新薬開発プロジェクト:ビッグデータの残響
「これで何かいい薬が見つかるに違いない」
ある中堅医薬品メーカー、ミライエ製薬で極秘の新プロジェクトが始まった。彼らが打った手は大胆だった。数十年の人間ドックのデータを抱えている企業と、医薬品やサプリメントの販売履歴を抱えた企業を立て続けに買収したのだ。狙いは、膨大なデータから「薬やサプリが予期しない効果を発揮した例」を見つけ出し、新たな効能を証明して売り出すこと。そう、かつての勃起不全薬ややせ薬のように。
解析チームはそれぞれのビッグデータに接続し、個人情報を紐づけ、一致するものに絞り込んだ。健康状態の変化と、中長期に購入した薬の時期が一致するケースを抽出。薬の購入と健康変化が同時期にあり、なおかつ類似事例が多いものを自動的にピックアップしていく。ここでまず、既存の薬がその本来の効能通りに機能しているかを調べ、解析システムの検証を行った。
少し地域に偏りが見つかったのは残念だったが、自社の医薬品で調べてみると、相関関係は正しく出ていた。 その過程で、ある確信を得る発見があった。自社の胃腸薬『アバサント』だ。他社の同種の医薬品と比べ、処方された件数は少ない。しかしデータ上、この薬を服用している患者の胃粘膜の回復速度は、他社のトップシェア製品を明らかに上回っていたのだ。 「営業力や知名度で負けているだけで、性能はこちらが上だ。この解析システムは本物だ」 プロジェクトリーダーの佐藤は、最初に発見したこの『アバサント』の優秀なデータを、システムの正当性を示す証拠として詳細なレポートにまとめた。これが後に、巨大な逆転劇の鍵になるとも知らずに。
さて、本題だ。自社の全医薬品を対象に、本来の効能とは異なる「健康状態の変化」をスクリーニングした。ほとんどは誤差程度の変化しかなかったが、ひとつだけ、例外的に大きな相関が出ている医薬品があった。 「……これは、まずいな」 解析担当の高橋が声を震わせた。ミライエ製薬の主力製品である頭痛薬『ヘデラノン』を長期服用すると、糖尿病を悪化させるらしいという結果が出たのだ。主力商品の致命的な欠陥。プロジェクトは「お宝探し」から一転、「巨大な時限爆弾」の処理へと変貌した。
「待て、冷静になれ。何か見落としがあるはずだ」 佐藤は必死にデータを読み解き、初期の分析で見つけた「地域的な偏り」を思い出した。再解析の結果、この悪化現象は特定の水質を持つ地域に集中していた。その水に含まれる微量ミネラルが、ヘデラノンの成分と反応して、膵臓の機能を阻害する化合物を体内で生成していたのだ。
しかし、その「呪い」を解いた先に、真の宝石が隠れていた。 特定の地域を除外して再スキャンをかけたところ、ヘデラノン常用者は同年代と比較して、早期アルツハイマー型認知症の発症率が驚異的に低いことが判明したのである。
「これだ! 認知症予防の画期的発見になるぞ」 歓喜に沸いたのも束の間、ルーム内の警告灯が赤く点滅した。 「ハッキングです! 現在進行形でデータが抜かれています。遮断が間に合わない!」 高橋の叫び声。敵は、ミライエ製薬が「宝」を見つけた瞬間に襲いかかってきたのだ。
翌朝、事態は最悪の形で動き出す。 業界最大手・ゼニス製薬の手回しにより、ネットメディアが一斉に「ミライエ製薬の頭痛薬に深刻な糖尿病リスク」というニュースを報じた。株価は寄り付きから売り注文が殺到し、ストップ安。本社前には怒号のような報道陣の問いかけが響く。
ゼニスの幹部から、佐藤の元に冷ややかな連絡が入った。 「佐藤さん、お気の毒に。株価が紙屑になる前に、おたくの全特許と解析システムを我が社に譲渡しませんか? いわば救済買収ですよ」
敵の狙いは、スキャンダルでミライエを瀕死に追い込み、その隙に「認知症予防」という巨大な利権を安値で掠め取ることだった。彼らはハッキングによって、佐藤たちが「特効薬」の可能性に辿り着いたことも察知していたのだ。
「特許出願まで、あとどれくらいだ!」 「最短でも明日の朝までかかります! 書類を今、特許庁のシステムへ流し込んでいますが、サーバーが敵のDDoS攻撃を受けていて、アップロードが極端に遅延しています!」
ここからの24時間は、ミライエ製薬にとって地獄だった。 世間からは「隠蔽企業」と叩かれ、社内には絶望が広がる。だが、解析チームだけは一歩も引かなかった。敵のサイバー攻撃をかわしながら、1キロバイトずつ、執念で特許データを送り続ける。
そして、翌朝。 ミライエ製薬は緊急記者会見を開いた。 誰もが「謝罪と倒産報告」を予想していたが、壇上に立った佐藤の瞳には力が宿っていた。
「昨日の報道に関する、我々の回答を申し上げます」 佐藤がスクリーンに映し出したのは、数分前に受理されたばかりの「特許公開番号」と、特定の水質条件下でのみ起こる副作用のメカニズム、そしてそれを逆手に取った「認知症予防薬」としてのエビデンスだった。
「副作用は、特定の水質地域に限られた反応です。我々はそのリスクを完全に回避する新たな処方を開発し、同時に、世界初の認知症予防薬として今朝、特許を出願いたしました」
会場が騒然となる中、佐藤は続けた。 「昨日、我が社のシステムに不正アクセスし、不完全なデータをリークして不当に株価を操作した勢力がいます。我々はその全ログを警察に提出しました。ゼニス製薬さん、ハッキングをするなら、最後までデータを読むべきでしたね。あなたが盗んだのは、解決済みの過去のデータだ」
最初に発見した『アバサント』のデータが示した「自分たちの技術への自信」。それがあったからこそ、佐藤たちはスキャンダルの嵐の中でも、最後の数分まで諦めずに「未来」を書き換えることができたのだ。
数ヶ月後。 ミライエ製薬は倒産の危機を脱し、世界中から投資が集まるトップランナーへと変貌していた。 ビッグデータの海で、彼らは「地雷」を「道標」に変え、巨大な敵の手をすり抜けて、未来への切符を掴み取ったのだ。




