白樺亭の昼、始まる
白樺亭に“昼食堂”の看板がかかった日、俺は少し早めに宿へ戻った。
玄関前には、マリアが緊張とワクワクを混ぜた顔で立っていた。
「修一さん! 今日、オークさん……すごいですよ!」
「もう仕込みしてるのか?」
「はい! 朝から一度も座ってません!」
その言葉に苦笑しつつ厨房を覗くと――
大鍋に向かって仁王立ちのオークがいた。
筋骨隆々なのに、包丁を握る手つきは驚くほど丁寧で、
鍋をかき回す腕は無駄がなく、
昨日までの“戦士感”が消えている。
「おーい、調子はどうだ?」
声をかけると、オークはぐるんと振り返り、満面の笑みを見せた。
「運転手よ!! 見てくれ! この野菜! 全部刻んだ!!」
「ま、まぁ……その山盛りはすごいけどさ……」
厨房のテーブルの上には、刻まれた野菜が大皿に山のように積まれている。
(いや、これ、昼だけじゃ使いきれないんじゃ……?)
と突っ込みかけたが、まぁ熱意は大事だ。
女将さんもエプロン姿で、どこか誇らしげに立っていた。
「すごいねぇ……あんたがこんな良い人材を連れてくるなんて思わなかったよ」
「褒めてるんですかそれ?」
「もちろんさ。……さて、開店時間だ」
*
初めての「昼食堂」は、最初こそ客足がまばらだった。
けれど――
一人目の客が、カウンターに座り、
オークが作った野菜と肉の煮込みを食べた瞬間。
「うまっ!」
その一言で、空気が変わった。
「なんだあれ」「いい匂いがするな」と通りの人が入ってくる。
さらにもう一人、もう一人と客が来た。
オークは厨房で汗を飛ばしながら鍋を振る。
「次の皿、行くぞ!!」
マリアが元気よく皿を運ぶ。
「はーい! 一番テーブル、煮込み追加です!」
女将さんは常連との会話で笑顔を見せ、
俺はその光景を入り口付近で眺めながら、
胸の奥がじわっと熱くなるのを感じていた。
(……すげぇ。ほんとに、動き出したんだな)
そんな中、一人の男が入ってきた。
背中に大きな荷を背負い、汗と土で服は汚れ、
頬はこけていて、見るからに疲れ切っている。
マリアが慌てて近づいた。
「だ、大丈夫ですか!? お席どうぞ!」
男は座った瞬間、テーブルに手をついて息をついた。
「……すまん。歩き疲れて……どこでもいい、なんか食わせてくれ……」
「オークさん、煮込み一つ追加!」
「うむ!!」
出された料理を一口食べた男の目が変わった。
「……これ……うまい……!」
その声は、さっきの誰よりも深かった。
涙が落ちそうなくらいの顔で、
男はゆっくり、ゆっくり噛みしめる。
「……久しぶりに……“温かい飯”を食った気がする……」
(……ああ、こういう時のための店なんだよな)
オークも、その言葉を聞いてにやりと笑う。
「もっと盛るか?」
「……頼む」
*
昼過ぎ。
片づけを終えたオークは、巨大な手で汗を拭いながら言った。
「……運転手よ。わし、今日……初めてわかった」
「何を?」
「料理は……“人の心を戻す”ことができるのだな」
その言葉は、彼自身を落ち着かせるようでもあった。
マリアと女将さんも並んで立つ。
「修一さん、本当にありがとうねぇ」
「修一さんの提案がなかったら、今日のこれは無かったですよ!」
俺は照れくさくて頭をかいた。
「いや……俺はちょっと口を出しただけで……」
でも胸の奥で、温かいものが確かに広がる。
(恩返しって、こういう風に少しずつでいいんだよな)
オークがぐいっと胸を張る。
「明日も来るぞ!! 昼食堂はわしに任せろ!!」
「はいはい、無理するなよー!」
白樺亭の昼が、今日から始まった。
小さな一歩だけど、確かに世界が動き出した――
そんな日だった。




