6、あいつもこいつも狙ってる
たったの一撃で、サイドテーブルが大破した。
ウィズはあたしを抱えたまま、ベッドの反対側へ。
半ば転げ落ちたようなもんだったけど、おかげで直撃を免れた。
「ンのおおおおッ」
ゴリラ状態になっちゃった若いシスターが、さらに第2撃を振りかざす。
ズガンと音がして、ベッドの柵が外側にひん曲がった。
点滴ポール、意外と強烈。
あたしとウィズはベッドの後ろを通って、歩行器の陰に隠れる。
「美久ちゃん、わかっただろ?
クレソンがこの子で、この子が僕を狙ってるんだって!」
「わかって誘い出したなら、なんで防御策練っとかないのよ!」
運動不足の魔術師、すでに息が切れてるぞ。
追って来たシスターが第3撃。
重いキャスター付き土台が壁を削る。
第4撃でもう一度、今度は壁を猛打して、やっとポールが折れた。
ウィズとあたしはドアの外に走り出た。
追って来るシスターに扉をぶつけるつもりで、半分閉めて構える。
でも、彼女は追って来なかった。
何故か恐怖に顔を歪めて、ドアの前から後退った。
背後のリハビリルームが騒がしくなった。
大きな音を聞いて、職員が駆けつけて来たのだ。
ピンクの介護衣の女性たちが3人、その後ろからシスター野末。
院長のいかつい顔を見るなり、クレソンは憑依していたシスターの体からすっとんで逃げてしまった。
「私の体を乗っ取りましたのよ。
この子は悪魔、悪魔です!」
正気に戻った若いシスターはいつまでも泣き続けた。
「あなた、一体何をなさったの。
何の理由でここにお入りになったんですか!」
額に青筋を立てて怒るシスター野末に、ウィズは平然と
「何も。 きっと同類なんでしょう」
またちょっと挑戦的な言い方をした。
「僕はね、この子の気持ちがわかるんですよ。
院長先生、類友ってことで、僕はこの子の面倒を見ようと思います。
3ヶ月間、里親にならせて頂きたいんですが」
そうか、ウィズったらとっくに全開状態な訳ね。
もう絶対、喧嘩売ってるとしか思えないもの。
「美義和くんがここに入ることについては、親御さんの同意も貰っているのよ。
本当は今回のようなケースでそんなことをしなくてもいいのだけど、私の主義なんです」
院長は頑なな口調だった。
「許可は貰ってますよ」
ウィズはポケットからシワシワになった封筒を取り出した。
「正式な書類じゃないですが、住民票移すほどの期間じゃないし、これで充分でしょう」
シスターは眉間のしわを2割増やして書類を受け取った。
「わざわざ刑務所まで行かれたの?」
「はい。 何か問題が?」
「‥‥こういう物は、ポケットに入れるべきじゃありませんね」
野末院長は苦々しげに言って、それでも手続きをしようと約束してくれた。
「さあウィズ、ちゃんと話してちょうだい。
あのミギワって子と、どういう関係?
なんであの子ウィズを殺したがってんの?
どうやって他人の体に乗り移れるの?
なんで、命を狙われてるウィズが、引き取らなきゃいけないの?」
さびれた駅前の小汚い蕎麦屋。
あたしはウィズを引っ張り込むなり、テーブルにふんぞり返って問い詰めた。
当然ながら、ウィズの美貌は薄汚れた店内では浮きまくっていた。
一歩も引かない勢いのあたしの手を、ウィズはそっと握って自分の額に当てようとした。
「だめ。 ちゃんと口で説明して」
機先を制して叫んだ。
「ウィズの言葉で説明してよ。
映像でなんか、理由も気持ちも何にもわかんない」
魔術師は、ちょっと困ったような情けない視線を、一瞬辺りにさ迷わせた。
「あの子は、小城ミギワっていう。
知り合ったのは‥‥ネットの動画サイトの掲示板」
「エロ動画ね」
ズバリ斬り込んでやった。
「なんだ、知ってたのか」
「それだけ? ちょっとは焦るとか恥ずかしがるとか‥‥」
「え?」
「いいよ、もう。
でもさ、あんな寝たきりの子が、インターネットをやってるわけ?」
「それしか興味がないから、院長先生が許可したんだそうだ」
何にも興味を持たず、立ち上がろうとも歩き出そうともしない美義和が、ふっと起き上がったことがあった。 医者が医療用に使うノートパソコンを病室の隅で打っていた時だった。
最近は患者一人一人のカルテをパソコンに入れて、確認しながら治療するのが一般的らしい。
美義和はパソコンの画面を見たがり、キーボードに触りたがった。
それで院長は、冒険とも言える決断をしたのだった。
「院長室まで歩いてきたら、30分パソコンを打ってもいい。
院長はそう言って毎日朝と晩の2回、ミギワにパソコンを貸していた。
そうやって少しでもリハビリをさせようとしたんだが、ある日『マイピクチャー』がいやらしいサイトの動画でいっぱいになっているのを発見して、使用禁止にしたんだ」
「でもウィズ、あんな小さな子がエッチ画像に興味あるもの?」
「美久ちゃん勘違いしてるね。 ああ見えて、ミギワは15歳なんだ。
昔から何度も、成長期に栄養失調になってるから小さく見えるけど、ホントは思春期の子なんだ」
「じゅうご!?」
とてもそんな年齢には見えない。 どう見ても小学生なのだ。
しかもパソコンを使えるということは、知能指数はかなり高い。
天ぷらそばがふたつ運ばれて来た。
さっき店に入るなり、あたしが適当に注文した物だ。
ウィズの前にどんぶりを置くと、可哀想なくらい似合わない。
せめてザルにするべきだったかと、どうでもいいことが気になった。
ウィズは湯気を見つめながら、ポツポツと話し始めた。
「ミギワの父親が虐待致死で逮捕されたのは3年前のことだ。
庭に埋めてある長女の‥‥つまりミギワのお姉さんの遺体が白骨で発見されたからだ。
ミギワはね、物心がつく前から、父親がお姉さんを虐待するのを見て育ってたんだ。
怜んちと同じにアル中の親父さんで、母親はめったに戻って来なかった。
虐待の舞台は古い地下室だった。 折檻する時はいつもそこに閉じ込められた。
ある日、父親は地下室のドアにミギワのお姉さんを力いっぱいはさんだ。
重い鉄のドアを何度も何度も叩きつけて」
「‥‥ウィズ‥‥」
「結局内臓をつぶして、圧死させてしまった」
「いや」
あたしは自分で聞きたがっておきながら、思わず耳を塞いでしまった。
ウィズは厳しい顔をして、あたしの手を耳から外させた。
「ちゃんと聞いてよ。 ミギワはね、それをずっと見てたんだ。
実の父親がお姉さんを殺すところを見てた。
地下室は暗くて逃げ場がない。 自分も殺されると思った時に、意識が飛んで、そばにいた小さなヤモリに入り込んで逃げ出したんだ」
「そんなことをしても、体は逃げられないわ」
「そう。 でも当時2歳前だった彼にそんな知恵はない。
自分の体が、自分だけの大事なものと認識する前に、ミギワは逃げ方を覚えてしまった。
それがあの子の不幸だ。
自分を守るために身につけた力が、今あの子を死に直面させてる。
自分の体を守るべきだという考えが、ミギワにはないんだ。
だから、腹が減ったら鳥になって餌を食べれば満足してしまう。
自分の体で食事をすると、顎の力が弱くてうまく食べられないんだ。
他にも全身の筋肉が落ちて動きづらいし、父親は殴ることしか考えてないし、あの体に入っててもいい事なんか無いと思っている。
彼は死に掛けているという自覚がないんだよ。
このまま行くと、あと2週間もすれば彼は‥‥」
あたしは思わず椅子から腰を浮かした。
ああ、優しすぎるあたしの預言者。
「殺されるかもしれないのに、ミギワを助けたいの?」
ウィズはふっと笑った。
「殺される時は、どこでどうしてても一緒だろ。
殺人者が電車や地下鉄に乗ってくるわけじゃないんだ。
今こうしている瞬間にだって‥‥」
ズゴン!
何かが、あたしたちの右の壁に突き刺さった。
回転しながら飛んできたそれは、ネギのカケラがついた包丁だった。
壁に刃先だけ潜り込ませて、ビーンと音を立てながら震えている。
「おいッ、おれ今包丁どこにやった?」
左手の厨房で、蕎麦屋のおじさんが大声で叫んでいた。
「ね?」
「ね、じゃないッ!」
わかってたんなら、教えてよ!