第87話 前夜
「――て、……――きて――ん、」
微睡みに雑音が混じる。
「……――きて。……起きて、――」
心地よい午睡に亀裂が入り、外界を意識せざるを得なくなる。なんだよ、邪魔すんなよ……
「起きて、リオ君!」
「っ、はい! 寝てません!」
顔を上げると、そこにはスーツを着た仏頂面の少女……ではなく、ソージア先生が立っていた。やけに間近に感じるのは俺が椅子に座っているからか。立ってる時より目線が近い。改めて小さいな、この人。
「寝起きで失礼なこと考えてないで、目を覚ましてちょうだい」
「寝てません」
「……それは無理があるでしょ。別に怒らないからいいわ」
今は午後イチの三限目、演習授業の時間。俺は一人で教室に残っていた。あれから土日の間ぶっ通しで続いた修行の疲れで寝てしまっていたようだ。いやまあ、ケルヤ先生に自習するって伝えた時点で寝る気満々だったけどさ。
「そんなことより、緊急事態よ」
「! そうだ、イレアは?」
「帰って来てるわ。隣の部屋で待ってるから、行くわよ」
そういえば、用事でソージア先生と一緒に昨日の夜から本邸に行ってたんだっけ。用事自体は緊急のものではなかったはずだから、別件で何かあったらしい。隣の空き教室……鍵の掛かる場所で話したいことか。
「了解です」
突っ伏して赤くなった額を擦りながら、俺は立ち上がった。
「おはよう、リオ」
「お帰りイレア。おはようって時間でもないけどさ」
「合ってるでしょ?」
「まあな」
寝ていたことを咎めるほどでもない軽口だが、いつもより真剣な面持ちだ。鍵と共に防音の術を掛けたソージア先生に、俺達は居住まいを正す。
「いいわね、落ち着いて聞いて。……マスターが、失踪したわ」
「っ!」
息を呑む。先生がマスターと表現する人物は、一人しかいない。俺がお世話になったレストランの元オーナー……そして、つい一週間前カフェで再会した彼が、失踪したというのだ。
「彼に付けている監視からの報告よ。五日前、定休日の前日に出勤したのが最後で、店長に聞いたら『しばらく休みを貰いたい』って言ってたそうなの。彼の住居も完全にもぬけの殻……足取りは掴めていないわ」
「ウンディーノ家でも分からないんですか?」
「ええ。手慣れている風だった、と調査班からは聞いたわ。彼自身が姿を眩ましたのか、或いは……」
消された、か。
「このタイミング……まさか、私達に話をしたのが原因で?」
「分からないわ。そもそも彼の存在を知ったのは、カフェの評判が届いたからでしょう? 彼を追う者がいたなら、同じ時期に知ってもおかしくない。もちろんあなた達と会ったことで存在が知られたという可能性もあるけど、少なくとも二人に責任は無いわ」
「……分かりました」
落ち込むイレア。話をして欲しいと頼み込んだのは彼女だ。そうは言われても責任を感じてしまうのだろう。だが、俺達との接触から巫女家の干渉を嫌って姿を消したなら、俺も同罪だ。偶然とはいえ、会わなければ……いや、違うな。マスターは、また来いと言った。あれは嘘じゃなかった。だから、自分の意思で姿を消したんじゃなくて……覚悟しておこう。
「そうなると、彼を消したい人間が動き出したってことですね」
「ええ。話を聞く限り、思い当たるのは彼等を唆したっていう男しかいないわ。その男が彼か、その周辺の人間なら……」
「近いうちに、何かが起きますね」
三人でコクリと頷く。近いうち、なんて言ったがそれが指す時は一つしかない。元霊祭に向けて、あらゆる物事が収束している。
「気を付けて、なんて今更それしか言えないけど……しっかりと準備をしておいてちょうだい」
「「はい!」」
一層の危機感と覚悟を固め、俺達は空き教室をあとにした。
■□■□
某日、某所。シルフィオ家が所有するとある施設に、その当主――ティターニア・シルフィオは一人で出向いていた。
冷たい廊下にコツコツと足音が響く。そこは、表向きはシルフィオ家の連絡施設として使われている小さな事務所。しかし地下には厳重なロックの掛かった扉の奥に、いくつかの小さな部屋があった。そのうちの一つ、更に鍵の掛かった重い扉を開けて彼女は中に入る。
「――お元気かしら? ミゲル・キリシマ」
「おはようございます、ティターニア様。いえ、今が本当に朝なのかは分かりませんが。小官はこの通り元気でありますよ」
「食事は時間通りに運ばせています。今は朝の九時ですよ」
「それは良かった。時計が無いとどうにも落ち着かない性分でして」
独房のような空間にいたのは、シルフィオ家が身柄を押さえている極東軍の外交官ミゲル・キリシマ。独房のような、ではなくまさにここは秘密の地下牢である。シルフィオ家に捕らえられて以来、彼はこの場所に拘束されていた。
「でしたら、全て吐いてここから出て行くのがよろしいのでなくて?」
「全ても何も、小官の知る事は今までお伝えした通りです。ここの居心地も悪くはありませんが、そろそろ外の景色が恋しくなってきましたよ」
長期間の軟禁にも堪えた様子の無い彼に、ティターニアは小さく溜息を零す。厄介な相手だというのは拘束した当初から思っていたが、この男は彼女の想像を遥かに超えていた。
「それにしても、当主様自らお越しになるとは。いかがなさいましたか?」
「リオ様が、貴方との面会を希望しているそうですよ」
「おや、坊っちゃんが。通して頂けませんかね、最近会えておりませんので」
「いいえ、不許可としました。理由はお分かりですね?」
「ハハ、なんのことやら……」
定期的な尋問のために彼の正面に座る。無駄だと分かっていても足を運んだのは、単なる気まぐれだ。
「おや、今日は器具は使わないのですね。ようやく無駄だと分かって頂けましたか」
「使わなくても指くらい折れます。どうせ意味が無いでしょうけど、多少の負荷にでもなればと思いまして」
「ええ、仰る通り。治すのも楽ではないのですから、お互い時間の浪費ですよ。しかしまあ、巫女家の当主ともあろう御方がこんな事をしてもよいのですか?」
「では始めます」
彼の言葉を無視し、何度目かの同じ質問をする。
「極東統治領軍遠征隊副隊長、ミゲル・キリシマ中佐。出自不明、軍所属以前の経歴不明、妻子及び親族無し。これについては?」
「いやはや……何度も申し上げておりますが、小官は賤しい生まれの身ですので、無いものは無いとしか。極東軍は実力主義。そのような者も珍しくありませんよ」
ぱきっ。
「フラフラと生きていたところを軍に拾われた。それだけです」
ぱきっ。
「親の顔も覚えておりません」
ぱきっ。
「これ以上何をお望みで?」
「……前回と同じ答え。極東から入手した記録とも一致しますね」
「ええ、そうでしょう。ご確認いただけて何よりです」
小指から中指までが折れた左手を彼はプラプラと振る。すると……逆方向に曲がった関節が見る間に元に戻っていく。完全に治った指を握ったり開いたりして、ミゲルは微笑んだ。
彼に拷問の類いは効かない。術の効果か、或いは驚異的な精神力か、どんな痛みを与えても表情一つ、声のトーン一つ変わることは無い。そして、火の術らしからぬ不思議な治癒術で全ての傷が元通りになる。食事を抜いても、水責めをしても、何一つ効果は無かった。故に、ただこの場所に留めているのだ。
「勿論、貴方がシオンさんの忠実な部下のままであれば、何も問題ありません。しかし貴方は何故か彼女を裏切った。そうなれば話は変わります。国家の重大な問題になりかねない不安材料ですから、その理由を調べる必要があります。動機に繋がる全てを」
「動機についても言ったではありませんか。坊っちゃんとお嬢ちゃんを頼むと隊長に言われたからです。忠誠とは必ずしも唯々諾々と従うことではありませんよ」
何度か聞いた裏切りの理由を、彼は表情を変えずに喋った。
「あの二人のため……その言葉には確かに嘘は無いのでしょう。ですが貴方からは、偽りの匂いがする。塗り固めたような、作り物の匂いが」
「その証左は?」
「私の勘――いえ、経験則です」
「それはそれは。そちらも苦労なさっているようで」
溜息を吐き、正面に座り直し、彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「もう一度聞きます。ミゲル・キリシマ、貴方は――何者ですか?」
だが、その微笑みの奥を伺い知ることはできなかった。
■□■□
あれから二週間と三日。修行漬けの日々はあっという間に過ぎ、ついに元霊祭の前日となった。
相変わらず演習授業はハブかれたまま。俺の悪評も特に変わることなく、巫女家の争いに関わりが無い生徒達にも下世話なゴシップとして広まっているようだった。とはいえ、あからさまな悪口を耳にするような事は無い。どうやら放送委員や実行委員の間で噂を否定する話を広めてくれているらしかった。賛否が分かれたことで逆に注目されているような気がするが、多少はマシになったかもしれない。
一方マスターは見つからないし、ミゲルさんとの面会も未だ叶っていない。そしてつい先週極東軍の遠征軍が来たらしく、母さんが大使館に姿を見せたという話を聞いた。しかし俺達の前には現れない。ディルクや学長にも怪しい行動は全く見られないようだ。
事態には何も進展が無いまま、今日に至る。
「お兄ぃ、お姉ちゃん、ただいまー」
「やっほー。ごめんね、遅くなちゃった」
夕飯前にようやく帰ってきたヒナは、ルー先輩を連れてきた。これから最後のミーティングだ。
「お帰りヒナ。先輩もお疲れ様です。実行委員の会議、随分長引きましたね」
「警備関係の確認事項が多くてね。邪霊対策の警備は一昨年からやってるけど、今年は特に多いからさぁ」
「あと留学生もね。全員分の名簿と主に使う術とか合わせて共有してるの。少なくとも放送委員は同じ学年のは覚えといてねって。二人にも後で見せてあげる」
「ホントは臨時の委員にも留学生の事は共有したいんだけどさー。ノーミオ家側の生徒も多いし……あーもー、やんなっちゃう!」
やはり放送委員は留学生の動向にかなり注意しているらしい。名目上は中立のはずだが、ティフォ先輩の従姉妹である委員長は相当こっちに肩入れしれくれているようだ。そういえば俺とイレアはまだ会ったこと無いな。
「お疲れ様、ヒナちゃん。夕食にしますけど、ルーヴェラント先輩も食べていかれますか? ミーティングはその後にでも」
「マジ? ちょー腹減ってんの。いただきまっす! 遅くなっちゃうし、話は食べながらでいい?」
キッチンに立っていたソフィーさんは、俺達の話を聞いて無言でサラダを盛り付け始めた。来客がある日は張り切った献立になるから、結構楽しみだったりする。
「情報共有からしようか。良いニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」
豪勢な牛肉の煮込み料理を前に目を輝かせながら、ルー先輩は持って回った言い方でそう尋ねた。なんだか模範解答のありそうな質問だ。
「……悪いニュースからで」
「オーケー。残念なことに、ドラヴィドからの攻撃が来るのは確定だ。回避できなかった。ごめん」
「先輩が謝ることじゃないですよ」
「まあそうなんだけどね。地元だからさ、流石にちょっと申し訳ないなって」
珍しく落ち込んだ様子の彼女に、食卓が少し暗い雰囲気になる。ナイフで肉を切り分ける音だけが響き、そんな空気を真っ先に嫌がったヒナが声をあげた。
「ほら、そんなん気にしてもしょうがないじゃん。それより良いニュースって?」
「あはは、ごめんごめん。じゃあ良い方のニュースだけど……あ、期待させること言って悪いけど、別にそんなに良いニュースじゃないからね。言ってみたかっただけ」
「今更いいですよ。で、なんですか?」
「そのドラヴィドの侵攻だけど、想定よりは規模が小さいだろうって話。少なくとも、戦争ってレベルにはならないと思う」
「えっと、どういうことですか?」
イレアの疑問に同意だ。侵攻はあるが、戦争ではない。変な話だな。
「ちょっとややこしい話になるんだけど……前提として、ドラヴィドには七つの王家があるってのは知ってる?」
「はい。一応、議会制みたいになってるんでしたっけ」
「一応って辛辣だなぁリオ君は」
「公国も似たようなものですよ」
「うわっ、更に辛辣。身内でしょ?」
「先輩、大丈夫。極東よりはマシだと思うから」
「ヒナちゃんもだけど……君達兄妹、ホントそういうところ可愛くないよね。次期当主様困ってんじゃん」
「あはは……それで、戦争にはならないというのは?」
イレアの苦笑いで話が戻された。
「議会は基本的にそれぞれの当主七人での多数決だから、戦争するかしないかは本来きっぱり決まるはずなの。で、この当主のうち一人が国代表の王様で王族本家ってやつ。王には最後に投票する権利があるから、三対三で割れたら王に議決権があるってこと」
「へー、合理的ですね」
「リオ、これ今度のテスト範囲よ……?」
ツッコミは無視しよう。だが、その方式なら中途半端な決定にはならないはずだ。
「今回の侵攻についても三対三で意見が割れたんだ。あ、ベント家はもちろん反対派ね。だから王の投票次第だったんだけど……今の王が、それはまあヘタレなもんでね。投票権を放棄しやがった!」
「じゃあ意見が割れたままってこと?」
「そう。議決は保留中~とか言ってるらしいけどね、事実上の棄権だよ。そのせいで侵攻が勝手に決まったとも言えるし、国としての決定じゃないから全面戦争には絶対にならないって確信を持って言えるわけ。反対してる三家には動員がかからないからね」
なるほど。確かに良いニュースと悪いニュースだ。しかしまあ、戦争をするかどうかって局面なのに放棄するとはダメな王だな。
「あ、そういえばこの前先輩のパパに聞いたんだけどさ。相談役のレオナルドって人が実質的な王って言ってたけど、その人はどっち派なの?」
「ああ、ラジャン家の当主ね。反対派だよ。というかこの人が王を止めてるおかげで全面戦争にはならないって言っちゃっていいかも。十七年前の時も議会は三対三だったけど、王の決定で戦争に踏み切ったらしいからさ」
「そんな人でも完全には止められないんですね……」
「そーなの。一票は一票だからさぁ」
なかなか難しい話だな。ちなみにそのラジャン家はベント家と仲が良いらしく、九月の襲撃の時は国内の対応をしてくれたらしい。すんなり片付いたのは彼のおかげなんだとか。
「まあいいや、明日からの元霊祭の話をしよう……っとその前に」
空になったお皿に手を添えてソワソワしていたルー先輩は、振り返ってキッチンに立つソフィーさんと目を合わせた。すぐに察した彼女はニコリと微笑む。
「お代わり、いかがでしょうか?」
「いただきます!」
勢いの良い返事に思わず笑ってしまう。相当腹が減ってたみたいだな。
俺もお代わりを貰い、話の続きは食後ということになった。
■□■□
「ふー、食べた食べた。ごちそうさまでした! いやぁ、こんなご馳走になっちゃって申し訳無いね!」
あんまり申し訳無く思ってなさそうだ。まあ先輩には色々と世話になってるし、そもそも用意したのはソフィーさんだから言う事は無いが。
「んじゃ、祭についてだ。明日からの三日間、金土日で行われるけど一番人が多いのは最終日。トーナメント戦の決勝があるからね。日程は分かってる?」
「初日が八グループに分かれた予選、二日目に本戦の準々決勝、最終日に準決勝と決勝ですね」
「うん。二日目は中日だから多少余裕を持たせてるの。トーナメントの当たり方も調整するから、この日に事実上の決勝! みたいな事は無いはずだよ。体をしっかり休めてね。他にも色々出し物とかあるから、時間空いたら見てみるといいよ。せっかくのお祭りだし」
参加者の百二十八人は十六人ずつのグループに分けられ、本戦と同じトーナメント方式で予選通過者を決める。予選のグループ分けは既に公開されているが、本戦のトーナメント表は当日に発表するらしい。
「トーナメントの調整って放送委員がやってるんですよね。学園側……学長からは何も言われないんですか?」
「それがなんにも。エンタメの側面もあるから、例年通り強い奴はなるべく離せってくらいでさ。まあ学長の立場からすれば、ぶっちゃけ誰が勝っても関係無い……というか誰が勝ってもほぼ損しないからね」
「まあ確かに、そうですね」
ヴィオテラ・ノーミオはノーミオ家の当主だ。当然ノーミオ家の生徒が勝つのが一番良いが、まずこれは望み薄。学園内の派閥は大きいが、参加者に有望は生徒は少ないのである。特に、ノーミオ家本家の若い世代で学園に通う年齢の子供がいないからだ。巫女家の家系は基本的に女性が継ぐものだが、現巫女フィロンテ様が子供を産めないのが後になって発覚し、彼女の弟二人が子供を持つのが遅れたのが原因らしい。年の離れた兄のディルクにも子供はいるが、もう皆学園を卒業している。
では優勝候補はというと、留学生達か俺かイレアか、もしくはルー先輩。まず留学生達は学長の施策で集められたので、当然勝てば彼女の手柄。極東との交流の成果にもなる。そして俺とルー先輩も、派閥は違えど彼女が呼び込んだ生徒だ。唯一の例外はイレアだが、それでも決勝まで進む生徒は二人。もう一人誰かがそこまで勝ち進めさえすれば、十分彼女の手柄になり得るのだ。
「イレアちゃんは絶対として、もう一人はアタシかリオ君だけど……ウンディーノ家的にはリオ君が決勝に進む方が良いでしょ」
「でも俺は極東軍幹部の息子だから、学長のアピールとしてはルー先輩よりも適任ですよね」
「ね、先輩じゃダメなの? お姉ちゃんと決勝で会ったら手抜くって言ってたじゃん」
「いやー、あの後色々考えたんだけどね。やっぱアタシが決勝行くのはあんま良くないかなって。ホムラちゃん先生がいた去年までとは訳が違うし」
曰く、ルー先輩は去年まで元霊祭実行委員にあまり関わっていなかったらしい。だが今年は留学生対策でガッツリ運営側だ。もちろん去年も放送委員である彼女の参加を疑問視する声も無くはなかったが、ホムラ・ソージアという絶対王者に対するチャレンジャーとして認められていた雰囲気があった。どちらも状況が異なる今年は、放送委員の公平性のためにもあまり目立ちたくないようだ。
「とはいえ留学生の誰かに搔っ攫われるのは嫌だよねってわけで、今んとこの想定トーナメントがこれ。準々でアタシ達三人はバラけて、なるべく上で当たるようにする」
先輩が懐から出した紙には、教室にも貼ってあったグループ分けの表の横に本戦のトーナメント表が書かれている。左端にイレア、一個飛ばしてルー先輩、そして右端に俺だ。それ以外は埋まっていない。
「私が準決勝で先輩と当たるんですね」
「うん、イレアちゃんが決勝に行く確率をなるべく上げたいからね。ごめんねリオ君、この前は発破かけたところ申し訳ないけど、君との勝負はお預けだ」
「全部片付いてからにしましょう。っていうか本番で先輩と当たったら手加減してくれなそうですし」
「あは、バレた?」
本気とも冗談ともつかない先輩の言葉はさておき、俺はトーナメントの空欄に目を落とす。
「俺達以外の五人はどうしますか?」
「うーん、正直混戦っぽいところもあるから、出たとこ勝負で。特に留学生はまだ実力が分からないからさ。どっか気になるやつある?」
「じゃあ、このグループを俺と当たる所にお願いします」
「ここって……ミスズのグループ?」
俺が示したのは、ジングウ・ミスズの入っているグループ。他の生徒の名前に聞き覚えは無いが、彼女なら勝ち上がってくるだろう。
「あー、この子ね。私怨?」
「私怨です」
「そう来なくっちゃ。準決で当たるけど、いいね? 放送委員的には盛り上がるマッチは最終日に置かなきゃいけないからさ」
ニヤリと笑い、先輩は俺の二つ左の空欄に彼女の名前を書き込んだ。万全を期すなら準々決勝の方が良かったが、まあいいだろう。
「俺がこいつを倒して決勝に行きます。そしたらイレアと当たって、俺が負ければいい。ワンツーフィニッシュでウンディーノ家の勝ちだ」
「なんか私だけ楽しちゃってる気がするんだけど、いいの?」
「いいよ。アイツが俺に喧嘩売って来てるんだし」
万が一俺と当たる前に負けたら盛大に煽ってやろう。覚悟しとけよ。
「ま、もしリオ君が負けたら決勝で待ち構えてなよ。そのためにもイレアちゃんには無傷でいて欲しいし」
「ははは、何言ってるんですか先輩。負ける訳ないじゃないっすか」
「ヒュ~、かっくいい~! 流石リオ君、言うねぇ!」
先輩は茶化すが、俺は本気だ。邪霊の襲撃があった時は逃げられたようなものだし、まだ本気で戦えていない。それに俺もこの三週間で強くなったはずだしな。負ける気がしない。
それに……イレアには、トーナメント戦の後に備えていて欲しい。それは誰が言わずとも理解していた。
「とはいえリオ君、最近パパと修行してるからねぇ。強くなったって聞いてるよ? 予選見たらもっとオッズ上がるんじゃないかな」
「オッズ?」
「……リオ君、マジでそういう話知らないのね。ヒナちゃんにはこの前教えたか。イレアちゃんは説明要る?」
「詳しいところまでは知らないです。今年はどうなんですか?」
「んじゃリオ君のために概要からね」
なんだかまた俺が知らない話が出てきた。うーん、流石にもうちょっと気にした方がいいな……
「簡単に言うと、トーナメント戦の裏で賭けをやってるの。もちろん非公式で」
「良いんですか?」
「ダメに決まってるでしょ。とはいえ昔からの伝統だし、止めたら止めたでトラブルになるから学園はほぼ黙認してるって感じ。あ、参加者と審判が賭けるのは駄目だよ。それは普通にギャンブルのルールとしてね」
「いや、別に興味ないですけど……それでオッズがあるんですね。当てになるんですか?」
「これが案外馬鹿にならなくてね。本戦のトーナメント表は毎年これ見て決めてるくらいだし。今年はこっちの事情優先にするつもりだったけど、そんなに外れてなさそうで安心したよ」
現在のオッズは、昨年準優勝のルー先輩が一位、少し離れてイレア、僅差でミスズ、やや離れて俺となっているらしい。その下はまた更に少し離れているそうだ。
「ミスズ、そんなに高いんだな」
「有名人だね。アタシもびっくりしたけど、ヒナちゃんのところにも例の噂流れてるらしいし。だから君達のマッチを見たい人は多いってこと」
「うん、中等部でも広まってるよ。今じゃ原型無いくらい変わってる話もあるけど、本当のこと知ってる人は全然いないと思う。民衆は愚かだね」
ヒナのあんまりな発言に苦笑するが、知らない間にそんなことにまでなっていたんだな。とりわけこんなものに投票するのは噂好きな生徒達が多いからだろう。
「そもそもさ、だいたいの生徒からしたらリオ君も極東から来た留学生の一人なんだよね。来た時期が違うの知らない人もいるだろうし」
「……まあ、そう言われたら確かにそうですね」
「学園の生徒って皆大なり小なり巫女家に関わってはいるけど、深くまで知ってるのはごく一部ってことだよ」
「ちなみにわたしが聞いた中で一番酷いのだとね、まずお兄ぃは留学生だからそのうち極東に帰るの。で、お姉ちゃんはウンディーノ家で冷遇されてるから、家を追い出されて極東に輿入れするらしい~ってやつ。しかもお兄ぃはミスズちゃんと付き合ってるのにお姉ちゃんと嫌々結婚することになって、ミスズちゃんとも喧嘩中……二人のいざこざに巻き込まれたお姉ちゃんは愛の無い結婚生活を受け入れて、極東で寂しく生きていく――だってさ。おーよしよし、可哀そうなお姉ちゃん……」
「もーヒナちゃん、撫でなくていいから」
「あっははは! アタシも聞いたことあるよそれ! てかその場合ヒナちゃんはどうなるんだろうね?」
「ねー。それをわたしに言ってくるんだよ? 多分ホントになんも考えてないんだと思う」
なんじゃそりゃ。イレアがとんだ悲劇のヒロインになってるな。
「ともかくね、渦中にいると気付けないこともあるんだよ。気を付けないと」
アタシもだけどさ、と先輩は肩を竦めて言う。視野が狭くなりがちな俺には耳が痛い言葉だな。
それから細かい確認事項の共有をして、紅茶とデザートまでペロリと平らげてから彼女は帰り支度をした。
「それじゃ、また明日! 色々大変だけど、気張ってこう!」
「ありがとうございました、ルー先輩。お帰りもお気を付けて」
「ばいばーい!」
お辞儀をするイレアと手を振るヒナ。そして玄関を出た先輩は、最後に振り返った。
「リオ君。負けんなよ」
「はい!」
トーナメント戦に、ドラヴィドの侵攻。色々と考えることは多いが、やるべきことは変わらずシンプルだ。目の前の相手に勝てばいい。それだけだ。
■□■□
そうして夜は更け、朝日が昇り――ついに、当日が訪れた。
『――これより、第九十九回公立精霊学園元霊祭の開会を宣言する!』
祭が始まる。




