第7話 歳をとってもずっと一緒に
「ただいま……」
ホテルに泊まった翌日の今日、朝、家に戻った私は、おそるおそるドアを開ける。
一応、昨日夫にはLINEで外泊することと理由を伝え、帰れないことを送っていた。夫からは、分かった、と簡潔ながらも返事がきていた。
(この時間帯なら、もう夫は出勤してていないはず…)
別にやましいことをしたわけでもないので、堂々と入っていいのだが、昨日彼といた時間は幸せで、それをまだ日常に落とし込めない私は、今夫と顔を合わせたくなかった。
そっと家の中に入り、リビングの扉をゆっくりと開ける。
リビングは、昨日私が朝出たときとほぼ変わらない状態だった。夫の姿も見えず、私は胸を撫で下ろす。
(良かった、いたらどうしようかと思っ…)
突然、腕を思い切り引っ張られ、私は床に勢いよくうつ伏せに倒れる。
驚いて顔を上げると、夫の和也がものすごい形相で立っていた。
「お前、今頃帰るとかいいご身分だなあ!何考えてるんだ!?妻が家に帰らないとか、よくもそんな勝手なことができたな!!」
「な…なんでいるのっ…!?仕事は…!?それに、私、連絡したよね!?昨日は事故に巻き込まれて…」
「半休取ったんだよ!お前を待ち伏せるためにな!事故ったって、怪我はしなかったんだろ!?なら、普通は帰ってくるだろうが!!」
「…だから…、LINEでも言ったけど、その…事故のせいで気持ちが少し不安定になっちゃって、それで…」
「あーーーっ!うるせーっ!!なんだ!?事故に出くわしたしたくらいで!あーーくそっ!もっとイライラしてきた!!」
(だめだ…何を言っても聞いてくれてない…話しても無駄だ…)
気持ちが折れたその瞬間、腕をグイと引っ張り上げられる。
「え…なにするの…!?」
「あ?今から俺に付き合えよ」
私は血の気がサーっと引く。
「付き合えって…な、なんで…きゃあっ…!!」
和也に無理やり腕を引っ張られ、和也の寝室へと連れて行かれる。
「や…やだ…!!やめて!!」
私はしゃがんで抵抗すると、和也は舌打ちをして服ごと私を強引に引っぱり、私は床を引きずられながら連れていかれ、ベッドに乱暴に投げつけられる。
「おら!!早く脱げよ!!出社時間が迫ってるんだよ!!」
「やめて!!この服は…!!」
「うるせーーっつってんだろ!!!」
和也に無理やり引っ張られ服をはぎ取られた私は、必死に腕や手足で抵抗をするも、見た目を気にして普段ジムに通う夫の力に叶うわけもなく、夫に体を押さえつけられ好きなようにやられる。
私を押さえつけて見下ろした夫の顔は、満足感でいっぱいの笑みで、見た瞬間猛烈な気持ち悪さに襲われた。
「そうだ、お前抱きしめられながらするの好きだったよな」
ニヤリと笑う夫が私の体に腕を回し始め、私はハッとする。
「——いやっ!!!やめて!!」
私は、抵抗して体をよじる。
夫が体に腕を回したとき、彼に抱きしめられたときの感触を思い出す。
(ああ…彼に触られたところが消えていく…)
したり顔をした夫を、ただただ睨みつけるしかできなかった。
◆◆◆
1時間後、夫が仕事にと出て行ったあと、私は起き上がりベッドの上で座ると、所々赤くなった体をゆっくりと手でさする。
(…痛い…な…)
ベッドから降りて、床に乱雑に散らばっている服や下着を回収していると、スマホの電話がなる音が聞こえてくる。
音の鳴る方へ走り、リビングの床に落ちているスマホを拾い画面を見る。
「もしもし…」
「三ノ宮さんでしょうか」
「はい…」
「西園寺です。昨日はお疲れさまでした。無事に家へ戻れましたか」
(無事……)
正面にある姿鏡にうつった、自分の裸の今のありさまを見て言葉につまる。
「…三ノ宮さん…?」
「あ…はい、大丈夫です…」
「…そう、ですか…」
「……」
「…連絡したのは、三ノ宮さんが帰られたことの確認と、それから借りた洋服についてお伝えしたいことがあったからです。運行会社から連絡がありまして、洋服は洗濯しなくともいいそうで、そのまま会社へ返送してくださいとのことでした。会社の方に警察から連絡があったそうで、着替えた衣服も回収したいんだそうです。それで、今日僕が三ノ宮さんの分もまとめて返送しようと思うのですが、もし、三ノ宮さんのご都合がよろしければ、お昼頃にでも僕の会社の近くに持ってきていただくことは可能ですか」
「あ…はい…えっと、西園寺さんの会社の場所は…」
「僕の会社の住所は——」
慌ててスマホにメモする私は、あることに気づく。
「あ…」
「何かありましたか?中心部なので、おそらく三ノ宮さんも来やすい場所かとは思ったのですが…」
「あ…いえ、違うんです…。行きやすいのは、そうなのですが…夫の…職場も近くだな、と…」
「ああ…なるほど。…そうなんですね。…服を預かるだけですので時間はかけません。来ていただけますか…?」
「…分かりました。何時頃に着くか、分かったらまた連絡します」
電話を切った後、私は床にゆっくりと横たわり正面の鏡を見つめる。
「…疲れた……」
◇◇◇
「三ノ宮さん」
「西園寺さん、こんにちは。お待たせしました」
スーツ姿で走ってくる彼の姿は、ボランティア活動で見るときとはまた違って、一段とかっこいい。
「あの、服を持ってきました」
紙袋を持ち上げると、彼が受け取ろうと手を伸ばす。
「おい!お前なにしてんだよ!!」
背後からの怒号に、私はビクッとして紙袋を落としてしまう。
「申し訳ありません。次回からは気をつけますので」
振り返ると、スーツ姿の人が相手の男性に向かって平謝りをしていた。
「急に大きな声がすると驚きますよね」
彼は、私が落とした紙袋の中から出てしまった洋服を屈んで掴み取っていると、私の服をじっと見つめる。
「……三ノ宮さん、この服…」
「あっ…」
首元がダルンダルンに緩み脇の所は避け、長いパンツも真ん中辺りから下に破れているのを。
私は服を彼から奪い取り、慌てて胸元に抱え込む。
「…三ノ宮さん…帰ってから何がありましたか?」
「…何もないです。気にしないでください」
「でも、それは——!」
私は下に落ちた紙袋を拾い上げ、服を無造作に突っ込むと彼に押し付ける。
「返却…!よろしくお願いいたします…!」
「三ノ宮さん!!」
私は人混みの中に紛れるようにして、足早に彼の元から去る。
「おい!ここで何してるんだ?」
(また誰かの怒号…)
「おい!!桜良!!」
驚いて左を向くと、夫の和也ともう1人職場の人だろうか、スーツ姿で並んで歩いていた。
「え…あ…和也…」
「こんな所で何してるんだ?今日はボランティアの日じゃないだろ?ああ、もしかして俺に会いたくなったか」
家と違う話し方をする夫は、隣の男性に楽しそうに笑顔を向け、私のことを妻ですと丁寧に紹介する。
(気持ち悪い…)
家と違う顔をする夫に、吐き気がする。
「…あの、妻の桜良と申します。夫がいつもお世話になっていま…す…」
正面にいる2人の肩越しに、紙袋を持って走ってきた彼の姿が見えて、私は硬直する。彼は息を切らしながら、私達3人の近くに立つと、私と目を合わさず知らない振りをして立っていた。
「そうか和也さん、こんな綺麗で美人な奥さんがいたんすねー。羨ましすぎます」
「あはは、そんなことないよ。まあ、妻は俺によくつくしてくれるので、歳をとってもずっと一緒にいたいと思っていますよ」
外向けの営業スマイルで私を見つめる夫の目は、薄らと開けられているが、その瞳は笑っていなかった。




