第50話:宮島の静寂、銀河の旋回。
1994年6月26日。宮島競艇場、第12レース優勝戦。
瀬戸内の海は、潮が満ち、厳島神社の鳥居がその脚を深く水に沈めていた。満月の光が水面に「黄金の道」を作り出す中、乾健児の1号艇がピットを離れる。
対するは、3号艇のプロジェクト・零。
彼はもはや人間の形を維持していなかった。機体『無銘』は議会の全エネルギーを強制受信し、赤黒いノイズを放つ「マブイの特異点」と化している。
「乾健児……お前の『神性』ごと、この水面を無に帰してやる」
零の背後で、宮島の夜空が歪む。議会が衛星から照射する高出力マブイ波が、彼を破壊の権身へと変えていた。
「宮島SG・グランドチャンピオン優勝戦……全艇、起動!!」
スタートの号笛とともに、宮島の海が爆発した。
乾はハルの『神性・海属性』により、潮流を完全に掌握してスリットを通過。しかし、零の機艇が放つ**属性変質――『終焉の模倣』**が、乾の周囲の空間そのものを「消去」し始める。
「おじさん、気をつけて! 零は自分のマブイを逆転させて、周囲の存在確率をゼロにしてる。触れたら、マブイ石ごと消されちゃうよ!」
ハルの叫び。乾の『流動鋼』の装甲が、零の放つ黒いノイズに触れた箇所から、灰のように崩れていく。
「……ハル。俺たちは、泥水の底から這い上がってきた」
乾は静かに目を閉じた。
「不動さんの孤独も、源さんの沈黙も、上田さんの無も、支倉の共鳴も……全部、俺の右腕に生きている」
乾は、17,000という「安全な枠」を自ら解き放った。
それは暴走ではない。今まで出会ったすべてのライバル、そしてハルへの信頼を一点に凝縮し、魂の限界を突破する儀式。
最終覚醒――属性:『銀河』!!
乾の右腕から溢れ出したのは、白銀を超えた「星々の輝き」だった。宮島の夜空から降り注ぐ流星群が、乾の機艇に吸い込まれていく。マブイ石は宇宙と繋がり、17,000という数字は無限の彼方へと消え去った。
「……何だ、その光は!? 私の『虚無』が、光に塗り替えられていく……!?」
零の計算が、初めて停止した。
乾は、零が作り出した「消去された空間」を、無数の星の輝きで埋め尽くした。
最終奥義――『銀河・厳島流星旋回』!!
乾の機艇は、水面を走っているのではない。宮島の空と海を繋ぐ「光の螺旋」を描きながら、重力を振り切り、零の懐へと飛び込んだ。
一瞬の静寂の後、白銀の衝撃波が零の赤黒いノイズを粉々に砕き、浄化の光が宮島全体を包み込んだ。
ゴールライン。
1位、乾健児。2位、ハル。
乾は、史上初のSG三連覇という大記録とともに、グランドチャンピオンの称号を手にした。
ピットに戻った乾は、ヘルメットを脱ぎ、夜空を見上げた。ハルのマブイ石からは不気味な青みが消え、温かい琥珀色の光が宿っていた。
「……おじさん、勝ったね」
「ああ。ハル、お前のおかげだぜ」
翼が駆け寄り、乾のボロボロになった右腕を抱きしめる。
「健児……あんた、本当に星になっちゃうかと思ったわよ」
宮島の鳥居が、月光の下で誇らしげに立っていた。
議会の野望は挫かれ、プロジェクト・零は光の中に消えた。
だが、乾健児の戦いは終わらない。彼が手にした『銀河』の力は、からくり競艇を、そしてこの世界の在り方を根底から変えていくことになる。




