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10 さよならキスは冷たいテレビが相手

≪伊織Side≫


 強い緊張が体中を駆け巡る。今まで経験したことも無いような、視線の数々。

 俺は1人ステージに立ち、スタンドに掛けてあるマイクにゆっくりと手を伸ばした。

 まだ正面は向かず、足場を確認するように俯いて、足元に落ちている自分の影をしばらく見つめる。白い光を放つ、スポットライトが熱く背中を照らす。

 何回か深呼吸をして、自分の歌の歌いだしの部分を頭の中で繰り返した。


 今日はCDに録音されている曲をアレンジして、出だしをアカペラから歌いだすことになっている。スタッフからのGOサインが出され、俺はゆっくりと正面のカメラを……いや、カメラの向こう側にいる、愛しい人を見つめた。

 すっと一瞬息を吸い込むと、周りの観客たちが、息を呑んだのが分かった。アカペラが終わると、打ち合わせどおり音楽が鳴り出す。それと同時に俺の胸も高鳴りだす。

 美羽さんのために歌っていると言う嬉しさが、このときの俺を包んでいた。

 本来の俺の仕事なら、歌うことよりも奏でることを好んでいるのに。なぜか今日だけは初めて出来のいい曲を作ったときのように、心の中を解放する感じがした。


 そして、俺は自分の世界に入るのを一旦止めて、周りに目線を配るとスタッフ、一緒に出演しているゲスト、それから曲の準備をしていたLenが瞬きをせずに俺の方を驚いたように凝視していた。

 歌が終わり後奏がゆっくりとエンディングに向かって行くと、俺は視線をカメラから外し、顔を少し上に向けると無事、最後まで歌いきった気持ちになった。

『ありがとうございました』

 俺が一言挨拶をすると一瞬静まり返り、遅れて拍手が沸き起こった。

 しかし、Lenの曲の前奏が一向に始まらず、俺はただステージに立ちすくして、向かい側のステージにいる、奴にサインを送った。


 それに気がついたLenは、はっと我に返りバックバンドに合図を送り、やっと曲が始まった。奴らしくない動作に俺は不思議に思いつつ、それから自分の席に戻っていった。

 席に戻ってからLenの曲に聞き入ると、隣に座っている大手アイドル事務所のグループから、「めっちゃ、感動しました!」と言われ、俺は何のことか分からずに、ただ素直に軽く“ありがとう”と返した。

 流れている曲から、Lenらしくない歌声が聞こえてきて、俺は曲の間中あいつを見つめていた。

 曲が終わって、ゲスト全員が席の前に立たされると番組はついにエンディングを迎えた。俺の隣にLenが来て、真っ先に「お前、今日調子悪いのか?」と聞いた。

 すると奴は、こう言った。


「お前の後にはこれ以降、絶対に歌わない」

「は? 意味分かんねぇし」

 ゲストの前を一台のカメラが横にずっと、俺たちの方に向かってきて、俺の顔とLenの顔が、確認用画面に大きく映し出された。


 俺はそれに気づかなくてLenを訝しげに見て、司会者の「ではまた来週お会いいたしましょう」という声が聞こえて、やっと目の前のカメラに気がついた。

 気づいたときには時すでに遅く、Lenに肩を組まれて画面に大映りしていた。


「まさかとは思ったけど、俺、お前の歌聴いてショックを受けたんだ」

「……?」


「お前は音楽を奏でるために、歌うために生まれたんだなって」

「それなら、お前もだよ。俺が弾きこなせないよな楽曲をスラスラ自分のもにして。ピアノの技術も俺を遥かに凌ぐから」


「そう言ってもらえると嬉しいけどさ、お前に勝てないのは悔しいぜ」

「そうかな? 世間的評価だったら、俺はお前に負ける」


 ごまかすなよ。そう言ってLenは俺の背中をふざけたように叩くと、目の前に1人の女性が、現れて俺の前で立ち止まった。


「IORさん」

「通れないんですけど」


 俺はなんとなく、その女性が何を言いたいのかが検討ついて、眉を寄せてにらみつけた。


「今から、飲みに行きませんか? 一緒に話しません?」

「遠慮します。では」

「イオ」


 俺は後ろから追いかけてくるLenに向かって、「ああ言うのには、付き合わない主義だから」とスパッと答えた。

 すると奴も苦笑(わら)いながら、

「お前は見かけによらず、強情だし、独占欲強いし、一途だし?」

「全部一緒の意味だろ」

「おー、元を辿ればな!」


 楽しそうに話をし、廊下の窓の向こうに移るビルライトを眺めながら、ただ、美羽さんのことを考えていた。


*****


≪美羽Side≫


 彼が私を見つめる視線が、まっすぐ私に向かってきたのは、いつだったかな?もう忘れそうなくらい、私は彼に触れていない。

 今までのように、あの最初の時に別れてそのままだったみたいに。

 私の部屋に、彼の足跡がない。


 『IOR 前代未聞の高視聴率更新』


 伊織くんが、初めてテレビに出た次の日の新聞には、一面に『高視聴率』の文字を何面もの新聞に叩き出した。

 私は新聞を売っている駅の売店、電車の中でその記事を読んでいる人を、冷めた目で見ていた。


 いつの間にか毎日続いていたメールが途切れて、1ヶ月、2ヶ月と過ぎて、自分の誕生日さえ過ぎて、私は23才になった。

 あれから、私と伊織くんの連絡は途絶えたままだ――……

 ときどき寂しくなって電話をかけるけれど、いつも電源が入っていないか、電波が届かない所にいるという、機械的な音声が聞こえるだけだった。


 ――『会える日は会えなかった分だけ一緒にいよう』


 私は彼に向かって言った言葉が、今では心の中で重くのしかかって、崩れかけている感じがしてならなかった。けれど、テレビ画面をつければ毎日彼に会える。

 ただ、肌の温もりを感じれないだけ。

 それでもいいじゃない。

 私は自分にそう言い聞かせて、日々を乗り切っていた。それでも、メールも連絡も手紙も何一つとて私の元へは来なかった。

 私は、この状態にやり切れなくなって少しずつ、体に変化が現れ始めた。


「美羽。最近痩せたんじゃない?」

「そう?」

 八重は、すぐに美羽の変化に気がついた。


「うん。だって、顔色悪いしやつれた感じがしてるもん。ストレス?」

「……私は普通よ?」

「そう、かなぁ? でも、無理は禁物だからね」


 八重の指摘に、私は素直に答えることができなかった。私はこの数ヶ月間で、過度のストレスを感じ続け、感覚的に麻痺していた。

 ストレスをストレスと感じ取れなくなって来ていた。つまり、いつでも糸が切れてもおかしくない状態。

 仕事をしなければ、彼を思い出してしまう。仕事をしなければ、寂しすぎて泣いてしまう。


 だけど、そのストレスはある事柄によってさらに私に追い討ちをかけた。


 その夕方。

 会社の自販機でジュースを買っていたとき、ふと食堂のテレビを見たら伊織くんが映っていた。

 隣りには恋人のように伊織くんに腕を絡みつけて、綺麗に着飾った女の人が立っていた。

 あろうことかニュースでは“熱愛発覚”という見出しさえ出ている。取り上げられた報道の内容は、深夜の繁華街で伊織くんと女の人(女優の人らしい)が親しそうに歩いている場面だった。

 私はこれを見た瞬間「え?」と目を疑った。


『女優の瀬野さんの事務所は交際を認めており、IORさんの事務所はノーコメントを発表しております』


 私はその場を逃げ出すと溢れる涙が堪えきれず、しばらくトイレで泣いていた。

「どうして、伊織くん」

 私の声はただ埋もれ声となっていた。そのあと、私は体調不良ということから会社を早引けし、何の音も耳に入れたくなくて携帯の電源を切った。

 その夜は一晩中泣いて、そして翌日には元気に会社に行こうと思ってた。

 でも、もう限界だった。


『ガッタン、ズダダダン、カシャーン』


「美羽ッ!」


 ふと、何かの気配に気づいて意識を取り戻した。

「あれ…? ここ、」

「医務室よ」

 横たわっていた身体の横から、八重の声が聞こえて私はそちらに視線を移すと、八重は泣きそうな顔をしながら、私をにらみつけていた。

「美羽のバカ」

「……ゴメン」

 私は否定もせずに、苦笑いをして八重に素直に謝った。

「過労で倒れるなんてね、20年も早いのよ」

「ははっ……そうだね」

 八重の皮肉った言い方は、相変わらず美羽に棘を指していたが、途中で溜め息をしてこう言った。


「でも、あんたの秘密は、誰にも打ち明けられないもの、だったのね」

「え?」

 私は、八重の意味する言葉にドキリとして、八重の顔を見つめた。すると、八重は私に携帯と電池パックを差し出した。


「あんたが倒れた衝撃で、携帯から電池パックが抜け落ちちゃったの。最初に私が駆け寄ったときに、すぐに見つけたから誰にもまだ見られてないと思うけど。……あんたがときどき携帯の裏を見つめるしぐさをしてた意味が、やっと分かったって思った。見つけた瞬間はまさかって思ったけど……」

「……」


「だって、今ニュースで報道されてるじゃない? だから」

「『会える日は会えなかった分だけ、一緒に居よう』って約束したの」

「え?」


 私がポツリと呟くと、八重は眉根を寄せて私を見つめた。


「テレビ出演が決まったときにね、約束したの。それから私の誕生日が過ぎて、夏も終わって。ここ数ヶ月、彼に会ってないし、連絡も取れない」


 私の言葉に八重は驚きを隠せずに、ただ私の携帯のプリクラを見た。

「自然消滅、かな」

 それを呟いた瞬間に、私は箍が外れたように涙を流し、初めて八重の前で泣きじゃくった。

 気分が落ち着いて、八重に「一時休暇とってどこか行って来なよ」という提案に、賛成をして、私は上司に無理やり頼み込んで、休暇申請をした。


「う~ん。北条くんはあまり休まないから有給は別にいいんだけど、この際どうだい? この理由欄の『弟の居るフランスに行くため』って言うのを、フランス支社出向にしては」

「フランス支社……?」

「そう、君のフランス語会話の巧みさは知ってるよ。弟さんにもある程度教えてから、留学させたことも」

「いいえ。とんでも」

「ちょうどね、向こうからいい人材は居ないかと話が来ていたんだ。もし君が良ければ、推薦したいと思う」


「――――」


 普段の社会ならば、このように優しい上司などどこにも居ない。しかし、私はこの時ばかり、この心優しい上司に感謝する意外には無かった。

 その夜、さっそく荷作りし始めた。

 3ヶ月間。私このマンションから居なくなる。たった3ヶ月ではあるけれども、このマンションの契約を破棄することに決めた。

それは今の悲しい思いを断ち切るため。


 この部屋で始まった不思議な関係。

 そして終わってしまった恋人関係。

 少ない荷物を箱に入れ終えて、あたりを見回すとふとテレビが視界に入った。昨日から携帯の電源がオフにされてあるため、この部屋には今自分が出す足音であったり呼吸の音しかしなかった。

 テレビに近づいて指で主電源を押すとぱっと視界に、ずっと思っていた伊織くんが映っていた。画面に映った彼の顔を見て顔が少し綻んだ気がした。


「伊織くんも、疲れてるね」


 画面越しに彼の輪郭をなぞって行くと、だんだんと涙が溢れ出してくることが分かった。


 『ズズッ』と鼻を吸い上げ、漏れる嗚咽をこらえる。

 はぁ、と深々と息を吐き出す。

「どうして、かなぁ。どうして、否定してくれなかったのかなぁ」

 今でも、鮮明に覚えているニュースの報道が頭の中に浮かんでは、涙が溢れ出す。

「こんなに好きなのに……。こんなに、あなた、を、待ってる、のに」


 あなたが最後だったのに。

 画面に掌をくっつけて、絶え間ない嗚咽と涙を流し、最後の言葉を告げた―――。

それでは21日にお会いしましょう。

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