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第34話 ウィーン体制

やっと文字数が3000字前後になりました。私見としてはこれが適正だと思いますが、どうでしょう?

 歴史のフォーカスを日本国内から世界に当ててみる。

 日本で革命とそれに伴う内戦、そして維新が達成されている間に、欧州ではフランス革命が大嵐を呼び起こしていた。

 市民階級が不満を爆発させたこのフランス革命において、貴族や王族を大量に処刑したことから封建的な周辺各国からの支持を得られず、革命の波濤を食い止めるべく、幾度か対仏大同盟を組んでフランスを総攻撃した。

 しかし絶体絶命のフランスに現れた救世主がナポレオンであった。

 ナポレオンは対仏大同盟を何度も打ち破り国民的英雄となった。

 イギリスこそトラファルガー沖海戦によって完敗したことで上陸に失敗したが、陸上では負け無しだった。

 だがロシア遠征の失敗で多くの兵士を失うと再度結成された対仏大同盟によって敗北。

 捲土重来をかけて返り咲いたナポレオンをワーテルローの戦いで打ち破り、二度と欧州に戻ってこられぬようセントヘレナ島に流刑となった。


 戦後、欧州各国はウィーン会議(当然日本の席はない)にてフランスへの復讐心から多額の賠償金と領土の分割を求めようとしたが、オーストリアの外相メッテルニヒはフランスの敵愾心を煽るだけだとして一蹴。

 またフランスが凋落すると必然的にロシア帝国やイギリス帝国が覇権を握るのは確定的だった。

 それに復讐に燃えるフランスが再三再四の逆襲を行ってくる可能性も拭えなかった。

 どちらにせよ、フランスを弱体化させることは中長期的な目線で見れば悪手であると見込んだメッテルニヒはフランスへの徹底報復に反対の立場を取ったわけだ。


 そのため、フランスに対しては少額の賠償金で済ませて欧州の勢力均衡に努めたのだ。

 ナポレオンが打ち立てた衛星国は全て解体され、それぞれプロイセンやオーストリアなどに割譲された。 


 既に市民革命を成し遂げていた日本とイギリスは大陸のウィーン体制とは全くの無縁だった。

 国王や皇帝に比肩する存在は国内に君臨していたが、その権利は大きく削がれ、その実態は「君臨すれども統治せず」という一言に尽きる。

 フランスは革命の波を波及させようと目論んでいたが、火の粉が飛んでこなければ他の帝国や王国にとって市民革命とは対岸の火事である。

 だがウィーン体制はフランスを王政復古の道へと逆戻りさせることになり、欧州においてイギリスのイデオロギー的な孤立を如実に示している。

 対してイギリスは「栄光ある孤立」と国内外にアピールしたが、ボーア戦争やギニアでの国境紛争などでその無理が祟ると日本と接近した。

 反目しあうことは互いの利益にならないと考えた二国は次第に強固な同盟関係を構築する。

 予てよりの係争地であったペナン島は日英の共同軍事基地となった。


 欧州ではメッテルニヒ主導のとも、各国は革命の意思を挫くために奔走する。

 1815年にイギリス・プロイセン・オーストリア・ロシアの四カ国による四国同盟、オーストリア・プロイセン・ロシアの三カ国は神聖同盟を締結し、ウィーン体制を打破しようとする勢力を各国は協調して弾圧にあたった。

 革命の発起人となったフランスも王政復古が起こり、賠償金の支払いが完了したことで1818年に四国同盟に加わり、この同盟は五国同盟となった。

 ロシアは欧州の警察として機能し、国境を越えて民衆運動の弾圧を担った。

 1820年に発生したピエモンテのカルボナリの蜂起、1823年のスペイン立憲革命などに対して各国は積極的に武力干渉した。

 だがスペイン立憲革命の対応を巡って、元々乗り気ではなかったイギリスが脱退したことでこの同盟の暗雲が立ち込める。

 決定的だったのが1821年から発生していたギリシア独立戦争への対応である。

 フランスとロシアが積極的に独立勢力を援助していたのに対し、オーストリアは民族運動の高揚を恐れて反発したことで同盟に亀裂が走る。

 結局のところ、他国のナショナリズムの高揚には無関心であり、各国は国益を第一に行動していたのだ。

 ここまでして独立運動を阻止しようとしたオーストリアであったが、残念ながら阻止することは出来なかった。

 秘密警察の能力はお世辞にも高いとは言えず、国民の内に秘める民族主義を見透かすことが出来なかった。

 もはや彼らは単一のオーストリア人ではなく、それぞれの民族としての自覚を持ち始めていた。

 1848年に恐るべき事態、すなわち革命が勃発してしまう。


 通称、『諸国民の春』である。

 発端はフランスで発生した二月革命だ。

 当時フランスは選挙権はブルジョアにしか許されておらず、ブルジョアはある種の特権階級と化していた。

 首相が発した「選挙権が欲しければ金持ちになり給え」という言葉は当時のフランスの選挙について如実に表していた。

 こういった状況であるにも拘らずフランス政府は市民を宥めるどころか普通選挙の実施を拒否し、これが市民の反感を買った。

 2月、パリに集結した市民はルイ=フィリップに対して退位を要求し、革命が勃発。

 この革命は当初成功を収めていたものの、穏健派と急進派の対立が深刻なものとなり、足並みは全く揃わず失敗に終わる。

 しかし市民にとって二月革命の歴史的意義は大いなるものだった。

 メッテルニヒが汗水たらして構築したウィーン体制が崩落する音が既にオーストリアにも迫っていたのだ。

 フランスの二月革命の情報がドイツ連邦に伝達されると混乱が波及し、ドイツ連邦の諸邦で次々に自由を求める市民のデモが発生した。

 さらにベルリンやウィーンにも被害が拡大するとメッテルニヒはウィーンから逃亡したことで失脚。

 オーストリアは国内に抱える多民族の革命騒ぎを止めることが出来ず、ハンガリー人によるハンガリー民族運動、チェック人によるベーメン統一運動、イタリア人によるミラノ蜂起といった諸都市で蜂起やデモが勃発し、収集は困難な状況に陥った。

 この期に乗じてドイツではドイツ民族の統一国家を模索するようになった。

 5月にドイツ統一を目指してフランクフルト国民議会が執り行われたが、オーストリアを除いた小ドイツ主義とオーストリアのドイツ人居住域を含めた大ドイツ主義、そしてドイツ人居住域とオーストリア全域を含む中欧帝国構想が対立し、議論は紛糾した。

 中欧帝国構想はオーストリアによるドイツ連邦の併合ともとれるがドイツ人国家を目指しているにもかかわらずオーストリア内の非ドイツ人が混入することになってしまい、統一国家としての地位が危ぶまれていた。

 かといってオーストリア人は自国を分割することになる大ドイツ主義に反対し、小ドイツ主義もそれはそれで覇権国は間違いなくプロイセンになることからドイツ連邦の諸邦とはしごを外されたオーストリアがこぞって反対意見を示すなど、議論はまとまらなかった。

 当初こそ蜂起軍に対して高圧的に対応していたオーストリアの皇帝フェルディナンド1世は妥協を見せ、事態は収束に向かうと思われたが、実際は思わぬ方向から事態が収束する。

 フランスで六月暴動が鎮圧されたことから神聖同盟側に追い風となり、風向きは完全に変わった。

 12月にはナポレオンの甥であるルイ=フィリップが大統領に就任し、共和政は形骸化、後に彼は帝政を復活させることになる。

 オーストリア軍はサルディーニャ王国を撃破しミラノ蜂起を鎮圧したのを皮切りにハンガリーはクロアチア人と協調して対応。

 さらに欧州の憲兵たるロシア軍の到着により事態は好転した。

 ベーメン民族運動はドイツ人とチェック人の対立により足並みが揃わず、結局オーストリア軍に鎮圧されてしまった。

 こうして国内の革命騒ぎを鎮圧した新しい皇帝フランツ=ヨーゼフ1世は革命に加担した人間を大量に処刑したことで革命の終結を宣言する。

 だが、被支配地域のナショナリズムの高揚によって次第に列強は革命の阻止よりも利権の獲得を優先するようになる。

 結局1848年革命でウィーン体制が崩壊し、列強各国の利害の対立が鮮明となった。

 1853年に勃発したクリミア戦争はウィーン体制の崩壊を決定的なものにした。

書き貯めが無くなりました。次話からは不定期となります……。


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