第9話 なぜここにあなたがいるの(最終回)
——ピッ—ピッ—ピッ
規則正しい機械音が聞こえ目を開けると、目の前は白い天井だった。
(あれ…私寝ちゃってた…?)
目が覚めたので起きあがろうとするが、体に力が入らない。そして顔には違和感。
口元に手をやると、何かプラスチックのようなものが触れる。
(え…なにこれ…)
怖くなり取ろうとしたとき、腕には何本ものチューブのようなものがついていた。
(えっ…どういう…なんなのこれ…!?)
口元を覆っているものをずらすと、それはよくテレビで見る酸素用のマスクだった。
(え…なんでこれ…私……えっ…ここは、どこ…?)
てっきり家だと思っていたが、よく見れば天井もベッドも家のものとは違う。そして、何よりカーテンで仕切られていて、外が見えない。
すると、カーテンがシャッと勢いよく開き、知らない女性と目が合う。
「えっ、うそ…!三ノ宮さん…!!目が…!ちょっと、ドクター呼んできて!早く!!」
先ほどまでは静かだった空間に、急にバタバタと慌ただしい足音と声が舞い、白衣を着た数人に囲まれたのだった。
◇◇
「桜良!!」
「あ…づさ…」
「いいよ、いいよ、声が上手く出せないんでしょ?いいよ、無理して話さないでも…でも、良かった…良かった…もう目を覚さないかと…」
私に抱きついて泣くあづさの背中を撫でているとき、ふと気づく。あづさの髪の毛に、白い髪の毛が混ざっていることに。
「あづさ…白い髪の毛ある…」
「あ、あった?なんかねー、最近ちょっと増えてきてねー。そういう歳になってきたからね」
「そういう歳…?え…?だって、私達32歳だしまだそんな…よね…?」
「……桜良…実はね…」
「なに…違うの…?」
「あのね、桜良は夫から暴力を振るわれて意識を失ったの。それで桜良はその後ずっと意識がなくてね…」
「どのくらい…どのくらい意識がなかったの…!?」
「…5年…」
「うそ……!…うそーーーっ!!」
錯乱した私はあづさや医師になだめられ、しばらくは安静に横になることを指示された。その間、あづさから夫の話も聞いた。私への暴力で警察に逮捕され、結果不起訴にはなったが、履歴は残ることとなり会社からは出世コースから外れたそうだ。それに鬱憤が溜まったのか、はたまた性欲のはけ口である私がいなくなったからか、会社の女性社員と親密な関係になり、夫は会社を退職してその彼女と2人で暮らしているそうだ。
病室に1人になった私は、手にした紙をもう一度広げて目を凝らす。
離婚届。夫は私が意識不明なのを確認するなり、記入すると私が目覚めたら渡してくれとことづけて、この病室にこの紙を置いていったらしい。
「はは…最後まで自分勝手…」
私は起き上がると、病室にあるテーブルを横から引っ張り下半身の上に設置すると、離婚届に必要事項を書き込みながら、あづさのある言葉を思い出す。
「桜良が暴力をふるわれてたとき、通報したのは西園寺さんなんだよ。桜良に電話したら通話状態になったけど、そこから聞こえる声と音で、すぐに異常事態だと思ったって。西園寺くんから連絡もらって私と2人で桜良のマンションに駆けつけたんだけどさ…、救急車に乗せられる桜良を見て、彼、一生懸命、桜良の名前を呼んでたよ…。今の桜良の顔は綺麗になってるけれど、あのときは本当に…元の顔が分からないくらいに酷かったから…。西園寺くん、ずっと自分を攻めて後悔してた。しばらくはボランティアにもいたけど、今はやめちゃったし、うちの病院の担当からも外れてるから、今はどうしてるか分からないんだけどねー…」
私はボールペンの手を止め息を小さく吐くと、病室の扉が開く音がした。
(看護師さんかな…?)
私は離婚届をたたみ視線をあげると、病室のカーテンがゆっくりと開けられる。
そこには、背が高い黒髪の男性が立っていた。
「三ノ宮さん…」
声を聞くだけで、誰だか鮮明に思い出せる。
私が唇を噛んで体を震わせていると、彼は昔と変わらず犬のように笑う。
「え…っ…なぜ、ここに…あなたがいるの…?」
綺麗なアーモンド型の目に見つめられ、私は手が小刻みに震える。
だって…だって…もうあれから5年経っているのに…。
「毎週のように、僕はここに来ていたんです。毎回、三ノ宮さんがいつ目を覚ますのか、覚ましたときに一番最初に見るのは僕であって欲しいと…毎回そう思っていました」
「西園寺さ…」
彼はベッドに腰掛けた途端、私を激しく抱きしめる。
「…愛しています…」
変わらない彼の広い胸元に、私は安心して顔をうずめ、折りたたまれた離婚届に視線をやったあと微笑む。
「私もです」
終




