1 静かな定位置
カフェの隅っこ。
店の中で一番静かなこの席は、いつのまにか私の“定位置”になっていた。
バイトが終わると、私はエプロンを外し、冷めたカフェオレを片手にノートパソコンを開く。
客として残るのは少し気まずいけれど、店長も何も言わないし、むしろ応援してくれているような気もする。
そもそも、店長にも他の人にも“勉強のため”と嘘をついているけど。
画面に浮かび上がる白い文書ファイルの上に、指を置いたまま動けないこともある。
書ける日と、書けない日がある。夢を追うって、そういうことなんだろう。
私は小町咲、二十八歳。フリーター。夢は小説家になること。
高校のとき、何気なく書いた作文を担任の先生がベタ褒めしてくれた。
「小町さん天才!」「才能あるよ!」って。
思えば、あれがすべての始まりだった。
友達は少なかった。休みの日は遊ぶ約束もなく、いつも家で本を読んでいた。
でも、寂しくなかった。物語の中では、私も勇敢になれたし、誰かと心を通わせることもできたから。
だから、私は書く。物語の中では、どこまでも誰かとつながれる気がするから。
でも、それだけで現実が変わるわけじゃない。
大学では文学部に進学したけど、就職活動は全滅だった。
面接では言葉がうまく出てこない。緊張して、何度も「すみません」を繰り返した。
前日、寝る時間を削って何度も練習したのに、全然だめだった。
気づけば私は、こうして大学生の時から働いているカフェでバイトをしながら、小説を書き続けている。
毎年三月にある「全日本小説大賞」。
全国の読書家が注目するこのコンクールでグランプリを取れば、賞金百万円を手に出来る。デビューできる。
いや、それどころか、人生が変わる。
歴代の有名作家と言われる人たちの登竜門。
私と同じく“小説家になりたい”と思っている人が集まる場所。
今年も応募する。ラストチャンスだと思って。
九年前から応募しているけど、全敗。
副賞や佳作にも選ばれなかった作品達が、このパソコンに眠っている。
本音を言えば、大学在学中に賞を取って小説家デビューしたかった。
でも、なれなかった。選ばれなかった。
同級生たちは働いている。毎日働いて、月に一度まとまったお金を手に入れている。
それに比べ私は、“締め切りが近い”理由に、今はシフトを週三に減らして、家やバイト終わりにこうしてパソコンを開いている。
多くて十五万ほど、今月分は手取りで八万くらい。
ボロボロのアパートだけど、自炊して、親からの援助を受けずに一人で生活しているところだけは“大人”と同じ気がする。
もう二十八。
この前、同じ年の女優が結婚したというニュースを見た。
ここに来るお客さんも、私と同年代で子持ちの人もいる。
夢を諦めたくない。だけど、そろそろ現実も見ないといけない。
小説家に年齢制限はないけど、流石にフリーターのままこの夢を目指すのも厳しい。
だから、今年がラストチャンス。
来年からは、一度距離を置いて自分の人生とちゃんと向き合わないと。
私は窓の外を見ながらカフェオレを一杯飲む。
やっぱり店長の作り方は上手だ。
視線をパソコンに戻し、指先に力を込め、私は新しいページにこう書いた。
《第一章 出会い》