第3話 抱える闇
「西園寺さん…!すみません、お待たせしてしまいましたか…!!」
「いえいえ、僕もさっき来たばかりです、大丈夫ですよ。気にしないでください」
待ち合わせ場所である駅前に、走って駆けつける私に、彼は落ち着いた声とトーンで話しながら微笑む。
決して待ち合わせ時間には遅れていないのだが、どうしてこうボランティアメンバーは全員来るのが早いんだろう、しかも新しく入った彼まで…と萎縮する。
今日は、病院側との打合せの日で、平日だが彼も仕事との調整をして、休暇を取ってここに来ている。
「乗る電車の時間までまだ余裕がありますし、そこのベンチで少し休みましょう」
私が肩を上下に揺らし息を切らしているからか、駅前にあるベンチに促され一緒に座ることに。
「すみません…」
「いえいえ。こちらこそ慌てさせてしまったようで、すみません。三ノ宮さんはご家庭がある身ですから、今日も忙しかったのではないですか?」
「あ…えっと…」
夫とうまくいっておらず、むしろ家庭内別居状態になっています。夫はほぼ家におらず毎日遅くに帰ってくるため、忙しいどころか1人の時間がほとんどで、持て余すばかりの日々です。なのでこうやって外に出られる日が楽しみで仕方なくて、昨日はなかなか寝付けませんでした…などと、正直に言えたらどんなに楽か。
「大丈夫です。忙しくないですよ…、むしろ、ずっと家にいなければいけなくて、やっと外に出られる今日がずっと待ち遠しかったです」
満面の笑みで彼に話すと、彼は目を少し大きく開け驚いた表情をしたが、すぐにいつもの柔和な表情に戻る。
「あづささんが、三ノ宮さんは自然が多い場所が好きだと言っていましたよね。実は、僕もそういうところが好きなんです」
「えっ、そうなんですか?意外ですね」
「はは、よく言われます。都心から出たくなさそうと。でも、本当に違うんです。毎日賑やかな都心部で働いて暮らして生活しているせいか、自然豊かな静かな場所に行くと、本来の自分に戻れる気がして落ち着くんですよね。僕は元々地方出身なので、騒がしい場所には慣れないというか」
「えっ、西園寺さんて、都内の方かと思いました」
「ああ、それもよく言われます。僕は、大学を機に上京してきた組です。三ノ宮さんもあづささんと同じ、地方出身なんですよね」
「そうです、私も漏れなく地方出身なので西園寺さんと同じですね。私も大学が都内だったのですが、ずっと地方の実家から通っていたので…、正式に上京したのは結婚をしてからなんです」
「そうなんですか。では、ご主人と一緒に出てこられたのですか」
「いえ、夫はもともと都内生まれ都内育ちで…大学のときに出会いました…」
「ああ、そうなんですね。それではもう長い期間ご一緒なんですね。長いお付き合いの方は羨ましいです。理想的ですね」
「…そう…です…か…ね…」
歯切れの悪い答えしかできない私を見て、彼も何か感じたのだろう。そろそろ電車の時間ですね、と気を利かせて話を変えてくれ、私は結婚生活にそれ以上触れられなくてホッとした。
「それにしても、山林病院という名前の通り、本当にちょっとした山のような、鬱蒼とした先にあるのは驚きですね。あづささんの勧めでこの交通手段を選びましたが、この駅から病院までをトロッコ列車で向かうとは…。トロッコに乗るのは、僕人生で初めてですね」
「私もです。見るのも初めてかもしれません。…あ!来ましたね」
汽笛と共に白黒い煙をモクモクと出した列車が、ゆっくりとこちらに近付いて来る。
駅には彼と私以外に、お年寄りの夫婦、そして子ども連れの家族が数組待っていた。
列車が来ると、彼が私に先に入ってくださいと、譲ってくれたため乗り込み、その後に彼が隣に座った。
トロッコ列車だからか、席が普通の電車よりも狭く、お互いの肩が触れ距離が近かった。
「…あ…これは…思ったよりも狭いですね。三ノ宮さん、きつくないですか?」
「大丈夫です!それに…、西園寺さんの方がきつそうです、足、前に伸ばせなくて苦しくないですか?」
足場も狭く、彼の長い足が狭い中で窮屈そうにしている。
「はははっ、確かに。でも、大丈夫です」
恥ずかしそうに笑う彼の笑顔は、失礼ながらまるで犬のような可愛いらしさにみえ、思わず私も和んでしまう。
列車が出発し走り出す中、私と彼は今日の病院との打ち合わせ事項の確認をしていた。
「——以上を僕が確認しますので、予定通り三ノ宮さんは楽器や配置などの話をお願いします」
「はい、分かりました。…西園寺さん、初めてとは思えないほどに、もうしっかり把握されていらっしゃって、すごいですね」
「いえいえ、そんな。三ノ宮さんに、そう言っていただけると嬉しいです。あづささんからは、三ノ宮さんが初期からいらっしゃるメンバーだとお聞きしていたので」
「そうなんです。ボランティアなので仕方ないのですが、メンバーもやっぱり入れ替わり立ち替わりあって、なかなか…難しいですよね。私は今働いていないので、活動に参加できないなんてこともないので、気付いたら一番古いメンバーになっていました」
「今はということは、以前は働かれていたんですか」
「はい、地方でですけれど…」
「何をされていたのか、差し支えなければ聞いても…?」
「ピアノの先生を…。実家の近くにレッスン専用の小さな部屋を作ってもらいまして、そこで教えていました」
「ピアノの先生ですか!いいですね!三ノ宮さんの雰囲気に合っていますし、なんとなく想像できます。三ノ宮さんは見た目からも優しい性格が伝わってきますし、温和な話し方なので生徒さんからも人気だったんじゃないですか」
「いえいえ、そんなことないです、本当、私なんてそんな…」
急に褒められたことで、私は顔が赤くなっていくのを感じた。彼も私の顔の変化に気付いたのだろう、綺麗な長い指を口に当てて、はにかんで俯いた。
「僕の妹もピアノが好きで、習っていたんです」
「えっ、そうなんですか!?わあ〜すごい、近くに…奇遇ですね!それでは、今も習われて?」
「……いえ、今は……。…実は妹は2年前に亡くなりまして…」
「えっ…あ、ごめんなさい、私…」
「いえいえ、三ノ宮さんが謝る必要はありません。三ノ宮さんが弾かれるとの話を聞いたら、なんだか少し懐かしくなって、ついつい話してしまいました。気にさせてしまっていたら、すみません」
私の方を見て笑ってみせる彼。彼が私に親近感を覚えたそと、それは私も彼に対して同じだった。そして、つい私も彼のことをもっと知りたくなってしまった。
「あの…もし嫌でなければ聞いてもいいですか…?妹さんは、なぜお亡くなりに…」
「病気です。亡くなる数年前にガンになりまして、若い人は治りやすいとはいいますが、妹の場合は進行が早くてだめでした。家族にガンの者がいなかったので、理由も発症原因も分からず、判明してから本当にあっという間でした。なので、この音楽のボランティア活動を聞いたとき、妹のことが頭に浮かんで、参加したいなと思ったんです」
演奏できない彼がなぜこのボランティアに参加したのか、その理由を知れたことでモヤモヤが晴れた気がした。と同時に、辛い家族の話をしてくれたことが嬉しかったのも事実。そして、話の流れなのか、それともなんとなく話したくなったのか、私にも分からなかったが、自分のことを彼に伝えたくなった。
「私がこのボランティアに入ったきっかけは、あづさからの誘いなんですが…それ以上に、外に出られる口実になるからなんです」
「…外に出られる口実……?…三ノ宮さんは、自由に外へ出られないのですか?」
「…外へは自由に出られます…ですが、夫は私が外で働く必要はないと…かと言って、習い事をするならば自分でお金を出せと…。一応食料品などの購入用にカードを預かってはいますが、履歴を逐一確認しているようで、不審に思った使い方には、過去に激しく問い詰められたこともあります…。なので、外出するときは自分の貯金を崩しているんですが、やっぱりこうやって外に出ると本当伸び伸びできるというか。私にとって、今はこのボランティア活動が生きる素って感じです。……って、ごめんなさい!なんだか、嫌な話になっちゃいましたね…!せっかくですし、景色など自然を楽しんで、リフレッシュしなきゃですよね!」
髪の毛を耳にかけながら、引きつった笑顔の私を、彼はどう思ったのだろう。
彼は話の間、じっと私を見つめていたが、その後は私の結婚生活にふれることのないよう、たわいもない話をして私を笑わせようとしてくれていたのは確かだった。




