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第29話 日英戦争

 日本とイギリス・フランスの戦争はベンガルだけでは終わらなかった。

 なんと、イギリス・フランスの連合艦隊がペナン島を急襲したのだ。

 ペナン島は日本のインド洋唯一の海軍基地であり、対欧州の最前線であった。

 それ故に防衛のために並ぶ砲門の数もなかなかのものになっており、合計200門近くの大小様々な砲塔が地平線に睨みを効かせていた。

 その地平線にマストが見え始めたとき、ペナン島守備隊は戦争が始まったことを知ったという。

 日本イギリス間の外交危機は最前線であるマレー半島には伝わっていなかったのだ。

 実際イギリスの宣戦布告はかなりギリギリのものであり、仮に最速で情報を届けようとしてもペナン島まで間に合わなかったと言うのが通説であり、これは事実上の宣戦布告なしの奇襲攻撃だった。

 突然の敵軍の襲来にも拘わらずペナン島守備隊300名は粘り強い抵抗を示し、イギリス軍が上陸を開始する頃には一夜が明けていた。

 救援に駆け付けた星島の艦隊はその規模に驚愕する。

 英仏連合艦隊のその規模は大小合わせて100隻は下らないという大艦隊であった。

 艦隊と幕府はその規模を見誤っていたと言わざるを得ない。

 敵がイギリス東インド会社軍程度の戦力であると過小評価を下していたが、実のところロイヤルネイビーが既にセイロン島から出撃していたのだ。

 目付はセイロン島に軍が集結していたことは周知してたものの、その意味は掴み損ねていたのだ。

 艦長はその弱腰を避難されながらも犠牲者を増やすだけであるとして救援を諦めた。

 その間艦砲射撃が弾薬庫に着弾し、爆発事故を起こしたにも拘わらず決死の覚悟で防衛を続けたことは今でも語り草となっている。

 流石に砲弾も尽き、上陸を成功されてしまっては抵抗する手立てはなく、最期は総員将軍の名の元に果てるのだった。

 その活躍ぶりはイギリスの新聞でも「オーガ」と呼ばれるほどだった。

 幕府はペナン島守備隊の決死の死守によって事態の深刻さを把握した。

 また、同日つまり開戦から一日後マラッカ要塞と星島港要塞にも英国海軍が来襲し、砲撃を行った。

 幕府はようやく重い腰を持ち上げて、これは政治的挑発行為ではなく、れっきとした侵略戦争であると受け取った。

 ペナン島守備隊は英雄として奉られ、新聞は戦争を煽り、民衆はより一層イギリスへの敵愾心を募らせていく。

 官民一体となってイギリスとの戦争に臨んだ。

 砲弾や弾薬を製造する工場は2交代制でフル稼働、24時間生産ラインが止まらなかった。

 政府から課された過酷なノルマに応えるために中学生や日本語が喋れない原住民も工場労働者として動員することで解決を試みた。

 戦争を煽るポスターを見た若者らは陸海軍への志願するようになり、人員は処理しきれないほどにまで増加の一途をたどる。

 日本は戦争一色に染まった。


 幕府はアユタヤの協力を取り付け共同でイギリスを撃退することを決意する。

 具体的にアユタヤは直接的にイギリスに宣戦布告を行わなかったものの、イギリス軍の軍事的通行権を認めず、対して日本軍には黙認の態度をとった。

 それに加えてアユタヤは対英貿易の関税を引き上げるなど、直接血を流す以外のありとあらゆる方法で英軍の妨害を行っている。

 アユタヤにしてみれば隣国の次は確実にこちらに攻めいるのは目に見えているため、総合的にイギリスに協力し、徐々に蚕食されるよりかは日本に協力し元体制の維持に努めた方がマシであった。

 特にイギリスによるビルマの処遇が決定打になったのは確実視されている。

 対して日本は王朝の保全に協力的であり、それは歴史を見れば信用足るものであった。


 幕府海軍は部分動員を開始し、艦隊の編成に着手した。

 マレー半島の守備兵力は1万人程度であり、広大なこの半島を満遍なく守備できる数とは到底言いがたい。

 手始めに文寧島や呂宋島からかき集められた5000名の兵士が星島に上陸した。

 その際も敵の砲撃によって港湾施設が破壊され、上陸するだけでも悪戦苦闘したという。

 しかし、このタイミングで英国海軍は星島を封鎖した。

 結果として戦列艦4隻と多数の輸送艦が星島に閉じ込められることになる。

 守備側が有利なため積極的な攻勢にでなかったものの、海上での戦闘は一時的に膠着状態に陥った。

 だが、膠着状態になって不利なのは明らかに日本側である。

 星島要塞は事実上籠城戦を強いられることになった。

 厭らしいことに、英国海軍は星島要塞の射程距離外で封鎖を行っていたため、こちらから攻勢に出ることも難しかった。

 メルシンからの補給線が続いているのが不幸中の幸いだが、その陸路の距離は100kmもある。

 マレー半島南部は古都ジョホール=バルが坐していたこともあってインフラ整備がされていたためこのような補給線の形成が出来たものの、それがなければ星島はすぐに陥落していたであろうが、言うに及ばずギリギリの補給線だった。


 一方陸上では英国陸軍はペナン海峡を突破してとうとうマレー半島本土に上陸した。

 日本軍は橋頭堡に突撃を敢行したが、艦砲射撃によって滅多打ちにされ多数の犠牲者を出すことになる。

 日本軍はズルズルと戦線を後退させていた。


 その理由は戦争の準備が完全に整っていなかったことが挙げられる。

 日本はイギリスとの戦争をいわば楽観視しており、何の根拠もなく精々ペナン島の砲撃で幕引きだろうと高を括っていた。

 そのため、ペナン島の防御は整えつつもそれ以外はおざなりだったのだ。

 また、属州となっていたマラッカ王国との協力も上手く出来ていなかった。

 お互いに戦争になったときの議論は避けられていた。

 両国の言語の壁が立ち憚り、度々意見も対立した。

 そうこうしている間にイギリス軍は猪突猛進の南下を続けており、全く対応できていなかったのだ。

 スンガイプタニ、タイピン、ペラなどの諸都市が大した抵抗をできぬまま陥落した。

 冠張(カンパー)の戦いによって英軍の膠着が見られるまで日本軍は常に守勢で、後手後手の対応をとり続けた。

 冠張(カンパー)の戦いでは巧妙に隠匿された大砲部隊がイギリス軍戦列に火を噴き、大打撃を与えていた。

 これに対応して英軍は冠張山を占領しようとするが3度に渡る突撃も効果が薄く、結果持久戦に突入したことで、一時的に英軍の攻勢が止まったのだ。

 冠張山の砲兵隊は壮絶な空腹に襲われながらも陣地を保持し、10日後に降伏するも、その全員が痩せ細っており憐憫に思った英軍が食糧を与えると窒息死したという兵士もいた。

 ともあれ、彼らの英雄的な活躍もあって、河川に沿った防衛線の構築に成功する。

 マレー戦争は第二ラウンドに進んだ。

 マレー半島には幹線道路が一本しか通っていない。

 それに加えて河川の量がとても多く、防衛体制を整えて架橋を破壊すると英軍の進軍速度は見る見るうちに停滞した。

 ペラ川、ベルナム川を突破するのに英軍は8000人の死者と1ヵ月の時間を浪費することになった。

 このような甚大な被害を受けてイギリス政府はインドで組織した軍隊をマレー半島に上陸させたのだ。

 最初は10000人ずつだったが第三次増援部隊となるその数は80000人を数え、ペナン島にその軍勢が一挙に上陸し最終的に210000人のインド兵がマレー半島で戦った。

 対して日本軍も常軌を逸した兵力を用意した。

 本国から出港した増援部隊が現地に到着し、その数は総計100000人を優に超えている。

 さらにマラッカ王国軍やアユタヤ義勇軍の数も含めれば150000人となる。

 だが実際にその戦力が前線に出ていたかと言われるとそれは異なる。

 理由として、マレー半島のインフラがまだあまり整備されていなかったことが何よりも大きい。

 もともと湿地地帯が多いマレー半島西部は道が舗装されていない影響が極めて大きく表れていた。

 兵士は馬を使うことを許されず、泥濘(ぬかるみ)を重たい足取りで歩き、そして泥に起因する火器の故障も多く、額面通りの出力が発揮できていなかった。

 これは英軍も同様であり、特に英軍は腰まで浸かる河川を通過しなければならないため、日本軍よりもインフラの未整備の影響は甚大であった。

 マレー半島の河川は半島の向きと垂直に流れているため、河川機動にはまるで向いていなかった。

 開戦して8か月、早くもイギリス軍に疲弊が見え始めていた。

 国内では停戦派がその数を増やし始めるがこうなってしまっては騎虎の勢いであり、そう簡単に撤退できなかった。

 白人至上主義を掲げる人間にとってはアジア人との戦いで敗北し、撤退したとあっては自尊心を傷つけるために、最良の選択肢である和解という名の理性は押しつぶされた。


 こうして互いに膠着状態となると続いて両者を襲ったのは感染症だった。

 赤痢が流行し、前線では阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 赤痢の死神が前線の兵士を刈り取っていく風刺画はあまりにも有名であろう。

 感染症による死者数はマレー戦役の凡そ5分の2に迫り、後になってみれば無視できない事象だと分かったが、当時の指揮官は感染症に対して無理解であった。

 ある将官は「疾病は軟弱だから襲い来るのだ。強い精神力をもってすれば疾病は容易に打ち負かせる」と精神論を豪語していたという記録が残っている。

 精神論は間違っていないが、部下の力の引き出し方を精神論に頼り過ぎている意見だと言わざるを得ない。

 数㎞歩けば路傍には必ず腐敗した死体が転がっていたと言われるほど悲惨な戦争だった。


 その他獣害も各地で悲劇を引き起こした。

 両者は奇襲のために河川を迂回しようとしてジャングルの中に入り、そしてクマやワニ、ヘビに襲われた。

 クマは比較的小柄とは言え、人間にとってみれば大男の部類であり、大自然を前にして一捻りで人間の命は簡単に潰された。

 『クアラ・クル・バル事件』と呼ばれた獣害事件では記録では52人の日本軍兵士がクマに襲われ、忽然と消えた。

 この事件が明るみになったのは戦後50年後である。

 これほど惨憺たる事件なのにも拘らずこれほどの月日が流れなければ気付かなかったのは、それほど人の命が軽かったからである。

 気付いた理由も森の中に大量の人骨が見つかったからであり、記録と照合して人骨の正体が行方不明になった兵士52名と合致したからだった。

 つまり、人骨が見つからなければ彼らは歴史から消し去られたという事になる。


 話は逸れたが、ともあれ日本軍が劣勢ながらも膠着状態に陥ったのだが、その膠着状態を打破したのはアチェ王国の参戦だった。

 アチェ王国は長年に渡ってマラッカ王国と戦う戦闘狂集団であるが、そのアチェ王国がイギリス側で参戦したのだ。

 この行為に日本軍は度肝を抜かれることになる。

 なぜならアチェ王国は日本の属領の一つとされていたからだった。

 実際日本・オランダ戦争のときにアチェ王国は降伏の意を幕府に伝えて、王朝存続を許されていた。

 だが実はアチェ王国はイギリスと内通しており、王国の復興という条件のもとに日本に反旗を翻したのだ。

 幕府はもしもアチェ王国がイギリスに協力するとなるとスンダ海峡の制海権を奪われかねない大惨事であると震駭した。

 アチェ王国軍の増援も厄介極まりなかった上に、アチェ王国の港湾都市を利用してイギリス海軍がスンダ海峡で跳梁跋扈することになる。

 早速、イギリス海軍はスマトラ島の港湾都市への寄港を始め、補給を始めた。

 これによって日本は持久戦において大幅な不利を強いられることとなった。

 しかも戦線はマレー半島とスマトラ島とで二正面作戦を強いられることになり、戦争の参戦に消極的なスマトラ島の各王朝を宥める必要があった。

 元来幕府が頂点に立っていたはずの立場は確実に対等に成り下がりつつあった。

 星島では夜間の奇襲が何度も行われており、星島守備隊は神経をすり減らされ、戦争神経症(PTSD)を発祥するものが多発し、戦力はみるみる減少していき、士気は開戦前とはまるで別人のように鬱屈としていた。


 報告を受け、このままでは星島要塞の陥落は避けられないと悟った日本軍は一か八かの作戦に打って出た。

 ソンクラー上陸作戦である。

 ソンクラーは元アユタヤ領であったが、日本が割譲した港湾都市だ。

 日本軍はソンクラーに上陸してからそのまま南下し、補給基地であるペナン島を奪還。

 更には現在マラッカ要塞で立ち往生するイギリス軍を挟撃しようとする腹積もりだった。

 だがそのためには必ずアユタヤ領を通過しなければならず、道は一直線であるため攻め難く防衛は容易で、もしもアユタヤがイギリス軍に通報すれば突破は困難となる。

 アユタヤの協力(黙認)は必要不可欠であり、敵対行為は即作戦の失敗、戦争の敗北となり得た。


 日本軍は10000の軍勢を引き連れて乾坤一擲の決意を秘めてソンクラーに上陸した。

 アユタヤ朝籍の軍艦に発見されていたが、それを無視して上陸を続行した。

 問題はペナン島までの行軍路である。

 道筋はパタニー王国時代に中継貿易をして繁栄していただけあって道は舗装されていた。

 日本軍はハートヤイを通過してマラッカ王国領内に到達することに成功する。

 警戒されていたアユタヤの通報はなかった。

 突如現れた日本軍に半狂乱状態となった英軍は有効な防衛が出来ぬままあっさりとペナン島を明け渡した。

 更に戦争捕虜を利用して増援部隊をペナン島に招き入れ、上陸したところを一網打尽にする大戦果を挙げた。

 飾りのない日本史上最大の大勝利だった。


 さらに日本軍はイギリス軍がそうしたようにマレー半島を南下する。

 敵戦力は存在せず、あちらこちらで病人が死に絶えているがら空きの街道を日本軍は突き進んだ。

 とうの英軍はペナン島が陥落したという()()()()()が流れる程度で、南下してくる日本軍に対する対策は全く講じられなかった。

 ムアルの戦いはこうした慢心が生んだイギリスにとっての悪夢だった。

 イギリス軍歩哨は北から日本軍1万が迫ってきていることを報告したものの、あまりにも突飛な意見だったため、誰もまともに取り合うことはなかった。

 それよりもムアル川の突破が重要であり、ここを突破してしまえばジョホール王国時代の首都ジョホール・バルまで進軍に大した障害となる地形は存在せず、星島まで一直線であった。

 その頃北部から逆進行をかける日本軍は情報を収集し、イギリス軍主力がムアル川で立ち往生していることを突き止めた。

 さらにイギリス軍は河川正面の日本軍に釘付けとなっており、北部の歩哨の数は南部と比べて少なかったため、背後からの攻撃に無防備だった。

 この機を逃さず日本軍は背後から襲撃し、イギリス軍は何もできずパニック状態となり、勝敗は1時間で決した。

 これこそ日本軍の名声を全世界に知らしめた戦い、『ムアルの戦い』である。

 日本軍は正面の部隊と奇襲部隊合わせて5000人の死傷者を数えたが、対するイギリス・インド連合軍は5万人以上の死傷者を数え、生き残りのほとんどが土地柄ゆえに逃げ場がなかったために日本軍に投降した。

 ムアルの戦いはマレー戦役の趨勢を決定づけ、日本人の、ひいてはアジア人全体のイメージを向上させた。


 終戦直前、イギリス領インド帝国がアユタヤ朝に侵攻を開始した。

 日本軍を通過させたことが敵対行為と捉えられたのが理由だった。

 アユタヤはある程度軍隊を西部国境に配備していたことから、それほど甚大な被害は出なかったが、山岳を越えた先にあるシャン州の防衛には失敗した。

 その他の地域ではそもそもインドとアユタヤ間の道路が存在しないこともあり、進軍はすぐに止まった上に兵站を保つことをできずそのまま英領インド軍は撤退した。

 シャン州は多数の民族が住む、統治が難しい土地であるが故に被害は想定内、最小限のそれだった。

 イギリスも統治に苦戦するだろうと思われたが、イギリスは意外な形でシャン州を利用することになる。


 ムアルの戦いの惨憺(さんたん)たる結果を受けてイギリス政府は講和に踏み切ることになりイギリス領インド帝国の首都カルカッタで講和交渉が行われた。

 ここで調印された『カルカッタ条約』は日本がやや不利な講和条約となった。

 まず、日本は唯一のインド洋に面する海外拠点であった直轄地ペナン島をイギリスに割譲し、さらに日本領マラッカ王国にもペナン海峡の沿岸地域の割譲を求め、これを承認させた。

 だが、最も火花を散らしたのが賠償金の有無であった。

 日本使節団がペナン島割譲をあっさり承認したのは賠償金を支払いたくなかったからだった。

 しかしイギリスとしても勝利の果実として確実な賠償金は欲しいという魂胆があった。

 互いが互いを理解するのを拒むかの如く話は遅々として進まず、激しい舌戦の末に互いに賠償金は支払わないこととされ、この点では両者痛み分けという結果になった。

 だが、日本の戦争処理はこれでは終わらず、続いて行われた万斛(バンコク)条約で日本は逆恨みでイギリス領インド帝国に奪われた領土シャン州の補填として柬埔寨(カンボジア)の全土を破格の値段で売却し、タイランド湾の海軍基地を失ったが、日本の一縷の信頼は辛うじて取り戻し軍事同盟は継続されるとした。

 アユタヤとしても民族の坩堝(るつぼ)であり、統治に支障をきたしていたシャン州よりも日本人は多いがタイランド湾という貿易に適した土地の方が軍配が上がる。

 その上日本が長年かけて資本を投下して発展してきたおまけつきであり、万斛と同等かそれ以上の大都市だった。

 その代わりにアユタヤにはプルリス県・クアンタン地方・トレガンヌ地方を日本領マラッカ王国に割譲することを願い出た。

 アユタヤはこれを受け入れ、こうして日本・アユタヤ・マラッカ王国の三国条約は相成った。


 唯一損した形となった日本としては柬埔寨の売却は大反対であったが、この金が事実上唯一の賠償金となったため、あまり声を大に出来なかった。

 それでも全国各地で外交に不満を募らせた人民が暴動を起こし、政府はその鎮圧に追われることとなる。

 幕府はこの財政危機を重税によって乗り切ろうとしたため、余計に打ちこわしや焼き討ちは増大した。

 特に日比谷焼き討ち事件では新聞社、交番などが焼き討ちされ、更には暴徒と化した市民による外交官の暗殺未遂事件も発生するなど、あまりの暴動に戒厳令が敷かれるほどであった。

 日本国内は困難に直面し大いなる試練に立たされた。



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