第20話:多摩川の修羅、B1級の壁
大村での死闘から3ヶ月。黒崎龍平の野望を打ち砕き、ハルの魂を取り戻した乾健児、ハル、翼の三人は、ついにプロの世界で「中堅」とされるB1級へと昇格していた。
しかし、B1級は「一般戦の王」でいられたこれまでとは訳が違う。そこは、SGへの登竜門であるG3・G2重賞レースへの出場権をかけた、剥き出しの生存競争の場だった。
1993年、秋。乾のホームグラウンドである多摩川競艇場。
乾は、新宿の仲間たちがカンパしてくれた新しいパーツを機艇に組み込んでいた。大村でボロボロになった『鉄屑・ニードル』は、翼が沖縄から取り寄せた特殊合金と、ハルの精密な調整により、銀色に輝く**『銀鱗・ニードル』**へと進化を遂げていた。
「おじさん、これ。日本モーターボート競走会から届いたよ」
ハルが差し出したのは、黒い縁取りの重厚な招待状。
**「G3・多摩川キングカップ」**への出場通知だった。
「G3か……。ついに『重賞』だな」
乾の右腕には、まだ「異常振動症」の震えが残っている。しかし、大村で属性が**「白金」**へと進化したことで、17,000の熱量はより安定し、かつてのような自滅の危険は減っていた。
「健児、浮かない顔ね。……今回のG3、パパの息がかかった連中だけじゃないわよ。本物の『A1級』たちが、新入りのあたしたちを潰しに来るわ」
翼が、真紅のライディングスーツをなびかせて現れた。彼女もまた、B1級としてこのレースに招待されていた。
多摩川G3、初日。
ピットの空気は、これまで経験した一般戦とは比較にならないほど濃密だった。並んでいる機艇の一隻一隻が、まるで生き物のようにマブイを脈動させている。
中でも異彩を放っていたのは、現役A1級のトップレーサー、轟 厳十郎だった。
彼の属性は「土」の極致――『重力』。
彼が歩くだけでピットのコンクリートが沈み込み、周囲のレーサーたちはその「圧」だけで呼吸を乱す。
「……お前が乾健児か。大村で黒崎の老いぼれを倒したそうだが、あんなのは政治屋の遊びだ。本物の『レース』を教えてやる」
轟の16,000のマブイ出力は、数値こそ乾に劣るが、その「密度」が違った。無駄な放出が一切なく、すべてのエネルギーが勝利への「重み」に変換されている。
3. 多摩川第12レース:見えない壁
「多摩川G3・予選ドリーム……全艇、起動!!」
スタートの号笛とともに、6隻の機艇が多摩川の泥水を蹴り上げた。
乾は17,000の「白金」を全開にし、スリットラインをトップで通過する。しかし、その瞬間。
「……っ!? 体が、重い……!」
2号艇の轟が放つ属性変質――『大地の抱擁』。
多摩川の水面そのものの質量が増大し、乾の機艇はまるで見えない泥沼に突っ込んだように失速した。属性「白金」の鋭い「斬」をもってしても、水面全体の重さを切り裂くことはできない。
「ハル! 翼! 左右から挟め!」
乾の合図に、ハルと翼が反応する。
翼の「マグマ」が水面の重力を熱で解かし、ハルの「風」が重力の歪みを計算して乾を押し上げる。
しかし、轟は不敵に笑った。
「甘い。重力とは、逃れられぬ運命だ」
轟が旋回に入った瞬間、第1マークを中心に強力な重力場が発生し、乾たちの機艇を強引に外側へと弾き飛ばした。多摩川の護岸壁が迫る。
「……おじさん、重力を切るんじゃない。重力に『乗る』んだよ」
通信機越しにハルの冷静な声が響く。
ハルは、轟が作り出した重力の渦の「中心」が真空状態になっていることを瞬時に見抜いた。
「翼、重力を一点に集中させて! 俺がその中心を射抜く!」
翼の「マグマ」が重力場を攪拌し、一瞬だけ重力の向きが乱れる。
その刹那、乾は自らの「白金」を、針ではなく**「螺旋」**の形へと変容させた。
新奥義――『白金螺旋』!!
重力の圧力を推進力へと変換し、乾の機艇は物理法則を無視した角度で轟のインコースを抉り取った。
多摩川の泥水が龍のように立ち昇り、白銀の閃光が重力の闇を真っ二つに引き裂く。
ゴールライン。
1位、乾健児。
僅差で、A1級の重鎮を差し切った。
ピットに戻った轟は、悔しがるどころか、豪快に笑い飛ばした。
「……ははは! 面白い! 重力を利用するB1級など初めてだ。乾健児、お前なら『G1・地区選手権』でも暴れられるかもしれんな」
乾は、激しく震える右腕を左手で押さえ、荒い息を整えていた。
B1級、そして重賞。そこは、これまでの「復讐劇」では通用しない、純粋な技と魂のぶつかり合いの世界だった。
「おじさん、お疲れ様。……でも、次のレースにはもっと強いのが来るよ」
ハルが新しい吸入器を手渡す。
「ああ。……望むところだ。俺の17,000が、どこまで届くか試してやるよ」
多摩川の秋風が、乾の新しいライディングスーツを揺らす。
第2部「重賞挑戦編」、その幕が今、切って落とされた。




