表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神話の牢獄 〜final historical witness〜

作者: カエル♂

 ◇◇◇


 この世界を受け入れるまで長い時間が必要だった。

 悪と戦う英雄。英雄に倒された悪の残党は散り散りになり、復活の時を待つ。

 悪が再び世界を覆ったとき、新たな英雄が誕生する。


 そんな時代の変遷を、長い間見てきた。


 いったいどれほどの時が経ったのか分からない。いつからか数えるのをやめた。

 何百年?何千年?いや、何万年の時が経っているかもしれない。


 幾人もの来訪者があった。時には英雄が。時には悪の親玉が。時には戦士が、俺の元を訪れた。



 もう忘れてしまったことも多いが、あの時のことは今でも鮮明に覚えている。


 雷鳴で目が覚めて辺りを見回すと、いくつもの黒い影。暗闇に目が慣れると、それらは大小様々な岩であった。

 手足がない。動くことすらできない。冷たく、ジメジメとした空間。血の流れのように水脈を感じる。


 俺がこの世界に来た日。それは嵐が吹き荒れる日だった。

 嵐を逃れようとする虫たちの足音。雨に濡れた獣の匂い。


 理解するのに時間を要したが、俺は洞窟になってしまったらしい。



 少しむずむずして体を震わせると、何かが崩れた。

 俺の奥の方、洞窟の最奥の岩が崩れたようだ。

 その音に驚いたのだろう。数匹の獣が嵐の中、外へ逃げ出してしまった。



 あの獣たちはどうなったのだろう。たまにそんなことを考える。

 これだけ時が経って、確認する方法など何もないのだが。




 今日は、その日のことを思い出させるような天気だ。朝はとても暑く、水脈が細くなっているのを感じた。

 しかし昼頃になると一気に水脈が太くなり、山で大雨が降っているのだと知った。



 辺りが暗くなった頃、ぽつぽつと雨が降り始める。やがてバケツをひっくり返したような雨が降り出し、風は吹き荒れた。

 木が軋む音。轟音にも似た風。獣たちの悲鳴。


 油断したら洞窟が崩れてしまうほどの嵐の中、何かが入ってきた。

 足を怪我しているよう。泥だらけであるが、4本足の黄色い獣だと分かった。


 かなり衰弱している様子。この夜を超えることがてきなければ、この獣は死んでしまうだろう。



 ただ見ていることしかできない自分がもどかしい。


 しかし時間は残酷で、獣の体力を少しずつ奪っていった。獣の鼓動が小さくなってきているのを感じる。

 外はまだ嵐が吹き荒れて、食糧をとりに行くのも難しいだろう。そもそも、そんな体力が残っているかも分からない。


 そんな中、獣の瞳が一瞬見えた。その様子は生きるのを諦めているものではなく、強いものだった。

 俺はせめてもの思いで、名前をつけることにした。何者でもない彼を、せめて俺の記憶の中に留めたかったのだ。


 "レオ"

 彼の名だ。

 鋭い牙に佇まいは勇ましい。鋭い爪で獲物を捕えて離さない。

 そして最期まで勇敢なその姿は、2代前の英雄を彷彿とさせる。レオという名は、その英雄と同じ名だ。



 嵐が過ぎ去ったのは朝方、日が昇る頃だった。

 緑が生い茂っていた外は泥でまみれ、倒木が重なって転がっていた。

 あまりにも変わり果てた世界に、生き物の気配はない。


 日が昇りきってようやく世界が温まってきた頃、視界の中で何かが動いた。

 レオが生きていた。


 後ろ足を引き摺りながら外へ出て、獲物を探しに行った。

 本当に強い。彼は強かった。


 彼の姿を見ることはもうないだろう。

 しかし彼の後ろ姿は大きく、また戻ってくる。そう言っている気がした。



 泥の中、虫たちが顔を出し始める。洞窟の中にも日常が戻り、皆壊れた巣を直している。

 生き残った小動物も動き回り、空には竜が飛んでいた。



 遠くから聞こえる人の声。言い争いをしているよう。

 何か、嫌な予感がする。



 ◇◇◇


 歩いて来たのははふたりの男だった。言い争いは勢いを増して、今にも取っ組み合いが始まりそうである。


「おい、あんな数いるって聞いてないぞ。」


「それはしょうがねぇだろ。俺が見た時は誰もいなかったんだ!」


「は?そんなの知らねえよ!だいたい、お前の偵察能力どうなってんだ?デバフかかってんじゃねえの?」


「お前、それ本気で言ってるのか?」



 地面を伝う殺気高い魔力。ここで殺し合いを始めるつもりか?ただでさえ朝まで大変だったんだ。面倒くさいことはもうやめてくれ。


 今にも放とうとする魔法の気配は炎の大魔法。ジリジリと、空気を焦がす匂いがしてくる。

 あぁ、この森でそんな物騒な魔法を使わないでくれ。



 俺はひとつの水脈の出口を、ふたりの足元へと動かした。

 雨で緩んだ地面は、湧き出る水によりたちまち液状になる。

 先ほどまでの威勢はどこへいったのだろうか。腰まで埋まってしまつたふたりは剣と杖を手放し、悲鳴をあげて暴れ出した。

 まるで滑稽な様だ。


 やっとのことで抜け出した2人組はぶっきらぼうに叩き合うと、何かを探し始めた。

 俺は見つかるまいと身を潜めていたが、しばらくして遂に俺のことを見つけてしまった。



「お!ここにいい場所あるじゃん。」

 髭を蓄えた小太りの男が言うと、ずかずかと洞窟に入る。

 もうひとりもそれに続き、泥も払わずに上がり込む。

 岩と靴底に感じる、水と土が混ざったなんとも言えない感触。うわ、最悪だ。


 彼らは洞窟の入り口近くに侵入して、身につけた服を脱ぐ。それから、大きな水たまりで服を洗った。

 こいつら、早く出て行ってくれないかな。



 彼らは薪を割って暖をとると、近くの川で捕まえた魚を焼いて食べていた。


 不覚にも、俺の腹は音を立てて鳴った。

 洞窟全体が揺れたのだろう。彼らの驚いた顔といったら、本当に滑稽なものだった。



 いつになったら帰るんだろう。そんな純粋な思いを巡らせているうちに夜が来た。彼らの濡れた服はまだ乾いていない。

 体が細長い男が寝た後、小太りの男は火の番をした。元々交代で番をするつもりだったようだが、結局小太りの方がずっと薪を入れていた。

 こいつは、案外いいやつなのかもしれない。



 俺の期待とは裏腹に、彼らは翌日も出ていこうとはしなかった。

 ここが気に入ったのだろうか。簡単な家具を作って、最低限の生活を送ることができるようにしているよう。


 あぁ、何度思ったことだろう。早く出ていってくれないかな。



 2人組の男が帰ったのは、一週間後であった。待ち望んでいたが、少し寂しいのはなぜだろう。


 彼らを見て、俺が人間だったころを思い出したからかもしれない。俺の中の地下水脈が少しだけ騒いでいた。


 彼らはここを出る直前、壁の岩のひとつに名前を彫って行った。

 天井から大岩を落として潰してやろうかと思ったが、流血が水脈と混ざると嫌なのでやめておいた。

 まったく、命拾いしたな。



 髭の太っている方は"ゲーゼ・リノ"。

 細長い方は"グリング・クルノ"。


 彼らは「行ってきます」と言って出て行った。また帰ってくるつもりだろうか。嫌だな。


 それにしても、"クルノ"というファーストネーム、なんか聞いたことあるぞ?誰の名前だっけ……



 考えているうちに、空は暗くなっていた。

 そんな中、重なった倒木の向こうから不思議に光る球があることに気がついた。黄色というより緑。音は発していない。


 俺に向かって一直線に、ゆっくりと近づいてくる。

 なんだ……あれ。



 ◇◇◇


 気が遠くなるほどの遅さ。浮遊しているようで、倒木の間を揺れながらこちらに来る。


 火の玉と思ったが、どうやら違うらしい。

 黄色がかった緑色は、時々弱々しくなりながら向かってくる。


 空に浮かぶ星座がかなり位置を変えた頃、ようやく光が洞窟の前に辿り着いた。


 光る点のように見えていたそれは、よく見ると人の形をしていた。

 転がっている石ころほどの大きさのそれは、頭をぐったりと下に垂れて、なんとか浮んでいる状態。



 彼女は2人組の男が残した木製の椅子を見るなりそこへ飛んで行き、すぐに体をうずめた。

 まるで温泉に入るように木に溶け込んだ彼女は、小さな吐息をついてから寝てしまった。



 俺は彼女に似た生きものを見たことがある。

 それは俺が初めて水脈を動かすことができたあの時だ。


 かなり前のこと。人間の感覚で言うと、たぶん太古の昔くらい前だ。

 その日の朝方、鳥の糞の中からタネが発芽した。そのタネは最初こそ元気に根を伸ばしていたが、次第に動きが鈍くなっていった。

 水で飢え始めていたのだ。



 目の前の命を助けたい。しかし手が届く距離にいながら、俺は助けることもできないのか。そんな自分を責めた。


 タネが枯れて最後の力を振り絞っている時、俺の中で何かが動いた。今まで感じることしかできなかった水脈が、俺が思う通りに動き始めたのだ。


 早速タネに水脈を繋げると、タネはその日のうちに大きな木に成長し、美味しそうな実をつけた。



 翌日、ひとつの実から人の形をした光が飛び出した。そして俺の頬にキスをして、どこかへ飛んで行った。

 俺は、その光のことを精霊と呼ぶことにした。



 スピー

 スピー


 緑色の精霊が寝ている。顔色はだいぶ良くなったよう。たまに寝言を言いながら寝返りを打っている。

 精霊は倒木では回復できないのかな。あの2人組の男も少しは役に立ったな。

 そんなことを考えているうちに、暗い夜が明けた。



 目を覚ました精霊は洞窟の奥へ行って、岩を触っては外に出てを繰り返している。

 特に何か意味があるわけではなさそう。たぶん、ただ遊んでいるだけだ。

 彼女なら、いつまででもここにいてほしい。


 そう思っていると、ボコボコッという音がして、地面に何かを感じた。

 急いで見てみると、昨夜精霊が寝た家具から根っこが生えて、地面の岩を囲んでいた。


 思わず目を疑ったが、少しの間様子を見ることにする。

 精霊は喜んでいるようで、両手を上げて飛び跳ねている。



 根は俺の中を進み、やがて水脈へと辿り着いた。家具から伸びたツルは壁の岩を掴んで離さない。

 ツルは葉を茂らせて、やがて小さな赤い花を咲かせた。


 3日が経つ頃には、洞窟は緑あふれる空間へと変貌していた。

 灰色一色の世界に、これほど他の色が入り込んだことはなかった。

 俺はなんだか感動して、水脈のひとつが太くなるのを感じた。



 俺は根が水を吸いやすいように水脈を動かし、面倒を見ることにした。


 精霊は心地よく過ごしているようで、たまに外へ出て朝露を集めている。

 なんと可愛い生き物だろうか。


 この精霊を増やせることなら増やしたいな。

 そう思った時、洞窟の奥の方。いちばん大きな岩が、音を立てて倒れた。


 あぁ、まずいことになった。



 ◇◇◇


 鋭く、尖った音が響いた。はじめに一枚の岩が剥がれ落ち、続いていくつかの岩が崩れた。


 またか。緊張の糸が張る。

 前にもこんなことがあった。あれはたしか、マラという魔王が誕生した時のことだ。



 地面の下。地下の水脈よりも、もっと下の方。今まで感知することすらできなかった何かが、ドクンと拍動した。


 水脈より、もっと粘っこい何かが、地を巡り始めている。

 人であった頃の、動機に似た感覚だ。


 拍動は収まるどころか、強く唸るようにして動いている。無いはずの鼓膜が震えて、目の前が真っ白になっていく。一体、この地で何が起きているのか。

 しばらくしてから拍動は徐々に弱まり、やがて感知することすら出来なくなった。



 それから数日は静かな、何も無い日が続いたのだが、事件はその後起きた。

 再び拍動が始まったかと思うと、今回は弁が外れたかのように何かが流れ始めた。


 これはまずいかもしれない。

 水脈と同じように、この流れている何かを動かすことはできないだろうか。

 そう思って意識を向けてみると、少しずつではあるが動かすことができると分かった。



 しかし、その試みが実は間違いであった。

 衝撃を受けたその地脈は形を変形させて、俺の真下で膨らみ始めた。なんとか抑え込もうとしても、俺の力はあまりにも無力であった。


 水脈に触れるかどうかまで大きく膨らんだ直後、地殻が崩壊したような音と共にその地脈が爆発した。

 地下にドクドクと広がっていく粘液のようなもの。

 やがて洞窟内に漏れだしたそれは一点に集まった後、禍々しい力を放出し始めた。


 それから起こったことは言うまでも無い。

 数日後、俺の洞窟内には魔王という存在が闊歩し、その手下までもがうじゃうじゃいる空間へと変貌してしまった。


 それから英雄が誕生して魔王が倒されるまでの長い間、洞窟は魔王軍最大の要塞となってしまった。


 俺は忘れていた。魔王軍の要塞は英雄リノン・ミキにより封印されたが、今もなお俺の奥深くで眠っていることを。



 思い出したくない記憶。悪魔のようなようなあの時代。繰り返してはいけない歴史だ。



 崩れた岩の向こう。砂埃が舞ってよく見えないが、暗く大きな空間が広がっている。

 今の、岩が崩れたあの音は……まさかな……。



 ◇◇◇


 暗い空間に意識を伸ばす。明かりのない、ひんやりとした場所だ。

 たまに生き物の気配を感じるが、それが何かは分からない。


 その空間があまりにも広すぎて、全てを感知することができない。

 どれだけ意識の糸を伸ばしても、最奥に行き着くことができない。

 迷宮のように、いくつもの分かれ道が存在する空間に、俺は全容を解明することをついに諦めた。



 しかし、分かったこともある。

 崩れた岩から少し行ったところ。何かがある。

 円形の広場のような空間の天井は高く、その中に大きな魔力の塊を感じる。

 それが何かは分からないが、俺に害をなす存在ではないようだ。




「おい、こんな草あったか?」


「なかったと思う。もしかしてこの洞窟じゃなかったか?」


「いいや、ここのはずだ。それに、俺が作った椅子もそこにある。」


「あぁ、本当だ……。じゃあ、この洞窟……か。」



 暗い空間に意識を集中させていたせいで気が付かなかったが、洞窟の中に誰かが入って来た。

 見たことある2人組。名前は確か……


 俺は以前、ふたりが名前を彫っていた壁を見た。


 ゲーゼ・リノ

 グリング・クルノ


 たしか、髭の太っている方がゲーゼで、長細い方がグラングだ。

 こいつら、また来たのか。



 ふたりは少し困惑している様子。こいつらが出て行ってから精霊が来て植物を増やしているのだから、当然だ。


 精霊は2人組の男を怖がっている様子。奥の岩の影で身を潜めている。



 そもそも、ふたりはなぜ戻って来たのだろうか。


「なあ。」そう言って太っている方が話し出す。


「なんか、雰囲気変わってないか?」


「そりゃそうだろ。こんな植物生えりゃ雰囲気だって変わるさ。」

 グリングは呆れながらあしらう。


「いや、そりゃそうなんだが……。俺らが前ここに来たのっていつだ?」

 ゲーゼは髭を整えて、洞窟を見回しながら言う。


「前はたしか……ビーン城の任務の帰りだったから……5日前くらいだったか?」


「あぁ、そあだよな。なぁゲーゼ、葉っぱってこんな早く育つか?」


「……うーん。まぁ……こんな、早くはないかもな」



 ふたりは洞窟が緑で覆われていることを不思議がっているようだ。

 実は、俺もそう思う。


 精霊が住み着いてからというもの、洞窟の中の光が当たらないところでも植物が育つようになった。

 さらに、今までは苔しか育たなかったが、今では赤い実をつける植物や、黄色に輝く実をつける植物もある。


 植物に覆われているというか、植物に支配されている、と言った方が正しいかもしれない。


 今までもいくつか精霊を見て方が、これほどの力を持つ精霊は初めてだ。



「それにだ」

 そう言って、ゲーゼは洞窟の奥に指を向ける。


「なんか、あそこ崩れてないか?気のせいか?」


 グリングは目を凝らしてから首を傾げる。

「うーん、前も崩れてなかったか?……というか、俺が記憶力ないの知ってるだろ。俺に聞かないでくれよ。」


「お前、それくらい覚えておけよ。だからいつも偵察失敗するんだろ?」


「はぁ?お前、言ったな?」



 喧嘩が始まってしまった。このふたり、前も喧嘩してなかったっけ?

 まぁ、思い出すだけ無駄だろう。



 日が傾いて辺りが薄暗くなって来た頃、ようやくふたりは静かになった。


 まるで意味の分からないことで喧嘩するのだから、本当に迷惑だった。精霊はもう岩の中で寝てしまって、スピーと音を出している。



「なぁ、あの穴入ってみようぜ。」

 ゲーゼが言う。


「軽々しく話しかけんな。馬鹿が。」


「あん?じゃあお前はここで待ってろ。宝石が出て来てもお前には分けてやんねぇからな。」


「は?こんなクソ洞窟に宝石なんてあるわけがないだろ。」



 何か気に触る会話だ。まぁ、今は許そう。

 崩れた岩の奥に入って行くゲーゼを追う。


 彼は慎重に壁を伝って奥に入り、やがてあの円形の広場に行き着いた。

 そして彼がが円形の広場に足を踏み入れた瞬間、あの魔力の塊が、ものすごい速度で動き出した。

 それと同時ににゲーゼは叫び声を上げて、慌てふためきながら洞窟の外へと出て来て、もう夜で暗い地面を転がって行った。



 思わず呆気に取られてしまった。

 一体あの広場で、何が起きたというのか。



 ◇◇◇


「痛えよぉ、なんだよあいつ……。」


 グリングに治療を受けながら、ゲーゼが呟いた。


「一体、お前は何を見たんだ?」


 器用な手先で治療をするグリングは、一瞬手を止めてから言った。


「一瞬だった。何かが光って……その後一瞬で距離を詰めて来たんだ。あいつが何かは……見てない。」


 そう言った後、ゲーゼは涙をこぼして啜り泣いてしまった。



 たしかに、一瞬だった。もう少し速ければ感知できないほどの速さ。

 しかも、それは暗闇の中で光ったという。

 やはり生きているのか。そして、人を襲うのか。


 まったく、なんて厄介な存在だ。そんな強いやつがなんでここにいるんだよ。



 その時、俺の思考の中で最も最悪な展開を思いついた。

 もしかして……結界が解けたのか?



 リノン・ミキにより封印されたはずの、俺の奥深くに眠る要塞。

 結界が解けて、かつての魔物が地上に出ようとしていると考えれば、この不思議な状況の説明もつく。


 いや、まさかな……。そもそも結界が解けるわけが……。



 ピピピッピピッ

「あ、こちらグリングです。現在、ゲーゼが攻撃を受けて戦闘不能です。応援をお願いします。」


 グリングが何かの魔法を使って会話をしている。

 小さな石と魔法陣を手に、ゲーゼの怪我の様子やこの洞窟の場所を伝えているらしい。


「……はい。……はい……あ、ゲーゼ・リノです。……へ?あ、2日ですか?あ……はい、分かりました。よろしくお願いします。」


 絶妙に役に立っていなさそうな通信を終えたグリングは、どこか得意気に思えた。



 応援が来るのか。応援……そもそも、こいつらは誰だ?

 兵士なのか諜報員なのか。いや、冒険者っていう可能性もあるのか。


 まぁ、それは今はどうだっていい。問題は、この場所が、再び戦争の舞台になる可能性があるということだ。

 数えきれないほどの犠牲者を出した、魔王マラの時代。あの凄惨な光景を記憶しているのは俺だけだろう。


 俺にできることは何かあるだろうか。

 ……うーん、正直思いつかない。



 考えているうちに辺りは暗くなり、野生の魔物が出て来る時間になった。

 あのふたりはずっと草むらにいるつもりだろうか。


 この辺りで一番安全なのは、この洞窟だ。

 魔力の塊も、今のところ円形の広場から出て来る気配はない。


 出て来たら……その時はその時だ。天井の岩でも落として、あいつらが逃げる時間くらい稼いでやろう。




 日が落ちてから、随分と時間が経った。ふたりはまだ洞窟に入ろうとせず、草むらにいるようだ。

 たまに人の気配を察知した魔物がふたりに近づくが、魔法弾を打って撃退をしている。


 俺は疑問に思った。あいつらは草むらから外の様子を見ることはできないはずだ。

 しかし、まるで見えているかのように魔法弾の命中率は高い。



 より細かく感知できるように水脈を動かす。気がつくと、俺は蜘蛛の巣のように水脈を張り巡らせ、ふたりの情報を観察していた。


 そこで分かったのは、彼らが透視の魔法と、念動の力を使っていることだ。

 透視の魔法を使って草むらの外を感知し、念動の力を使って魔法弾の軌道を調整する。


 それにより近づく魔物を発見して、高い確率で撃退することができるのだ。



 これだ。これを使えば、あの魔力の塊の正体が分かるかもしれない。


 この場所を守る。そう決意をした時、空は夜明けを迎えた。



 ◇◇◇


 俺がそれを発見したのは、いつものように木々に水を与えていた時のことだった。



 嵐の夜から時が経ち、この森は回復して来ている。 倒木が重なっていたこの辺りも、今では若木と共に新芽の緑が広がっている。


 それらの成長は著しく、おそらくは精霊の力によるものだと俺思う。

 水脈を動かして、木の根に巻き付ける。大きくなれと願いながら、森の回復を見守る。



 俺は気が付いた。この水脈を動かすものこそ、念動の力なのではないかと。


 2人組の男を見て練習しているその力。

 練習をすればするほどに水脈をより細かく、より遠くまで動かすことができるようになった。



 考えてみれば、水脈を動かすなんてことができるはずがないのだ。

 なぜ俺がこんなことをできるのか、それは無意識に念動の力を使っているからではないかと思った。



 実は、この仮説は正しかった。

 今までどれだけ練習をしても、岩をカタカタいわすことしかできなかった。

 岩を落下させることもできるが、落ちた岩を移動させることはできなかった。


 しかし、水脈を動かす要領で岩に意識を向けたところ、人のくるぶしほどの石ころを動かすことができるようになったのだ。


 最初こそカエルのように飛び跳ねて移動することしかできなかった。

 それでも諦めずに練習を続けて、今では洞窟内では自由自在にコロコロと動かすことができるようになった。

 石ころを洞窟の外に出しても、しばらくは動かすことができるのだ。



 これは、俺にとって革命的であると確信している。

 まぁ、これができるようになって、何の得があるのかは分からないが……。




「グリング、応援はまだか……」

 ゲーゼは昨日より弱々しく呟いた。呼吸は若干荒く、腕も細く萎んでいる。


「頑張れ。あと3日もすれば皆んな来るはずさ。それまで頑張ろう。」

 グリングは彼の手を握りながら言う。目にはうすら涙を浮かべ、しかしそれを見せないようにしていた。



 彼らは草むらから洞窟の中に移動した。崩れた岩の奥に恐ろしい何かがいると分かっているが、中に入らない限りは攻撃されないと判断したらしい。


 彼らの判断は正しいと思う。実際、あの日から魔力の塊は動かない。円形の広場の様子も変わる気配はない。


 俺はいつの間にかゲーゼを応援していた。

 ゲーゼは無事でいられるだろうか。グリングは応援の到着は3日後と言ったが、その情報がどれだけ当てになるのだろう。


 俺にできることは何かないか……



 俺がそう考えていると、グリングが立ち上がり外へ出て行った。

 どうやら食料を探しに行くらしい。


 食料……食料か……。


 何か良い案が頭に思い浮かんでいるが、鮮明にならない。あと一歩、あと少しで……。


 ……あ、そうか!



 俺は洞窟の石ころの中で、先が尖っているものを探して、それに意識を集中させた。

 自在に動かせることを確認した後、助走をつけて精霊の育てている植物へと飛ばした。



 俺が思いついてやろうとしていること。

 それは、洞窟の中にいくつも実っている赤い実を落とすことだ。


 ゲーゼたちは、なぜかこの実を食べようとしない。

 理由があるのかもしれないが、それは知ったことではない。

 今俺にできることといえば、この実を落とすことだけなのだ。


 精霊が怒るかもしれない。しかしその時はその時だ。

 俺は精霊の言葉も分からないし、気持ちも分からない。そもそも意思を持っているかすら分からない。

 ん?そんなやつが……洞窟にいるのか。改めて考えると不思議だ……。


 結論、人間が赤い実を勝手に食べてても大丈夫だということだ。




 勢いよく飛び跳ねて舞い上がった石ころは、少しだけ滑空してから落ちた。

 赤い実には全然届いていない。力が足りないのだろうか。

 もう一度試してみる。しかし、結果は同じだった。


 あぁ、俺の力はこれほどまでに弱いのか。そう思った。

 たったひとつの石ころで調子に乗っていた自分が恥ずかしい……。



 気分が落ちてため息をついた時、何か、赤いものが音を立てて落ちた。

 軽く柔らかい音。その正体は、あの赤い実だった。


 壁を見ると精霊の姿。もしかして、こいつが落としてくれたのか?



 赤い実はコロコロと転がった後、ゲーゼの口元へと運ばれた。


 赤い実に手を伸ばす彼の瞳に涙。

 顎を震わせて実を齧った直後、彼は目を閉じて動かなくなった。



 おいおい、何が起きた。



 ◇◇◇


「こちらグリング、了解しました。……はい、2日……ですか。分かりました。」


 俺が心配していた通り、応援の到着はかなり遅れているようだ。

 これから2日


 ゲーゼが赤い実を食べてから4日が経つ。彼が目を開けることは一度もなく、仰向けになって動かない。

 死んでしまったのかと思ったが、グリングが彼の世話をするものだから、多分生きている。


 しかし、ゲーゼは4日間何も食べていないのだから心配になるところである。



 夜になり草と魔物の肉を食うグリングを見て、ゲーゼが赤い実を食べたのは正解だったのかと考える。


 しかし考えれば考えるほどに、切ない気持ちになってしまう。

 種火を前に目元を拭くグリングの背中が、初めて小さいものに見えた。



 翌朝、朝日が昇る前、グリングは洞窟から出てすぐのところで、こちらを向いて跪いた。

 一体何をしているのかと思ったが、それはすぐに明らかになった。


 彼は空を仰いだり地面に額を付けたりしている。そして、何か聞いたことがない言葉を唱え始めた。

 多分、儀式か何かをしているのだと思う。


 しかし彼から魔力の何も感じないし、特段何か起きているというわけでもない。

 彼のその行動は日が真上に登るまで続いた。

 汗を垂らしながら必死になるその姿に、グリングがついに頭がおかしくなってしまったと思った。


 意外と冷静で仲間を想う男だったが、こうして弱ったところを見ると切ない。

 ただでさえ細かった彼は前よりも細くなって、頬骨が浮き出ている。


 可哀想だ。そんな感情が俺の胸で目覚めた。



 だが、俺に何かできることがあるだろうか。赤い実を食べたゲーゼは目を覚さない。一応練習している念動の力も、無力に等しい。


 あぁ、俺はなんて残酷なんだ……

 悠久ともいえる時を過ごしながら、賢者とも呼ばれずにただここにいる。

 未だ自分が何者かすら分かっていない。



 いや、俺は洞窟か。それ以上でもそれ以下でもない。

 目の前のグリングを見て思う。

 あぁ、俺はなんて寂しいんだ……




 それは突然だった。


 吸い込まれるような感覚。

 視点が上がるような感覚。

 地面から引き上げられるような感覚。



 何かが身体中をうごめく感覚がした直後、洞窟の地面から、何か切り株のようなものが生えた。

 両側に間隔を空けて突き出た後、洞窟の奥に導くような道ができた。



 一体、何が起きている。

 グリングを見ると洞窟の奥に向かって激しく祈りを捧げ叫んでいる。


 精霊を見ると、緑色から赤色に変わり、切り株に頬をついてこちらを見る。




 今、何が起きた?


 遠くから聞こえてくる、数人の足音と話し声。


「おい、あれ!」


「グリング!こんなところにいたのか!」


「お前ら!グリングを保護しろ!ゲーゼも探せ!」



 応援部隊の駆けだす足音。

 笛が鳴くと、違う方向からもいくつもの気配が近づいてくる。



 何かが、始まろうとしている……



 ◇◇◇


「なんて場所なんだ……」


 応援部隊が到着してゲーゼを回収した後、指揮官と思える人がそう言った。

 肩幅が異常に広いその人はリュウノというらしい。


「神殿騎士の経験があるものはいるか!」


 リュウノが叫ぶと、すぐに数人が返事をして駆けて来た。


 神殿騎士……たしか、魔法に関する能力値が異常に高い者の俗称だ。



「この洞窟を、お前たちはどう見る?」


 リュウノがそう問うと、集まった皆が口を揃えて「危険な場所」だと言った。



 さらにひとりの騎士が言う。


「私の記憶が正しければ、この洞窟は魔王の神域です。何かが眠っているかもしれません。」


 リュウノはひとつ頷くと、何も言わず洞窟から離れて行った。



 ゲーゼは無事だったのか。その答えは案外早く分かった。

 遠くで、杖をついたゲーゼがグリングと再開しているのが見えたのだ。


 何を話しているのかは分からないが、本当に生きていてよかった。そう思って、深い安堵の息が漏れた。





 応援部隊は洞窟を囲むようにテントを張っている様子。


 ゲーゼとグリングはいちばん右のテントの中。おそらく負傷者用のテントだ。

 鎧を着た男が数人、ベットの上で仰向けになっている。


 リュウノがいるのは真ん中のテント。

 周りには他の指揮官と思われるものの影。そのほとんどが顔に傷を負って、歴戦の猛者であるように思えた。


 神殿騎士と呼ばれた者がいるのは左のテント。杖の調整をしたり、魔導書を読んだりしている。

 他にも大剣を持った人が数人見える。



 水脈を伸ばして、少し会話を聞いてみた。

 やはり、皆はゲーゼを話題にしているようだ。


 彼を称える言葉が飛び交う一方で、疑問に思っている者もいるよう。



 神殿騎士のひとりが言う。

「おいおい、そんな実があるなんて聞いたことないぞ?」


 それを聞いた大剣を持った男が口を開く。

「そもそも、ゲーゼのやつはなんで生きていたんだ?その実がバケモンだったからって話か?」


 神殿騎士は磨いている杖を横に置き、手を広げた。

「なんでもよ、その実を食べた途端に意識失っていたらしいんだ。だが何か夢を見たらしくてよ、女の人が語りかけてきたらしいんだ。」


「女ぁ?どんな女だ?」


「ワンピースを着た背の高い女だったらしい。でな?ゲーゼ曰く、加護があらんことをって言われたらしいんだよ。」


「はぁ?なんだよそれ。バカバカしい。」



 うん。本当にバカバカしい。加護?ワンピースの女?

 幻覚でも見ていたんじゃないのか?



「まぁ、全ては明日分かるさ。明日の昼頃に聖騎士が到着するんだ。その時あの実のことも、この洞窟のことも分かるはずだ。」


 神殿騎士はそう言うと、席を立ってテントを離れた。




 夜。

 皆が寝静まってから洞窟に忍び込む数人の姿。

 応援部隊の末端兵士らしい。どうせ宝探しにでも来たのだろう。


 彼らは洞窟を一通り探索した後、奥の岩が崩れているのを発見した。


 音を立てないように忍び込んだ後、彼らは円形の広場までゆっくりと進んだ。


 そして広場に足を踏み入れた直後、魔力の塊は震え出して、末端兵士たちに襲いかかった。

 悲鳴が聞こえるよりも前に、彼らの気配は消えてしまった。



 ◇◇◇


 ゲーゼとグリングを先頭に、リュウノ、神殿騎士、聖騎士が続く。

 そして洞窟の最奥、崩れた岩のところで立ち止まった。


「行くぞ。」


 聖騎士団長の一言で、皆が武器を構える。




 聖騎士の一行が到着したのは明朝のこと。

 空にいくつかの気配を感じたと同時に、マントを纏った男が稲妻の如く現れた。


 フードを深く被って、顔はほとんど見えない。


 神殿騎士は整列をして出迎えて、リュウノは部隊を率いて平伏している。



 ブライトと名乗った男は、中央のテントに入って行った。

 中から少しの間談笑が聞こえて、その後作戦会議が始まった。

 ついに、円形の広場の調査に向かうらしい。

 細かい作戦や人員の配置など、調整が続いた。



 午後、ようやく作戦会議が終わったらしい。テントから笑い声が漏れ始めた。



 しばらくすると、ブライトが出てきて、洞窟の中に入ってきた。

 洞窟を覆う植物を興味深そうに観察する彼は、白紙の本を取り出して模写を始めた。


 この洞窟のツルは、地面に近いところには小さな棘が生えていている。天井の方では葉が生い茂り、完全に岩を覆い隠している。


 その特徴を全て捉えて、その説明まで書いている。いつの間にか10ページを描き終わると、赤い実に興味を持ったらしい。

 間近で観察して、指で突いたり硬さを確かめたりしていた。



 ずっとフードを被って苦しくなったのだろう。

 深く被っていたフードを少し上げて、目元のみを隠すように被り直した。


 高く伸びた鼻筋が綺麗だ。そう思って、少し見入ってしまった。




 夜。

 ブライトを中心とした部隊が円形の広場へと続く道を歩いて行く。


 洞窟の中ほど綺麗に感知できないのがもどかしい。

 せめて、色だけでも認識できれば……



 そう嘆いていると、部隊は円形の広場へと踏み込んだ。

 やはり、魔力の塊が反応する。


 しかし前とはちがって、部隊の様子を伺っている様子。



 すると、聖騎士の気配が一気に大きくなった。

 力を解放しているのか、魔法を使おうとしているのか。


 魔力の塊は素早く移動を始めて、何か攻撃をしている様子。

 神殿騎士がシールドを発動して一旦は防ぐが、次の攻撃には間に合わなかった。

 数人が倒れ、洞窟の外に運び出された。



 傷を負っている様子。負傷した者を見る限り、魔法を伴った物理攻撃を受けたようだ。



 次々と神殿騎士が運び出されて行く中、ついにブライトの気配が最大となった。


 ブライトの魔力が一瞬、超大なものになったかと思うと、一瞬で魔力の塊との間を詰めた。


 直後、塊の気配が霧散して消えて、ブライトの気配だけが残った。



「任務完了。」


 ブライトのその言葉が聞こえて、部隊に歓声が湧いた時、突然目の前が暗くなった。




 一点の光と共に、何かの記憶が蘇ってくる。


 これは……一体の魔物と、英雄?


 もしかして、英雄レオか?




「ブライト様!こちらに来てください!壁画を見つけました!」


 広場にリュウノの声が響いたとき、俺の視界は真っ黒になって、意識の底に沈んだ。




 広場の壁画。それはおそらく、英雄レオの英雄譚が記されたもの。

 その封印されていた歴史の塊は小さな洞窟から解き放たれたのだった。

洞窟が主人公の変わった者を書いてみました。


時系列を整理して、長編にも挑戦してみたいと思っています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ