「焼き鳥令嬢と“記憶の追跡者”」
夜更け。
王都の外れにあるタクシー駐車場は静まり返っていた。
仕事を終えた俺は、車の中で後片付けをしていたが――
胸の奥はざわついたままだ。
(……今日の老人。絶対に普通じゃない)
令嬢の言った
“前世を嗅ぎ分ける者”なんて信じられない。
だが、目が……あれは人間のそれじゃなかった。
と、そこへ――
トン、トン。
窓が叩かれた。
(まさか――)
緊張して窓を開けると、
「……こんばんは、運転手」
青いドレスの令嬢が、肩で息をして立っていた。
「どうしたんです? 夜は危険ですよ」
「……あなたが、気になったのですわ」
令嬢は後部座席に滑り込んできて、
ぎゅっとハンカチを握りしめている。
「さっき……屋敷の前で、あの老人を見ましたの。
わたくしの屋敷を見つめて……何かを探しているような目で」
「やっぱり……」
令嬢は震える声で続けた。
「……怖かった。
でも、それ以上に――あなたを放っておけませんでしたわ」
胸の奥が少し熱くなった。
---
その時だった。
駐車場の外に、ゆっくりとした足音が響き始める。
コツ、コツ……。
街灯に照らされ、黒い外套の影が伸びる。
(きた……!)
令嬢も座席の背にしがみついて震えた。
「運転手……あれ、間違いありませんわ」
老人は、俺たちのタクシーの前で立ち止まった。
ゆっくりと、窓越しに俺を見つめる。
その眼差しは、どこか“懐かしみ”すら感じるほど深かった。
そして、口が動いた。
「……見つけたぞ。
遠い異郷から来た、漂流者よ」
背筋が凍った。
「あなた……俺のことを……?」
老人は静かに頷く。
「本来、この世界に存在せぬ魂の匂い……
長い年月をかけて、ようやく辿り着いた」
《警告:心拍上昇》
令嬢が震える声で叫ぶ。
「やめなさい! この人はただの運転手ですわ!!
あなたの言う“異邦の魂”なんて――」
老人は、令嬢に視線を向けた。
だが――その目は、彼女を害するものではなかった。
むしろ優しかった。
「娘よ。
そなたもまた……心に二つの顔を持つ者。
無理に“令嬢の仮面”を被らずともよい」
「……!」
令嬢は息を呑む。
老人は続けた。
「わしは、彼を害しには来ぬ。
ただ……“思い出すべきこと”を伝えに来ただけよ」
---
俺は勇気を振り絞って窓から声をかけた。
「……思い出す? 何を」
老人は深く息を吸い込み、
まるで遠い昔を思い返すように言った。
「この世界へ来た日のことじゃ。
そなたは……“ある場所”で、誰かを助けようとした。
その一瞬が、魂の流れをねじ曲げたのだ」
「誰か……?」
「今はまだ思い出せぬじゃろう。
だが――その記憶が蘇る時、
娘……そなたの隣にいるこの令嬢が、鍵となる」
令嬢は驚いて俺を見る。
「わ、わたくしが……?」
老人は頷いた。
「心を隠して生きる者同士。
互いが互いの“仮面”を外す時……
封じられたものが開く」
そう言うと、老人はふっと笑った。
「今日のところは、これでよい。
見守っておるぞ、漂流者よ」
そして、風のように静かに去っていった。
---
老人の姿が消えた後も、
俺と令嬢はしばらく黙っていた。
令嬢は、胸元で握っていたハンカチを見つめた。
「……運転手。
わたくし……あなたが“どこの誰”であろうと……」
小さく息を吸う。
「あなたの“素のまま”を、嫌いになれませんわ」
「お嬢様……」
令嬢は顔を赤くして叫んだ。
「だからっ! その……
焼き鳥……今度は塩味を二本、買いに行きましょう!!」
「結局焼き鳥なんですね!?」
どうしてもそこに戻るらしい。
---
夜風が吹き抜ける。
老人が残した謎は、
これからしばらく俺の運命に関わってくるのだろう。
だけど――
後部座席の令嬢が、
真っ赤な顔で焼き鳥の話をしているのを見ると。
(……まぁ、悪くないか)
そう思えてしまう自分がいた。




