第83話 お喋りメイドと隠された事件
「イレア様、今日ってこっちに来る用事ありましたっけ? 昨日は寄らないって言ってましたよね。そうだ、例のカフェ行きました? どうでしたか? 美味しかったですか?」
「マリー、一度に喋らないでちょうだい。ちょっとお婆様に用ができたのよ」
「そうなんですね! あっ、お茶のご用意はしましょうか? お腹空いてます?」
「……そのカフェで食べてきたからいいわ。それより、私の事はいいからリオに挨拶しなさい。初対面でしょ? 失礼よ」
「あっ! ごめんなさい!」
俺達を呼びに来たメイドはマリーというらしい。彼女は一通りイレアに喋り倒した後、窘められて初めて俺の方を向いた。
「初めまして! マリー・エンペドクレシアです! お嬢様の専属メイドです!」
「まだ違うでしょ」
「そのうちです!」
編み込みで括って後ろに纏めた長い金髪に、ピンと立ったヘッドドレス、首から下は襟元から裾まで染みひとつ無いメイド服。うちのソフィーさんに勝るとも劣らない完璧なメイド姿だが、お淑やかと言うにはいかんせん声がデカ過ぎる。さっきは遠くから呼んでるから大声なのかと思ったけど、これがデフォルトらしい。
「次期巫女のミヅカ・リオです。よろしく、マリーさん」
「よろしくお願いします、リオ様! さん付けなんてとんでもありません! 私のことはマリーとお呼びください! 親しみを込めてマリーちゃんでもいいですよ? 歳は私の方が一個お姉さんですけど、ご主人ですから!」
「今も言ったけど、そのうち私達の専属になると思うから。家の方はソフィーさんがいるけど、私達が本邸にいる時の世話は彼女がしてくれるわ」
「そ、そうなんだ。よろしく」
ちょっと反応に困るマリーの自己紹介をスルーし、改めて彼女の紹介をするイレア。内向的なイレアにしては珍しくフランク……というより、扱いが雑な気がする。
「なんか、仲良いな?」
「はい! 私とお嬢様は一蓮托生です!」
「……諦めたのよ。下手したら一生の付き合いだから。初めて喋ったのは先月くらいだけど、ずっとこんな感じなの。本当にずっとよ」
「下手したらなんて酷いですよぉ! 誠心誠意お仕えしますって!」
なるほど、お付きのメイドともなればそうそう変わる事は無いのだろう。じゃあ俺もこのテンションに慣れなきゃいけないのか? うーん、変に畏まられるよりは良いかもしれない……と考えておこう。
「さぁお二人とも、行きましょう! ご当主様がお待ちです!」
俺達を先導してルンルンと歩き始めたマリー。イレアと顔を見合せて苦笑し、彼女について行った。
エンペドクレシア。彼女が名乗った仰々しいファミリーネームがどこかで聞き覚えがあった気がしてうんうんと考えていると、ようやく思い出せた。学園の図書館にあった歴史の本だ。
「どうしました、リオ様? 私の顔に何か付いてます?」
「……いや、ちょっとな」
「おかしいですね、可愛い目と鼻と口と耳くらいしか付いてないはずですけど……あ、眉毛ですか?」
「ごめん、そうじゃなくて。さっき『エンペドクレシア』って言ったっけ?」
歩きながら振り返ったマリーは冗談とも本気ともつかない口調でそんな事を言ったが、俺の質問に合点がいったように頷いた。
「ああ、リオ様もご存知でしたか。なんと私、昔の王族の末裔なんですよ!」
「マジか」
「マジです!」
「……ええ、本当よ。こんな感じだけど、正真正銘の末裔なんだって」
「こんな感じって、まあ確かに今は可愛いメイドちゃんですけども」
そう。かつて巫女家が打倒した、エレメント公国が共和制になる前の王家――それがエンペドクレシア王朝という名前だったはず。驚いて思わず素で返してしまったけど、イレアも言う通り本当らしい。てっきり巫女家によって滅ぼされたと思っていたから、まさか生き残っていて、しかも従者になっているとは。でもイレアの言う「こんな感じ」は格好の話じゃないと思うぞ。
「でも、今も残ってるのなんてウチの家系くらいですけどね。私のご先祖さまは巫女家にベッタリだったので、王族裏切って処刑を免れたそうですよ? 汚いですよね~」
「汚いって……それは仕方なかったんじゃないか?」
確か、昔の王族は巫女家と婚姻を結ぶことで強い繋がりを作っていたと本に書いてあった。ベッタリと言うからには、彼女の先祖は巫女家との繋がりが特に強かったのだろう。巫女家側に付かなければならない理由があったというだけだ。
「私達巫女家はね、王朝から政権を『引き継いだ』って形になってるの。マリーの一族が王族を代表して表明したからこそよ。巫女家からしても、そういう役回りの人間が必要だったんじゃないかしら」
「なるほどな、お互い利益があったのか」
政治的な取り引きってやつだ。極東でもドラヴィドでも、そんな話はいくらでも転がっているに違いない。
「とは言っても王族は王族なので、下手な所で担ぎ上げられないように巫女家に囲われたって感じですね。一応巫女家とは親戚関係でもあるので、扱いが難しいんですよコレが」
ヤレヤレと大袈裟に肩を竦めて嘆息するマリー。自分で言うのかそれ、とツッコみたくなったが、当事者なりに思うところがあるのだろう。
「本当はうちの親みたいに大人しく隠居するか、文官とかにもなれたんですけどね。弟は護衛隊に入るって言ってますし。でも私は暇なのも堅苦しいのも好きじゃないのでメイドになりたいって言ったんです。親には反対されましたけど、知ったこっちゃないですよ」
「メイドなら尚更堅苦しくしなさいよ」
「まあまあ。でもメイド服ってカワイイじゃないですか。似合ってますよね?」
スカートの裾を摘んでくるりと回ったその姿は、確かに似合っている。でもこの数分の言動のせいで、制服というよりただの衣装に見えちゃうんだよな。
「というか、そんな立場なのにメイドになるって凄いな……もちろんマリーもだけど、それを受け入れるウンディーノ家もさ」
さらっと言われたけど、彼女の弟もナイルさんやヨハンさんと同じ護衛隊に入るつもりらしい。自分達の側に付けたからといって、敵対し滅ぼした相手の子孫を使用人扱いとは。豪胆と見るか無遠慮と見るか、少なくとも俺にはできない考えだ。
「そういうお国柄というか、お家柄なんでしょうね。ほら、巫女家って使えるものは何でも使えって風潮あるじゃないですか」
「そうなの?」
「うーん……まあ確かに、そうかも?」
俺に聞かれても、と思ってイレアにパスしたが、彼女からしても分からないでもないらしい。未だに巫女家は理解できないことだらけだな。
「そーゆー訳で、うちと巫女家はちょっとめんどくさい関係なんですよ」
「なるほど」
「だからですね、こんなめんどくさい血はいずれ絶やしたいんです。弟はどうか知りませんけど、少なくとも私は一生独り身貫く覚悟してるんですよ。なのでリオ様も、いくらマリーちゃんが可愛くても好きになっちゃダメですからね? お触りNGです!」
何やら彼女が戯言を宣い始めた時、俺の危機察知能力が最大限に高まった。それ即ち、イレアの機嫌を損ねるというピンチだ。
「まあリオ様も男の子ですから、ちょっとくらいなら仕方ないですけど……あっ、今のちょっとっていうのは物理的な――」
「ストップ! 俺はそういう事しないから! 俺はイレアの婚約者! こっちこそ駄目なんだって!」
慌ててマリーの言葉を遮り、その気は無いと言い切る。怖くてイレアの方が見れないけど、今日は大丈夫なはずだ。この瞬発力を認めて欲しい。
するとやはり、背後から鳥肌の立つような冷気が。
「――マリー?」
「ひゃいっ!?」
矛先が自分に向かなかったと安堵したが、当のお喋りメイドは全身を跳ね上がらせて悲鳴交じりの返事をした。
「これ以上ふざけた事を言うなら……ソフィーさんに言い付けるわよ?」
「ひぃっ! お嬢様、それだけはご勘弁を! おしりペンペンは嫌です!」
何を言い出すかと思えば、おしりペンペン? あの人、そんなことするのか。
「あれホントに痛いんですよ! お嬢様も知ってますよね!? 絶対嫌です~!!」
……イレアもされた事あるのか。なんだか絵面が妙に想像ついてしまう。流石乳母、育ての親だ。確かに結構厳しいところもあるしな、あの人。いつだかソージア先生もキツく怒られてたし。
「ちょっとリオ、何笑ってるの?」
「いや、別に」
「……昔の話よ」
少し恥ずかしそうにボソッと言い訳した。やっぱりされたことあるみたいだ。一体、幼少期のイレアは何をしでかしたのやら。
「ともかく、嫌なら大人しくしてなさい。そんな事言ってるからまだ専属になれないのよ」
「はいっ、気を付けます!」
さっきまでの泣き顔は何処へやら、威勢のいい返事をするのだった。
「……本当に外してもらおうかしら」
「ひいっ、ごめんなさいお嬢様~~!!」
溜息を吐いてツカツカと歩き始めたイレアに縋りつくように謝るマリー。なんだか騒がしくなりそうだと思うと共に、ウンディーノ家での俺の身の回りが着実に固められているのを実感した。
■□■□
「ご当主様! お嬢様とリオ様をお連れしました!」
当主の間に着いたマリーは勢いよく扉を開けて、これまた大きな声で俺達の到来を報告した。
「マリー、扉は静かに開けなさい。それに貴女の声は廊下の外からよく聞こえていますから、そんなに大きな声を出さなくてもよいですよ」
「はい、気を付けます!」
「……よく来ましたね、イレア、リオさん」
変わらず元気な返事をしたマリーへの注意を諦め、リギスティアさんは俺達を迎えた。
「ごめんなさい、急に押しかけてしまって」
「いえ、こちらこそお待たせしました。会議が長引いてしまって。午前に出た案の修正に時間がかかってしまったので……」
なんだか申し訳なさそうにそう言ったが、予定に無い訪問をしたのは俺達だ。何の会議だったのだろう?
「本当なら二人の意見も聞こうと思っていたのですが、つい議論が盛り上がって歯止めが効かず。お恥ずかしい限りです」
「お婆様、何か私達に関係のある話だったんですか?」
「ええ。いずれ催す二人の正式な結婚式についてです」
「えっ!?」
「今日出た案では、『当家の術士を総動員して海の上に浮島の会場を作る』というものがあったのですが……予算の問題で却下されました。もちろん二人が気に入れば努力しますが、いかがでしょうか?」
「却下ですよそんなもん! っていうか気が早すぎじゃありません!?」
何かと思えば、そんな会議だったのか。というか予算さえあればやるのかよ。
「すみません、来年度の予算会議がつい脱線したので……雨の日はいけませんね」
盛り上がったってそういうことか。この人達にとって雨の日って深夜テンションみたいなものなんだろ? 誰か止めなかったのか? ……止める人、いなかったんだろうな。雨が止んでくれて本当に良かった。
「お、お婆様、せめて私達にも相談してください! それに私、海は苦手で……」
「ええ、それも失念していました。やはり取り下げますね」
リギスティアさんはそう言って手元の紙にサラサラと書き込んだ。まだちょっと残念そうなあたり、決めた時は本当に名案だと思っていたのかもしれない。
「さて、雑談はここまでにして。話とはなんでしょうか?」
「その……大事なことです」
「分かりました。マリー、外へ。防音をしておきなさい。いいと言うまで人を入れないように」
「了解しました!」
イレアの言葉に姿勢を正し、マリーに人払いをさせたリギスティアさん。今度はいつも通りの真面目モードだ。
「――聞きましょう」
マリーが去って防音の術がかけられたのを確認してから、彼女はイレアに話を促した。
「今日会った方から、こんな話をお聞きしました。その昔、再開発によって街から追い出され、巫女家に強い恨みを持った集団がいました。その方は彼等の仲間だったそうですが、十二年前のある日、彼以外の全員が突然姿を消したそうです。それ以来一切の音沙汰も無く、消息も分かっていないと。そして彼等は失踪する直前、何かしらの企てをしていたらしく……それを決行し、巫女家によって揉み消されたのではとお考えでした」
「……その人物とは?」
「俺が以前勤めていたレストランのオーナーです。ティフォ先輩の捜索で店を休業していましたが、偶然再開しました。先に弁明しておきますが、彼に巫女家へ反抗する意思はありません。ただ、関わりたくないとだけ。彼の昔の話は俺も初めて聞きましたし、そもそも俺が雇われたのも春頃ですので、俺に接触した理由への疑いはありません。騙したいならこんな事を話す必要も無いでしょう」
一気にそう言うと、リギスティアさんは難しそうな顔をした。巫女家への反抗勢力と繋がりがあったと言えば仕方ないことだ。しかし俺としては、彼にこれ以上迷惑をかけたくない。
「今後、彼を調査する必要があれば俺を通してくれませんか? 彼にはその折に恩がありますので」
マスターの平穏は巫女家によって奪われ続けてきたと言ってもいい。街を追われ、仲間と別れ、自分の店までティフォ先輩の捜索によって出ていくことになった。まあこれはティフォ先輩もちょっと悪いんだけど。
もちろん彼自身も抗議に参加したということはあったし、過去の全てが清廉潔白という訳ではないだろう。だが、それにしても受けるべき損害を大きく超えているように思う。だからこれは、巫女家の一員としての俺にできる最大限の罪滅ぼしだ。本当なら俺との関わりすら避けたいはず。それでも、また客として来いと言った彼に少しでも恩を返したいのだ。
「……随分と彼の肩を持つのですね。いえ、責めている訳ではありませんよ。ただ、リオさんとそこまで深い関係だったとは知らず。申し訳ありません」
「――恩人、ですから」
リギスティアさんがそう言うように、俺が何故マスターにここまで肩入れするのかよく分からないだろう。現に俺も、さっきまで自覚していなかった。だがここに来るまでにその理由を考えて、ようやく気が付いたのだ。彼の人となり? 雇い主としての恩義? 給料の良さ? 全く関係無くはないが、どれも違う。俺を動かしたのは、マスターの何気無い言葉だ。巫女家の情勢が不安定で、戦争の一歩手前という状況だった時、店を閉める彼が最後に言った「ガキが心配するな」という言葉。不安と悩みが積み重なっていた俺の心は、そんな単純な言葉に救われたのだ。それ以来、俺は深く悩み過ぎることなく、前よりは他人を頼れるようになったと思う。
もちろん今はまた状況が変わり、戦争が間近に迫っている。俺はウンディーノ家の次期巫女という立場になり、悩むべきことも増えた。それでも、あの言葉が見えない支えとなっていたのだ。
ちょっと脱線したな。
「……話を戻します。俺達が聞きたいのは、その襲撃についてです。彼らが姿を消したのは十二年前。これは――」
横のイレアに頷く。ここからは彼女が言うべきだ。
「――その襲撃というのは、父と母の死に関わっているのでしょうか? その頃に巫女家で起こった事件を、私はそれしか知りません」
はっきりと疑問を呈したイレアに、リギスティアさんは観念したように目を瞑った。何と言われるのだろうか。緊張が走る。
一分にも満たない、とても長い時間が流れた。そして彼女はようやく口を開く。
「……十二年前。巫女家への襲撃は、ありました」
「お婆様! それは本当ですか!?」
やっぱりか。でも、言い方に違和感がある。巫女家への襲撃?
「落ち着きなさいイレア。襲撃されたのは、シルフィオ家です。当家には関係ありません」
「シルフィオ家? じゃあどうして隠してたんですか? 俺はともかく、イレアも聞いたことがありませんよ」
「ええ、内外に箝口令を敷いていましたから。この事件の犠牲者は……トルメース・シルフィオ。現当主ティターニアの夫です」
「っ……!」
「セレナさんの、お父さん……!?」
「当時はドラヴィドとの戦争からあまり時間が経っておらず、国内もまだ不安定な時期でした。なので波風を立てないようにするための措置です。外向きには、病死ということになっています。襲撃の三年ほど前にニアの母――前当主も病気で亡くなっていますから、疑う者はいないでしょう。あの頃は流行り病がありましたから」
父親が亡くなっているということは以前セレナに聞いた。詳しくは聞かなかったから、病気か事故かと思っていたが……暗殺か。昨日の雰囲気からして、フレッドさんも知ってそうだ。
「その事件を起こしたのが、再開発前の街に住んでいた人達だったんですね?」
「ええ」
「そして、その中に強い力を持った術士の子供がいましたか?」
「……はい。そこまで知っているのですね」
「その子供はどうなりました? イレアの両親の事故には関わっていないんですね?」
まくし立てて問い詰めると、リギスティアさんは再び難しい顔をした。
「この件に関しては、全てシルフィオ家に一任しています。いえ、手を出さないようニアに頼まれたのです。混乱を防ぐため、我々は口外することだけを避けました。ただ、襲撃者は全て『処理した』と。それ以降の心配は無いとニアからは伝えられました。私から言えるのは、それだけです」
「……分かりました。ありがとうございます、お婆様。最後に二つ、聞いていいですか?」
「ええ。答えられることであれば」
「シルフィオ家を襲撃した一員のその子供は、どんな術士でしたか?」
「詳しくは知りませんが、当時十歳ほどだったと聞いています。そして、巫女家の直系にも勝るとも劣らない――風の精霊術を扱ったと。これが私が知る限りのことです。もう一つは?」
イレアの予想は外れた。しかし根本的な疑いが晴れた訳では無い。
「お婆様は……お父さんとお母さんが死んだ事故は、何者かによって起こされたと……まだ、思っていますか?」
確信に迫るイレアの質問。リギスティアさんは――
「はい。疑っています」
迷わずはっきりと、そう答えた。
「事故として処理したのは、証拠が無かったからです。いえ、当時は私自身もそう思おうとしていました。ですが……巫女家の人間を殺す動機が存在する人間が内部にいる。そう分かった今、改めて事故だとは思えないのです」
「……ありがとうございます、お婆様」
それを聞いて、イレアはほっとしたように礼を言った。安心したのだろう、事故のことをまだ疑っているのが自分だけではないと知って。
だが、依然疑問は残る。
「だとすると、犯人は誰なんでしょうか?」
「それが問題なのです。あの規模の術を扱えるのは、それこそヴィオテラくらいなものです。内政長官も怪しいですが、彼が実行したとも思えません。もしそうだとしても、誰かに指示を出したと考えてよいでしょう」
「そうですね。これは確証の無い話なのでさっきは省きましたが、マスターの仲間がシルフィオ家を襲撃した五年ほど前に彼等に接触した人物がいたそうなんです。巫女家への攻撃を唆したのはその男だそうですが……恐らく、年齢がディルク・ライトマン・ノーミオと一致します」
「なるほど。他人を差し向けてシルフィオ家と当家の人間を続け様に暗殺……ノーミオ家の人間と考えれば辻褄も合います。当時から巫女家の内部に詳しい人間の手引きがあった可能性は考えられていましたから。しかし、証拠が無い以上彼自身を罪に問うのは難しそうです」
「そういえば、あれからディルクは母さんとは会ってないんですか?」
「向こうも警戒しているのでしょう。元々ノーミオ家の外には殆ど顔を出さない方なので、直接の接触も叶っていません」
夏前にティフォ先輩が母さんとディルクの接触を感知して以来、全く報告は上がってないらしい。先輩の「盗み聞き」が母さんに切られたからだな。彼は内政長官というだけあって、普段はノーミオ家内の政務を担っているのだろう。そういえば俺達が会ったのは式典の時だけだな。あとは学園に視察に来てた時か? その時は名前も知らなかったから覚えてない。
「なあイレア、ディルクに実際会った時どう思った? なんかビックリしてた感じだった気がするんだけど」
「どうって言われても……特に印象は無かったわ。驚いたのは、リオのお母さんを知ってるからじゃない?」
「じゃあ、術士としては?」
「全然。そっちも印象に残らなかったわ。たぶん学園の先生達の方がまだ強いと思う」
なるほどな。リギスティアさんも頷いているし、ティフォ先輩の評価に偽り無しか。
「でも、ノーミオ家の巫女様は……もしかしたら私より強いかも。そんな感じがしたわ」
「うーん、だとしてもあの人はなぁ……」
俺のただの印象でしかないが、彼女が人を殺めるような人間には思えない。というか、巫女が敵の記憶を継承するなんてことがあるんだろうか? いや、俺が今まさに似たような状況か。分からないな。怪しいといえば誰でも怪しく見える。単に兄であるディルクに協力したのかもしれないし、させられたのかもしれない。
「リギスティアさん、彼らの当時のアリバイを調べることってできませんか?」
「残念ながら難しいです。状況からしてノーミオ家の方々は最も疑われましたから、一番最初に容疑が晴らされているのです。それに、誰よりも捜査に協力したのがヴィオテラでしたので……今更掘り返すのはノーミオ家との不和を招きかねません」
「分かりました。では今後も監視を強めるという方向でお願いします」
「ええ。二人も学園ではお気を付けて」
そう言って結局、「しばらく注視する」という微妙な結論で話は終わった。まあリギスティアさんの考えを知れただけでも良しとしよう。
■□■□
――同時刻。マスターの働くカフェ。
「いらっしゃい、席は好きにしてくれ」
雨上がりの午後、数人の客が静かにカップを傾ける店内に、また一人客が入った。
「コーヒーを一杯。砂糖はいらないがミルクは付けてくれ。たっぷりな」
注文を受け、マスターはコーヒーを豆から挽き始めた。ちらりと見た客は、上質な帽子とコートを脱ぐこともせずカウンターに背を向けた席に腰掛けている。黒い革靴には泥汚れの一つも無い。
「――探したよ、こんな西の方にいたとはね」
客はこちらを見ることも無く唐突にそう言った。最初、自分が話しかけられたものと分からなかったマスターは、少し遅れて返事をした。
「……? ああ、前の店はしばらく畳むことになったんだ。悪かった」
「そうか、それは災難だったな」
カップにゆったりとコーヒーを注いだマスターは、ミルクピッチャーと共に客の前の一人用テーブルに置いた。芳醇な香りが辺りに立ち籠める。
「なあ、あんた。俺のレストランに来たことはあったか?」
「一度だけね。悪いか?」
「いや、別に。ただ――」
目深に被った帽子の下から、目が合う。視線の邂逅は一瞬で終わり、
「――俺はあんたの顔に見覚えは無いと思ってな」
「……そうか。別に構わない」
ほんの数秒の会話は途切れるのだった。
「会計はこれで。また来る」
「ああ」
コーヒーを飲み干して立ち上がった客はテーブルの上に硬貨を置き、釣りを受け取ることもせず去って行った。チャリンチャリン、と鈴が鳴ってドアが閉まる。
「悪いな、坊主」
客の背中を見送ったマスターの小さな呟きを聞く者は、誰もいなかった。
そして、俺達がマスターの失踪を知るのはこれから数日後のこととなる。




