第96話 一日の終わりに
「ミヅカ・リオさん、本戦進出ですわ。明日の準々決勝は第一試合になりましたから、遅れないように。今日はもう帰ってもよろしくてよ」
あのまま俺まで担架で運ばれそうになったのをどうにか断り、その場で簡単な治癒を受け、重い体を引き摺ってテントまで戻って来た。そして実行委員にチェックをしてもらおうとしたところ、やけに高圧的な女子生徒に開口一番こう言われたのである。
「……あのー、判定とか大丈夫なんですか? 治癒は間に合いましたけど、過度な攻撃ってやつは?」
「あら、ご不満かしら? あれは無意味に一方的な攻撃をする方を指導するための理由付けですわ。双方の戦う意思があった上で、結果的に死んでいないのですから問題ありません」
「そ、そうですか……」
当然のことのようにそう言われ、拍子抜けする。てっきり厳しいルールだと思ってたな。ちなみに後でヒナに聞いたところ、過去には両腕両脚を切られたり全身丸焦げになってもエリア内かつお互い攻撃しあった上であれば違反は取られなかったらしい。そのための医師団なんだとか。
そんなギャップに困惑していると、観戦場所を区切っていたロープを肩にかけたルー先輩が向こうからやってきた。全く疲れた様子が無い。これが現役最強ってやつか。
「委員長ー、こっちは片付け終わったよ。あ、リオ君! お疲れ様~!」
「ルー先輩、お疲れ様です。……って、委員長ってことは」
やっぱりこの人がそうなのか。
「ええ。わたくしがエスメラルダ・ヴィエントですわ」
「あっ、初めまして。ミヅカ・リオです。妹がお世話になってます」
縦に巻いた豪奢な金髪を揺らした、いかにもお嬢様って感じの風貌だ。慌てて改めて挨拶したが、直接会うのは初めてだったな。
「そっか、二人は初対面か。委員長、リオ君避けてたもんね」
「えっ、そうなんですか?」
「勘違いしないでくださる? わたくしは、あの男と出くわす確率を極力下げたいだけですわ」
言うまでも無いがティフォ先輩のことだろう。名前すら口にしたくないとは、とんでもない嫌い様だ。
「でも最近は俺のところ来てませんよ?」
「どうせ今も精霊術で聞いているのでしょう? わたくしの声を勝手に聞かれるのは気に入りませんわ。ほら、さっさと帰りなさい」
すげない対応に苦笑いしたが、最後にこれだけは言っておきたかった。
「エスメラルダ先輩、噂を訂正してくれてありがとうございました。おかげで前より全然雰囲気が良くなりました」
「礼には及びませんわ。貴方はヒナさんの兄。委員の家族のために当然のことをしたまでですわ」
全く気負った様子も無く、彼女はそう言った。
「ですが、貴方に注目が集まったことでトーナメント戦もスプリントの大会も、例年より観客が増えているのもまた事実。もちろんあちら側に礼を言うつもりは微塵もありませんが、放送委員としては喜ばしいことですわ」
「興行ですもんね。こっちの事情もありますけど、決勝まで行けるように頑張ります」
「ええ、そうしてくださると有難いですわ。もちろん判定はフェアを厳守しますが」
ではまた、と言って彼女はツカツカと歩いて行った。本当にティフォ先輩と仲悪いんだな……っていうかその先輩も最近俺の前に姿を現さないのだが。忙しいんだろうか。
「あ、そうだリオ君。委員のミーティングあるからヒナちゃんちょっと借りるよ。なるべく早く帰すようにするけど、ご飯はこっちで食べるから」
「分かりました、後で迎えに行かせます」
「だいじょーぶ、寮生以外はアタシ達が責任持って送るからさ。それじゃあね、また明日!」
「はい、お疲れ様です。お先に失礼します」
ヒナが「お兄ぃは出るだけだから楽だね」と言ってた意味が分かるな。朝から晩まで大変そうだ。帰ったら労わってやろう。
俺はヒナの帰りが遅くなることを運転手とイレアに伝え、家路に就いた。
■□■□
「ソフィーさん、ただいま」
「お帰りなさいませ、お嬢様、リオ様。ヒナ様は……お仕事ですか?」
「ただいま。ヒナは夕飯要らないらしいです。遅くなるけど、迎えも大丈夫だって聞きました」
「畏まりました。お荷物お持ちします」
家に着いたイレアと俺を見て、ソフィーさんはほっとした顔になった。邪霊討伐演習の時もそうだが、見ていない分余計に不安なのだろう。今日は彼女を心配させるような怪我が無くて良かった。
「そうだ。手紙を出したいんですけど、用意して貰えますか?」
「どちらへお送りするものでしょうか?」
「ブラオ・ウンディーノ家です。ウンディーノ家内だけど、外向けの方が良いんでしたっけ」
「本家から分家宛て用のものがございます。すぐに用意いたしますね」
ソフィーさんにそうお願いすると、イレアがちょっと不思議そうな顔をした。
「ヘレーネさん宛て? また何か言われたの? 抗議文なら私の名前も書いていいよ」
「いや、そこまで大袈裟じゃないよ。どっちかっていうとお父さん……当主宛てかな。今後の関係のためにも仲良くしておきたいから言い含めておいて欲しいってのと、そうは言っても今日はちょっとやり過ぎたから、一応謝罪をな」
「そんなに下手に出なくていいのに」
「ウンディーノ家の同世代は少ないんだからさ。まあ明日からも突っ掛かって来るようなら正式に抗議するって書いとくか」
文面を考えているうちにソフィーさんが便箋と封筒を用意してくれたので、あんまり威圧的にならないように気を付けながら書く。万が一向こうから何か言われる前に先手を打つためのものだ。争う気は無いと極力アピールする言葉をふんだんに織り交ぜた。
「イレアもさ、今度あいつと話してやってくれ。色々勘違いっていうか、思い込んでるみたいだからさ」
「……リオが言うなら」
「人見知りは仕方ないけど、関わりたくないオーラ出すのはやめとけよ? 俺もあんまり人の事言えないけど」
珍しくぷくっと不貞腐れたような顔で可愛い。……じゃなくて、イレアにも聞いておきたいことがあったんだ。
「あのさ、イレアは自分の術についてどう思ってるんだ?」
「どうって?」
「その……氷の術が、ウンディーノ家の中じゃ異端だとか、他の術士と相性が悪いとか、あの氷河のせいで印象が悪いとかさ」
ヘレーネが言っていた恨みの根源。イレアも抱えているのは知っているが、今はどの程度のものなのだろうか。
「うーん……確か前に話したよね、家の人達に色々言われてたって。でもそれは私が長女なのに巫女じゃなかったからっていうのもあったし……今はそういうことは無いと思うんだけど、どうなんだろ」
「少なくとも幹部でそんな事言う人はいないよ。リギスティアさんと宰司さんがちゃんとしてくれてるからな」
「うん。だから今はあんまり気にしてない。授業で避けられてるのは変わらないけど、それは私が強いからだし。系統は関係無いと思うよ。先生も学生の頃はそうだったって言ってたわね」
「なるほど、まあそれは俺もか」
そもそも氷の術を扱えること自体が術士としての才能の現れだ。強い者が避けられるのはある意味で必然だな。
「あ、でも氷河と同じだっていうのは言ってる人もいるみたいよ」
「そうなのか?」
「おとぎ話みたいなものね。世界が氷に包まれたのは、悪い精霊術士のせいだって。だから氷の術は悪い術……ってことなのかな」
「俺の先祖が言うには違うらしいけどな」
大精霊から聞いた話だと、氷河の災厄――世界の寒冷化は、人々が精霊術を使い過ぎたせいらしい。昔はたくさんの国があって、何十億って人がいたんだとか。想像もつかないな。ともかく氷の術のせいではないはずだ。
「うん。そもそも一般的には原因なんて分かってないからね。ただ大精霊と巫女家のおかげで食い止められてるって言われてるだけで、あれが精霊術のせいだって思ってる人は殆どいないよ。でもそういうお話があるのは皆知ってるから、薄っすら信じてる人はいるのかも」
「分からないからって勝手に想像してるだけだな。迷惑な話だ」
「別に本当だとしても私には関係無いけどね」
結局、氷河というよく分からないものが怖いから原因をどこかになすり付けたくなるという人の心情だろう。極東で聞いたことが無いのは、単に精霊術士の数が少なくて、そもそも術を使えるだけでエリート扱いだからだな。
それにしても、こういう話をする時のイレアはどこか他人事だ。ヘレーネみたいに実は悩んでいるのではと思ったけど、そもそも無頓着というか拘りが無いんだろうか。俺が邪霊の銃のレポートを書いてた時も興味無さそうだったし、精霊術そのものに関しては案外ドライだ。
「リオ、それ書き終わったら――」
「?」
「……あっ、そうだ。課題あったよね。ご飯の前にやっちゃお?」
「ああ、あったな。数学と経営学だっけ」
「うん。リオの分も持ってくるね」
何か言いかけたのを引っ込めたようにイレアはそう言い、階段を上っていった。
……母さんの話、後で聞かないとな。
■□■□
「ただいまぁ~~疲れたぁ~~」
「お帰り、ヒナちゃん。お仕事お疲れ様」
夕飯を食べ終わってしばらくした頃、疲労困憊といった様子のヒナがようやく帰ってきた。いつも彼女が動くたびに揺れるツインテールも心なしか萎れている。
「お姉ちゃん……もう放送委員やめたい……」
「ヒナちゃんが嫌ならいいんじゃない?」
「でもそれはやだ……自分から辞めたら負けだし……」
難儀なことを言ってるヒナに、俺達は目を合わせて苦笑した。スカウトされた時の事や巫女家に入って大丈夫なのか尋ねた時の話は聞いたが、あの委員長がヒナを手放してくれるとは思えないな。
「ねえお兄ぃ。今日のこと情報共有したんだけど、また変な噂出てるってさ」
「あー、一回戦のこととか?」
「そうそう。一年生を手加減無しでボコボコにしたとか、脅して辞退させたとか。まあこれは極端なやつだけどね」
「広まってるらしいな。否定しといてくれよ?」
「うん。わたしも把握してるからちゃんと言っといたよ」
俺も聞いた話だ。アンディ少年には悪い事をしたが、別に大した怪我はさせてない。第二試合に関してはデマもいいところだな。
「あとは中等部の女子生徒に暴言とか。これヘレーネって人のことだよね? 朝のやつ誰かに見られてたのかな」
「いや、イレアの試合見てる時にまた絡まれたんだよ。ったく、ギャーギャー騒ぎやがって」
「あ、やっぱり午後の話だよねそれ。それから嫌がるウンディーノ家の令嬢を無理矢理連れ回してたってのも聞いたけど、これお姉ちゃんと一緒にいただけだよね。一番変な噂と合体しちゃったのかな」
「……そうだな」
嫌がるイレア? あれ? なんか身に覚えがあるような……
「それとスプリントの大会も出たんだよね。わたし見てないけど、盛り上がったらしいじゃん」
「ま、まあな」
「優勝した後に『ウォーミングアップにもならなかったぜ、ガハハ』みたいな事言ったってホント?」
「……言うわけないだろ、そんなこと」
スッと顔を逸らすと、ヒナは正面に回り込んできた。誤魔化しを許さないジト目だ。
「実際はなんて言ったの?」
「いや、別に」
「な・ん・て・言・っ・た・の?」
ずい、と迫られて思わずのけ反る。これは観念するしかなさそうだ。
「い、『いいウォーミングアップになりました』って……」
「一緒じゃん!!! ねえ、なんで煽ったの!? 馬鹿なの!!?」
「雰囲気的に! なんかこう、悪役みたいなの求められてるかなって!」
「求めてない! 少なくともわたしは! あのさぁ、こっちが散々頑張ってるのに、どうしてそういう事するの!?!?」
大声で捲し立てるヒナに、両手を上げて降参の意思を伝える。が、止まらない。
「そりゃ噂する周りも悪いけど、お兄ぃはコントロールしてよ! どう見られてるかじゃなくて、どう見られたいのかって! それとも何? そういう方向でいこうと思ったの!?」
「いや、ほら、俺の人気ってそういう面もあるじゃん? だから――」
「ダメに決まってるでしょ! お兄ぃ、ウンディーノ家! 次期巫女! 国! 代表!」
ついに単語の羅列で怒られた。そりゃ悪かったけど、会場の空気とかもあったし……
「ねえ、さっき言ったお姉ちゃんが嫌がってたのもホントだよね? 噂にしては変だなって思ったの。何したの?」
「……ちょっとこう、仲良い感じで見せたんだよ。ヘレーネに見せつけるために」
「はあぁぁ……」
盛大に溜息を吐いたヒナは、その矛先を今度はイレアに向けた。
「お姉ちゃんもお姉ちゃんだよ」
「わ、私?」
「お兄ぃに無理矢理連れてかれたって話の後に、二人で手繋いで出店のところにいたんでしょ? 仲よさそうにさ」
「……いいでしょ、それは」
「うん、もちろん良いよそれは。お姉ちゃんが引っ張ってたって聞いたし。ちゃんとアピールになってるからね」
イレアは恥ずかしそうに俯いた。それにしても、そんな細かい目撃情報まで上がっているとはな。暇な奴らめ。
「だからさ、お兄ぃと嫌がってる感じのお姉ちゃんを見てしばらく後にそういう雰囲気のを見ると、こう……勘繰っちゃうの! あ、何かあったなって!」
「……何かって?」
「どうしようお兄ぃ、別の問題が発生しちゃった」
逆に助けを求められたが、俺には何もできないと首を横に振る。そういえば俺達が昼休みに寮の部屋に集まってる時にもこんな話あったな。お嬢様だから当然っちゃ当然だけど、イレアは疎いからなぁ。逆に耳年増なヒナにも困るけど……。
「まあいいやそれは。ともかくさ、お姉ちゃんは自分からやる分には良いけど、お兄ぃからだとやたら恥ずかしがるじゃん?」
「そ、それは……」
「どうせお兄ぃのことだし、ヘレーネちゃんに見せつけたってのもキスしたとかハグしたとかですらないんでしょ? どうせお兄ぃだし」
「してないよそんなの!」
「おいヒナ」
妙な方向性の貶しにツッコミを入れるが、スルーされた。
「もっと堂々とさ、『こいつが私の旦那ですが何か問題でも?』みたいな感じにできない? お兄ぃがこんなんだから、もうお姉ちゃんが頑張るしかないんだよ」
「な、仲良くは見せてるよ……」
「ううん、ダメ。恥ずかしそうにイチャイチャしてるだけだと、お兄ぃにコマされたのかなって見られちゃうから。お姉ちゃん今そういう立ち位置なの」
「こ、こま……?」
未だに疑問符を頭に浮かべているが、ヒナが言いたい事は何となく伝わったようだ。それにしても、妹が変な言葉覚えちゃってお兄ちゃん心配だぞ。
「それじゃ、明日は気を付けてね。お兄ぃはオラつかない! お姉ちゃんは恥ずかしがらない! わたしもうお風呂入るから!」
よっぽど疲れているんだろう、雑にまとめて風呂場へ行ってしまった。
俺のせいで苦労かけたな……明日は大人しくしよう。
そして、ヒナの後ろ姿を見届けた後。やや所在なさげにしていたイレアと再び二人きりになった。今度こそだ。
「イレア。聞かせてくれるか? 母さんのこと」
「……うん」
閉められた扉から、夜の冷たい空気が差し込まれた。




