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からくり競艇〜ホームレス、魂のフルスロットル〜  作者: 水前寺鯉太郎
第1部:学校編

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15/21

第15話:影の回廊、一閃の光

登場人物紹介:ハル(波留)

* 素性: 乾健児が教習所で出会った少年。感情の起伏が極めて乏しく、常にアイスを齧っている。その正体は、からくり競艇界でも数万人に一人と言われる**「マブイネービラ(マブイを持たぬ者)」**。

* 特性: 通常、からくり機艇を動かすには乗り手のマブイが必要だが、ハルにはそれが全くない。しかし、彼は**「物理演算」の天才**であり、マブイに頼らず、水の抵抗、風速、他者が放つマブイの余剰エネルギーを完璧に計算して自機の推進力に変える。

* 属性: なし。ただし、木属性の変質である**「風」**の特性を物理的にシミュレートする「ボイド・グライド」を得意とする。

* 役割: 乾の「熱すぎる魂(17,000)」を冷徹な計算でナビゲートする相棒的な存在。マブイセンサーに映らないため、敵にとっては「音もなく忍び寄る幽霊」のような恐怖の対象となる。


第15話:影の回廊、一閃の光


1993年、7月。

埼玉県、戸田競艇場。荒川の河川敷を削り取って作られたこの水面は、全国で最もコース幅が狭く、逃げ場のない「回廊」と呼ばれている。

優勝戦の時刻、西日が両岸のコンクリート壁をオレンジ色に焼き、水面には周辺のビル群の影が巨大な刃物のように長く伸びていた。

このコントラストこそが、属性**「かげ」**を操る暗殺者、無名の権三ごんぞうにとって最高の狩場だった。

ピットでヘルメットのシールドを下ろす乾健児の隣には、いつものようにハルが立っていた。ハルは半分溶けかかったガリガリ君を齧りながら、無機質な瞳で黒い水面を見つめている。

「……おじさん、気をつけて。あいつのマブイは、もう波の音の中に溶けてる。目で追っちゃダメだよ、それだと『影』に酔うだけ。心の『針』を研いで、一瞬の隙間を探して」

「分かってる。……ハル、お前こそ2号艇の横で巻き込まれるなよ」

「僕は大丈夫。影には重さがないから」

乾は、愛機『鉄屑・ニードル』の出力を極限まで絞り込んだ。戸田の第1マーク付近の幅はわずか37メートル。この「狭隘きょうあい」な空間で、17,000のフル出力を解放すれば、放たれたマブイが壁に反射し、その衝撃波で自機を粉砕しかねない。

「黒崎龍平にいくらで買われたか知らねえが……俺の17,000は安売りしねえ。地獄の底から這い上がってきた執念、見せてやるよ」

乾の眼光が、ヘルメットの奥で鋼のように鋭く光った


「戸田優勝戦……全艇、起動エンゲージ!!」

スタートの号笛が鳴り響くと同時に、600馬力の機艇たちが一斉に咆哮を上げた。

1号艇の乾は、持ち前の集中力でコンマ05のトップスタートを切る。逃げが圧倒的に強い戸田において、このスタートは勝利を確信させるものだった。

しかし、2号艇の権三が、物理法則を無視した動きを見せる。

乾が加速すればするほど、権三の機艇は磁石に引き寄せられるように乾の真後ろへと吸い寄せられ、そのまま水面から姿を消した。

属性変質――『隠密のシャドウ・サーペント』。

権三の機艇が放つマブイの波動は、乾が作り出す引き波(航跡)と完全に同調し、センサーの波形からも肉眼からも消失した。バックミラーに映るのは、不気味に静まり返った戸田の水面だけだ。

(……来る。どこだ!? 右か、左か、それとも下か!)

乾の背筋を、氷のような悪寒が走る。

第1マーク。乾は、戸田特有の狭い旋回半径を計算に入れ、護岸ギリギリを通る最短コースへとハンドルを切る。その瞬間、自機の「影」の中から、権三の漆黒の機体がいきなり膨れ上がるように実体化した。

「……死ね、乾健児。……黒崎様の命により、お前のマブイをここで断つ」

権三の声は、感情の欠落した機械のように冷たかった。

彼の放つ「影」のマブイが、乾のプロペラに物理的な質量を持ってまとわりつく。回転数が急落し、機艇が激しく振動を始めた。


「……っ! 動かねえ! プロペラに影が絡みついてやがる!」

乾の機艇は慣性に従い、外側のコンクリート壁へと猛烈な勢いで押し流されていく。壁まであと数メートル。衝突すれば、マブイ石の17,000の熱量が臨界点を超え、大爆発を起こすことは明白だった。観客席から悲鳴が上がる。

だが、乾の瞳に絶望はなかった。新宿の路上で死にかけていたあの冬、彼は「行き止まり」には慣れっこだったからだ。

(壁か……。だったら、その壁を使ってやる!)

乾は、17,000のマブイを前方ではなく、あえて右舷側のコンクリート壁に向けて一気に叩きつけた。

金属性変質――『破砕の鏡面ミラー・リフレクション』。

通常、金属性は「貫く」ものだが、乾はそれを「反射」させる特性へと瞬時に切り替えた。壁に激突した金のマブイが、戸田の狭さを利用して超高速で跳ね返り、乾自身の機体を逆側から押し戻す「斥力」へと変換されたのだ。

「なっ……!? 壁を『クッション』にして体勢を立て直しただと!? 貴様、死を恐れていないのか!」

権三が初めて動揺の声を漏らす。

火花を散らしながら壁際を滑走する乾のボート。その反射光が強烈な「光源」となり、隠れていた権三の「影」を鮮明に実体として照らし出した。


「影があるのは、光があるからだ! お前を照らし出す光は、俺を追い詰めたこの戸田の壁にある!!」

乾は右腕の血管が千切れるような激痛に耐え、乱反射し続ける金色の光を一点へと集束させた。

逃げ場のない狭い回廊の中で、四方八方のコンクリート壁から反射した光の矢が、権三の黒い機体を幾重にも包囲し、その輪郭を白日の下に晒し出す。

「ハル……道を開けろ!」

「了解、おじさん。……風の計算ボイド・スタック、完了」

乾の直後にピタリとついていたハルが、物理的な衝撃波を利用して権三の機艇を僅かに揺らす。その一瞬。権三のマブイ供給管が、影の衣を脱ぎ捨てて露出した。

「マブイ・ニードル……戸田一閃とだ・いっせん!!」

乾が放った銀の針――凝縮された17,000の輝きが、西日の光と重なり、権三のコアマブイを正確に貫いた。

爆発音はない。ただ、影が光に溶けていくように、権三の機艇は全ての出力を失い、力なく漂流。そのまま自身の慣性でコンクリート壁に激突し、沈黙した。

ゴールラインを抜けたのは、乾の6号艇。そして、乾が切り拓いた光の道を、一切のマブイを使わずに滑り抜けたハルの2号艇だった。


ピットに戻った乾を待っていたのは、静まり返った観衆と、遅れてやってきた割れんばかりの歓声だった。

警備員に両脇を抱えられ、連行される権三が、乾の背中を冷たく見つめた。

「……負けたか。だが、黒崎様は止まらない。次は……本物の『暗殺者アサシン』が、お前のマブイを直接刈り取りに行く」

乾は油まみれのヘルメットを脱ぎ捨て、沈みゆく夕日に向かって唾を吐いた。

「龍平に伝えろ。影に隠れてコソコソしてねえで、直接来いってな。俺の17,000は、あんたのプライドをブチ抜くためだけに研ぎ澄ませてあるんだ」

スタンドの最前列では、新宿から駆けつけた源さんたちが、汚れた帽子を振り回しながら「乾! 乾!」と名前を叫んでいた。その光景を見ながら、乾は思う。自分を突き動かしているのは、もはや復讐だけではない。この泥臭い歓声に応えることが、自分の新しい「生きるマブイ」なのだと。

「おじさん、すごかったね。あの壁ドン。ボート壊れちゃったけど」

ハルが新しいソーダアイスを差し出す。

「……ハル。お前、いつの間にか2位に入ってやがったな」

「おじさんが光りすぎて、道がよく見えたから」

乾は苦笑し、賞金袋の重さを確かめた。またしても修理代でほとんど消えるだろうが、心はかつての不動産王時代よりもずっと満たされていた。

龍平の放った「影」は消えた。しかし、水上の戦場は、より広く、より過酷な「海」へと続いていく。



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