第17話 ロシアとの邂逅
昨日は投稿できなくて申し訳ありません。
もしかしたらもうすぐ不定期投稿に切り替えるかもしれません。
一方、北の大地、つまりシベリアにおいても欧州人と日本人は接触していた。
大陸探検隊は各地に拠点を作りながら西に向けて探索を続けていると、東進してきた欧州人と邂逅する。
その相手はロシア人商人である。
欧州の情報によれば、欧州で高値で売れるコクテンなどの毛皮を求めてシベリアと言う名の不毛の大地を踏破しているのだという。
彼らはシビルハン国を滅亡させると河川を利用して急速に東進した。
彼らの到達目標は太平洋。
つまり、日本とロシアはいずれは国境がぶつかる存在であることが情報先から示唆されていた。
とはいうものの、シベリアと言うのは前述の通り不毛の大地。
安住の地を求めているというよりは貿易のための商品を入手するために進出していると言った方が正しい。
求めたのが領土ではなく、原住民との毛皮の貿易であったため、ウラル山脈以西からの東進がとんでもない速さで進んだとされている。
また、敵国もシビルハン国を除いて存在しなかった。
人口密度はさながら砂漠のように少なく、極寒の地を支配する意味は薄かったため、清など征服しようと思えばできた国家もその価値の薄さゆえに征服するに至らなかった。
むしろロシアはそれほどまでに追い詰められていたという見方もできる。
緯度の高さ故に肥沃な土地を手に入れることができず、広範な領土は農業に不向きな不毛な土地ばかりで慢性的な飢餓状態であった。
それはともかく、誰も到達しなかったがゆえに無人の野を行くが如くシベリアを踏破することが出来たのだ。
そのため、お互いに領土欲と言ったものは介在しなかったため、シベリアは日露の雑居地としての性格を帯びるようになった。
当然、圧倒的多数を占めるのはシベリアの原住民であるが、前述の通り人口密度はかなり低い。
ロシア人はイルクーツクを建設し、対して日本人は麗奈川の流域に生活圏を持つようになった。
だが言語の壁は対立を生み、来るべき戦争に備えて互いに要塞を建設するようにもなっていた。
雑居地とは言え、ある程度の線引きは必要になった。
ロシアは1689年にネルチンスク条約を結び、清との国境を確定させた。
その国境線は外興安嶺(スタノヴォイ山脈)に沿うこととされた。
一方で、日本とも条約を調印した。
それが、ヤクーツク条約である。
この条約では多里也半島(ロシア名:カムチャッカ半島)は日本領、それ以外は全てロシア領とされた。
何と言ってもロシアは遂に太平洋に到達したのであるから、ロシア皇帝はこの結果に大変満足したと言われている。
一方で日本はあまりシベリアに欲を示さなかった。
麗奈川以西にもヤクーツクなど日本人居留地は幾らかあったが、それすら捨てた。
日本にとってはロシアに対する防波堤としか見ていなかったし、その気になれば多里也半島でさえ売却する気概でいた。
この条約は日本とロシアが隣人となったことを明文化し、これを機に日本とロシアの関係 良くも悪くもは急速に接近していく。
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