それでも、俺はただの運転手だ
交通局から正式に連絡が来たのは翌日の昼前だった。
「“タクシー組織の創設について、具体的な意見を伺いたい”」
……とうとう、来たか。
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タクシーを停めて、白樺亭の裏手にある静かなベンチに座り込む。
(会社を作る……協会を作る……
そんな大それたこと、俺にできるのか?)
昨日の御者たちの期待。
リーネの言葉。
交通局長の真剣な目。
全部が一つにつながって、逃げられない感じがする。
でも。
(俺は……ただのタクシー運転手なんだよな)
日本でも、異世界でも。
俺がしてきたのは運転と、客の話を聞くことだ。
街を動かすような大きな器じゃない。
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そんな気持ちを抱えたまま車を出し、
市場での買い物帰りの老婆を乗せた。
「最近は乗り場ができたらしいねぇ。便利で助かるよ」
「ありがとうございます」
「でもねぇ、便利なのも大事だけど……
一番大事なのは運転手さんだよ」
ふとミラー越しに見ると、老婆は柔らかく微笑んでいた。
「あなたみたいに優しくて、安全に運んでくれる人がいるから、
タクシーって成り立つんだよ。
道具も仕組みも、人が良くなきゃ意味がないさね」
胸に静かに刺さる言葉だった。
(……人が良くなきゃ意味がない)
そうだ。
待合所を作ったって、組織を作ったって、
“運転手”が不安を与えたら全部崩れる。
この仕事は“人を運ぶ”仕事だ。
運ぶのは荷物じゃない。命そのものだ。
慎重で、誠実で、責任がある。
それがタクシー運転手だ。
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老婆を降ろした後、深く息をつく。
(……結局、根っこはそこなんだよな)
もし組織をつくるとしても、
俺は偉そうに指示するような立場にはなれない。
でも——
“命を預かる仕事”を成立させるための環境をつくるなら、
少しは役に立てるのかもしれない。
御者たちが安全を守れるように。
新人が道に迷って困らないように。
客が安心して乗れるように。
(会社じゃなくても……
“協会”とか、“運転手育成所”みたいな形なら……)
できるかもしれない。
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夕方、ギルド前の待合所に寄ると、例の若い御者が手を振ってきた。
「修一さーん! 今日も人いっぱいですよ!」
「……そうだな」
冒険者たちが列を作り、
御者たちは張り切って客を乗せて走っていく。
俺の胸に、不思議な感覚が広がった。
(みんな、ほんとに誇らしそうに働いてる)
そういう“場”を作れているなら——
もうひと踏ん張りしてもいいのかもしれない。
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白樺亭の夕食のあと、女将さんが温かい茶を出してくれた。
「修一さん。無理してないかい?」
「……ちょっと、してるかもしれませんね」
「そうだろうねぇ。でもね」
女将さんは穏やかに続けた。
「あんたは“いい運転手”だよ。
だから頼られるんだ。
それは誇っていいことだよ」
うつむいて、静かに笑った。
(……誇っていい、か)
少し気が軽くなった気がした。
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その夜、布団に入りながら思う。
俺は特別な人間じゃない。
ただの運転手だ。
でも——
人を運び、話を聞き、安心させることならできる。
なら、その良さを広げる方法も……
きっと俺なりに見つけられる。
(……よし。明日、交通局へ行ってみるか)
覚悟が、ようやく少しだけ固まった。
異世界のタクシー文化は、まだ始まったばかりだ。




