第89話 狂犬の少女
教室を出てトーヤと別れた俺は、中央棟の二階に向かっていた。空き教室のうち一つをヒナが放送委員権限で押さえていて、俺達の休憩場所にしてくれているらしい。さてどの部屋だろうかと探していると、廊下に並んだ扉の一つに「イレアーダス・ウンディーノ様 ミヅカ・リオ様 控室」と書かれた紙が。なんともVIP待遇だ。
「ヒナは実行委員だし、イレアもまだリギスティアさんの方かな? 俺が一番乗りっと――」
「あ、リオ様! お帰りなさいませ!」
ガラリを開けた扉の向こうには、騒がしい笑顔のメイド。全然一番乗りじゃなかった。
「えっと……なんで?」
ここに来るの初めてなんだから「お帰り」じゃないだろ、というツッコミは飲み込み、マリー・エンペドクレシア――俺達の専属メイド(予定)の彼女がこの場にいる理由を尋ねる。
「元霊祭の三日間、皆様をお世話するようにと言いつけられました!」
「あー……分かった。休憩のために取ってるから、静かにね?」
「はい!」
全然休まる気がしないな……まあいいや、飯とか食べたくなったらお使いを頼むか。そんなことを考えていると、扉の向こうに人影が現れた。ヒナだ。
「あ、お兄ぃ来てたんだ」
「おう、お疲れ様」
「お帰りなさいませ、ヒナ様!」
「ん、よろしくねマリーちゃん。ところで今暇? 朝教室に荷物置いて来ちゃってさ、多分今日は戻らないから持って来てくれる? 二年一組の、廊下側から三列目で前から四つ目の席ね。見れば分かると思うから」
「はい、畏まりました!」
部屋に入るや否や、淀みなくマリーに指示を出すヒナ。凄い。メイドを使いこなしてる。
「どしたのお兄ぃ?」
「……いや、別に。実行委員の方は?」
「開会式まで時間あるから抜けてきちゃった。どうせトーナメント戦始まったら出ずっぱりだし。お兄ぃは出て戦うだけだから楽だよねー」
「いや楽ってなぁ……」
うちの妹はお兄ちゃんを過大評価しすぎなところがある。そりゃ予選で負けるつもりは無いけどさ。
そしてしばらくすると、コンコンとノックする音がした。マリー、もう帰ってきたのか? やけに早いなと思って返事をすると、ガラリと扉が開けられる。
「失礼するわ!」
「お帰り……じゃなくて、誰?」
しかしそこに立っていたのは、制服姿の女子。長く伸ばした茶髪に近いブロンドに、気の強そうな薄青の瞳。俺よりは少し小さいが、女子の中では背が高い方だろうか。パッと見の印象が……イレアに似てるような。
「えっと、どちら様で?」
「なっ……知らないですって!? いいでしょう、名乗ってあげます――わたくしの名は、ヘレーネ・ブラオ・ウンディーノ。分からないとは言わせないわ!」
「…………?」
ウンディーノ家の人らしいけど、全く見覚えの無い顔だ。しかし、ヘレーネか。どっかで見たような……あ、思い出した。
「予選で同じグループの人?」
「そうよ、ミヅカ・リオ! わたくしはこのトーナメント戦であなたを倒す! 覚悟しておきなさい!」
「ごめん、タンマ」
待ってくれ。急にヒートアップしてるけど、こっちは名前を聞いてようやく思い出した段階だ。ヘレーネ・ブラオ・ウンディーノ……ウンディーノ家の分家で、数少ない同年代の一人。確か中等部の三年だったはずだ。
「えっ、年下?」
「それが何か?」
「……なあヒナ、初対面の年上にいきなりタメ口ってどう思う?」
「別に?」
聞く相手間違えたな。
「まあいいや、ヘレーネさんね。まず色々聞きたいんだけど……今回のトーナメント戦の状況は知ってる? 俺達は留学生を抑えて勝ち上がらないといけないんだ。身内で争ってる暇は無い。今はそういう話をしてる場合じゃないんだけど」
「ええ、知っているわ。お父様もそう仰っていたもの。ミヅカ・リオに譲りなさい、ミヅカ・リオと話を付けておきなさい、ミヅカ・リオと仲良くしなさいって……」
「そうか、じゃあ」
「どこもかしこもミヅカ・リオ、ミヅカ・リオ、その名前ばかり! お父様は、あなたの悪評も知らずにそう言って! そんな相手に勝ちを譲るなんて絶対にできないわ! だからお父様の言う通り話を付けに来たのよ!」
「お、おお……」
ちょっと気圧されてしまった。あの噂を信じてる人がまだ多いとは知ってるけど、ウンディーノ家にもいたのか。困ったな。
「ウンディーノ家の名を背負って本戦に進むなら、どう考えてもわたくしの方が適任よ。それに、留学生に勝たなければならないですって? ふざけた事を言って……あなたもその一人でしょう、ミヅカ・リオ!」
「む……」
「あー、割と正論だから言い返せないじゃんお兄ぃ」
「うっさい。俺は編入だっつーの」
これが昨日ルー先輩が言ってた一般生徒の認識ってやつか。ウンディーノ家の人なら無条件で協力してくれると思ってたけど、想定外だ。やっぱり先輩の言う通り、渦中にいると気付けないこともあるな。
「そもそも、あなたのようなどこの馬の骨とも知らない輩がお姉様と結婚すること自体、わたくしは許せないのよ! 巫女の力を持ってるんだか何だか知らないけど、お父様もご当主様も騙されているに違いないわ!」
「やーい、馬の骨ー」
「ヒナ、お前はこっち側だろ。馬の骨の妹だぞ。……ってかお姉様? イレアのことだよな」
「そうよ、わたくしの敬愛するイレアーダスお姉様のことよ! 馬の骨ごときが馴れ馴れしい呼び捨てをっ……!」
お姉様か……馴れ馴れしいってのはブーメランな気がする。しかもその割には、イレアからこのヘレーネ嬢の名前を聞いたことが無いし。
「あ、思い出した。ねえねえ、お父さんの名前ってコンラート・ブラオ・ウンディーノ?」
「ええ、そうよ! ようやくわたくしの立場を理解したかしら?」
「知ってんの、ヒナ?」
「ほら、この前の式典とパーティーの時にも来てたじゃん。あの……ちょっと……いや、だいぶ髪の毛が寂しい人」
「あー、はいはい! いたね、そうだコンラートさんだ。思い出した思い出した」
式典の前と次の日のパーティーでも挨拶に来てたな。俺達相手にも割と腰が低いというか、そんなに悪い印象が無い人だったはずだ。その娘がコレだなんて……ん?
「あれ、なんでパーティー来てなかったの?」
「くっ……その日は先生方がわたくしのために、特別に講義を開いてくださったのよ!」
「へー、休みの日まで勉強か。大変だな」
「お兄ぃ、たぶん補習のことだと思う」
「あっ……」
勉強熱心だな、と思ったら逆だったらしい。悔しそうな顔をしているあたり多分そんなに成績は良くない方なんだろう。極東だとエリートって言ったら文武両道のイメージだったからこっちの家柄が良い人達も皆そうだと思ってたけど、どうやら違うらしい。まあイレアも座学は上の下くらいだしな。俺も厳しく言われてないから、別にいいけどさ。
「そんな事はどうでもいいのよ! お姉様を誑かした得体の知れない人間を、わたくしは認めない! 極東の軍人の息子だとか言って政略結婚に利用されて……お姉様が可哀そうだわ!」
「得体の知れないってなぁ……」
そうだ、俺はこんな状況を打破できる切り札を持ってたじゃないか。
「確かに俺は極東で育ったし、母は遠征隊のミヅカ・シオンだ。でも俺の父親はウンディーノ家の人間なんだよ。俺は覚えてないけど、生まれたのもこっちらしいし。だから家柄についてはリギスティアさんも認めてくれてるんだけど?」
「なんですって!? そ、その父親の名前を言ってみなさい!」
「…………知らん」
「ほら見なさい、やっぱり口から出まかせよ!」
クソっ、使えない切り札だな! リギスティアさんも母さんも、早く何とかしてくれよ!
「――もういいわ。やっぱり認められない。口を開けば適当なことばかり……あなたのような人間は、お姉様に相応しくないわ。あなたにお姉様は幸せにできない! 婚約を解消すべきよ!」
「あ?」
今のはカチンときた。俺自身でさえ父親が誰なのか知らないんだ、馬の骨呼ばわりされるのはいい。悪評を信じてるのも許そう。政略結婚の要素があるのも否定しない。でも、俺がイレアに相応しくないだって? イレアを幸せにできないだと?
「……ヘレーネさんよぉ、俺が婚約を解消すれば満足なんだな?」
「ええ、そうよ! さっさと身を引きなさい!」
「わかった。あんたの言う事を聞いてやるよ。ただし――俺に勝ったらな?」
口で言ってもしょうがない。この生意気なガキは、力で分からせる必要がある。
「勝ち進めば今日の最後、予選の決勝で当たる。そこで決着付けてやる」
「フンっ! もしそれまでに負けるようなら、この国からも出て行ってもらうわ!」
「ハイハイ。じゃあもし俺に負けたら、お前は一生俺の配下だ。まあ、ウンディーノ家の人間なら当主と巫女に仕えるのは当然だろ? 暇な時にでも呼び出して一発芸させてやるよ」
「ええ、望むところよ! あなたが負けたら土下座しながら這いずり回ってお姉様への無礼を詫びなさい!」
売り言葉に買い言葉? 知るか。吹っ掛けられた喧嘩を買わないでどうする。もう派閥だとかどうでもいい、解決策はシンプルだ。一体何度この結論に到達したのか……ただ、勝てばいい。そう言ってたじゃないか。
「首洗って待ってろ。キャンキャン吠える犬には縄巻いてやる」
「野良犬はそっちよ。負けたらわたくし達の庭から出て行きなさい!」
そう言い残し、ヘレーネはぴしゃんと扉を閉めて部屋を出て行った。まったく、なんつー失礼な奴だ。
「……お兄ぃ、なんか楽しそうだね」
「は?」
「もー、落ち着いてよ。勝つんでしょ?」
「そりゃな」
一旦深呼吸。なに、ちょっとストレスが溜まってたんだろう。例の噂で俺に直接当たってくる奴は今まで居なかったから、フラストレーションを発散できてなかったんだ。本戦でミスズ相手に解放する前の前哨戦といこう。
少し上がった息を整えていると、ここにきて初めて静かに扉を開ける者が。イレアが帰ってきたみたいだ。
「ごめん、遅くなっちゃった……えっと、何かあった?」
「お帰りお姉ちゃん。さっきヘレーネって人が来てたよ。お姉様って言ってたし、知り合いだよね?」
「ブラオ家の人ね。うん、一応。あんまり喋ったことはないけど、静かっていうか恥ずかしがり屋っぽい子だよね」
「はあ?」
「ええ~?」
「な、何その反応? えっ、違うの?」
別人のことなんじゃないかと思って先程の話をすると、イレアは苦笑しながらも納得した様子だ。
「あー……うん、私のことお姉様って呼んで慕ってくれてるみたいなの。私の前だといつもあわあわしてるんだけど……そっか、そんなこと言ってたんだ」
「舎弟なら教育しとけよ?」
「舎弟って、もう……だからそんなに関わり無いんだって」
あんにゃろ、どうやらイレアの前だと猫被ってるらしい。さっきの見せてやりたかったな。
「でもリオ、冗談でも婚約解消とか言わないでよね」
「大丈夫だよ、負ける気無いし。そもそもこんな口約束でどうこうならないでしょ」
「そういう事じゃないの。怒るよ?」
「……ごめん」
「まあお姉ちゃん、向こうが先に言っただけだし。もし負けたら一緒に駆け落ちしようね」
「ヒナちゃん!」
冗談はともかく。あんな約束関係無く正面から叩き潰せばいいだけだな。
「あ、でもあの子の精霊術は知ってるわ」
「強いのか?」
「使ってるのを見たことは無いから、強さは分からないけど……」
そう前置きしてイレアが口にしたのは、ある意味で予想外なものだった。そして同時に、彼女を姉と慕う理由に納得する。
「氷の術。私と同じよ」
■□■□
「そういえば、マリーちゃん遅いね」
ふと思い出したようにヒナはそう言った。俺も忘れてたな。確かに、荷物を取りに行ってるだけなのに随分時間がかかっている。
と、噂をすれば廊下の方からバタバタと足音が聞こえてきた。
「ただいま戻りました! あっ、お嬢様もお帰りなさいませ!」
「こっちに来てるってお婆様に聞いたけど、何をしてたの?」
「わたしの荷物持って来てもらってたんだけど……」
肩に掛けたヒナの鞄と、両手になんだか香ばしい湯気の立っている紙袋。朝からまさかの買い食いだ。
「すいません、屋台で美味しそうなものが売ってまして……あっ、皆さんの分もありますよ!」
「そういうのは先に用事を済ませてからにしなさい。ヒナちゃんの荷物が汚れたらどうするの?」
「まあまあ、急いでなかったし。てかさっきの人いた時に来られても困ったから別にいいよ。わたし、マリーちゃんのそういう所好きだよ」
「ヒナ様……!」
「俺はあんまり」
「私も」
「そんなぁ!」
なんだか毒気を抜かれてしまったな。せっかくなので皆で肉の串焼きや甘い揚げ菓子を食べて、開会式までの時間を潰すのだった。
■□■□
『これより、第九十九回公立精霊学園元霊祭、開会式を始めます』
グラウンドに放送の声が響き渡る。会に出席しているのは来賓や一部の生徒だけで、大半は各々出し物の準備をしている時間だ。残りの暇な生徒達は屋台を冷やかしたり適当にサボったり、後ろの方で一般の観客に交じって開会式を見物していたりといった様子である。
俺も同じくトーナメント戦以外に準備することの無い暇な生徒の一人……ではなく、巫女家の一員として生徒の列に席が用意されているのだった。隣にはもちろんイレアが座っている。ちなみにヒナも招待されていたが、審判の準備があるので欠席だ。
会は順々に進行し、来賓挨拶へ移った。リギスティアさん、ティターニアさんと見知った顔の挨拶が続き、サラマンド家の当主からは預かったものの代読という形だ。この期に及んで、当然のように欠席。もう追究する気も起きないな。
『――続いて、極東統治領軍より遠征隊隊長、ミヅカ・シオン様からのご挨拶を頂きます』
そしてついに、来賓席で異彩を放っていた軍服姿の母さんが登壇した。
『ご紹介をいただきました、極東統治領軍遠征隊隊長、ミヅカ・シオン少将であります。この度は歴史ある祭事にお招きいただき、感謝申し上げます。開催に当たりましてご尽力なさいましたヴィオテラ・ノーミオ学長並びに関係者の皆様には、心より敬意を表す次第であります。また、生徒の皆様にも――』
感謝と時候の挨拶や両国の親交と発展を願う祝辞を述べ、聴衆が堅苦しい軍人口調に慣れてきた頃。母さんは、ふっと表情をやわらげた。
『――さて、来賓としてのつまらない挨拶ばかりしてしまいましたが、私もここにいる生徒の親の一人です。肩の力を抜き、ただの観客として、皆さんの奮闘を楽しませていただきます。ありがとうございました』
周囲の席に座る生徒達からチラチラと視線が向く。母さん、どういうつもりだ? 俺達の気も知らないで、今更になって保護者面かよ。
そう思っていると、イレアが小声で話しかけてきた。
「ねえ、リオ。お母さんは……多分、敵じゃないよ。信じてあげて」
「多分って……信じられるかよ」
「……うん、そうだよね。でも祭が終わったら……私達が、何とかするから」
『続きまして、サラマンド家医師団より――』
母さんが降壇して次の来賓紹介に移り、会話は終わった。イレアはさっきリギスティアさんに何か聞いたんだろう。だとしても、今は気にしなくていい。母さんのことなんて考えても無駄だ。
来たる初戦に集中すべく、俺は目を閉じてそれ以降は聞き流した。
■□■□
開会式が終わってしばらく経ち、予選の第一試合が始まる十時まであと少しという時間。トーナメント戦参加者が集まるテントで、俺は今朝家を出た時ぶりにヒナと再会した。
「お兄ぃ、準備はいい?」
「もちろん。最初は俺のとこ、ヒナが審判なんだな」
「これは本当にたまたまだよ。公平にやってるからね」
「よく言うよ」
袖を捲って硝子の腕輪をチラリと見せると、目を伏せて肩を竦められた。それはそれ、これはこれだな。
テントの中は初戦グループの三十二人と、審判や実行委員の生徒で混み合っている。こんな狭い所にぎゅうぎゅう詰めにする必要あるかよと思ったが、予選は全部で百二十試合もあるので、グラウンドを目一杯使って十六試合同時に行うからだ。更に、杭とロープで示された十六のエリアの外の観戦場所には既に大勢の観客が集まっている。控室を用意してくれて助かったな。
『審判と選手の皆さんはそれぞれのエリアに入場してください』
放送の合図で、指定されたエリアに移動する。俺の目の前に現れたのは気弱そうな男子だ。確か中等部だったはず。背丈からして一年か二年だろうか。
「よろしくお願いします」
「よ、よろしく……お願い、しますっ……」
うーん、完全にビビってるな。多分あの噂も知ってるんだろう。初っ端の相手が俺とは運の悪いことだ。
「本日の初戦なのでルールの説明をします。まず、武器を使った直接の攻撃、過度に急所を狙った致死性の攻撃、エリア内の対戦者以外を狙った攻撃は禁止です。また――」
練習してきたのだろう、ヒナはルールをすらすらと読み上げる。以前にも聞いたが、注意すべき禁止事項は直接攻撃と範囲外への攻撃くらいだな。両方とも対策を考えてある。
「――以上になります。最後に質問はありますか?」
「ありません」
「だ、大丈夫、です」
「それでは開始の宣言をします。ミヅカ・リオ選手、アンディ・リーフ選手、両名は前へ。『大精霊の名の下に、誠意ある闘技を執り行う』」
いよいよ覚悟を決めたアンディ少年と向かい合い、宣誓の言葉を聞く。全ての準備を終えたヒナは、グラウンドの中央に仮設された時計塔をじっと眺めた。
長針が頂点を指す。
「始め!」
各エリアから飛び出した合図が重なり、火蓋が切って落とされた。さあ、先手必勝!
「行くぞ――加速弾!」




