終章 ついに感染
ミギワが行ってしまってから、あたしは軽いチャイルドロスのような症状を体験した。
夜になると、ふっと泣きたくなる。
春から大学生活が始まっていたので、忙しさに紛れて日中は元気にしているのだけど、それでも暇になるとさびしくて胸が痛い。
毎晩猫を抱いてぼんやり過ごした。
ミギワが置いて行った猫は、ピノと名付けられてたちまち我が家と「ウィザード」のアイドルになった。
この子がいてくれて本当に助かった。
ピノはまだ授乳が必要だったので、夜はあたしと母がスポイドでミルクをやり、昼間は「ウィザード」でウィズと喜和子ママが世話をした。
大学の帰りに「ウィザード」に直行し、ピノを抱いて8時頃までウィズと二人でボックスに座ったまま、ミギワが「訪ねて来る」のを待つのがあたしの日課になった。
その時、「ウィザード」の店内にいたのは、6人の人間と1匹の猫だった。
オタリーマン白井さんは、カウンターで喜和子ママのお酌を受けていた。
その隣に、ベレッタさんこと所沢刑事が座って、ちょっと疲れた様子でグラスを傾けていた。
ウィズは、お気に入りのボックス席で、ランタンの明かりを浴びながら怜さんと話をしていた。
あたしはウィズの隣でピノを抱き、ふたりの話の邪魔をしないように大人しくカプチーノを飲んでいた。
そろそろミギワが猫の中に入って来る時間だった。
ウィズは、怜さんと仕事のことで相談をしていた。
自傷癖のある依頼人を、どう扱ったらいいのかという真面目な相談だ。
怜さんは水割りを傾けながら丁寧に答えている。
一時期見せた、ウィズに対する心の揺らぎを、この頃はすっかり封印してしまった怜さんの心が、あたしはつかめない。 落ち着いたと見るべきなのか、保留したと見るべきなのか。
危うい二人の関係をあたしは傍から見ていることしかできない。
話が終わるのを待っているうちに、なんだか寂しさがこみ上げて来た。
一人で置いてきぼりになった気分。
毎日腕の中に抱いてあやしていたミギワがいなくなったのも、こんな時身に迫って寂しい。
一人息子を都会の学校にやった母親って、こんなにブルーになるのかなあ。
たまらずウィズの肩にほっぺたを押し付ける。
スリスリして甘えながら斜め下から横顔を盗み見る。
こういう晩に抱き合いたいのに、今日もお仕事ね。
はしたないから絶対口には出さないけど、あたしの体ってそんなに魅力ないのかなあ。
不思議なことに、ミギワがいなくなってから、ちょっと人には言いたくないような欲求があたしの中に育っていた。
性欲というほどじゃないけど、ウィズの腕の中に入り込みたいという気持ちだ。
怜さんが「抱いてほしいオーラ」と言ったあの気持が復活したのだ。
だから今夜もこうして、甘えながらじーっと魔術師の横顔を見ている。
ほらちょっとくらいこっち向きなさいよ。
その手を止めて抱き返しなさいよ。
「ねえ、ウィズ」
あたしはついに二人の会話を遮って話しかけた。
「ウィズの赤ちゃん、欲しいなあ」
怜さんが水割りを吹き出した。
「つくる? 僕は構わないよ。
子育てできるってことは証明されたんだしね」
ウィズはもともとずれているので少しも動揺しない。
激しく咳き込む怜さんを冷たい目で見ながら、3人分のおしぼりを彼に押し付けた。
「だから、パソコンにかかるから吹くなって何度言わせるの?
自分で拭けよ。 それといい加減に慣れて欲しんだけどなあ」
「慣れるか! お前のズレが美久ちゃんに感染してるじゃないか!」
ぴゃ、ぴゃ、ぴゃ、とおかしな声を立てたのはあたしの腕の中のピノだった。
この猫は、毎晩8時になると笑うのだ。
「ほら、ミー君に笑われたわよ、怜さん」
「違うよなあ、ミギワはコロを笑ったんだよなあ」
ぴゃあう。
ピノはどっちもどっちだと言うように高く鳴いた。
(魔術師、今夜も夢の中 終)
「魔術師、今夜も夢の中」お付き合いいただいてありがとうございます。
突端でもお知らせしましたが、ウィザードシリーズは長いものを幾つかに切ってまとめた作品です。まとめるにあたって、もう少し夢の中重視にする予定で書き始めたのですが、現実との密接なつながりが証明できなかったので面白みがないということに気づき、少々方向転換した形になりました。
シリーズもう少し続く予定ですが、取りあえず脱稿とさせていただきます。
ありがとうございました。




