それでも安心して、俺はいるから。ここに、いるから」
「嫌いなんてならへんよ。大丈夫や。どんな佑奈も、うちの大切な佑奈やで」
――佑奈、それなりに好き。
最大級の愛をこめて、そう言う親友の言葉がよみがえる。
――まったく、手のかかる子なんだから。
困ったように顔をしかめながら、いつも手を差し伸ばしてくれる友達がいることを思い出す。
「佑奈は一人やないで。やから大丈夫や。全部認めて、それでもそばおるよ」
「人を大切に想うってことは、きっとそういうことなんだよ、佑奈。だから、俺は全部ひっくるめて、佑奈が、好きだ」
佑奈の体から少しずつ、力が抜けていく。
あとは、二人の腕の中で声をあげて泣く、佑奈がいた。
「佑奈は佑奈のスピードで歩いて行ったらいい」
その言葉を最後に、二人は佑奈が泣き疲れて眠ってしまうまで、抱きしめていた。




