第22話 新大陸 飛鳥 ★
日本人単独によるアメリカ大陸への進出はヨーロッパより伝えられるよりも早く達成されていた。
既に幕府の北海調査隊は蝦夷地から多里也半島経由で阿龍山列島を発見していたわけだが、調査はさらに東へ進んでいた。
新久石半島へ初めて上陸したのが1684年から1694年の間で諸説あるが、当初は阿龍山列島の延長線上にあるという認識であり、その沿岸線から島であると認識されていた。
そしてヨーロッパから新大陸の情報を入手しそこから東進してみると、実はゴールしていたというなんとも言えないオチが待っている。
新久石という聞きなれない単語が更に訛って日本国内ではその大陸の名前は『飛鳥大陸』と呼ばれるようになり、その土地を飛鳥国として安堵する。
一足先に到着していた欧州国家に倣って、ヌエバ・エスパーニャやヌーベル・フランスのように『新日本』と呼ばれることもあるがこれは後世の創作であり、実際には一貫して『飛鳥』と呼ばれていた。
一番早い事例では、スペインのアカプルコ・ガレオンによって日本人が上陸していたといわれているが、その人物は売られた奴隷であったため歴史に名を残していない(洗礼名だけは残しているのだが)。
何はともあれ、ヨーロッパから齎された情報によって新大陸の調査にブーストがかかったのには間違いない。
調査隊は北津を原点として寒瀬戸、幕葉、紗取などに順次進出し、日本人の入植を始めた。
日本の商人は新大陸は『銀の大陸』と考えていた。
その理由は当時新大陸の覇者だったスペインにある。
スペインはフィリピン諸島を経由して中華大陸と銀を用いた取引で莫大な利益を挙げていたわけだが、それを支えたのはポトシ銀山を初めとした凄まじい銀の埋蔵量を誇る新大陸である。
日本もスペインに日本刀を輸出していたが作れば作るだけ売れるといった有様で、刀鍛冶屋はウハウハ状態である。
更にはヨーロッパを訪れた留学生はスペインによって齎された潤沢な銀によって大幅な銀の価値が暴落、つまりインフレーションを記録したものを発見し、それが伝わったというのもある(価格革命)。
この銀の価値の暴落がスペインの凋落を加速させてしまったのは何とも皮肉な話である。
とにかく、ヨーロッパ人が東方に黄金の島があると考えたように、当の東方の国の人々は東の新大陸に銀の大陸が存在すると考えられていたわけである。
新大陸へ出航する船には常に山師や鉱夫が犇めくように乗船していたという。
また新天地に一縷の希望をかけて出港した零落した大名もいた。
主に関東・東北地方の大名や、改易によって落ちぶれた大名が大多数である。
その中には後世に名を遺す徳川慶喜の先祖、徳川綱吉の姿もあった。
だが彼らは等しく落胆した。
彼らはスペインの領土の広大さを再確認させられた。
新大陸の殆どがスペインの統治下にあるということを上陸して知ったのだ。
だが彼らは諦めなかった。
日本にて全てを諦め、全てを捨て、そして全てを賭けてこの大陸の地を踏んだ彼らに今更帰るという選択肢は存在しえない。
もはや背水の陣となった入植者たちは新大陸の厳しい冬にも負けず、無我夢中で、我武者羅に現地住民を追い払いながら開墾していく。
また、凍えるような寒さは耐寒性の毛皮製品の需要増大を意味し、入植者の中にはカワウソなどの毛皮貿易を商いとする商人も現れる。
原住民に対しては土地から根こそぎ追い払い、あるいはガラスやビーズなどといった貴金属のように見える安い物品と土地を交換し、入植地を広げていった。
もはや詐欺と何も変わらない所業である。
もしも抵抗した場合は武力による制圧が開始されるのである。
また、土地帰属の認識の差異を意図的に利用して土地を没収した場合もあった。
例えばネイティブアメリカンの考え方からすれば、土地を譲渡したからといっても、単に土地の使用権を承認したに過ぎず、対して入植者たちはネイティブアメリカンの狩猟や採集、通行までを排除した。
しかも植民者が連れてきた家畜たちは遠慮なく彼らの土地に入り込んで作物を食い荒らした。
明日の食糧すら簒奪されるような恐怖が原住民を覆う。
日本政府は2000年代に入るまで、「当初は両者友好な関係を構築していた」という歴史観を披露していたが、実態は親切心を持つのは飛鳥原住民のみであり、入植者たちは最初から武装しており、武力を背景とする威嚇的態度で原住民と臨んだ。
交易は両者の利益のためではなく、恐怖のためであった。
日本は飛鳥の紗取に総督府を設置し、飛鳥大陸全域を非課税地域に指定した。
非課税地域となったのは入植を促進するためであると言われているが、本質的には急速に拡大した領土に対して総督府は徴税能力を振るうことが出来ず、ならばいっそ開き直って非課税にしてしまったのが始まりであると言われている。
国策事業として積極的に入植者が誘致された。
現地住民を弾圧するための軍隊が求められ、その要求に対して軍務を終えた在郷軍人も上陸し、さながら屯田兵の働きをする。
その他にも年期契約奉公人や渡航費前借移民、罪人、南蛮人奴隷などの強制移民に至るまで様々な形があり植民地の出自も多様だった。
このような侵略は日本の文化的常套手段であった。
この事実が物語るように、日本人の入植のスピードは凄まじかったのだ。
各地でネイティブアメリカンによる暴動や反乱が巻き起こったものの、小銃を携えた日本人には勝てなかった。
「相手の数が10倍でも勝てる」と豪語した彼らは金山銀山を求めて内陸まで探索を行い、原住民族の反発を跳ね返しながら入植を行うのだ。
また抗争によって得た原住民族の捕虜は奴隷として本土へ売却された。
彼ら奴隷は西班牙地方のプランテーションで重労働に勤しむことになるが、時が経つにつれて飛鳥大陸においてもプランテーションが普及してくるとそちらで過酷な労働を強いられた。
1700年の新大陸の勢力圏は南はヌエバ・エスパーニャのカリフォルニアと、東はヌーベル・フランスのルイジアナと接していた。
北部に関してはあまりにもひどい極寒に入植は不可能とみられていたため、空白地帯である。
迫害によって故郷を追われた原住民たちは自然とこの地域に落ち延び、そしてそのほとんどが凍えて凍土に骨を埋めた。
なお、国境が接するという事がどういう意味か、1年後知ることになる。
スペイン継承戦争の開戦だ。
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