第8話 鉄砲伝来
(一説によれば)1543年、種子島に100人ばかりの異国人を乗せた船が漂着する。
異国人といえばおおよそ漢人であろうと思われたがどうやら違うようで後に『南蛮人』と呼称される彼らは赤い髪や髭を拵えていたという。
漢人の通訳によれば、彼らは粗野であるが交易がしたいだけだと言ったため、品定めがてら上陸を許すことになった。
許可を出した大隅国の種子島領主だった種子島氏はこの時の品定めに参加しており、その威力に目をつけ、火縄銃を1丁1000両で2丁、合わせて2000両で購入した。
種子島時尭はこの火縄銃を国産化しようと躍起になっていたのだ。
だが火縄銃国産化への道は茨の道であり、鉄砲の筒の後ろを止めるネジの作り方が分からず、暴発事故で鉄砲を作っていた職人の矢板金兵衛は目に大怪我をしてしまう。
それまで日本史にはネジという概念は存在せず、悪戦苦闘していた。
これほどの事故を経験した矢板金兵衛であるがそれでもネジの作り方は理解できず、別のポルトガル人に娘を差し出してやっとネジの作り方を会得するといった執念深さであった。
鉄砲伝来から一年後の1544年には悲願である火縄銃の国産化に成功し、1丁が幕府に、もう1丁が種子島氏が仕える島津家に献上された。
この2丁の火縄銃が日本の歴史を大きく狂わせる……はずだったが、これは『貞親教訓書』によって予言されていた可能性がある。
幕府は鉄砲が伝来してからすぐさまこの火縄銃の研究を命令した。
全国有数の刀鍛冶が集められ、すべてが見たことのない新技術で散りばめられたそれをしばらく呆然と見つめている他なかったという。
特に金具を固定していた釘に捻じれを加えた「ねじ」の存在は鍛冶屋に衝撃を与えたと言われている。
閑話休題、堺や国友、根来の鍛冶屋たちはこの未知の道具の模倣に一応のところ成功を収める。
しかしながら火縄銃を発射するには火薬、その原料となる硝石が必要になるわけだが、残念ながら日本では硝石が全くと言ってもいいほど採れない。
前述の通り、硝石は日本では全く硝石が採掘できなかったのだ。
このため当初は需要は東南アジア産の硝石に大きく依存していた。
これを解決したのが名も無き百姓であるとされている。
硝石を最初に生産していた場所は世界遺産に認定された白川郷だとされている。
その閉塞的な地勢故に一次資料に乏しいが、二次資料によれば床下から硝石が採れることに気が付いた百姓が硝石丘法を確立。
それを伊勢貞親が持ち帰り、研究に没頭したのだという。
大量生産とはいかないが当時としては安定した硝石の生産に成功することになるが、幕府がカラクリの開示を要求するまではその技術が広がることはなかった。
そのため、実質的に弾薬を生産できるのは幕府のみであり、安定供給できるという強みを持っていたのも幕府だけだった。
幕府はこの鉄砲の威力を刀や槍を超える兵器と捉え、許可のない製造を禁止し、鉄砲を所持する勢力を日本国内では幕府軍だけとした。
だが実際には密貿易によって九州の大名は何丁かの鉄砲を保有していた。
硝石の輸入ルートも確立していたため火薬の備えも充分であったが、しかしたかが数百丁程度では室町幕府軍の数千丁以上もある火縄銃には敵わない。
幕府はさらに増産を続け、堺は鉄砲の街として工業都市として繁栄を極めたのだった。
この増産要請に応えるために堺の鍛冶屋が出した結論が工場制手工業と分業である。
実は薩摩国では鉄砲の密輸を成功させるだけではなく、密輸ルートの整備、更には秘密裏に種子島の製造に着手し薩摩国単独で国産化に成功していた。
けれども幕府軍の造る鉄砲とは数も品質もまるで違う。
堺と薩摩では製造工数は5倍から10倍の開きがあったとされ、鍛冶屋の数も冶金技術も生産設備も上をいく堺鍛冶屋に薩摩の鍛冶職人では勝てるはずがなかった。
品質でも勝負にならず、暴発が多発していた薩摩産のそれと比べ、堺産の火縄銃は安定して作動した。
後に鉄砲座によって発刊された『工場論』によれば、「(前略)例えば銃を一丁作るだけでも、ネジを作り、様々な金具を作り、それに付随する弾薬も用意しなければならない。これにはそれぞれ専門の知識を必要とするが、一つの専門知識を有する者がそれぞれ集まり流れ作業的に製造することで同様の条件下でも生産効率は圧倒的な向上を見せる。(後略)」という。
但しこれが実現できたのは幕府による手厚い保護があってこそだという指摘もある。
当時としてはあまりにも先進的すぎて個人では誰も追随することは出来なかった。
そもそも小規模な分業ならばそこら辺の村でも行われており、伝統的工芸品も分業によって作成されていたものが多々ある(問屋制家内工業)。
堺鉄砲座による分業論の真の強さは工業制手工業による工期の短縮、教育カリキュラムの単純化によって、初心者であったとしても簡単に職人を促成できるところなのだ。
あまりにも突飛なこの書籍が300年後にベストセラーとなることは当時誰も考えてもいなかっただろう。
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