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31、ウィズとあたしの赤ちゃんは

 「おーい、誰か手を貸してください!」

 怜さんがトイレの出口から声を張り上げた。

 常連の男性客が2人ほど走って行って、笑い転げるウィズに肩を貸して席まで戻って来た。

 

 「こっちもあと2人頼みます! センセは立ち上がれないから担がなきゃ。

  もう危険物はしまってあるから心配いりません」

 怜さんの声を聞いたウィズが、ますます笑い転げた。

 「あははははは危険物! 

  だいじょぶだって、親に似ず息子はぜーんぜんセーフティーな感じだからー!」

 うわ。 なんて失礼なことを!


 喜和子ママは意味が分からず、

 「お父様は危ない感じの人なの?」

 なんてあたしに聞いてきたけど、この場合お父様ってのは調狂師本人のことで、息子ってのが怜さんが片づけた危険物を指してるわけで。

 やだもう、なんでこの期に及んでシモネタ?

 しかもあのルックスでシモネタ?


 「お、おまええ! おまえよくもおまえええ!!」

 酔いと怒りのために日本語が不自由になってしまった田島を尻目に、ウィズが改めてグラスを取り上げた。 

 「ほらセンセ続きやろうよ続き。

  もうねー、男の中の男ってのはね、いちいち小さいことを気にしないんだよ。

  あ。 オトコだから『小さい』ことが気になるんだっけかー、あははははは」

 「このやろうよくもひとの〇〇こけにしやがってこのやろう」

 「はいかんぱーい」

 ウィズが自分の紙コップを一気に煽る。

 田島は慌ててグラスを握ろうとして取り落とし、さらに次のコップを取ろうとうつむいて、そのまま前のめりに傾いた。


 悲鳴とともに、グラスが割れる音。 田島が昏倒したのだ。

 全員がテーブルに駆け寄って、抱き起すやら片づけるやら大騒ぎになった。


 「誰か救急車呼んでやれー。

  よーしコロ助、お前の勝ちだ!」

 怜さんが高々とウィズの手を上げさせ、勝利の宣告をした。

 ウィズの笑い声が大きく響き、そのあと唐突に沈黙した。

 またしてもグラスが床に落ちる。


 「……悪い、美久ちゃん。 ミギワの車椅子押して来てよ。

  こっちも安心してイッちまった」

 ソファに倒れこんだウィズを見下ろして、怜さんがため息をついた。

 「俺行って来るよ」

 ミギワがすっかり丈夫になった足を元気に動かして2階に上がって行った。


 

 「……最後は明らかに、別の勝負だったわね。

  しかも思いっきり下品だったわ」

 カウンターに立ちつくして、喜和子ママが呆然と言った。

 「そ、そうね。 まあ、男の勝負には間違いなかったと思うけどね、あはは」

 あたしも仕方なく笑いながら答えた。

 「それにしてもミー君にこんなの見せてよかったのかなあ、は、ははは」


 誰にも言わないけど、あたしはウィズが何をしたのか大体見当がついた。

 彼は全閉状態になると、自分の妄想を相手に「見せる」ことができるのだ。

 旗色の悪かったウィズが、トイレでどんな妄想を放映して敵を動揺させたかについては、具体的に確かめるのはやめておこうと思った。

 何しろ全閉時の魔術師は完全に幼児返りを起こしていて、下ネタと下らないジョークしか口にしたがらなくなるのだから。


 「まあ、そういう馬鹿なことをしてでも、勝ちたかったってことね。

  なりふり構わず頑張るのを見せたんだし、人も殺さなかったから、ミー君のお手本としては合格ってことにしましょうか」

 喜和子ママは諦めたのか、ちょっと気の抜けたような笑顔を作って、テーブル周りを片づけにかかった。 さっきまでの緊張が解けて、その後ろ姿にいつもの優雅さが戻ってきていた。

 



 

 その晩、ミギワがしみじみあたしに言った。

 「美久ちゃん。 吹雪って見かけと全然違うね」

 「そうね」

 「変な人だ」

 「ま、まあそうかもね。 ミー君はそういう人は嫌い?」

 「ううん、いいと思う。 おれも変な人になりたいかも」

 「やめときなさい」

  くすくす笑ってミギワの頭を撫でながら、あたしはウィズがちゃんとこの子の父親になったと感じた。 だからこの次はあたしが、彼の母親になる番だ。


 実はあたしはこの日のために、密かに準備をしていたのだった。

 


 「美久ちゃん、お待たせ。 入っていいよ」

 マンションの廊下で待っていたあたしに、細く開いたドアの内から怜さんが声をかけた。

 ミギワが寝室に使っている2階の部屋からは、元気な赤ちゃんの声が聞こえて来る。

 怜さんの後について部屋に入ると、リハビリ用に手すりを張り巡らした室内の、大きなベッドの中央で、ミギワが体を丸くして可愛らしく泣き声を上げていた。


 「今、生後3週間ほどの記憶に戻ってるとこで、かなり腹が減ってるらしいぜ。

  持ち上げるの手伝った方がいいか?」

 怜さんに聞かれて、あたしは首を横に振った。

 「大丈夫だから呼ぶまで(みせ)に降りててください」

 「ここで見てちゃだめか?」

 「べー。 毎度のことだけど怜さんエッチね」

 「純粋に学術的な興味から言ってんだけどな」

 「うそばっかり」

 あたしは取り合わず、怜さんにバイバイと手を振った。



 ベッドに腰掛けてから、すっかり赤ん坊に成り切って泣き声を張り上げるミギワの体を、苦労して膝の上に引き上げた。 

 いくら軽量級と言っても最近は身長も体重も増えているので、さすがに赤ちゃんと同じ扱いは無理がある。 それでもなんとか膝に引っ張り上げ、横抱きにすることができた。 

 あたしは胸のボタンを開けて、泣きわめくミギワに自分の乳首を与えた。

 ミギワは反射的にそれを咥え、力強く吸い始めた。

 (い、痛い!)

 実際にお乳が出ていくわけではないから、ただやたらと痛い。 強すぎる刺激で子宮は縮み上がり、目じりに涙が湧いて来た。

 ミギワは目を大きく見張って、恥ずかしいくらいあたしの顔を見つめながら必死で吸い続ける。 怜さんがかけた催眠暗示で、すっかり新生児になりきっているのだ。

 その様子を見ていると、「おまえちゃんと息してるかっ、忘れてないかっ」と聞きたくなるくらい真剣そのものだ。

 その必死さに、ちょっと感動した。

 赤ちゃんって、ものすごく全力直球で生きてるんだ。


 そのうち、いくら吸ってもお腹が満たされないことに気付いたミギワが、乳首を吐き出して焦れたようにまた泣き始めた。

 「バレちゃったかー。 そうです、このオッパイはダミーでしたぁ」

 あたしはバッグから保温用のポーチに入った哺乳瓶を取り出した。

 


 10日ほど前から、あたしは母や喜和子ママに頼んで、赤ちゃんのいる知り合いのお家へ子守りの実習に行かせてもらっていた。

 基本的な扱いと授乳のやり方を教えてもらうためだ。

 もっともこの実習では、授乳は哺乳瓶だけでやっていたんだけど、今回の目的はミギワの小児性欲を満足させることなので、本番であたしがオッパイを出すのは必須項目なのだ。

 当初の予定ではこれをミギワの夢の中でやる予定だった。

 それを覆したのはあたしだ。 夢の中の情報は本物ではないし、それなりに脳が整理処分してしまうかも知れないと聞いたからだ。

 

 「怜さんが暗示でミギワを赤ちゃんにすれば、現実に授乳を体験させることができるわ」

 あたしが言うと、さすがの怜さんも息を飲んで一瞬沈黙した。

 「そうしましょうよ、その方がリアルに記憶に残るでしょ」

 「美久ちゃん、それ抵抗ないのか? 夢の中ならミギワは赤ちゃんの格好に見えるが、暗示にかけた場合はミギワの外見は今のままだぞ。 乳首咥えたらいやらしい感じするぞ」

 「でもエッチなことは考えてないんでしょ」

 「そりゃそうだけど、大丈夫か? ジンマシンとか」

 「わかんないけど、ジンマシンで死ぬことはないと思うわ」


 ウィズの「男の勝負」を見ていて、あたしもなんとなくわかったのだ。

 冗談ならものすごくかっこ悪いことが、死に物狂いでやると何故か素敵に見える。

 自分のプライドのためなら「あほか」の一言で済んでしまうことが、そうは思えなくなる。

 そういうことを繰り返して、家族はつながっていくんじゃないだろうか。

 おたがいの不細工と失笑を接着剤にして。

 だったら、あたしのジンマシンだって強力な接着アイテムになるはずだ。


 


 ミギワはその後7回、授乳による精神治療を受けて3か月間の里親期間を終了した。

 愛児院に帰る時は、自分で世話をしてすっかり懐いたクレソンを、鳥籠なしで肩に止まらせて車に乗り込んだ。

 「お別れはしなくていいよ。 今は親御さんの了解が取れてないから一旦返すけど、ミギワは必ずうちで引き取るからね」

 ウィズがそう言って、別れが悲しいからと一緒に車に乗り込むのを拒否したあたしに笑いかけてくれた。

 「それまでにミギワは中学を卒業しておくこと」

 怜さんが宿題を出した。 ミギワが真顔でうなずく。


 それから彼は何か言いづらそうにモジモジしたあと、あたしの近くに寄って来た。

 「美久ちゃん、ええと。 ゆうべ吹雪が、絶対に何か言えって言ったんだけど」

 「お別れの言葉はいらないんでしょ?」

 「じゃなくて……。 その、言葉って大事だから、何でもいいから言っとけって言われたんだけど、俺そんなのが苦手で、だからこれ田島センセから貰って来た」

 ミギワが後ろに隠した両手のひらをあたしの前に差し出すと、そこにはフルフル震える小さな子猫がいた。 まだ乳離れもしてないだろう、毛も不揃いな灰色の猫。

 差し出された手の皮膚に爪を立ててしがみついたまま、猫はか弱く高い声で、ぴゃあと鳴いた。


 「美久ちゃんの母ちゃんが、マンションはペットOKって言ってたし。

  だからっ……1日1時間だけにするからっ」

 そこまででミギワは下を向いてしゃべれなくなった。

 「うちで飼ってればいいのね?」

 あたしは子猫を抱き上げた。

 「1日1時間、ミー君がこの子に入って会いに来てくれるのね?」

 ミギワはしっかりとうなずいた。 その目からポロポロっと涙が転がって頬を落ちて行った。

 あたしは子猫を胸に抱いて、ミギワと一緒に泣いた。

 彼はきっと大丈夫。 あたしやウィズに報告できないようなことは、今後しでかさないだろう。

 

 白井さんが写真立てを一つ、ミギワに贈った。

 そこには前日に常連さんたちみんなで「ウィザード」店内で撮影した写真が、引き伸ばされて入っていた。 中央にミギワとウィズとあたし、その横に怜さん。 

 「俺ら全員で見張ってっからね。 悪さするなよ」

 白井さんはミギワの頭をひと撫でした。 

 

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