僕の妻は今日もよく眠る
今日も妻の美しい寝顔を横に、僕は1日を始める。
「おはよう、今日はよく晴れているよ」
愛おしい妻に声をかけるが、返事はもちろんない。
妻はもう1週間眠りっぱなしなのだから。
妻は、たくさん眠るという奇病に罹っている。
ただひたすら眠り続けるだけで、他にも何かあるわけではない。
長いと半年ほど目を覚まさないが、その間は食事や排泄などはしなくても問題ないという奇妙な症状のため、起きないこと以外は特に困っていないのが現状である。
運がよかったのは、もう結婚していたことくらいだろう。
婚約中にこの病気を発症していたら、きっと婚約は白紙に戻されていた。
今もよく思っていない親戚連中がいるのは知っているが、本家の僕や両親がいいと言っているのだから、直接文句が言える人間もいないだろう。
「体を拭くことは、許してね」
眠っている妻に対して声をかけ、僕は自分の手でぬるま湯にタオルを沈めて、絞ったタオルでベッドに横になっている妻の体を拭いた。
本来なら使用人の仕事だが、夫として寝ている彼女にしてあげられることはこれくらいなので、侍女の仕事を取ってまでも僕がしてしまう。
「今度はどれくらい眠るのかな。また2週間くらいで起きてくれると嬉しいな」
そんな願望を独り言に零しながら、華奢な妻の腕を拭いていく。
目が覚めても、起きていられる時間はまちまちだった。
規則正しく朝起きて昼間起きてて夜眠るというサイクルが続く時もあれば、昼寝をする時もあるし、1日しか起きていなくてまた長く眠りについてしまう時もある。
長く眠れば、長く起きていられるというわけでもなく、法則性はいまだに掴めていない。
「でも、こないだは3ヶ月普通に生活できたしねぇ」
起きている妻と過ごせた時間を思い出して、僕は自然と口元が緩む。
寝顔を見続けるでも幸せにはかわりないが、やっぱり目が合って会話ができて、起きている妻と一緒にいる時間は格別なものだ。
早く起きてほしいとは思わないが、長く起きててほしいとは思ってしまう。
魔法で無理矢理起こすという案もあるにはあるのだが、脳への負担が大きくなるため、その手段は使っていない。
どんなことがあろうと、今は妻が最優先だと思っている。
絶えず息をしている妻にほっとしていることなど、妻には知られたくないな。
「さて、全部拭き終わったよ。……ゆっくりおやすみ」
返事の返ってこない呟きとともに、妻の額に唇をつけた。
今日も、妻の寝顔は美しい。
「仕事に行ってくるね」
そう言って、いつものように僕の生活は始まっていく。
妻とともに重ねる時間が少ないことは、やっぱり寂しい。
いつものように登城し、いつもと同じ顔ぶれと仕事をし、たまに来るお節介な見合い話を笑顔と冷ややかな目で断り、いつもと同じようにペンを走らしていた時──。
「先輩、ご自宅から急ぎの手紙が届きましたよ」
部下の声に心臓が跳ねて、手紙を受け取った。
脈がうるさい。
急ぎの手紙なんて滅多にこない。
だけど、来る時は大抵同じ理由だ。
だから、逸る気持ちのまま手紙を読んだ。
『若奥様がお目覚めになりました。医師は手配済みです。お早いお帰りをお待ちしております。』
目の奥が熱くなる。
「申し訳ないのですが、残りの分は明日やるので、早退させていただきたいです」
すぐに上司にそう言えば、手をひらひらと振られた。
「早く帰ってやんな。奥方殿が待ってるぞ」
上司の声に、素早く部下が僕の鞄と上着を押し付けてきた。
「明日みっちり働いてもらうからな」
「先輩、明日覚悟してくださいね。お疲れ様でした」
「……ああ、ありがとう。お先に失礼します」
僕は足早に職場をあとにして、馬車に乗り込んだ。
会える、会える、会えるっ…。
どうか、僕が着くまで起きていて…!
その気持ちだけで両手を組んで、ぎゅっと目を閉じた。
我が家に着いて、屋敷に入るなり、今朝ともいつもとも違う明らかに浮き立った空気を感じた。
「おかえりなさいませ、若旦那様!若奥様は寝室でお医者様の検診を受けている最中にございます」
「……そうか、ありがとう」
医者に診せる時は、妻が起きている時だ。
ドクドクと耳のそばの脈までうるさくて、他の音が掻き消されていくようだった。
寝室の扉を開ける時、無意識に力が入って、ベッドに座っている妻を見て、息を呑んだ。
「あ、おかえりなさい、あなた」
その声は1週間ぶりで、随分早く聞けたなと思った。
そのまま近づいていって、声をかけることもなく抱き締めていた。
「ごめんなさい、またお仕事の途中だったんでしょう?」
「大丈夫。そんなことより、目覚めが早いね。僕が寝ている君に急かしたからかな」
「あら、そうだったんですか?」
くすくす笑う声が耳元で聞こえて、自分の脈の音がしずまっているのを感じた。
好きな笑い声がして、くすぐったい。
ようやく妻を離して、その頬を撫でた。
妻の目が細くなっていく。
「おはよう、待ってたよ」
僕の声に、妻は一段と可愛く笑うのだった。
時間が動いた感触がした。
了
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228日目。




