もう悪役令嬢にはなりません。存在感がなくなったみたいなので。
ある冬の寒い日に、私は産声を上げた。悪役令嬢として断罪されて終わりを迎えた記憶を持ったまま。
「なんて平凡なの。金の髪に青い瞳なんて、よくある色合いだわ」
そう言った母は、私から興味をなくしたらしい。それから、そばで良くしてくれる侍女くらいしか私の元を訪れる人はいなかった。
これだけ聞くと、とても不幸な生い立ちに聞こえるかもしれない。
ご心配なく。私は大満足でとっても幸せだ。
なぜなら私は、二回目の人生を満喫しているから。
「注目されないってなんて幸せなのっ!」
私は、地味だけれども自分好みのドレスを纏って、庭の真ん中で思いっきり体を伸ばした。
屋敷にいる間は、さすがに侍女が世話を焼いてくれるけど、外に出てしまえば、私に声をかける人はいない。
以前なら少し歩けば、誰もが私に興味を持って声を掛けてきた。いつも取り巻きに囲まれていた。
いい意味でも悪い意味でも目立つ私に、自由な時間なんてなかったから。
私の瞳と初夏の空が同じ色なのは全く変わらないのに、今の私の心は前回の人生と違ってあの空と同じくらい澄み渡っていた。
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前回の人生では生まれた瞬間から、私はとにかく目立つ存在だった。煌めくブロンドに誰もが羨む初夏の空のように美しい青い瞳。
「なんて美しい子なの」
私を産んでくれた母が、涙を流して感動したと人から聞いたことがある。
それでも、誰よりも目立つ存在として生まれてしまった公爵家令嬢である私に、幸せは訪れなかった。
良くも悪くも私は目立つ。運命の天秤が傾き始めたのは十五歳の時。
王太子の婚約者に選ばれたことで、仄かな恋心を抱いていた幼い頃から婚約している幼馴染のアーサーと引き離された。
王妃教育が辛くても、私なら出来るとなぜか誰もが無条件に信じていたから、期待に応えたいとがむしゃらに頑張った。実際、立居振舞も完璧になったし、学園でも常に成績上位だった。
それでも、運命の天秤は幸せには傾かずその日は訪れる。
「愛するアリスを貶めた悪女。婚約破棄を命ずる」
王太子に宣言され、そのまま私は王国で一番厳しい修道院へ入ることが決まった。
特にアリスという女性と関わったこともないのに。みんな私が彼女が嫌がらせを受けるその場所にいたのだと、信じて疑わなかった。
断罪の日、会いに来てくれた幼馴染が私を抱きしめて言った。
「ジゼル、一緒に逃げよう?」
「私は逃げないわ。……あなたとなんか逃げる理由がないもの」
二人とも泣いていた。会いに来てくれて嬉しい、逃げようと言ってもらえてここ数年で初めて幸せだと思った。でも本当のことは言わない。
アーサーまで巻き込むことは出来ない。
きっと逃げたところで、目立つ私を連れて逃げ切るなんて出来るはずがない。どうしても私は、人の注目を浴びてしまうのだから。
そして私は、修道院に向かう途中で何者かに襲われ、悪い意味で目立ち続ける運命は終わりを迎えた。
黒い猫が倒れる私に話しかける。
「普通であれば、美しさや聡明さ、そしてカリスマは良い方に向かうのに。悪役令嬢の運命は、そうであればあるほど過酷になる。あなたはこの配役のままやり直したい?」
「……平凡に生きていきたい」
朦朧とする意識では、黒猫が話をすることに疑問すら持たなかった。
「そう、生まれる場所は変えられないけれど、あなたのカリスマ、ある意味主人公よりも目立つ性質を対価にやり直させてあげる。私は、善良な悪役令嬢の味方なの」
いつの間にか、黒猫の姿は美しい黒髪に黒い瞳のローブをかぶった女性の姿になっていた。
でも、その姿を私が見ることはなかった。
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今の私は、十五歳になってもうすぐ王立学園に入学するのに婚約者がいない。
うるさいほどに私に付きまとっていた取り巻きの令嬢達もいない。
たぶん、公爵家令嬢ジゼルの存在をみんな忘れてしまっているのに違いない。それくらい空気のように過ごす毎日だ。
たった一人、幼馴染のアーサーとは交流がある。アーサーもなぜか前回と同じく婚約者がいない。
侯爵家嫡男で、赤い髪と美しい翡翠のような瞳。はっきり言って美男子で、性格も良くて頭も良い。最近では王女殿下の覚えもめでたいと噂に聞く。
「ジゼルは今日も可愛いね」
「お世辞はいらないわ」
そう言ってやり直し前は決して言うことがなかったセリフとともに微笑みかけられると、目を細めてしまいそうなほど眩しい。
ここに戻る前ですら、どうしてアーサーが私なんかを婚約者に選んだのか不思議に思っていた。ましてや今の目立たない私とまだ幼馴染でいてくれることが不思議で仕方なかった。
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「え? 制服が届かないってどういうこと」
「業者がお嬢様からの注文を受けていないというのです」
なぜか制服を扱う業者に存在を忘れられてしまって、危うく制服なしで入学式を迎えそうになった。
ちゃんと注文していたのに、なぜか注文していないことになっている。公爵家御用達の業者なのに。
まあ、今回の人生ではよくあることだから仕方がない。ドレスで通う令嬢も多いから、どちらにしても目立たないだろう。
「ジゼルは詰めが甘いよね」
アーサーは、なぜか自分の制服と一緒に私の制服の予備をオーダーしてくれていた。
その理由を聞くと幼馴染は「ジゼルは誰かに気が付かれない天才だから、よくジュースかけられたりするでしょ? スペアが必要だと思って」と苦笑した。
私の目立たなさを「気が付かれない天才」と表現するなんて、アーサーは前向きだ。
「それにしても、ジゼルの制服姿を一番に見られるなんて幸せだ」
アーサーは笑ってそんなことを言う。でも、幼馴染にそんなことを言うなんてダメだと思う。私は、一緒に逃げようと言ってもらった時を思い出して、うれしいという気持ちを、心の奥底に抑え込んだ。
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学園での生活は、ごく平凡だった。前回は交流することがなかった、優秀だけれども目立たない子爵家の令嬢と友人になった。
さすがに、授業は二回目なので、テストも簡単だった。それなのに、なぜかアーサーだけには敵わなくて、いつも学年二位に甘んじている。前回もアーサーは優秀だったけれど、ここまでではなかったはずなのに?
ほんの少しの引っ掛かりを感じながらも、私は平和な日々を満喫していた。
そして、ある日アーサーの婚約者が第三王女に決まったという噂が流れた。
「アーサーは王女殿下の覚えもめでたいという話だったものね……」
私はぼんやりと、みんなが帰った教室の窓から空を見上げて呟く。いつの間にか日は傾き、空は茜色に色づいている。その時背後から「俺がなんだって?」と少し怒ったような声が聞こえた。
「アーサー……。王女殿下との婚約決まったの? おめでとう」
私の言葉に、ますます幼馴染は眉をひそめた。
「打診が来たのは事実だけど、もう婚約しているからと言って断った」
「え? 婚約していたの?!」
「――――まだしてない」
「……王族に嘘を言うなんて、何でそんなことを」
その瞬間、なぜかアーサーに抱きしめられた。
アーサーに抱きしめられたのは、過去一回だけ。それも、今の彼は知らないことだ。
「俺と婚約して、ジゼル。そうでないなら、今度こそ一緒に逃げて」
――――今度こそ、一緒に?
心臓が握りつぶされたように錯覚した。そのあとから、ドクドクと鼓動が強く早くなる。
「ジゼルが好きだ。ずっと言えなかったことを後悔していた。ジゼルはいつも太陽みたいだったから、俺なんかが釣り合うはずないと」
「なんで……アーサーもやり直しているの?」
「……俺のこと、ジゼルが幼馴染としてしか見てないことを知っていても、諦められなかった。だから無実の罪で捕らえられたジゼルと会った後、魔女に会いに行ったんだ」
「魔女に……」
私は、修道院に向かう途中、最後に出会った黒猫を思い出していた。もしかするとあれは夢ではなかったのかもしれない。
「アーサーは何を対価にしたの」
私の対価は、カリスマ、目立つことだった。
「ジゼルは悪役令嬢という配役だと魔女が言っていた。決して今世では、助けることが叶わないと。だから、やり直しを願った」
「――――だから、何を対価にしたの?」
「……魔女は、俺が二周目以降の攻略対象者だと言っていた。その配役を得るためのヒロインとのパラメーターに貯まっている愛を対価にと。残りは悪役令嬢と幼馴染推しなのでサービスだと」
魔女の言うことは、普通の人間にはやっぱりよくわからなかった。
それでも、私が幼馴染に言うことは一つしかない。
「あのね……。私もずっとアーサーのことが好きだったの」
それは、ようやく伝えることが出来た言葉だった。
公爵家と侯爵家の婚約は、今度こそ現実のものとなった。
誰よりも優秀な侯爵に溺愛されているのに、なぜか全く目立たない侯爵夫人は、社交界でいつも噂になっている。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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