ニコ、研修終了の日
朝のタクシー待合所は、いつもよりざわついていた。
理由はただひとつ。
今日が──
新人ニコの「研修最終日」だからだ。
ニコ本人はタクシーの前で直立不動。
緊張のあまり、微動だにしない。
(……昨日より固まってるんじゃないか?)
俺はその肩を軽く叩く。
「おい、呼吸しろ。死ぬぞ」
「しゅ、修一さん……
今日で研修終わりですよね……?
ぼ、僕……本当に大丈夫なんでしょうか……?」
「大丈夫じゃなかったら、今日最終日にはしてないよ」
「……ああ……胃が……痛い……」
(まあ、それは誰でも通る道だ)
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そこへ、ひとりの客が手を挙げて来た。
「タクシー、乗りたいんだけど」
ニコがビクッとして俺を見る。
(見るな! 行け!!)
俺は小声で囁く。
「昨日言っただろ。まずは“挨拶”」
ニコは大きく深呼吸し──
「こ、こんにちはっ!
どちらまでご案内いたしますか!!」
客は少し驚き、しかしすぐに柔らかく笑った。
「北区の薬草店まで。新人さん?」
「は、はいっ! 本日研修最終日です!」
「じゃあ応援してるよ。頼むね」
その一言で、ニコの表情に、少しだけ自信が宿った。
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タクシーが走り出す。
俺は少し心配しつつも、後ろ姿を見送る。
(大丈夫そうだな……昨日より自然だ)
運転はまだぎこちない。
でも──
道の確認、歩行者への気配り、適度な会話。
ひとつひとつ、昨日より確実に成長している。
横でリーネが呟いた。
「修一さんの教え方、優しくて丁寧ですものね」
「……別に普通だよ」
「“普通ができる”って、けっこう特別なんですよ」
それはなんとなく、照れくさかった。
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昼すぎ。
ニコが戻ってきた。
「しゅ、修一さんっ!!」
「どうした」
「お客さんに……
“あなた、丁寧でいいね。また乗るよ”って言われました!!」
(……それは、嬉しいやつだな)
「そっか。よくやったな」
「は、はいっ……!!」
目を輝かせて喜ぶニコを見て、
俺のほうまで嬉しくなる。
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午後は俺が助手席に乗り、二件ほど同乗してチェックした。
指摘したのは、
「左折が少し急」
「道の確認のタイミング」
その程度。
大きな問題は、とくになし。
最後の客を降ろすと、俺はニコに向き直った。
「……ニコ」
「は、はい!!」
「今日で、お前の研修は終わりだ」
「……!」
「明日からは“一人前のタクシー運転手”として扱う。
堂々と胸を張っていい」
ニコは、しばらく固まっていた。
そして──
「……っ、ありがとうございます!!」
涙目になりながら頭を下げる。
「俺……これからもっと頑張ります!!
修一さんみたいな運転手になります!!」
「いや、俺みたいにならなくていいよ。
お前はお前の“客の運び方”を見つけろ」
ニコは大きく頷いた。
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夕焼けの帰り道。
ニコがしっかりとタクシーを運転して戻る姿を見て、
ふと、胸が温かくなる。
(……タクシーって、人の人生を運ぶ仕事でもあるんだよな)
新人ひとり育てるだけで、
ここまで感慨深いものがあるとは思わなかった。
待合所に戻ると、周囲の御者たちが拍手で迎えた。
「おつかれー!」
「今日で研修終わりか、新人!」
「これからよろしくな!」
ニコは涙をこらえながら笑った。
俺はその姿を見ながら、静かに思う。
(……これで、もう大丈夫だ)
こうして──
ニコの研修は、無事に幕を閉じた。




