山ン本退散仕ッたる后
「山ン本退散仕ッたる后」
「只今退散仕る」と山ン本五郞左衞門が尻上りに言い置いて、稻生平太郞の家の、縁側の沓脱石から、庭の石灯篭までにゅうっと片足を伸ばして下駄の歯を引掛けたと思ったら、その灯篭を踏台にして、高い練塀を一足に跨ぎ越え、塀の外の柿の木よりも五尺ばかり上空にぶら下がった小さな駕籠に大足を突っ込むや否や、するするぱたんぱたんと畳み込まれるように収まって、髭奴、槍持、傘持、鉄砲持、弓持、挟箱持、長持担、徒士、馬廻、近習、馬の口取、草履取、茶坊主、御太刀持の御小姓などなどの体を装った化物共――さして広くもない庭にわさわさひしめき合って、剰え、うねらうねらと伸び縮みしていた百鬼を引き連れて、空の彼方、あっと言う間に星影の向うに消え失せた、その晩からいささか后のこと――
さて、どうも釈然としないのは神ン野惡五郞である。
有体には、肚の虫がむしゃくしゃ収まらぬとでも言うべきなのだが、そういう激したような、情緒的な表現は遣いたくなかった。
神仏さえも謹み避けるという天魔の首魁たる地位からして、そこは泰然自若、鷹揚に構えて置かねばならぬ。
それでも――
三千世界の魔王を称する山ン本五郞左衞門が、十六歳の気丈な少年、稻生平太郞を驚かそうと奮闘したのは、寛延二年の七月。
手を変え品を変え、平太郞少年を脅かしてはみたものの、幾ら遣ってもその正気を失わせることは叶わなかった。一月もの長い間、毎日毎夜、狼藉の数々を試した挙句に、遂に山ン本は諦めた。
平太郎を誑かして、その正気を失わせるというのは、山ン本にとって、もう一人の魔王、神ン野惡五郞との、第一番の天魔の王たる地位を賭けた真剣勝負の一環であった。
化かしそこねた結果、山ン本の負けが確定し、真の魔王たる座は神ン野に譲り、悔しいことにその下位に甘んじざるを得なくなった。
一方、賭けに勝利した神ン野としては、得意の絶頂にあってしかるべきなのだが、先にも述べた通り、実際は全然そうでなさそうに見える。
慥かに、山ン本との勝負には勝った。全く以て、勝つには勝った。
そうだ、勝ったのだ!
勝ったるがゆえに、天魔の首魁たる地位も、山ン本から吾輩に殊勝にも進呈せられたのである――何度もそう自分に言い聞かせ、終いには、自らに納得を強いるが如く、わが頭とわが胸にこんこんと説いてもみたが――、やはりどうにも釈然としない。
本当に余は勝ったと言えるのか?
勝つには勝ったとは言え、思えば、悉皆は山ン本の独擅だったではないか――
神ン野がこの日本に何時から存在したのかは、誰も知らない。本人も知らねば、人の記録にも、神仏の御記憶にも無かろう。
彼の業は、人間――万物の王と僭越にも自ら任ずる、身の程を知らぬ、畜類の一に過ぎぬ人間に対して、畏み忌むべき禁足の場を所々に設け、そこに光物を点じて警告するとともに、近付く者あらば祟る――ただ、それだけ。
物の本などには、吉備は比熊山の千畳敷にある大杉の頂を灯したとあるが、何もこの地のみに限る話でもない。
諸処の禁足地に光物を出し、人近付かば祟る、近付かねば唯耀うのみ――何のために、かくなる業を行うかと問われれば、そんなことは神ン野は知らない。また、神仏とてご存じあるまい。
しかるに、彼はそれを自らの業と得心して、何ら思案は無かった。そもそも思案の余地なしと思うことすらなく、ただ当り前に只管に、己の業を千年、万年と倦むことなく続けていた。
そんな折――
発端は、源平相争う砌であった。天竺、唐を回って、本朝に遣って来たるは山ン本。しかして、神ン野の許に到りて曰く、
「三千世界の魔王、東方碧海弧島の天魔に申す。我しばしここに留まらんと欲す。しかれども、天无二日、國非二君と謂う。倭地、汝と我と二魔領くには些か狭し。勝負を為して、真に君臨すべきは、誰かを決せん。いかに?」
神ン野にしてみれば、意外であった。誰かは知らぬが、何とも思いがけず、的外れなことを言い募る者が遣って来たものよと思った。
「余は、唯定まれるところに基づき、定まれる業を行うのみ。余、天魔なるものの何如なるかを知らず。余自ら、その魔にてありともなしとも、思ゆることも非ざりき。貴方、余、いずれか、また誰か、日本を領すべき者あれかしとも思わず。もとより、余自ら現下に領ける由も無く、嚮後において領らんと欲する心算も無し。余は余の業を為すのみ。貴方も御身に定まれるところを行わるるが宜しからん。もし、日本を領るが貴方の業と定めあらば、そを為さるべし。余は敢えて否やとは申すまじ」
あっけらからんとした調子で、そう神ン野が答えると、山ン本、極めて感じ入ったる体にて、
「成程、然く思さば、然くはあるべし」と恐縮至極の面持ち。
たちまち神ン野の面前から消え失せて、それからあとはどうなったか、神ン野も詳細は知らない。
何でも、王家だか源氏だか平氏だかの何某かに肩入れしたとかしないとか――いずれにしても、後鳥羽院の御隠れになる頃合いには、すでに本朝を後にしていたという。神ン野がそのことを知ったのは、さらに数年の后。
爾来数百年、神ン野は泰然自若として自らの業に徹している風であった――しかし、実は内心そうでもなかったらしい。
山ン本にあのようにそそのかされて、神ン野の胸底にも「色気」が少しずつ湧いていたようである。
一体、あの者の言うたとおり、余は天魔というものなのだろうか? この日本を領くべしと定められているのだろうか? あの者に言われるまで、全く気が付かなかった……
しかし、一旦かかる念に捉われると、みるみる俗化の坂を転がり下るもの。
その堕落を、別の言葉で、自我という。
神ン野は従前の如く、べかりべかりと光物を出し、近寄る不遜かつ愚昧なる人草を祟り殺しながらも、一方で少しずつ自我を膨らませて行った。
さて、櫻町院の帝にあらせられし折であったか、山ン本が再び本朝を訪うた。今度は何でも、出雲の大黒に断りを入れて来たらしい。そして、この度も、神ン野の許へ――
「天无二日、國非二君と謂う。この狭い倭地を、御身と身共と二魔が領く訣にも行くまい。そこで勝負を為して、真に君臨すべきは、誰かを決せんと思うがいかに?」
数百年前に、聞いたような口上である。
神ン野が応える。
「余は、唯定まれるところに基づき、定まれる業を行うのみ」
ここまでは、数百年前の文言と同じ。しかるに、その先は少しばかり違っていた。
「かくあれど、余が領すべきこの地に貴方の来れるは、少々迷惑。勝負というは、いかなるものか?」
この返答に、山ン本の顔は一瞬意外の色を見せたが、須臾の后に莞爾となって輝いた。
「さるはよし。勝負というはさてさて、次の如し。すなわち、万物の王を自ら任じて愧じぬ人間に、戒飭を与え、万一矩を踰ゆる者あらば、これを懲するは吾人が慣。しからば、格別に豪胆不遜なる人間の出でば、その十六を数うる年にこれを甚く怖れせしめ、増長慢の鼻を挫くべし。その百人を懲せんに御身と身共といずれか早き。先に百人に到れるを三千世界に君臨すべき天魔の王、魔王中の魔王と為すはいかん」
これを聞いて、神ン野は非常に困った。かくも作為的な賭事に加わり、汲々となっているわが身とわが心とを想像し、それを善しとしなかったためである。
そこで、
「さる袁彦道には、余は加担すまじ」とやや渋面を為して答えたところ、山ン本も少しく困った風に首を傾けていたが、やがてはたと手を打ち、頷きながら、
「倭地にあっては、いかにも御身先達にて、新参なるは身共なれば、その序に従うべきは仕方あるまい。しからば、御身は変わらず御身の業を続けなさるが宜い。身共独りにて百人を誑かさん。百人に到らば、身共をして首魁なりと認められたし」
実のところ、その展開に神ン野は大いに弱ったが、山ン本の勢いに気圧されて、思わず頷いてしまった。
それを見て嬉しそうに山ン本が続ける。
「さてさて、実は、かかる宿願は先に来朝仕りし折、かの源平争乱の最中に密かに企てたりしが、そこから数百年、天竺、唐と幾度も経巡りて今日に至るまで、既に八十五名を誑かし畢んぬ。これをば、此度の賭けの数に入るること能わば祝着に存ずるが、可なりや?」
互いに約する以前の手柄を盛ろうとするは実に横着至極。その手前勝手なる申し出に、神ン野は、更に渋面を強めた。さりとて、山ン本如きに怯み、多少の無理を拒むも口惜し、魔王にふさわしかるべき威厳と余裕とを示すべしと衒った。
「一向に吝かならず」
山ン本は、いよいよ顔を輝かせ、
「その意気やよし。されば、八十六人目は、備後は三次の稻生平太郞なる者、極めて肝太きが、あと数年にて十六となる。これをば、致さんと存ずる。宜しく、御照覧あるべし」
そう言うが早いか、挨拶もそこそこにさっと飛び去った。
さて、それからというもの、神ン野の胸裡は冷や冷やしていた。
そもそもは、門徒の言う念仏三昧の如く、われとわが身とを顧みることもせず、われの地位を思うことなく、われの何たるかを知らんと欲する念さえもなく、定まれる業に千年一日、万年一日の如く、べかりべかりと、ただただ勤しんできた神ン野である。しかし、初めて山ン本に会った日から、胸中徐々に迷いと我執とが生じ、二度目に山ン本の顔を見てからは、その煩悩執着が一挙に、かつ、爆発的に膨らんでしまった。
あのような約束をしてしまったが、山ン本が果して本願を達してしまったら、どうなるのだろうか? 余は山ン本の手下として、その下働きの如き業を行うはめになってしまうのであろうか? それは何とも口惜しい。あの約束の時、八十五人を勘定に入れてしまったのは、今思えば、何とも失態ではなかったか……
殊に、山ン本が稻生に事を構えて一月は、毎日毎夜、はらはら心をかき乱され通しであった。事の成り行きに一喜一憂し、遂には、わが光物の業も疎かになりつつあった――山ン本の狼藉に耐えていた稻生平太郞が、毎日毎夜、あのように剛毅に堂々とふるまっていたのとは対照的に――
七月晦日の晩、一月もの間、気丈にも正気を失うことなく対応した平太郞の勇を、山ン本が大いに讃えて退散したのは、読者諸賢ご案内の通りである。
神ン野は山ン本の敗北に心からほっとした。
ほっとすると同時に、山ン本に触発されて肥大化した神ン野の自我は、些細なことも敏感に思い煩うようになってしまった――三千世界の天魔の王たる地位にも拘らず――
そもそも、これまで何万年にもわたって神ン野は名というものを持たなかった。名と称する記号によって、その存在の境界を画して規定されるなどということは、原初より永きにわたって無かったのである。ありえなかったのである。
その真面目はと言えば、混沌のあわいにありやなし。色とも空とも分かたれず。要するに、名を持たねばならぬほどの単純かつ軽薄なる存在ではなかったと言える。
しかし、あの辞去の場面において、平太郞の前で、山ン本は自らの仮名を示すのみならず、こちらの存在までをも明らかにした。剰え、勝手な名付けさえ行った。
「我は是、三千世界の魔王の類。もとより人間にあらず。狐狸とも、天狗とも、鬼神とも異なれり。名をば――、さよう、日本にては、仮に山ン本五郞左衞門とでも告るべけんか。我と等しかるべき者、日本にてはあの者を措いて他には存せず。仮にその名を、神ン野惡五郞と申すべし」
この瞬間、神ン野は名も無き無限の茫漠から、「神ン野惡五郞」なる枠がはまった、有限の実存へと陥ってしまった。
山ン本に出会う前は、かような次第は毫末にも念頭には浮かばなかった。
しかし相見て以来、天魔と規定され、日本を領すべき者と規定され、三千世界の真の魔王と規定され、遂には「神ン野惡五郞」なる固有の名付の軛によって、いよいよ自我の虜囚に堕してしまわざるを得なかったのである。
山ン本の恣意的な名付けによる、その名自体にも、神ン野の不平は存した――氏たる「神ン野」は少々気に入らぬながらも、まあよろしかろう、しかるに、「惡五郞」とはなんぞや。
善と悪とのいずれかに解を置くような、安直かつ陳腐な名告がどうにも腹立たしかった。そもそも神ン野は二元論が嫌いなのである。
さて、稻生の一件の后、万物の王を以て任ずる人間の世に、山ン本は中々にその名を馳せた。
当時、多くの人々の口に、噂話として上るはもとより、『稻生物怪錄』やら『三次實錄物語』やら絵巻物やらになって記録として残り、平田なる学者の研究の対象ともなった。
のちの代になってからも、山ン本の話は、少なからぬ文士の筆に好まれ、更には講談やら戯曲にもなり、何よりも、好事家の怪しげなる興趣が著しくも向かうところとなり続けている。
他方、神ン野の存在はと言えば、せいぜい山ン本を語る折の付録にされる程度。人々の多くは神ン野なんぞに、特段の関心を払おうとはしない。
山ン本と対峙した稻生平太郞改め、武太夫正令も、生前、たまにあの去り際の山ン本の面影を思うことはあっても、神ン野の名などすっかり忘れているのが常であった。その武太夫も世を去って二百年、いよいよ神ン野の印象は世に薄れ切っている。
明々白々たる自我を得てしまった神ン野にとって、そのように世間から軽く扱われることも、非常に癪に障る話であった。
畢竟、人間にあって、魔王たる地位の実質は山ン本こそが得ていた。神ン野では決してなかった。
山ン本から進呈された、三千世界の天魔の首魁たる地位など、鉄道八十周年だか何だかを記念して、かの百鬼園先生が一日を限りに貰った「東京驛名譽驛長」の称にも如かず――
したがって、高原という人が『神野悪五郎只今退散仕る』なる本を出してくれた時は、大いに嬉しかった。
光物の業の真髄については記されていなかったが、描かれている「神野悪五郎」の様子は颯爽たるものだった。ただ、その姿と実際のわれとわが身とを引き比べてみると、何やらそこはかとない寂しさを覚えもした。
さて今宵、神ン野は日向と大隅の境にある韓國岳の山頂にあって、光物を出す業も行わず――思えば、もう百年以上、光を点したことも、人を祟ったこともない――、一晩中星辰の動きを眺めていた。
やがて、東の方がほのぼの明るくなり始めた頃――
はるか北の空を西に向かって飛んで行く山ン本の駕籠と何百もの眷属の姿が目に入った。
今も、変わらず大勢の鬼たちを引き連れて、あちこちを渡り歩いているらしい。羨ましい限りである。
余にはもとより、付き従う一、二の眷属すら無し――天頂に瞬く星を眺めながら、そっと自らに呟いてみた。
何だかその声は、随分とかすれて彼の耳に響いた。
<了>