Scarecrow/
「いつか、ヌードルストリート行ってみたいな」
放課後、 ハルカ達と分かれたアゲハはゴーグルを外して帰宅の準備をする。
夕日の赤と黒と白い壁のコントラストが強烈な放課後の廊下の奥に影。
強烈な日差しの赤い玄関にアゲハのアバター姿のハルカが立っている。
「あ、ハルカさん」
聞こえていないのか、返事がない。
元がぼろいドローンだったはずだから、送受信の機能かマイク機能の故障もありうるな、と考えながらアゲハはハルカに近づいていく。
「ハルカさん」
もう一度、声を掛ける。
肩を叩く。
すり抜ける。
フェムト光線で作られた接触は向こうにも伝わる。
その声と感触に気づいたのか、ハルカのアバターもアゲハに向かって振り向く。
データの遅延か、ゆっくりとアゲハの方向に首を向けていく。
その目は、いつもと違って光がない。
いや、目の前のアゲハを見ていない。
傾けた表情はアゲハの正面を過ぎる。
人間の関節の限界を超えて首を捻じる。
バグだろうか、と思ったとき、首が捻じ切れた。
ぼとり。
仮面のような顔ーハルカーアバターの自分の顔が落ちて割れた。
その顔のあった場所は、黒塗り。
見上げる。
無機質な底のない黒い宇宙が顔面の形で張り付いている。
声を上げることもできず、アゲハは見ているしかない。
宇宙の奥から何かに見られている感触。
-Wecome to the machine-
無機質な空っぽの壁のような顔に、一瞬だけ白い文字が浮かぶ。
人の形を保ったテクスチャが光のない宇宙に張り替えられていく。
そこに人らしき理性は喪失している。
無表情な宇宙のテクスチャのヒトガタに染まり、目玉と制服はそのままに、ドローンの速度のまま襲いかかってきた。
うち履きのまま、アゲハは玄関の電動バイクに飛び乗る。
農作業用の聞き慣れたドローンの音がする。
サイドミラーに先程の清掃用ドローンが破壊した自分のアバターをベースにした無表情な化け物の姿を投影したドローンが手足をぶらりと垂れ流しながら、糸に結ばれたマリオネットが無理やり飛ばされているような軌道で飛んでくる姿が見える。
更にそのドローンの音が増えていく。ぶら下げられた人形が歪な物理法則で飛んでくる。
電動バイクで逃げているけど、どこへ行けばいいのか。
この山全体のネットワーク圏外……国道沿いの山を超えるトンネルが理想の場所かとそこまでのバッテリーは持つ。
総確認してアクセルを握り込む。農作業用のドローンは時速20キロ前後だが個人の趣味でカスタムしたのでその倍は出る。その速度以上で電動バイクでアゲハは飛ばしていく。
ドヴォルザークの「家路」が村の時報で大音量で流れる。
『聞こえるか、私の声ー』
かつての村の案内を兼ねたいくつもの防災行政スピーカーから、ひび割れた家路の音を上書きするように、澄んだハルカの声が響く。
『そのまま走りつづてくれ。いまから狙撃する』
アゲハの見たバックミラーで見えない巨大な弾丸が貫通したアバターが崩壊して破裂する。
祠堂のアバターの崩壊と、同じ破壊。
続けて幾つも連続してアバターがガラス細工のように破裂していく。
プログラムが破壊されたドローンはそのままボトリと墜落直前に初期化し充電器地に戻っていく。
すべてのアバターが破壊されドローンの姿を取り戻していった。
『あーテステス、もう止まっていいぞー。全部撃破した。実戦より全然遅いから止まっているようなもんだわ』
アゲハは、電動バイクを止める。
『私の姿は別の階層だから、ARグラスでよろしく』
いわれて即座にARグラスをアゲハはオートチューニングで合わせるとゲームの世界の具足が等身大で空から降りてきた。
巨大な無機質な発電機と良くわからない空港。
自分が、この前組み上げたばかりのパズルの生成で出来た場所のこの景色は自分の住んでいる景色とはまるで違っている。
別種の広大な無機質な空港じみた施設はハルカの具足のために存在するような基地となっていた。
そして具足のコクピットから慣れた調子でワイヤーづたいに宇宙服のようなものを来た人間が降りてきた。
「調整も済んだみたいで何より」
マスクからはくぐもったまま、防災用のスピーカーからはクリアな声が響く。
ぶつん、とスピーカーの停止のノイズが響く。
「はい、アバターじゃない私の姿がこれだよ」
ゲームと同じ服装のヘルメットが自動で開いていき、中から良く見慣れた学校のハルカの顔と同じ物が出てきた。
違いがあるとすれば、ショートヘアーで体全体の色素が薄いことだ。
ハルカと感触のない握手をアゲハは交わした。
「ゲームだけど、私にはここが現実だ。ようこそ、Cirrus Minorの世界へ」
アゲハは普段のゲームの世界より、濃厚な情報密度に息を呑んだ。
「助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
リアルのハルカと同じ表情で眼の前のハルカも答えた。
「ほら、情報密度が濃いだろ、そっちの投影じゃ再現できないんだよ」
本物の人間にしか見えないこの世界のハルカの姿をアゲハは見た。
「あんたのアバターは私がこっちにアクセスしやすかったようにアイツラにとってもちょうどいいアクセスの入口だったから気づくのが遅れてごめんね」
「いえ、どうして襲われたかわかりませんが助かりました」
「天才様はこれだからまいるよ」
呆れた口調でハルカはいう。
「私の場合はオリジナルの調査で出来る程度の抗体だったんでしょうけど、天才様の場合はオリジナルもプレイヤーもアゲハだけだから反撃手段の少ないここで処分する気だったんでしょ。ここじゃあタダの人間だしね」
「処分」
「ここで貴方を殺すつもりだったってわけ、アイツラ」
アゲハは他人事のように思っていた異世界の敵のストーキングの対象が自分への殺意を持ったことを初めて意識した。
「もう索敵しても、あんたのアバターはオリジナル以外のコピーは全部なくなった。このあたりはこの施設の抗体機構で大丈夫。旧型のシステムだけどこれでもうSea13の侵入はない」
「じゃあ多分この世代前後に生成された世界の残骸なんだ」
「たぶんね。放っておけばいつか攻略しに来るでしょ。これじゃあ安心して寝られないだろうから、さっさとやっつけよっか。これでお互いの精神衛生を保てるってわけだ。倒してスッキリしよっか、天才様」
ついさっきのリアルなハルカと同じようなことを言う。
自分の死とそれは同義かもしれないのに、不安のない顔をするハルカ。
アゲハは自分が選ばれてモデルとされることなく、ハルカが選ばれた理由をその精神性の違いだと察した。




