THE GNOME/02
夜明けと共に、清掃ロボのドックでのバッテリーの充電は終了する。
朝陽に晒された清掃機は、別の役割に切り替わる。
シューベルトの野薔薇が古いスピーカーから校庭に響く。
デジタル上で認可を終え、サインインされた自動清掃ロボはそれぞれ固有のアバターを空中に投影した。
若い少年少女の姿は間近で見ても、高解像に表示されており、足元さえ見なければその場に立っている人間と変わりなく見た。少年少女に向かって飛んできた燕は表層だけ感触のある人体にぶつかり、空洞化した少女の体の中で再度、衝突しスカートからポロリと落ちて不可解な物理現象は一瞬の錯覚だろうと不思議な出来事を即座に処理して飛び立った。
少年少女は個別に、その場にいるリアルな人間と同じような動作をして、校舎に向かっていった。
別に、仕事なんて、しばらく休んで旅行にでも出掛けていいのだ。
不自由ない世界は、なんでも不自由だからだ。
私は、かつて学校だった場所にコスプレのような格好で、20世紀末の漫画の世界で見たような学生服を着て、朝日が差し込む教室に立っている。
頑丈さだけが取り柄の、昔の学生が使っていた彫刻刀で掘り出したかつてのバンドの名前や、同級生同士の恋愛を揶揄した言葉が書かれた机の上に、拡張グラスをつけてアナログのノートと鉛筆を持って授業を受けている。
拡張グラスの視野には、物理的に記録された物質の延長上の落書きが出てくる。
20世紀の落書きの机に、拡張現実の十数年前の、現在より描画の解像度の低い落書きが上書きされていく。
過疎化前後のここが地元だった当時の、今の私と同じ年齢ぐらいの人たちの落書きがこれだ。
卒業式の黒板落書きのテクスチャが、グラス越しに現れる。
ARモードのグラスに映る歴史の縦軸が変わるごとに景色は変わる。
それをVRモードに切り替えるとコンクリート打ちっぱなしの教室に切り替わる。
過去ではなく、現代。
歩く動作でVR上の扉に対して開く動作をする。
扉の現実的な重みがアバター越しに伝わる。
推定、向こうでの現実では私のアバターが扉を開ける動作をしているが、その足元の投影機が赤外線センサーに反応して自動ドア機能もある教室の扉が開くだけだ。
「おっ、おはようございます」
『現在』の東京のクラスメイトに音声で朝の挨拶をする。
「おはよー」
声が返ってくる。
本当は、家でも、外でも、どこでも授業は受けられるのだ。
私たち家族の使う管理地であるこの旧校舎に、別にこなくてもいい。
授業も、リアルタイムじゃなくてもいい。
過去の授業の映像の再生でも何も問題はないし、AIの補助なしでアナログの回答を監視付きの場所で行い、理解力を添削してもらえば技能と知性の取得は社会的に認められる。
だけどそれでは、私はだめなんだ。
過去のパンデミックや地殻変動の大災害で人は移動の制限によるストレスで不調をきたすことが証明されている。
ストレスが解消しない自宅での学習や仕事での成果より、移動して活動してその都度社会的役割と自分の区別をつけなければ、精神的な切り替えにならない。
そういう生命活動を人類が繰り返してきたため、リアルタムコミュニケーションがないと人は「落ち着かない」のだ。
朝起きて、顔を洗って、服を着替えて、移動する。
この様式が崩れた時、自堕落に環境に甘えていこうとする。
別にそれでも生きてはいけるが、それは生きているだけなのだ。
なんの目標もない私は、そっちにいくと、絶対に自分がダメになると悟っているので自分を律するために活動し、授業はコストの高い稀有な……他人のリアルタイム、人生の時間を消費して受ける約束の元に旧来のアナログ的な様式を希望し、デジタルのアバターを人工過密地域の学校においてもらっている。
拡張グラスから見えるのは、都会の学校のリアルタイムの景色そのものだ。
都会は田舎よりデジタル化していない。旧来のインフラを活かすこともまた、社会を安価に健全に安全に済ませる方法だ。私以外にもアバターを介するデジタルの学生は何人もいるからそこまでの特別感はない。
人間関係に問題が発生すると感じている私は、基本はオールチャットで音声もなし、こちらのリアルを写しておらずアバター状態だ。
これは自分に足りないコミュ力を鍛える訓練だ。
だから、挨拶もするよう努力はしている。
音声会話が苦手な私のアバターは仮想のタブレットを手に持ってそこにチャットが反映され向こうに意思が提示され意思疎通をする。
勉強よりも、デジタル上でも円滑に人間関係を続けるのは難しい。
別に喋ることもできるのだが、私は自分の言葉がみんなと少し違うカタコトな発音にコンプレックスを持っており、放課後はそういう生徒を集めた教室の部活動にも参加している。
アバター状態で放課後、高校を歩き回る。
アバターは3D投影されている。接触情報はフェムト秒レーザー(触れる投影技術)経由で私にも擬似的に伝達される。表面にはテクスチャを貼っているので全ての扉も自動扉であり「開く動作」「動く動作」を反映させて周囲の環境が変化する。プライバシー空間などへの移動は物理的に阻害されているし、簡易歩行と通信システムに限られた私の分身は学校の中の限られた自由空間を動き回る。
普段の授業中や休み時間は、リアルの延長感覚だ。
だけど、世間話で聞く学校の近所の美味しいデザートや、みんなが購買で買っているドリンクを飲むことに対して、共感しがたい壁がある。
アナログコミュニケーションは同世代感の共感性と将来の社会へ出た時のコネ作りだと言うことは人口が国家運営維持ラインギリギリに達したこの国では徹底的に叩き込まれた共同体政策でもある。
それでも、共通の話題を持ってデジタル越しでも共感性を持った同世代の価値は、固有のものとして処理しきれない価値として現在まで存続している。
卒業までに、私もクラスメイトや部活の仲間にリアルタイムの素顔を出して、少しでも友達を作らないといけない。
このまま……ずっと一人かな、と思うと頭がおかしくなりそうだった。
アバターで嘘をつき続ける私は、過呼吸みたいになりそうな衝動を抑えて、教室の外から見える家とは全然違う景色を見て落ち着こうとする。
そのまま、さらに仮想のVRグラスをつける。
仮想の世界では鮮やかな夕日は消えて、私の家の周りを超えるデジタルメガストラクチャー(容量はメガどころかペタ以上)の構造体が視界全てを覆っている。
窓ガラスを開け、空を見上げると、遥か彼方の星と共に黄昏に染まった四角い窓のような空が見える。
ここはまるで、黒い深海か、崖の底のような場所に見える。
自分の家の周辺を遥かに超えるデジタルで累積された何かが、東京も街も見える仮想の視野に映る全てを構築している。
グラスを外し、夕日に染まる現実の街に切り替える。
ドボルザークの「新世界より 家路」が流れ、学校の玄関のアバターボディ置き場にいく。下足箱の靴を取り出す動作後、学校を出る演出が行われ、私の仮装の学校が終わり、景色がゆっくりとリアルな私だけの現実の教室に変化する。
あのゲームの世界で第一宇宙速度超えで動ける機体が現実に存在していれば、東京の学校までは三十秒もかからずに到着するのに、現実だと3時間以上はかかる。秒速8キロは現実の世界で容易に移動はできない。
現実と仮想現実じゃあ、随分と違うものだ。
いつか、ちゃんとお世話になっている先生にもリアルで挨拶に行きたいとは思っている。
でも、それは同時になんだか面倒だな、という気持ちもある。
ゲームの小遣い稼ぎは、そのためにしているようなものだ。
窓の外は夕暮れ、私は一人家路に着く。
その夕暮れに、動く影。
そこには私と同じ姿をした「何か」がいた、気がした。
そして、いまの素顔の私を「見られた」気がした。
数日前東京の先生のフリをした何かをみたいに。
遠雷が響く。夕暮れを隠す入道雲。
影がいた場所を見直す。
誰もいなかった。
夕方からの雨の音が窓から響く。
寝る前に、ネットで昔の映画を見た。
常にテレビ放映されている人生をショー扱いされてる男の映画だ。
両親は出張でしばらく帰ってこなくて、私だけがこの場所にいる状況と似ている気がした。この世界に自分だけしか存在していないのではなかろうか、という妄想が一瞬だけよぎり、馬鹿馬鹿しいと意識を切り替えた。
アバターは、コンプレックスの裏返しや理想の自分を投影する場合が多い。
「私」は自分の表現媒体として日本の田舎の女生徒として扱っているが、実際のところ風呂の前の洗面台の大きな鏡に映る自分の姿は別物だ。
その姿や普段の動物であるという自己体験が、自分だけの世界なわけではないだろという現実の自然の厳しさで知っている。
その上、私のような非凡な出自は常に自分を規定しないといけない。
戦争や、移民で、私のような「そういう人間」が増えているとはいえ戸籍も育った文化も使用言語も日本ではある。少しは血も流れているが容姿はそれから外れている。
それでも、人と人は違っていて当たり前でもそれを悪辣に言われることに心は疲れるのだ。
私は数世代前で言う「普通」ではないが、なるべく普通でいたい。
普通ごっこをするのに、アバターとオンライン授業は適している。
廃校の外に出ると夕暮れに、定位置通りにカカシが立っていた。
私の見間違えかもしれない。
家路に着く。
頭の中では、ドボルザークの音楽が響き続けている。
都心のリアルな学校では夕暮れだったが、そこより以北にあるここではとっぷりと日は沈み、カエルの鳴き声が星空に木霊している。
携帯端末に通知が来る。
親からか、と思ったけどオンラインゲームの新イベントの予告だった。
過疎ゲームのチャンピオンになっても、なんの価値もない。
運営はこの新イベントの予算を設けず、新規のサービスでも出せば良いのだ。
ログインボーナスも面倒くさく……仕事の手伝いや自己学習で遊びをする暇もなく、今年の春から始まったオンライン学習での人付き合いも少しはまともになってきた。
ゲームはというと、実はコミュニケーションの少ないバトルメインの死にゲーだったのだが非常に細部にこだわった内容が気に入ってはいた。
あの宇宙では、私はナンバーワンではあったがそれは、この田舎で一人でいる自分と変わらない。
誰にも認められない場所で私だけしかいない世界で一位でも意味はない。
いまの私をリアルな誰かに知られることもなく、仲良くなることもなく、一人も寂しい。
ずっとわがままだけど、この世界で私ができることは勉強とゲームと家の仕事だけだ。
イベントは二週間ほど先のようなので、一応のログインをしてから眠りについた。
夢だな、と分かる。
学校の教室で私は黒髪を揺らしながら、ノートに黒板を写している。
窓から見える景色は、しばらくの街並みの後四方八方を覆う巨大構造体、教室内の明かりは蛍光灯型LEDが強めに明るく輝いている。
メガストラクチャは胎動し、世界の物理的結界構造を更新し続けている。
シャーレの限界を超えた栄養過多のサンプルのガン細胞が幾重にも重なってやがて陽気の限界を超えていくように、私たちの生活圏の上層部を現在進行形で包んでいく。
放課後は、部活動だ。
自転車置き場にうずくまる巨大な人形に見える歪な奇形の私の機体。
ムーンバタフライの胸が開き、そこから足掛けワイヤーが滑り出す。
私はそこに存在しない心臓の代わりのように入り込む。
いつものように、そこに足をかけ機体に乗り込み、構造体のはるか上層に向かって移動する。
移動は物理エネルギーの原則とは違い、セル情報を空間ごと書き換えてずれていく。
世界の分子構造密度を情報の塊と捉えて重力化での物理エネルギーの消費を抑えるために空間全体を包んで大気圏まで上昇する。
空間の密度の減少と重力圏から離れるごとに上昇速度は鈍くなっていく。 大気圏にはちょうど構造体の頂上がある。
そこに立つ。
果てがないように見える高地だ。
コクピットを開ける。
現実ではこの場所はただの空の上であり構造体はデジタル情報だけで出来上がった残骸だ。
夢だな、とわかって立った金属かセラミックかよくわからない構造体へコクピットから降りて立つ。
本当は呼吸なんてできないはずだ。
左右を見回してもいくつかの地上への亀裂と遠くの崖の向こうの空が見えるだけだ。
遠くの鏡に私と同じ姿が見えた気がした。
「私の想像力にしてはリアルだな」
自分の喉を通して出る本物の声で目が覚めた。