Flamig/01
運命、という言葉が嫌いだ。
私の人生を、勝手に決めないで欲しい。
私、須見ハルカの目の前の景色は浪漫ある言葉が、ただの単語になった景色だ。
「あー、うん、ムリ」
鈍い音と、小さな悲鳴が聞こえたので即、通報。
路地裏をこっそりと覗く私の頭を超えて、治安用ドローンが飛んできた。
赤色ランプが輝き、サイレンを鳴らしたとき、私の初恋は終わった。
粗野な暴力を振るったデートをする予定だったガタイの良い彼氏候補は、治安用ドローンからの治安維持を促すAIの警告音声に従わなかったので、テーザーが打たれて大きな体をビクビクさせている。
「……あっ、くっそテメエ、ハルカ、うッ」
あ、動いたから、もう一発テーザー。壁に向かって痙攣してから倒れた。
こういうとき、気づいたからって私の名前を呼び捨てにしないでくれ、頼む。
サイレンが近場から鳴った。警察官がすぐ来るだろう。
その前に通信アプリでサクッと犯罪予定者をブロック。
めっちゃ逆恨みされそう。最悪。
「ケーサツくるから、あんた、そこで休んでな、じゃあね」
見覚えのある推定カツアゲされてボコボコな被害者に、聞こえていたかどうかわかんないけど、自分とのデート資金のために殴られていた可能性を考えて私はさっさと逃げる。服が同じ高校なのでバツが悪い。項垂れているので私の顔を見られる前にとんずらだ。
責任はないが、気分は悪い。
今日はどこかでやけ食いでもしようかなんて考える。
AIの健康指向の食事はいかがですか、とかいう意見を無視してお気に入りのチェーン店の込み具合をチェックして足を最短ルートで向けて店舗に進む。
ゲリラ豪雨、精度が高いはずの天気予報のアプリが外れてアーケードに進む。折りたたみ傘はない。アーケード内のお気に入りのハンバーガーチェーンには多くの人だかり。
さっきより太陽を塞ぐ雲で光のトーンがオチた街で店舗の前の電光掲示板はくっきりと輪郭をはっきりさせる。生成情報汚染の影響で営業停止と表示。
「最悪だ」
携帯端末を見ると「生成情報汚染率上昇につき地域情報をデフラグ中」と出ている。
周囲を見ると地域全体の情報汚染が跳ね上がった結果、デジタルが介在するものは一時停止ばかりだ。
ラーメン屋やそば、うどんが並ぶ、誰が呼んだかヌードルストリートを抜けていく。
前から気になっていた20世紀から取り残されたような喫茶店に入る。
オータム68と看板に書かれているが、1968年創業なら100年近く前ではないだろうか。
古い店特有のタバコ臭さも、かび臭さも、良くわからないこびりついた匂いもない。湿度を感じさせないからっとした空調の音がかすかに響く。生演奏のような音を鳴らすジャズが流れている。ジャンルはよくわからない。それに混じって、微かなコーヒーを啜る音とケーキを食べる皿に当たるフォークの音。
微かな甘い香りと、コーヒーと紅茶の香りが程よく店内に残留している。
先客が何人かいる。
天気予報が外れたのもチェーン店が人でいっぱいなのも情報汚染のせいだ。
コーヒーとケーキを注文してカフェインと糖分で心を落ち着け雨が止むまで待つ。
初めて入った店だが大当たりだ。
敷居が高いと感じる古いお店も入ればどうってことはない。
シンプルなケーキもコーヒーも多少のイライラを抑えていく。
金色の装飾が剥げかけた歴史を感じる皿も、黄色い薔薇の描かれたカップも、赤い革張りのソファも雨上がりで強い日差しになった夕日がオレンジに染めていく。
そして会計をしようと考えて、現金がないことに気づき、携帯端末を見るも地域全体のデフラグまでもう少しかかるようなので、この店舗がデジタル決済ができることを信じてもう1杯コーヒーをおかわりした。
朝、起きてみるなり端末はオフライン。
母が用意した朝食を食べながら滅多にみないテレビを付けると再度デフラグとランサムウェアの被害の拡大のニュースが出た。
一部公共交通機関、サーバー事に被害が異なるので使えるサービスと使えないサービスの一覧をAI音声が読み上げていた。
「マジか」
昨日のボコされた男子生徒と鉢合わせがしたくないので学校にそれなりの言い訳をして、ほとぼりが覚めるまで一週間ほどリアルな学校を休もうと思った矢先、オンライン授業が消えてしまった。
ダメ元とわかりつつ髪をアップにし、化粧をせずに学校に向かう。
地下鉄はいつもより人が多いだろうからとバスで向かう。
バスは普段は無人運転手だが今日は有人だ。人の手で運転しているため制限していて、どちらにしても人でいっぱいだった。
座席に座るなりネットワークに繋がらないスタンドアロンの携帯音楽プレイヤーで古い音楽を聞く。
プレイリストにずらっと『吹けよ、風、呼べよ嵐』『大人への躍動』『生命の息吹』と何度も聞いた曲が並ぶ。
聴覚過敏の私は、程よく世界から音をシャットダウンしてくれるプレイヤーを手放すことはできない。
校舎の玄関に複数いる遠隔用のアバター端末は全部、頭を垂れている。
アバターが投影されていない白い端末はまるでマネキンかカカシのようだ。
街全体の一般オンラインの使用制限が強いため普段より校舎に人が多い。
身体や物理的距離のある都合のある教師や生徒はその姿が見えない。
教室に入るも名前も知らない彼は登校した痕跡すらなかった。
なにか問題が起こるかと思って登校すれば何事もなかった。
いつもはオンラインだけのクラスメイトの端末の設定を触ったり対処をしているけど今日はそれすらない。ウチのクラスの5体のアバターは動くことも移動することもなく、ずっと玄関で野ざらしだった。
いつもよりノイズが多くて耳が疲れる。雑音が増えたくらいで滞りなく放課後が訪れた。
昨日の夕立が嘘のように朝から快晴が続いていた。
世界がオンラインになる。
通常どおりに戻りました、という端末への通知が届く。クラスメイトも歓声を上げ、画面越しの祠堂先生は安堵のため息を付き、このまま安定すれば明日からはいつもどおりのスケジュールで行くと告げた。
「ハルカさあ、久しぶりに帰り一緒にバーガーショップでも行く」
サブカルショップで買ったものフル装備、校則内、いくつかのカラーエクステが黒髪の内側から差し色で入っている出で立ちの幼馴染の石坂トワが小声で話しかけてきた。リアルで会うのは二週間ぶりだ。おっせかいがクセの彼女らしくて安堵する。
「今日は特に予定ないからいいよ」
今日の私を察する友人には感謝だ。
「たしかにアレじゃあ、コミュ部のコミュニケーション以前の問題だからな」
トワは窓から見えるスキンレスのアバター端末達をクリっとしたアーモンドアイで見ながらため息を付いた。
「そんなわけで、私のデートは消えたのだ」
「最悪じゃねえか」
共感するどころか、呆れた様子でポテトを食べることも忘れた隙にトワのモノをもらっていく。
「しかも私に黙って、いつの間にかデートとかありえねぇ。その捕まったって奴は誰よ」
「1個上の先輩の斉木だっけか。なんか私のことに対して俺の道だとか訳わかんないこといったんで面白いから付き合おうと思ったわけ」
「あー、あのちょっとうるさい人か。まあ、ちょっとやべえ雰囲気はあったかもな」
「そういうわけで、誰だか名前は忘れたあのギーク相手にどうすりゃいいか悩んでいるわけよ。ひょっとして取り調べが続いているのか、それとも怪我が酷いのかワケわかんないし、朝礼でも終礼でもなんにも先生言わなかったし、もー、最悪」
「お前、クラスメイトの名前覚えてねーのかよ、私も人のこと言えないけど。水口だろ、水口ヒビキ。しかしまあ、恋愛とかデートよりシャカイセーギ実行できたのはいいと思うよ、ロマンは死んでるけど、あ、ナゲットもらうぞ」
「そりゃそうだけど、それスルーして楽しくデートとか出来る図太い神経持ってないよ、私」
「それでデートしていたら友達やめてるって。じゃあ何か、今のコレ、デートの代わりってやつか」
「まさか、ただの愚痴聞いてもらって感謝と今後の指針とか手伝ってもらえると良いかな」
トワは人のフォローに優れているので私みたいなテキトーなやつには適している。適切な答えを概ね出してくれる。
「トワはなんか予定あるんじゃなかったの」
「んー、コミュ部の部員とかにリアルであって驚かせようかな、と思ったんだけどちょっと先延ばしにするわ。あんたがトラブルあってなんかあって会えなくなったらやだし」
「友の旅立ちを遮ったようで複雑。私もついていけばよかったかな」
「一緒に走り回って旅行もいいけどね、暫くはナイトゴッコしてあげる」
寝起きに、学校用の学生向けアカウントから通知が来ていた。詳細は省かれていたが、刑事事件を起こした学生として斉木の停学処分、トワからも通知が来た。
地下鉄で学校に向かう。玄関に5体のアバターの姿はない。
教室の扉を開くとアバターの同級生たちは、普段のテクスチャを貼った状態で着席していたり、自由に行動している。
『お、おはようございます』
黒髪姫カットな美少女アバターが挨拶をしてくる。
「オハヨ、佐藤さん、今日もよろしくね」
『よ、よろしくお願いします』
佐藤さんは遠隔地から、この学校でアバターを使って授業をしている。
相当な恥ずかしがり屋なのか、人付き合いが苦手なのか、普段は文字だけだ。チャットAIと違うのは挙動が人っぽいからっていう程度で私からその判断は難しい。
たまにキョドった肉声で音声会話もするので、人間だとは思う。
まあ、身体的な都合の場合もあるので、そこは本人が言わない限りは触れないのがマナーだ。
少し前の席に、昨日は居なかった水口が顔を突っ伏している。それでもガーゼと包帯は見える。
トワも遅れて入ってくるなり水口を見てマジか、という表情になる。トワは素直な生き物なので表情にすぐ出る。
二人揃って私を神経衰弱させたいのか、いや私が勝手に苦手意識を持っただけだが。
着席するなり、水口は立ち上がり顔の半分近くを絆創膏とガーゼで覆われた顔で近づいてきた。
「須見さん、ありがとう、通報してくれて。対した礼なんてできないけど、きちんと言いたかった」
私より背の低い彼が傷ついた童顔を真っ赤にして言った。
「アタリマエのことだから気にしないで。あんたも誰か助けてね」
適当に答えてしまった。
これで解決したのだろうか。
放課後、オンライン上で授業に参加していた佐藤が声をかけてきた。
いつもはチャットなのに、珍しく音声だ。
『今度の、夏休み前に、会えますか』
まだ見ぬクラスメイトの姿に興味がないというのはウソになるし、生真面目で少し変わり者のこの田舎者に案内をするというのはまあそれなりに楽しいだろう、と思って約束をした。
「改めてよろしくお願いしますね、佐藤さん」
世界というのは私の知らないところで勝手に決まって勝手に振り回されるのだろう。
「よお、我が愛しのハルカ」
放課後、学校を出るなり一番会いたくない人間が私とトワの前に現れた。
「斉木パイセン、あんた停学くらったんじゃないのかよ」
「通報はちょっと待て、気持ちはわからないでもが大事な話があるんだ」
「えー、じゃあ私が通報していいの? まだしたことないからちょっとドキドキなんだよね」
トワがタイミングを見計らいながら携帯端末を通報直前の画面にして見せびらかしている。
「あー、なんか勘違いされてっかもだけど、俺も勘違いであのオタクくん殴ったんだわ。それは彼には謝りたい。でもそれが話のメインじゃないからコーヒーショップ、俺のおごりでいいから話聞いてくれないかな、危険を感じたら通報してもいいぞ」
トワと顔を合わせ、
「じゃ、ケーキ付きで」
「マジでキモいんだけど」
運ばれてきたケーキを食べながらトワが私の気持ちを代弁してくれた。
眼の前の印刷された紙には盗撮された私の町中の写真といえの前の写真、そして詳細な黒塗りありの観察レポート。
「これが俺の端末に鍵付きで送られてきて開いたらこれだったわけだよ。中身は証拠品として警察に出してあるし、これもまあ証拠ってことで印刷されたやつなんだが、もうサイトはないんだよ」
「というと」
「この印刷物は俺のログから抽出したやつで、このサイトを作った奴の履歴を辿ったらお前らのクラスの水口ってヤツだった。問いただしたら、すっとぼけられたと思って殴ったらお前が通報したの」
「マジで、あいつ私のストーカーなの」
そういう気配は感じないというか感じたくもない。
「いやそれが違う。だから問題あるんだよ」
「というと」
「水口にはまったくもってハルカを探った経歴もないよ。ストーキングした経歴もないし、寧ろ興味がゼロだったレベルだよ」
私に魅力ないのか。
「あのオタクくん……リアルに興味なしとか」
「いや、それはないと思う」
「で、言い難いんだが、俺がハルカとデートの約束をしてから盗撮写真が送られてくるわ、移動経歴も送られてくるわで流石に不気味だったよ」
印刷物を見るとデート当日のヌードルストリートを抜けた喫茶店までのGPS経歴まで出ている。私がケーキを食べている写真もある。
「キモ、パスワード今すぐ変えるわ」
「一応、情状酌量ってことでさっさと出してもらったけど被害者はお前なんだからな、気をつけろよ」
「えらくスムーズじゃないの、普通もっと取り調べとか厳しいもんじゃないの」
「素直に証拠出して普段の素行も犯罪歴もないし身内もいたからスムーズに退署した」
「オタクくんは特に問題ないの」
「今のところ白だよ。俺はあいつへの加害者だからな、悪いことしたので流石に停学明けにまた学校で謝るよ、やりすぎた。警察でも頭下げたけど、あれじゃあ駄目だわ」
「まー、暴力は暴力だしね、アレ、顔、痛そうだったよ、パイセン」
「デフラグとか色々タイミングが悪くて真犯人を過去のデータから探るのは難しいんだとさ。そういうのに詳しいやつとかいないのかよ」
三人の携帯端末に同時に通知が届く。
「うえ、まじかよ」
「キモ」
いまさっきの私達三人を撮影した写真がそれぞれの携帯端末に表示された。
「とりあえず今回取調べした警察に伝えておく」
周囲に今は誰も居なかった。
トワといっしょに家の前まで来てもらって別れる。
自室に入り、カーテンを閉める。
自分がなぜストーキングされているのか理由が分からないまま、眠りについた。