第42話:浜名湖の群衆、微笑む暗殺者
1994年5月。静岡県、ボートレース浜名湖。
全国のファン投票によって出場者が決まる最高峰の祭典、**SG「オールスター(笹川賞)」**が開幕した。江戸川で老将たちの魂を継ぎ、名実ともにスターダムへとのし上がった乾健児は、圧倒的な得票数で1位選出。今や「泥水の王」は、子供たちの憧れとなっていた。
しかし、華やかなムードの裏側で、翼の表情は険しかった。
「健児、気をつけて。議会が動いたわ。今回のファン投票、不自然に組織票が動いた形跡がある。選ばれた52名の中に、**『議会の執行官』**が紛れ込んでいるはずよ」
浜名湖の広大な水面は、一見穏やかに見えるが、その底には議会が仕掛けた「マブイ感知式」のトラップが張り巡らされていた。
ピットで乾の前に現れたのは、ファン投票上位で初出場を決めた端正な顔立ちの青年、支倉 累。
彼は常に穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳には光がない。
「乾さん、お会いできて光栄です。あなたの『白銀』、皆が愛していますよ。……だからこそ、最高に輝いた瞬間に、皆の想いと一緒に『壊して』あげたくなったんです」
支倉の属性は**「音の変質――『共鳴』」**。
機艇のエンジン音や観客の歓声をマブイで増幅し、特定の周波数で相手の機体、あるいはレーサーの鼓膜を直接破壊する「見えない凶器」の使い手だった。
「浜名湖SG・オールスター初日……全艇、起動!!」
スタートの号笛。乾は『流動鋼』の安定感でスリットを駆け抜ける。しかし、第1マークに入ろうとした瞬間、ヘルメットの中に「キィィィィィン」という殺人的な高周波が響き渡った。
属性変質――『死の喝采』。
支倉が放つ共鳴波動が、観客の歓声を物理的な「針」に変え、乾のマブイ伝導系を直撃した。
「……ぐ、ああああああっ!! 耳が、マブイが……割れる!!」
乾の白銀マブイが、外部からの共鳴により制御不能なほど激しく振動し始める。自らの出力が自らを破壊する「共振自壊」の罠。
「おじさん! ダメだ、出力を下げて! 振動を逃がさないと、腕が弾け飛ぶよ!」
ハルの絶叫も、ノイズに紛れて届かない。
絶体絶命の乾を救ったのは、江戸川で上田から学んだ「無」の記憶だった。
乾はマブイの出力を上げるのではなく、極限まで「沈黙」させた。
(……音じゃねえ。……『静寂』を響かせろ)
乾は、浜名湖の底に眠る泥の静けさをイメージし、マブイを波形のない「平坦なエネルギー」へと変質させた。
支倉の放つ「動」の共鳴に対し、乾は「静」の位相をぶつける。
新奥義――『白銀・静寂の盾』!!
乾の機体から放たれた無音の波動が、支倉の騒音を相殺した。一瞬の静寂。その隙を突き、乾は音もなく支倉のサイドを通り抜けた。
結果は、乾が辛うじて2着。1着は、罠を仕掛けた支倉累。
ピットに戻った支倉は、相変わらずの微笑を浮かべていた。
「……流石ですね。僕の『歌』を打ち消すなんて。でも、乾さん。浜名湖の観客は数万人います。準優勝戦、決勝……歓声が大きくなればなるほど、僕の力は強くなる。あなたの『愛』が、あなたを殺す毒になるんですよ」
乾は、血の滲む耳を拭い、支倉を鋭く睨みつけた。
「……ヘッ、上等だ。俺の泥水は、どんな汚ねえ音も飲み込んで『静か』にしてやるよ」
華やかなオールスターの舞台は、一転して「音」と「沈黙」が激突する暗殺の場と化した。
ハルの異変、そして議会の真の狙い。浜名湖の広い空に、不穏な雲が立ち込め始めていた。




