4、尼僧と預言者
言ってやる。
絶対、文句言ってやる。
夢の中だって、一応個人のプライバシーなんだからね。
しかも自分が気をつけたら何とかなるって世界じゃないんだからね!
そこで浮気したとかって責められたって、正直困るんだから。
大体、妄想系ならウィズだってやってるじゃない。
知ってるんだからね。
仕事用のパソコンにパスワードで裏ページ作って、そこにエロ画像のサイトいっぱい呼び込んでるの。
はっきり言って、カレシがそんなもの見てるの、いい気がする女の子はいないよ。
だけど文句なんか言わないし、機嫌悪くしたようなそぶりも我慢してるんだよ。
なのに自分は、「人の携帯盗み見しといて怒り狂う女の子」みたいなことすんの?
みっともないからやめて欲しいって、この際はっきり言ってやる!!
早朝、6時。
まだ夜の明けないうちに、あたしはマンションの下まで降りて、ウィズの車が着くのを待った。
懐にインコを入れてるので、手に持ったケージは空っぽのままだ。
朝もやの中、黒のレヴィンが止まってドアが開く。
あたしは駆け寄るなり、息を思い切り吸い込んだ。 ウィズに先制攻撃をするためだ。
ところが。 あたしの呼吸は止まってしまった。
運転席からあたしを見上げたウィズは、墓場から出て来た死体みたいに青い顔をしていた。
目の下にひどい隈。 しかも目が真赤。
「ウィズ、寝てないの?」
言ってから気づいた。 寝る暇なんかあるわけない。
もともと忙しく仕事をしているところに、インコの捜索が入ったのだ。
それでも、わずかな睡眠時間を駆使して、あたしの夢の中を覗かずにはいられなかった。
しかも1分1秒でも早く出発しようとしてしまうんだ。
あたしがこれ以上、インコに悪さをされないように。
ムスッとしたまま車をスタートさせたウィズを横目で見ていると、なんだか笑い出したくなってしまった。 なんだかんだ言っても愛されてるのかな、と思えてきた。
「もう、ウィズったら。 怒る気失せちゃったじゃない。
熱とかないの? 大丈夫?」
「‥‥ないよ」
「このインコったら、ほんっとにエッチよ。
ウィズがメールで起こしてくれて助かっちゃった」
こっちがフォローまでしてしまうなんて、あたしって甘すぎるかな。
ウィズが下を向いて、きまり悪そうにくすんと笑いを漏らした。
あたしは知らなかったけど、トラピスト系の修道院というところは、昔から完全自給自足で有名なのだそうだ。
山の上に畑を作り、鶏を飼って食料を自給する。
クッキーやケーキなどを手作りし、町のお店に卸して生活費を儲ける。
「と、言うのはもう昔の話ですよ。
今はなかなか、畑仕事にかまけている暇がないのが現状ですの。
児童施設はパンク状態です。
保護しなければいけない子供はたくさんいるのに、順番待ちをせねばならず、その間に大切な命が脅かされることもしばしばです。
社会が病んでいるのですね、終末は近いです。
如月さんは占い師さんだそうですが、神によらぬ予言が、主の教えに反しているというお気持ちはお持ちになりませんか?」
70歳近いかと思われるガリガリに痩せたシスターが、ズバリとウィズに攻め込んで絶句させた。
ウィズはちょっと肩をすくめただけだったが、明らかにこの人が嫌いだよってオーラを出してる。
彼女はシスター野末。 児童保護施設、愛児院の院長だそうだ。
「そのインコですが、確かに先月逃げ出したうちの“クレソン”のようですね。
リハビリルームにいつもいたんですよ、今もケージがそこに置いてあります。
足冠の番号も一致しますね。 間違いありません。
わざわざお届け下さってありがとうございます」
シスター野末は、あたしの胸元を覗いて、インコに呼びかけた。
「いらっしゃい、クレソン」
「ギイイイイッ!」
インコが耳障りな声で叫ぶや、差し出された手に食いついた。
「あッ! こら!」
老シスターの指から血が流れ出す。
ウィズが咄嗟に、そばにあった箱からティッシュを抜き取り、シスターの手を包んだ。
あたしはインコの頭を押さえて叱り付けた。
「‥‥ありがとう、大丈夫です。
びっくりしただけ‥‥ほんと驚いてしまって」
シスター野末の声が震えている。
大丈夫と言いながらも、さすがにもうインコを受け取る勇気がなくなったようだ。
「シスター、いいですよ。
こいつちょっと興奮気味だし、もといた場所に僕らが戻して来ますよ」
ウィズが提案した。
院長が慌てて首を振る。
「ここは一般の方の立ち入りを制限しているんですよ。
子供たちは傷つき病んでいます。
他の施設と違って、本当に極限状態の子供ばかり収容しているので、とても外部の人にお見せするわけには」
「さては僕をお忘れなんですね、シスター」
ウィズがふっと笑いを浮かべた。
「たった2週間ですが、僕ここにお世話になったんですよ。
8歳の時です。 栄養失調で」
「‥‥コロちゃん!?」
その時のシスターの顔は、なんと言ったらいいんだろう。
懐かしいと言った顔じゃなかった。
以前、シスター松岡と再会したとき、彼女の顔は信じがたい幸運に出会った喜びに満ちていた。
でも、このシスターは違う。
この表情って‥‥「幽霊を見た時の顔」じゃないだろうか。
「あの頃より2棟ほど増築してますね。
大丈夫、勝手はわかってますから、ケージがあるリハビリルームまで入らせてください」
ウィズの言葉は慇懃だったが、同時に挑戦的だった。
「コロちゃん‥‥あの時ずいぶん小さかったのに‥‥なのに覚えているの?」
シスターが蚊の鳴くような声で尋ねた。
「覚えてますよ。
極限状態だったですから、かえって鮮明に記憶に残っているんです。
何を見て何を聞いたのか、かけられた言葉の端々まで忘れられませんよ」
「‥‥ウィズ‥‥!」
あたしは思わず、ウィズの腕をギュッとつかんだ。
ウィズとこのシスター、当時何かがあったんじゃないだろうか‥‥。