第57話 霧中の敵と婚約と生徒達
「精霊よ――『硬化』!」
「『斑霧』」
どんな攻撃が来るのか分からないので、俺は『硬化』で様子を見ることにした。あくまで時間稼ぎだ。俺から攻撃する必要は無い。すると、真っ白な水煙がミスズの周囲を覆った。
「水か。確かに先生じゃ相性は最悪だ」
しかしソージア先生は単純な相性差を覆す程の使い手だ。それでも苦戦したのには……何かあるに違いない。そう思って最大限に警戒する。
「――『舞い雫』」
「っ!」
気配を感じて飛び退く。ジュッ、と音がして足元の石が砕けた。一瞬前に俺がいた場所だ。
「まぐれじゃない。やっぱり凄いね」
濃霧の中からミスズの声がする。同時に、何発もの水滴の弾丸が踊る。その度に避けたりマテリアルの剣で防ぐが、一発一発が重い。
「リオ君って、強いのか弱いのかわかんない。ねえ、どっちなの?」
「知るかっ!」
ミスズの攻撃の手が休まる事は無い。水滴は正面からだけでなく、左右の斜め前からも撃たれ始めた。読みづらい事この上ない。
「精霊術が分かるんだね。当てるつもりで撃ってるのにな。見えてるの? それとも感じてるの?」
「くっ……! どうだかな!」
剣を持つ手が痺れてきた。攻撃の範囲は徐々に広がっていき、気付けば霧は四方に広がっている。ジリジリと首を絞めるように、少しずつ防御と回避が厳しくなってくる。
彼女の言う通り、俺は精霊術の見極めが得意だ。寧ろこれが出来なければ俺は今までもロクに戦えていなかっただろう。幼い頃から母さんに鍛えられた能力だが、俺の生来のセンスの一つでもあると今では理解している。精霊術に対する感受性の高さ――前にティフォ先輩にも言われた俺の特性と関係あるのかもしれない。
「ねえ、反撃しないの? つまんないよ。死んじゃうよ?」
「だから戦わないって言ってるだろ!」
そう言った途端、攻撃が更に苛烈になる。戦わずに時間を稼がれるのが嫌なのだろう。こうなったら――
「精霊よ――『乱聴』」
キィィィイイイイイイイン――――――
「へえ! 何それ、見た事ない!」
効果が無いのか? 霧の中から聞こえる声には変化が無い。それどころか、弾丸の威力も数も増すばかりだ。埒が明かない!
「このっ……!」
「あはっ! やっと来てくれた!」
俺は剣をしっかりと握り直した。『乱聴』を解除し、攻撃に転じる。まずは声のする方へ剣を一薙ぎ。手応えは無い。
「チッ、どこだ! 出て来い!」
「こっちだよー! ほらもっと! ほらっ!」
煽るような声が今度は背後から聞こえる。すかさずターンして中段から一突き!
「はぁっ!」
「もー、やっぱり弱いの? 変だねリオ君って」
「クソッ、どうなってんだ……!」
隙を見せずに更に横薙ぎ、斬り上げ、袈裟斬りと連撃。しかしどれも掠りもしない。目の前にいるはずなのにだ。
「ねえー、そんなんだとガッカリしちゃうよ? 本気で来てよ、この前みたいにさ」
「本気だって?」
この前みたいに? 心当たりがあるのは授業の「鬼ごっこ」くらいだが、あれは本気とは言わないだろう。彼女が何を言ってるのかが分からない。
「そうだよ。私相手じゃ本気出してくれないの? あ、そっか――」
何かを思い至ったように呟くミスズ。顔は見えないが、笑っている気がした。
「リオ君さ、あのお姫様が大事なんだよね」
「……イレアには手を出すな」
「! そう、その顔だよ! ほら、早くしないとお姫様に何かしちゃうかもよ?」
ああ、思い出した。俺が本気を出したってのは、彼女の本性を知った日の事だろう。
「ふざ、けるなっ!」
全力で剣を振るう。だが空を切るばかりだ。落ち着け、俺。彼女に乗せられるな。状況をよく観察しろ。
「おい、ミスズ。母さんを……ミヅカ・シオンを信仰してるなら、母さんの言葉を一つ教えてやる」
「なあに?」
「俺が公国に来る時に言われたこと――家族を守れ、だ。俺の家族を傷つけるのは許さない」
「なにそれ。ミヅカ隊長がそんな事言うわけ無いじゃん」
「……ならこの話は終わりだ」
もう理解した。俺の母さんと、ミスズが言う「ミヅカ隊長」は別人だ。同じ人間だが、別人なのだ。彼女が厳しくも優しい母さんを知っているなら、少しは分かり合えるかもと一縷の望みを持ったが……こうなったらもう負い目は無い。彼女は、そしてミヅカ・シオンは、ただの敵だ。
「精霊よ――」
俺は剣を持つ両手を顔の右側に掲げ、剣先を正面に向ける。霞の構えだ。
「『加速』!」
そのまま霧の中に突っ込む!
「らぁあっ!! 『硬化』っ!!!」
同時に追いかける水の弾丸を背中で受け、その衝撃すら前へ進むエネルギーに変える!
「ここには――いないんだろっ!」
「……あーあ、バレちゃった?」
霧を抜けた。そこは演習棟の裏手からグラウンドへ続く林だった。俺が学園に来て最初に邪霊と戦った場所の近くだ。背後の霧は晴れ、周囲には誰もいない。
「ま、いいや。また明日ね」
カラン、という音と同時に声は足元からした。何やら四角い鈍色の物体だ。俺がティフォ先輩と連絡を取っていた霊道具と似たようなものだろう。振り返ると、同じものが四方に転がっている。終わってみれば単純なタネ明かしだ。舌打ちをし、ぐしゃりと足で踏み潰す。
「また明日、か」
しかし、彼女の立場は学園と学長が保証しているようなものだ。ソージア先生がいくら報告しても退学にはならないのだろう。敵がすぐ近くにいる、という気持ち悪さを感じながらも、俺達はまだ生活しなければならないようだ。
「リオ! 無事だった!?」
「ああ、大丈夫だ。ミスズには逃げられたよ」
寮へ向かおうとした途中、イレアが俺の元に駆けてきた。俺の所に来るのに間に合わなかったのだろうか? それにソージア先生もいない。
「ごめん。私もここで足止めされちゃって……ホムラ先生達は別のルートから先に行ってもらったんだけど」
「来てないって事は、向こうも足止めか? 用意周到だな」
二人で寮に向かって歩いていると、グラウンドの方からソージア先生が走ってやってくる。セレナとヒナも一緒だ。
「ヒナ!」
「ヒナちゃん! 大丈夫だった!?」
「うん、ばっちり元気だよ! ちょっとたんこぶできちゃったけどね」
頭を擦りながら笑うヒナは元気そうだ。先生も診てくれたのだろう。
「リオ君、そちらは大丈夫でしたか?」
「はい、一応。逃げられてしまいましたけど」
「そうですか……いえ、まずは無事で良かったです」
「わたくしも当家の者に連絡しましたが、遅かったようですね。申し訳ありません。お兄様がご無事で何よりですの」
聞くと、先生が遅れたのは寮へ向かう途中に邪霊の大群に遭ったかららしい。俺達も戦ったやつだろう。セレナも手を貸してくれたみたいだ。
「うん、お兄ぃとイレアお姉ちゃんありがとう。わたしは放送室にいた時から覚えてないけど、すっごい助けてくれたんでしょ?」
「リオ、凄い頑張ってたよ」
「当然だよ。ヒナも最後まで放送してて偉かったけど、次からは自分の身を優先しろよな」
イレアから経緯を聞いた先生が目覚めたヒナに伝えたらしい。ピンチだった事より俺達に助けられた事が嬉しかったようだが、俺としてもヒナが無事で安心だ。
それはそうと、一つ先生に確認したいことがあった。
「ソージア先生。さっきミスズと戦った時……手、抜いてましたよね?」
「何言ってるの、当たり前じゃない」
あっけらかんと答える彼女に、やっぱりかと溜息が零れる。
「まあ、そりゃそうですよね。先生があんなに弱かったらあの時も俺が勝ってますし」
「こっちの力量を測ってたみたいだったから。私だってブラフくらいかけるわ」
「勘違いしてくれたら良いですけど」
「そうね。でも彼女、私にはあんまり興味が無いみたいよ。まあ気にされないってのは護衛としては好都合ね」
それにしても、俺達が追い付いた時の満身創痍感には俺も少し騙されたな。なかなかの演技派だ。
「さて。とりあえず今日は全員怪我も無し、と終わりたい所ですけど……リオ君、彼女は何と?」
「また明日、と。明日も学園に来るんでしょうね」
「そうね……学長に報告しても無駄かしら」
俺と同じ事を先生も思ったらしい。全員の顔が険しくなる。
「皆さん。これからはできるだけ一人にならないように。今日は大丈夫でしたが、これから何が起こるか分かりません。放送委員の委員長も何者かに襲われたそうです」
「委員長も!?」
「ええ。難なく撃退したと聞きましたが、やはり学長の傘下に無い者がターゲットでしょう。リオ君は特に心配ですね」
「俺ですか。まあ部屋も一人だし、また狙われそうですけど……」
寮にまで忍び込んでくるだろうか……いや、前例がいるな。そうでなくとも、学長の力があれば寮のセキュリティくらいなんて事ない。
「という訳で、既にご当主様に話を通してあります」
「話、ですか?」
セレナを除く俺達三人はキョトンとする。しかし、次の言葉でまた三人揃って驚愕するのだった。
「リオ君、ヒナさん。二人は今日からイレアさんの家に住みなさい」
■□■□
翌日。何事も無かったかのように授業はあり、何事も無かったかのように生徒達は登校する。しかし皆が皆何かしらを話題にして話す声は騒がしいことこの上ない。例えば昨日の邪霊の事、或いはそれらを撃退したらしい一部生徒の事。しかしその中でも大多数を占めたのは……
「……なあイレアさんよ」
「…………なに?」
「その、もうちょっと近くに来ません? その距離は余計に目立つと思うんだけど……」
揃って登校し、学園の正門を抜けて石畳を歩く俺とイレア。その間は人二人分ほど空いている。俯くイレアに、何となくそっぽを向きながら話しかける俺も奇妙に見えたかもしれないが。
ちなみにヒナは何を急いでいたのか、霊動車から出た瞬間に走り去ってしまった。
「だって、みんな見てるじゃん……」
「ほら、堂々としろってリギスティアさんにも言われただろ?」
「……うう、分かったわよ」
そう小声で言ってそそくさと近寄るイレア……いやいや今度は近いって。てか歩きにくいし。ほら向こうの女子もキャーキャー言ってるから。
「なあイレアさんよ」
「…………なに?」
「その、それはそれで近すぎやしませんか?」
そんなやり取りをしつつ、フラフラと変な軌道を描きながら俺達は教室へと入って行くのだった。
「ねえヒナちゃん! ヒナちゃんのお兄さんってリオ先輩だよね!?」
「そうだよー」
「きゃー! じゃあイレアーダス様のお婿様ってこと?」
「そだよ」
「すごーい!! ねえねえ、お二人の出会いとか知ってる?」
「あ、もしかしてヒナちゃんもウンディーノ家に入るって事? じゃあヒナ様って呼んだ方がいいのかな?」
「あたしお二人を食堂で見た事ある! すっごく仲よさそうだった!」
「「「きゃーー!」」」
「そだね」
あー、早く帰りたい。さしものヒナも今日ばかりはそう思うのだった。今は一限目が終わった休み時間。朝からクラスメイトの質問攻めは絶える暇も無かった。返事がおざなりになるのも無理はない。
「あ、ほら授業始まるよ」
「えー! じゃあ続きは昼休みね!」
残酷にもこの時間はしばらく続くようだ。本当は放送室に逃げようかなと思っていたのだが、不運な事に昨日の件で立ち入り禁止なのだ。というかそもそも半壊した中央棟は立ち入れる状況ではない。
「……お兄ぃとイレアお姉ちゃん、大丈夫かな」
妹の自分がこの状況である。当事者の状況は容易に想像できるが、人見知りの二人が心配になった。
ウンディーノ家当主の孫娘、イレアーダス・ウンディーノ。そして極東からの編入生、ミヅカ・リオ。二人の婚約の発表はその一日で学園中に伝わるのだった。
「イレアーダスさん、リオさん、ご婚約おめでとうございます」
「ええ、ありがとう。あまり騒ぎ立てないで下さると嬉しいわ」
「っ! は、はい。それでは、し、失礼します……」
――これが、俺達が教室に入ってから話しかけられた全てである。以降は直接声をかける者はいない。ヒナの予想に反して、俺達のクラスは妙に静かだったのだ。
「……なあイレア、何もあそこまで睨まなくても」
「えっ、嘘、睨んでた!?」
「いや割と怖かった」
「う、嘘……はぁ、また変な噂が立ったらどうしよう」
イレアに話しかけた女子はクラスでもとりわけ明るいリーダー格の子だ。俺達はあまり関わりは無いが、礼儀正しく社交的な生徒として先生達からも評価されている。そんな彼女がまずは声をかけ、他のクラスメイトが様子を見たのだろう。……その結果が、今も遠巻きに見ているクラスメイト達なのだが。
「氷の姫ねぇ」
「やめてよリオ、恥ずかしいから」
「良いんじゃない? クールで」
「褒めてないでしょ!」
小声で揶揄って笑う俺と顔を赤くするイレアを見て、またクラスの空気が変わった。今なら行けるんじゃね? と。そこで勇敢な一人の男子が立ち上がった。
「リ、リオ。それとイレアさん。えーと、婚約おめでとうございます。特に何かある訳じゃないけど……その、これからもよろしく? で合ってるかな?」
「トーヤ、そんなに固くなんなくても大丈夫だぞ」
先陣を切ったのは、勇敢な男子こと委員長のトーヤだった。正確には二人目だが。
「いやいやいや、まさか巫女家に婿入りとか思わないでしょ!」
「それは俺もだよ。まあ俺は特に変わんないからさ、こちらこそよろしく」
「う、うん。イレアさんも何かあったら……いや、僕に相談する事なんて無いと思うけど。クラスメイトと、リオの友達として祝福します」
「あ、ありがとうございます」
イレアはやはり人見知りが発動してしどろもどろだ。まあトーヤも睨まれずに安心したようである。しかし俺とトーヤ、ヒナで昼食をとっていたのは自然と無くなって最近はイレアと一緒なのだが、結局この二人が同席する機会は無かったのだ。イレアがまともに話せる相手って、このクラスで俺だけか? 人の事は全く言えないけど、俺以上に人見知りだな……
「とりあえず、あんまり騒ぎ立てないようにしてくれよ。今まで通り接してくれ」
「うん。僕は分かったけど、ミスズさんはどうかな。今日もいないし……」
そう言ってトーヤは今は空いている席に目をやった。彼女は今日も朝からいないが、また明日と言った通り来るのだろうか。トーヤ達からしたら、昨日から続けて姿を見ない人物である。
「そこは何とかするよ。ほら授業始まるぞ」
トーヤの背を押して俺も席に戻る。チャイムが鳴り、経営学の先生が入って来て二限目が始まった。
「うう……疲れたよぉお兄ぃ……」
「おー、お疲れヒナ。こっちは割と静かだったよ」
昼休み。中央棟は閉鎖されていて食堂を使えないので、俺達は寮の俺の部屋に来ていた。避難と言っても良いだろう。互いのクラスの様子を話した所、ヒナが絶叫した。
「なんで!? なんでお兄ぃとイレアお姉ちゃんじゃなくてわたしが質問攻めに遭うの!?」
「ははは、ヒナは友達が多いからなぁ」
「こんな時ばっか~~!!」
ユサユサと肩を揺さぶるヒナをあしらいつつ、台所に立つ。俺が包丁を持ったら危ないと判断してすぐに止めた辺り、本気で責めている訳ではないようだ。
「まあイレアの一睨みが効いたからな。助かったよ」
「ちょっとリオ!」
「イレアお姉ちゃんの氷の眼差しだー」
「ヒナちゃん!」
今日の事はしばらくは俺達の話のネタだな。そんな事を言いつつ適当に三人分の食事を用意した。そういえば、マスターは元気だろうか? 料理をする度に思い出しては心配になる。
「はい、召し上がれ」
「わーい、パスタだ」
「今日は和風だぞ。キノコはポルチーニだし葱もリーキってやつだけど、まあ大丈夫でしょ」
「うん、美味しいよリオ! 和風……極東風? なのかは分からないけど」
「全然洋風だね。でも美味しい」
「やっぱ醤油とか無いと無理か……じゃあ俺もいただきます」
見惚れる程に綺麗な所作でフォークを回すイレア。今日騒がれた事もそうだけど、やっぱりお嬢様なんだなぁ。
「……ん、何か付いてる?」
「いや、何も。美味くできたならよかったよ」
人見知りでどこか抜けてるイレアしか見てないのは俺やヒナくらいなものだな。ちょっとした優越感というか、あまり知られたくないと思うのは独占欲なのだろうか。
「ごちそうさま。あー、教室戻りたくない~」
「はい、おそまつさまでした。授業はサボるなよ」
「う~~……よし、じゃあ先行ってるね!」
食べ終わってから力無く呻いたヒナだったが、勢いよく立ち上がって支度をし始めた。
「質問攻めにされるんじゃなかったのか? もう少し休んでから行けばいいじゃん」
「お兄ぃ達と一緒にいる方がもっと色々聞かれるからヤなの! だから朝も先に行ったんだし! じゃあまた放課後にね!」
そう言って扉を出て行った。きっとどこかで時間を潰してから教室に戻るんだろうな。
「さて、じゃあ片付けたら俺達も戻るか。次の授業は――」
皿を三つ持って立ち上がろうとしたが、裾を引かれた。イレアがちょこんと摘まんでいる。
「……もうちょっと、ゆっくりしてく」
「お、おう……」
言ってから恥ずかしくなったのか、すぐに手を引っ込めて席を立ち、ソファにボスっとうつ伏せで寝転がった。何というか、クラスメイトの前では絶対見せられないし、見せたくない仕草だな。実に可愛らしい。
イレアの希望通り、片付けをしてからもしばらくゆったりと過ごして昼休みが終わるギリギリに教室へ戻ったのだった。




