28、スペシャル大誤解
「帰りに動物病院に寄る時間はないな」
車に乗り込んだあたしたちの提案を、魔術師は不機嫌に却下した。
その日喜和子ママは、お店を休んで教会の慈善バザーの手伝いに行くことになっていた。 駐車場がないのでウィズが送って行って、そのままお客さんのところへ仕事で行くことになるので、時間が取れないということだった。
「じゃああたしとミー君で行って来る。
動物病院の前で降ろしてくれる?」
言った途端、ウィズがブレーキを踏んだ。
全員がショックでつんのめる。
「あ、危ないじゃない。
なにウィズ、どうしたの?」
飛び出しでもあったのかと道路を見たがそれらしき形跡はない。
運転席の魔術師の顔はまともにこちらを向いて、険しい顔で穴が開くほどじっとあたしの顔を見つめていた。 漆黒の瞳は王子様じゃなくて、美貌の悪魔のそれだった。
後続の車が迷惑そうにクラクションを鳴らすのもお構いなしだ。
時々お目にかかるこの表情。
これはあたしの「今じゃない時間」を読んでる顔だ。
「何か見えたの」
尋ねても返事はなかった。 それで彼が見ていたのは、過去じゃなくて未来だと判った。
未来を見た魔術師が、見たものをその場の衝動で本人に伝えることは滅多にないのだ。
動物病院は午前中の診察時間を終わる間際で、待合室の人影はまばらになりつつあった。
「やあ、やっと来たね!」
白衣を着た大男が小走りに近付いて、親しげに声をかけて来た。 田島・若先生だ。
「やっと君だけで来たってことは、クレソンを連れて帰るのかな」
「え? あのコ、もう良くなったんですか」
「もうとっくに回復してたけど、あいつの前では言えないだろうそんなことは」
「あいつ?」
「いつも来る男さ。 あいつに渡したらだめだ。
いつかクレソンをこっそり引き取るために、君だけで来てくれると思って待ってたんだよ」
えーと。 つまり……。
あいつってウィズのことなんだよね。
ウィズは毎週1回、ミギワがリハビリをしている間にここに来て、クレソンを見舞いがてら清算をしていた筈だから。
この先生、どうしてもウィズがペット虐待をしていると思い込みたいらしい。
ミギワが怪訝な顔で、あたしと田島若を見比べている。
クレソンはすっかり毛艶が良くなって、ケージの中を歩き回っていた。
ミギワの姿を見ると軽く警戒の姿勢を取ったが、前のようにパニックを起こして暴れることはしなかった。 ミギワが安心したように息をつく。
「クレソン、ごめんね」
小さな声で謝るのが聞こえた。
「ミー君、このコ連れて帰って面倒見る?」
「いいの?」
「うん。 どうせ愛児院に帰るときは一緒に連れてかなきゃいけないし」
「俺が世話していいの? また殺すかもしれないよ」
挑戦的な言い方にちょっと迷いは感じたが、あたしは強気に出ようと決めていた。
「そんなことするとは思わないわ。
第一まだ、きみは一回もクレソンを殺してないじゃない」
ミギワは下を向いたまま、妙にきらきらする瞳でコクンとうなずいた。
インコの入った鳥かごを持って待合室に戻ると、
「あら。 おんなじね」
受付近くのソファに腰かけていた女の子が、笑顔でミギワに声をかけて来た。
学校帰りなのかサボりなのか、近所の中学校の制服を着ている。 膝に置かれた鳥かごの中に、クレソンと同じ色のオカメインコが入っていた。
彼女はミギワが小学生と思っているらしいが、ミギワの方は異性を意識して下を向いてしまう。
「そのコ、男の子? うちのはメスなの。
大きさは同じくらいね。 何歳になるの」
そう言えばミギワだって、本来なら今頃はこの女の子みたいに制服を着て中学校に通ってるはずなのだ。 ずっと体調が悪かったためにろくに学校へ行ってないミギワは、女の子とまともに話をするのも初めてかも知れない。
「ねえ、ちょっと君だけいい?
クレソンのことで注意事項があるから入って」
田島・若先生が診察室の隣の応接室らしい部屋のドアを開けて、あたしを手招いた。
なんとなく意味ありげな感じがした。
もしかして、ミギワが虐待者だってわかったのかも知れない。
「ミー君ちょっと待っててくれる?」
「いいわよね。 お話してようよ」
女の子が強引にミギワを自分の隣に座らせる。
ちょっと気がかりだったが、少しの間だからと思ってその場を離れた。
「君が来てくれるのを待ってたよ。
よく決心してくれた、まあ座って」
応接セットに座った途端、田島先生はいきなりそう言ってあたしの手を握りしめた。
「え? あ、あの……」
「あいつを振り切って僕のとこへ来てくれるって、信じてたんだ。
やっぱり僕の気持ち、わかってくれてたんだねえ」
「……はい?」
びっくりして反射的に手を振りほどこうとしたが、握力が段違いでびくともしない。
「驚かなくていい。 僕は君の味方だよ。
君が初めてここに来る前から、何度か町内で見かけてたんだ。
ここに来てからずっと心配で、何度も家まで見に行った。 あいつの店にも何回か足を運んだ。
君は不幸な目に会っていてもいつも優しく笑っていて、とても素敵な女性だと思ったし……」
「ま、待って!」
まくし立てる若先生を慌てて遮る。
「先生は何か誤解してます。
あたしは不幸な目になんか会ってないし、彼は虐待をしてないわ」
「誤魔化さなくても大丈夫だよ。
たとえあいつに知られても、ちゃんと僕が守ってあげる。 僕の方が断然強いからね。
君だってそう思うから、最初に来た時に僕に目配せをしたじゃないか」
目配せってなんだ? 全然身に覚えがないぞ。
若先生、ソファから立ち上がってあたしの手をぐいぐい引っ張る。
「やめて、離して!」
「もういいんだよ。 安心してこっちへおいで」
「全部先生の勘違いなんですって!
あたしは彼が好きだし正式に婚約もしてるのっ」
「そんなはずはない。 きみはいつもつらい目に会ってる。
店の前の路上で大ゲンカしてるのを見たこともある」
「あれは!」
ミギワが乗り移ってたウィズと喧嘩を……って言っても信じるわけないので言葉が継げなくなる。
それにおっかぶせて若先生が畳み掛ける。
「遅くまで引きずり回されて真夜中に帰宅したり、こないだは大荷物を持って階段を延々と歩かされたり……」
背筋がぞくっと総毛立った。
こいつ、ずっとあたしを見張ってた?
ストーカーなのか?
「も、もしかして……目出し帽の不審者って、あなた?」
田島・若先生の唇が、にいっと横に広がって吊り上った。 黄ばんだ歯並びがむき出しになる。
逃げようとしたが手が振りほどけない。
大声を出そうとしたら、一瞬早く大きな掌があたしの口を塞いだ。
この人は異常だ!!
「ね、もう少し大丈夫だろう?
連れのあの子なら心配ない。
みやびちゃんがしばらくどこかに連れ出してくれることになってるからね」
抵抗して力いっぱい暴れてみたが歯が立たなかった。
「みやびちゃんはうちにしょっちゅうペットを持ち込むんだけど、本当に具合が悪かった試しがない。 本当は自分が学校に行きたくない時だけ、ここに逃げ込んで来てるだけなんだ。
学校に通報してやってもいいんだが、この際はお手伝いをしてもらおうと思ってね。
5000円あげるからあの男の子を連れて出て欲しいと言ったら、喜んでOKしてくれたよ。
あの子のお母さんはクスノキって割烹屋を切り盛りしてるこわいおばさんだから、ばれるとえらい目に会うらしいよ」
手足の力が抜けて行く。
若先生の手の中に、消毒液臭い布が一枚握られていたのだ。
遠ざかる意識の中で、点滅していた一つの記憶。
割烹「クスノキ」のみやびちゃん。
楠 みやび。
ああ、ウィズの予見に出ていた名前だ。
ミギワが最初に殺す女の子の名前だった……。




