第88話 開会
『――これより、第九十九回公立精霊学園元霊祭の開会を宣言する!』
元霊祭当日、朝八時のグラウンド。クラスごとに整列した俺達は、風の精霊術で拡大された学長の挨拶を聞いていた。思ったより長くなかった開会宣言に拍子抜けしているうちに、解散となったのだった。
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「なんか、開幕の挨拶って割には短かったな」
「生徒向けのだからね。来賓紹介とかがあるセレモニー的な開会式は九時からだよ。そもそも一般開場まであと三十分もあるし」
「そりゃそうか」
ぞろぞろと各教室に戻る生徒達の流れの中で、俺はトーヤと話していた。最近は俺の悪評が「そうらしい」から「真偽不明」くらいに収まったおかげで外で俺と話しても大丈夫な雰囲気だ。というか、むしろ委員長である彼が積極的に話しかけて和らげてくれているんだと思う。ありがたいことだ。
「これから皆はクラス発表の最後の確認をするみたいだけど、リオはどうする?」
「すぐ出てくけど、顔くらい出すよ。初戦まではかなり時間あるし」
「あんまり怖がらせないであげてよ? 僕も実行委員のミーティングがあるからすぐ行っちゃうけどね」
ちなみにイレアは来賓であるリギスティアさんを迎えるため、中央棟に出向いている。俺も行くべきかと尋ねたが、トーナメント戦に備えて欲しいと言われた。それはイレアも同じだけど、本戦の作戦を気にしているんだろうな。そんな訳で氷の姫が不在なので、俺が代わりに威嚇しに行くつもりだ。
「おはようございます」
教室に入って開口一番、敢えてのしっかり挨拶。これはイレアの真似だ。ギョッとしたクラスメイト達の目が泳いでいたが、いつもなら隣にいるはずのイレアを探しているんだろう。
「あっ、えっと、おはようございます、リオさん。その……トーナメント戦、頑張ってください」
その中でも懸命に挨拶を返したのは、トーヤの代わりにクラスを纏めている……確か、ソレルさん。合ってるよな?
「ありがとう。今更だけど、敬語じゃなくていいよ。同級生なんだし」
「あ、うん……そ、そうだね。ごめんね、その」
「いや、大丈夫。トーナメント戦、頑張るよ。クラスの代表だからさ」
そう言いながら教室を見渡す。一人を除き、揃って困惑の表情だ。
この三週間で一組は少し雰囲気が変わった。例の噂が最も早く広まったのはうちのクラスだが、それを否定する噂をいち早く耳にしたのも彼等彼女等だったからだ。真偽不明の噂に流される他所の生徒達と違い、ここには当事者の三人がいる。そして実際の俺達の関係を目にすれば、流石に噂の内容には疑問を持つのだ。もちろんミスズと仲の良い何人かはまだ信じているだろう。だが、そうでないクラスメイト達は確実に不信感を募らせていた。
「――おはよう、リオ君」
「おはようミスズ。調子はどうだ?」
そして、唯一反応を見せなかったミスズ。彼女は臆することもなく俺に向かってきた。
「まあまあかな。予選くらいは大丈夫だと思うけど」
「そうか。じゃあ本戦でな」
「うん、明後日が楽しみ。みんな見に来てくれるから、頑張ろうね」
準々決勝ではなく、その後で当たるつもりか。こっちの事情も織り込み済みだな。
「じゃあ、俺は行くよ。皆もクラス発表頑張って」
「あ、ごめん、僕も行かないと。何かあったらすぐ来るから、実行委員の本部に伝えてね! ソレルさん、色々任せちゃってごめん! それじゃ!」
揃って教室から出て行った俺とトーヤを見送り、クラスメイト達は暫し呆然としていたのだった。
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同時刻、中央棟一階にある講堂前のホワイエ。
「――あっ、お婆様! こちらです!」
「おはようございます、イレア。忙しいのにごめんなさいね」
「いいえ、これも次期当主の務めですから」
開会宣言が終わってすぐにここに来た私は、お婆様を待っていた。本当は私も初戦に備えていなさいと言われてたんだけど、どうしても挨拶に同行したい理由があったからだ。
「リオさんとヒナさんはいかがですか?」
「リオは調子良いって言ってました。今は教室の方です。ヒナちゃんは放送委員の仕事が忙しいみたいで、もう実行委員の本部にいると思います」
「そうですか。二人とも、トーナメント戦は決して無理をしないように。期待しています」
「はい!」
そんな話をしながら向かう先は、ひときわ賑やかな人だかり。主催である学長に挨拶をしている集団だ。
「……おっと、皆様方申し訳ない。私の大切な友人がいらしたのでな。話の続きはまたの折に」
「お招きいただきありがとうございます、ヴィオテラ学長」
「こんな場だからって堅苦しいのはよしてくれ、リジー。よく来てくれた」
私達が近付くと学長は話を切り上げ、人々はさっと退いた。当主二人を前にすれば当然の対応だけど、私まで注目されて少し居心地が悪い。
「イレアーダス、今年はついに優勝候補の一角だな。うちの家からは良い相手になる奴を出せなくてすまない。頑張ってくれ」
「ありがとうございます。精一杯勝ち進めるよう取り組みます」
学長の激励に、昨日のルーヴェラント先輩との話が思い出される。彼女の立場からすれば私が応援される筋合いは無いはずだけど……いや、これもまた本心だろう。対立する当主同士といえど二人が友人なのは間違いないし、昔から彼女は私のことをよく知っている。友人の孫娘の晴れ舞台は喜ばしいものだ。だから、思惑だとか策略だとかそういうの全部含めて、私のことも心から応援しているんだろう。学長はこういう人だ。
「さて、忙しい貴女の時間を貰うのも申し訳ないですね。ヴィオ、また開会式で。行きますよイレア」
「は、はい! 失礼します!」
私が考え込んでる間にも二人は二言、三言会話を交わしていたようだった。お婆様の声にはっとし、私達はその場を後にした。
「それにしても、貴女が自分からこのような場に来たいだなんて……最近は次期当主の自覚が芽生えてきたようで喜ばしい限りですが、それだけではないのでしょう?」
「それは、その……」
目的を見透かされた気がして、しどろもどろになってしまう。でも、学長に挨拶するというお婆様の用は済んだみたいだ。この場を離れてしまえば彼女には会えないだろう。そう気を落としていると、
「っ!」
瞬間、張り詰めたような空気。誰もが目を向ける、その発生源――出入口の扉から、人影。私は一瞬で理解した。来た、と。
コツコツと歩む音がホワイエに響く。小柄だが、一切の隙を見せない雰囲気を纏った極東の軍服。
「――お久しぶりです、シオンさん」
誰よりも早く動いたのは、お婆様だった。
「ご健勝のようで何よりです、リギスティア様。長らくご挨拶に伺えず申し訳ありませんでした」
「いえ、お忙しいようですから。そちらこそ極東からの長旅ご苦労様でした」
「子供達がお世話になっているようで、ご迷惑お掛けします」
「ご心配無く。お二人は我が孫も同然ですから」
互いの間合いを測るような会話。ミヅカ・シオンが極東の遠征軍で公国に来るのは、十数年ぶりということになっている。実際にお婆様と会うのもその時以来だろうけど……私は、夏休み明けの討伐演習で会っていた。
「イレア、ご挨拶なさい」
「は、はい。……初めまして。ウンディーノ家次期当主、イレアーダス・ウンディーノと申します」
「ご丁寧にありがとう。――極東統治領軍遠征隊隊長、ミヅカ・シオン少将であります。以後どうぞ宜しく」
軍隊調の敬礼に気後れしてしまう。公的な立場の彼女と、どう接すれば……なんて私の心は読まれていたみたいで。
「――怖がらないでちょうだい。この前は巻き込んじゃってごめんなさいね」
「い、いえ」
「リオとヒナの気持ちを確かめたかっただけよ。貴女達に危害を加えるつもりは無いのだけど……上手く伝わらなかったかしら」
なんでもないことのようにそう囁いた彼女の言葉に、私は初めて理解する。本当に――敵意が無い。
「二人のこと、よろしくね」
「は、はいっ」
「当主殿、それでは失礼いたします」
辛うじて返事ができた私に彼女は微笑み、お婆様に一礼してから学長の元へと歩いていった。
「行きましょう」
お婆様の声で我に返った私は、続いて扉を出る。無言でしばらく進んでから、彼女はようやく口を開いた。
「――久しぶりに会って思い出しました。シオンさんは、ああいう方です」
「昔から……ですか?」
「ええ。公私をはっきり分ける二面性はあっても、裏表は無い……隠し事が多いだけで、嘘は吐きません」
口を閉じ、目頭を揉む。私は次の言葉を待った。
「ドラヴィドからの侵攻については聞いていますね?」
「はい。国の総意ではないので、想定よりは規模が小さいとルーヴェラント先輩に聞きました」
「ええ。夏季休暇明けの一件は戦争に賛成する王家のうち一つが先走ったものでした。今回は最低その三倍ほどの勢力だと予想されますが、それ自体は十分対処可能なものです」
あの時の三倍……具体的な数字を聞くと生々しさに寒気がするが、しかし、とお婆様は続けた。
「第一に警戒していたのは、その最中に極東軍がどう動くのか……リオさんも仰っていましたが、ヴィオテラが出し抜かれ、国全体で不利益を被るのではないかと。それが心配だったのです」
「今は違うのですか?」
「長く顔を合わせていなかったせいで、勘繰りすぎていました。何か裏があるのではないかと、彼女を……シオンさんを、疑いすぎていた。私も、リオさんも。いえ、私こそがリオさんの疑いを強めてしまったのです」
ふっと溜息を吐く。何かが氷解したような表情だ。
「これから起こるドラヴィドとの抗争に、極東からの介入はありません。どちらへの肩入れも無く、ヴィオの言っていた通り彼女はただ戦争を提供しただけ。取引をしたヴィオテラには見返りを求めたでしょうが……恐らくそれは既に済んでいます。邪霊の転送実験と、留学生の受け入れなどです」
「……断言、できるのですか?」
「そう考えれば、この状況にだいたいの説明がつくというだけですが……強いて言うなら、彼女がリオさんとヒナさんの母親だからです」
二人のこと、よろしくね――さっきの言葉を思い出す。あの表情は、リオとヒナちゃんを切り捨てた薄情さから出るものではない。でも、リオは。ヒナちゃんは。
「それでも……二人は、悩んでます」
「親の都合で子供を振り回して……恨まれても文句はないでしょう。全く私が言えた話ではありませんが」
「でも、お婆様は」
「同じです。いくら想っても、伝わらなければ、間違って伝わってしまえば意味が無い」
ならば。今度は私達の番だ。
「今すぐにという訳にはいきませんが、問題が解決したら三人を引き合わせましょう。きちんと、場を整えて。私自身も、いい加減シオンさんと向き合わなければなりません」
「はい。あの時のお返しですね。私も、リオとヒナちゃんのおかげでお婆様と……ウンディーノ家と向き合えましたから」
いつかのように柔らかな笑みを浮かべたお婆様は、ふと何かに気付いたように目を見開いた。
「――ああ、そういうことでしたか」
「どうしたんですか?」
「ふふっ、随分と……普通だな、と。彼女が私と会わなかった理由です」
くすくすと、珍しい笑い方。何がそんなにおかしいのかと首を傾げると、笑って答えてくれた。
「義理の実家というものは、お互い気まずいのですよ。彼女にとっては特に、ね」
その意味も実感も、私にはまだ何となくしか分からなかった。だけど……久しぶりに、お婆様の眉間から皺が取れたように見えたのだった。




