第24話 発展する関東
ちょっと時系列が前後します。
書き忘れていたので『第21話 マレー戦争』を挿入しました。
15世紀まで京都は堺と大坂からの物流によって栄えており、両者に存在する資本家たちは競い合うように資本を投下し続けた。
しかし、1704年の大和川の付け替え工事の完了によって状況は一変する。
大和川は土砂の堆積によってたびたび河内平野に氾濫をもたらしていたことから、洪水防止や農地開発を目的とする治水工事の必要性が叫ばれていた。
そして念願のそれが実行されると、湖沼の水位が減少し広大な敷地が発生し、新田開発が促進された。
しかし水位の減少はそれまで問題にならなかった下流域でも発生し、水不足が加速し、困窮する主要因になった。
また、土砂は堺に運搬されるようになり、港湾都市としての能力を急速に失い始め、その地位は低下した。
大坂と堺のライバル関係は大坂の圧倒的優位に推移した。
その後大坂と堺の行政は大坂奉行の元に統一された。
しかし堺にて富を集めた商人らは海運のために地方の小さな港湾に莫大な資本を投下し始めた。
長崎や平戸、博多、鹿児島だけに止まらず、尾張や金沢、津軽など現在の日本の港湾都市に重なっているように、多大なる影響を与えた。
その中でも関東一円に投下された資本は計り知れない。
日本の中心の港である大坂では大型化により対応したものの、それでも大量の船舶の流入により手狭に感じてきた南洋會社は横浜に新たな貿易拠点を作る。
飛鳥大陸の発見によって「東方の玄関口」として知られていた関東の価値が高騰したのである。
面白いことに、関東地方は欧州の影響を受け、各地にレンガ造りの建造物が現れ始め、それと共に西欧風の風格をした人物が闊歩するようになっていった。
レンガ造りの建造物は当時京都で猛威を振るっていた大火から守るのに適した材料であった。
この頃日本とフランスはコルベールによる重商主義により貿易摩擦を起こしており関係は悪い方向へ向かっていた。
フランスによる貿易差額主義に辟易したため、技術交換は専らイギリスやネーデルラントと行われたため、レンガの積み方もイギリス積みが採用されている。
この和洋混同の街大江戸はじわりじわりと人口を増やしていき、京の人口に匹敵、何時しか上回るようになる。
特に江戸郊外に建設されたヴェルサイユ宮殿やベルデヴェーレ宮殿などを参考にして作られた今井宮殿は民衆の度肝を抜いた。
東京各地でリトルロンドンやリトルパリが現れ、異世界の様相を呈してくるようになった。
この時から用いられた地名、「新世界」と聞けばピンと来るであろう。
その過程で関東地方ではあまり進んでいなかった治山治水工事が急ピッチで進められた。
その中でも特段有名なのが『利根川東遷事業』であろう。
暴れ川として悪名が高かった利根川はいくつもの合流分流を繰り返しながら当時荒川を経て東京湾に流れ込んでいた。
最初に利根川の流れを一元化するために会の川の封鎖を行った。
もともと会の川は二股に分かれて再び合流するという複雑極まりない流れとなっていたのだが、それを締め切って利根川の流れを東側に移した。
中条堤の完成によって洪水から市街を守るなど数世紀にわたって活躍し続けた。
利根川の狭窄部による洪水を甘受して堤内で滞留させ、下流域に洪水被害が発生しないようにしていたのだ。
また、30年にもわたって新川通や赤堀川の開削を行って利根川と常陸川が連結し、銚子に流れるようになった。
これと並行して江戸川上流も開削工事が行われ、銚子から来た船舶が安全に江戸に到達できるようになった。
霞ケ浦への物流ルートが開拓されたことによって東北地方とも船舶による物流ルートが完成し、東北地方との距離が一気に近くなった。
その他、荒川の西遷工事も関東活性化には外せないファクターであろう。
こちらも新田開発や舟運交通路の確保、洪水からの防御などを目的として行われた。
それまで湿地帯故に常日頃から河川の氾濫に悩まされてきた関東の民草にとっては僥倖であった。
関東平野はこうして湿地帯から穀倉地帯へと姿を変える。
漁港都市としての発展も目覚ましかった。
銚子港や布良港が漁業の中心地として海産物の中心地となった。
漁法としては衰退した延縄漁(1本の幹縄に多数の枝縄をつけ、枝縄の先端に釣り針を付けた漁具を用いて行われる漁業。漁場に仕掛けた後放置して回収して収穫を得る。網に比べて効率は悪いが狙った魚だけを獲得するのが比較的可能なのが利点である)でマグロが積極的に水揚げされた。
当時は海生生物の環境破壊に発展すると考えられなかったため、トロール船による底引き網漁も行われていた。
だが漁師の肌感覚で本来取ろうとしていた魚以外にも取ってしまうことがデフォルトであったため、トロール漁業は海中の生物を死滅させてしまうのではないかという危惧があった。
そのため沖合漁業で生計を立てる漁師には嫌われていたことから、それらを辟易した現金で職場環境に無頓着な漁師は主に遠洋漁業でカレイやタラなどを漁獲していた。
国内だけでなく国外との交易が盛んに行われた関東では農閑期には副業として、原材料を商人から前借し、自宅で製品を製造する問屋制家内工業が普及した。
しかし百姓によって原材料の着服が行われたり、回収の手間、納期の問題があり、生産性は正に副業と言った感があり、それほど高くなかった。
そこで、堺の資本家たちは一計を案じた。
堺で鉄砲座が鉄砲を大量生産したように、百姓を作業場など一つの建物に集めて、分業で作業させることで効率よく生産物を作成する方式を編み出した。
彼ら投資家にとって工場論という書物はバイブルとなり、当時最先端の技術だった木版印刷と合わせて資本主義の在り方を大いに敷衍していく。
都市部では桐生や栃木で絹織物業において工場が建てられ、工場論を参考にした工業制手工業が行われた。
その他、銚子や野田で醤油の製造業が、川口では鋳造業、近畿の伊丹や池田で酒造業が工場制手工業を基盤とする大規模生産設備が整えられていった。
工場の労働力として農村部から飛び出した百姓がこれにあたった。
また、一獲千金を夢見て都市に流れたものの、成功できなかった者も奉仕した。
その他にもアジア各地から送られてきた奴隷によって操業していた工場も存在する。
こうして大量生産された商品は日本国内だけに止まらず、アジア各地に販路を拡大した。
西班牙諸島や南蛮諸地域はもちろんの事、ほとぼりの冷めた清や朝鮮にも販路を築き、商人は益々富むようになった。
目敏い豪商は土地への束縛が強い日本よりも土地意識が曖昧な西班牙諸島の原住民に大規模な農園で働かせ、その付近に工場を敷設し同様に大規模に原住民を動員して量産体制を構築することに成功する。
労働力に対する賃金、原価、輸送コスト、あとは倫理観などあらゆる面において無駄を削ぎ落して完成した商品は圧倒的な廉価を売りにアジアの市場を席巻した。
この徹底的な効率主義を貫徹した商品は日本に流通すると価格崩壊が起こってしまい、日本国内の産業を保護するために植民地相手に関税をかけるという逆ブロック経済が発生したりもした(尚商人はこの事態を全く痛手と捉えておらず、販路を北から南に向けるだけも充分ぼろ儲けであり、彼らにとって大したダメージにはならなかった)。
蓄えられた富は更なる投資を促し、各地から奴隷を買い漁り、新たな生産設備を構築していった。
そのため、西班牙諸島各地で原住民の村落は筆舌に尽くしがたい大打撃を被ることになった。
当然これには反発の声は多く、各地で原住民による反乱が乱発した。
明らかに現地の統治に支障をきたす治安の荒れ具合であったが、資本家は統治者に賄賂を渡すことで責任追及から逃れ、統治者は暴動を武力を用いて鎮圧することになる。
閑話休題、話を関東に戻そう。
人口が急増していくにつれて様々な社会問題が深刻なものになっていった。
例えば、その人口を支えるための飲料水や食糧が不足しがちになっていたのだ。
そこで関東の人々は井戸を掘るのだが、もともと沿岸の湿地帯だった故に湧き出てきたのは水ではなく塩水であった。
これは当然飲料水たり得ないため、別の場所から水を輸送する方針に考えを改めた。
そのために必要なものは上水道の整備であった。
最初に目がつけられたのは神田川の上流にある井の頭池であり、神田上水と呼ばれる上水道を完成させ、ここから城下町に水を引いていた。
しかしこれだけでは飲料水は全く足りなかったのである。
そこで次に注目したのが多摩川のはるか上流にある羽村から武蔵野台地を通して42kmもの距離から水を引くという壮大なプロジェクトを完遂した。
これを玉川上水という。
この玉川上水のおかげで城下町の飲料水不足の問題は解決の兆しを見せる。
更に玉川上水は副次的に武蔵野台地を肥沃な穀倉地帯に変貌させた。
もともと武蔵野台地は水はけがよく、乾燥気味だった武蔵野台地は農業に不向きな土地柄だった。
しかし、玉川上水から用水路を引くことで武蔵野台地にも水が行き渡り、農業が盛んにおこなわれる地域になった。
これによって都市部の人口を支えるだけの食糧を供給することが可能になり、飲料水問題、食糧問題もろとも解決してしまったのである。
そのほか、関東を基点とする街道の整備も行われていた。
もともと海路では活発に行き来がされていたものの、陸路は大規模な物流を支えているかと言われれば微妙な状況だった。
まず最初に京都と関東を結ぶ東海道を整備し、次いで東海道が洪水などで使えない状況に対応するために由緒ある中山道を再整備した。
関東が敵国や内乱によって占領された場合に備えて甲州街道を、関東から津軽までを結び、東北へのアクセスを改良させた奥州街道を整備した。
京都と関東の二大都市圏を基点とする街道の整備によって本州は一元化された街道が開通したのである。
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