5、暴走開始ッ
建物は古いが、中はきれいに内装された洋館だった。
昔の修道院宿舎を改築したものだと言う。
清潔でよく整理された廊下は、洋画のワンシーンに出てきそう。
よく言えば立派で、悪く言えば子供向けではない感じだ。
病院とか施設のイメージにそぐわない、異様に高い天井を見上げながら、ウィズとあたしはリハビリルームへ向かった。
廊下を歩き出した途端、インコのクレソンは落ち着かなくなり、そわそわしてあっちこっちを見始めた。
その挙句、首を縮めてあたしのブラの中に完全に埋没してしまった。
「ウィズ、以前ここにいたんだね。
あの院長先生にもその時会ったの?」
とりあえず無難に質問をしてみる。
「うん。 あの人まだシスターになったばかりで、張り切って仕事するオバサンだった」
とりあえず無難な答えが帰って来た。
「さっき院長先生がおっしゃったのはどういうこと?
ほら確か、『予言が主の教えに反する』みたいな‥‥」
「うん。キリスト教ってのは唯一神だろう。
神様と、アンチ神様つまり悪魔との2律背反の中央に人間がいる。
人間以上のことをする者は、神か神の使いでなくちゃいけない。
そうでない者がおこす奇跡や予言は、すべて悪魔のしわざなんだ」
事も無げに言ったウィズの顔を、あたしは何度も見直した。
なんで平気な顔してんの?
いつもの彼なら、自分の予見を否定されたらかなりムキになるのに。
「シスター松岡は、そんなこと言わないじゃない?」
「園長先生? 言ったよ、最初の頃はね」
ウィズは微笑んで、階段を登り始めた。
「でもシスター松岡は、長年僕と一緒に暮らして見ててくれた人だからね。
あの人なりに、僕のことをわかってくれてると思うんだ。
ここの院長は、僕をたった2週間しか見ていない。
しかも、ほとんどベッドに寝たきりの2週間だったからね」
あたしは手を伸ばして、ウィズの上着を捕まえた。
そこからたどって腕を取り、両手でしっかり抱き締めた。
ウィズはカトリック寺院に保護されながら、そこで否定されたんだね。
居心地が悪かっただろうなと思ったら、可哀想になった。
魔術師はあたしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
それから軽く頬ずりをしてくれた。
こういう時の以心伝心は、ありがたい。
子供部屋は全て病室だった。
ベッドが2台ずつ入っただけの部屋が並んでいて、子供のほとんどが横になっていた。
時たま、大声で叫んだり走り回ったりしている子もいたが、その子たちには職員らしい女性が付ききりで何か話しかけている。
「あの、どなたかのお見舞いでしょうか?」
リハビリルームの入口で、声をかけられた。
ピンクの介護エプロンに「佐藤」という名札を付けた、中年の女性が慌てたように近寄って来た。
一般人は入れないというのは本当のようだ。
「リハビリルームに、この鳥を戻すように院長先生に言われたんですが」
あたしが胸元をわざと見せて説明すると、
「まあ、クレソン!」
佐藤さんの目が三角になった。
「この子と来たら、とうとう院長先生に懐かなかったわねえ。
卵から大事に育てていても、そういう事ってあるんですね」
「院長先生個人の鳥なんですか?」
ウィズが聞いた。
「そうです。 以前番で飼ってらして、その子供なんですけどね」
「鳥籠に戻しておいて頂いてもいいですか」
ウィズがわざとらしくそう言うと、佐藤さんは具合の悪そうな顔をした。
「いえ‥‥その鳥は噛み付くので、私は苦手で‥‥。
出来れば戻してきてくださると助かります」
「わかりました」
予定通り、という反応で、ウィズがうなずいた。
リハビリルームの中には、誰もいなかった。
広い円形の室内には、運動のためのマシンが点在しているだけだ。
部屋の中央近くにソファベッドの付いたマシンがあり、そのすぐわきに丸テーブルが置かれている。
鳥籠は、そのテーブルの上に置いてあった。
ところがウィズは、籠に近づきもしなかった。
あたしに“静かにしろ”と合図して、部屋の奥にある鉄製の扉に飛びついた。
鍵は掛かっておらず、すぐ内側に開く。
手招きされて、あたしもウィズと一緒に扉の中に入った。
そこはもともと、用具の倉庫だったのではないかと思う。
実際、使われてないトレーニングマシンが、入口近くに2,3台置いてあった。
でもその奥にあったのは、白いシーツのかかったベッドだった。
横たわっているのは、8歳くらいに見える男の子だ。
ひどく痩せて頬骨が尖って見えるし、顔色も不健康だ。
目を閉じてぐったりしている表情から見て、どうも意識がないようだ。
酸素マスクは着けられていないが、腕には点滴の管がつないである。
ベッドサイドにひざまづいているのは、院長先生と同じ灰色の僧衣を着けたシスターだった。
彼女はこちらに背を向けて、ベッドの上で合掌して祈り続けている。
あたしたちが入っていくと、シスターは振り返って悲鳴を飲み込んだ。
「なんですか、あなた方は。
誰に断ってここへ」
「その子を数ヶ月、うちに引き取らせていただきたくてやってきたんですよ」
ウィズはベッドに近づいて、無反応な子供の顔を見下ろした。
シスターは目を見張り、珍しい物でも見るようにウィズの顔を見た。
「ありがたいお話ですが‥‥もう院長の野末と話をされましたの?」
「これからです」
「多分この子は無理だと思いますわ。
とても体が弱っていて、あさってには病院へ移そうと言うところですから」
「このまま飲まず食わずだったらの話でしょう。
僕ならこの子に食事をさせることが出来ますよ」
「まあ、意識がないのにですか? いったいどうやって?」
「こうです!」
あたしは悲鳴を上げた。
ウィズがいきなり、あたしの胸に手を突っ込んでインコをつかみ出したからだ。
激しい抵抗を受けながら、彼は鳥を無理矢理あたしが持っていたケージへ叩き込み、ご丁寧に扉をクリップでしっかり留めてしまった。
そのまま床に投げるように置く。
「美久ちゃん、おいで」
ベッドに軽く腰掛けて、ウィズは両手を広げた。
「え? お、おいでって」
こんな人前で何言ってるんだ。
「ホラ早く」
ウィズはあたしを強引に抱き寄せた。 後ろでシスターが目を剥くのがわかった。
「あーあーあーあーあーあああ!」
突然、低いがとんでもない大声で、寝ていた子供がわめき始めた。
「美義和くん!」
シスターが駆け寄ったが、バタつく手足に拒絶されて後退する。
ウィズの背中を、子供の足がどんどんと蹴り付けた。
「そんなヘロヘロの力じゃ、僕を殺せないよ。
悔しかったらちゃんとリハビリをやって、美久ちゃんを奪い取りに来てごらん」
あたしを腕の中でこれ見よがしに撫でながら、ウィズが子供に言い放った。
魔術師の掌は、燃えるように熱かった。
それでわかった。
現在、ウィズはここを調査中なのだ。
でもあたしは、ここまで一緒に来ながら何も教えてもらってない。
要するに、また暴走が始まったのだ。
ウィズの数ある悪い癖のひとつ。 あたしを情報上の置いてけぼりにすること。
この際、言いたいことは言わせてもらいましょう。
「ウィーズ? あとで話があるわ」
あたしが魔術師を睨みつけた時。
「うををををををっ」
獣のような唸り声を上げたのは、目の前のシスターだった。
彼女は子供のベッドサイドから点滴のポールをつかみ、スタンドごと軽々と頭の上まで振り上げた。