第47話 初陣
それは脆く、柔らかかった。
斬った手応えなどありはせず。たった一瞬の出来事だった。
だが俺は。その感触を、目に映る鮮烈な赤を……そして生々しい臭いを、生涯忘れる事は無いだろう。
それと同時に、覚悟を持つことを決意した。
――或いは、一生付き纏う業への諦めだったかもしれない。
■□■□
九月の初週。予想できる中で最も早い事態の進展だった。
「ったく、こんな時に限って先輩はいないんだから」
「仕方ありません。彼に頼ってばかりではいられませんから」
俺の呟きを拾ったのは、俺と同じく早足で会議室へ向かうリギスティアさんだ。俺達を招集した張本人でもある。
「他の方は集まっています。急ぎますよ」
「はいっ」
急かされるまま、俺は皆の元へと走るのだった。
「それでは、対策会議を始めます。セレナ殿、現状の報告をお願いします」
「畏まりました」
会議室にはウンディーノ家の主要な面々が集まったのに加え、シルフィオ家からセレナが来ていた。挨拶もそこそこに報告が始まった。
「昨日の深夜三時過ぎ、ドラヴィド国からの定期交易便が到着しました。ですが普段の外交官と商人に加え、四十人程の戦闘要員が不随しておりました。名目は『邪霊からの商隊の護衛』だそうですの」
「正面から乗り込んで来ましたね。他には?」
「彼らの滞在場所ですが、大使館の宿舎が満員ということで街中のホテルを勅命で借りていますの」
「そちらの監視は?」
「既に。当家の者に加え、ノーミオ家からも人員を割いて頂いていますが……いえ、無理矢理割り込まれたと言いましょうか」
なるほど、ノーミオ家のやりたい事は分かった。もしドラヴィド国の戦闘員が動けば、彼らと交戦するつもりなのだろう。そしてそれを国内への侵略として開戦の口実にする。厄介だな。
「分かりました、なら我々からも人員を派遣しましょう。ノーミオ家への対応は任せます。ドラヴィドの者らに動きがあればこちらで対処しましょう」
「お願いしますの」
対処。戦うという事だろう。結局、戦闘は避けられないのだ。そんな事を考えていると、
「ではリオさん。貴方をウンディーノ家からの人員のうち一人とします。他にも何名か付けますから安心して下さい」
「お、俺がですか?」
突然指名された。どこか他人事と考えていたのを見透かされた気分だ。
「はい。巫女家は国家の代表として、前に立つ必要があるのです。まあ形だけでも構いません。強力な精霊術士を擁さないドラヴィドの一兵卒にリオさんが遅れを取るとは思いませんが、実際の戦闘は他の者に任せて頂いても――」
「いえ、やります」
リギスティアさんの言葉を遮って言った。そうだ、今更怖気づいてどうする。
「それでは、お願いします。詳細はのちほど」
「はいっ!」
微笑む彼女に、自分を奮い立たせるように返事をする。
「そうしましたら、街の方への人員の配置と連絡系統ですが――」
会議は恙なく進行し、準備が整っていった。
「お兄ぃ、大丈夫なの?」
会議が終わって、ヒナが真っ先に話しかけてきた。
「ああ。人と戦うことになるってのは分かってたからな」
まだ体の緊張は解けないが、安心させるように答える。ここで答えに詰まったら「じゃあわたしが行く」とか言い出しかねない。ヒナが戦うくらいなら、俺がやる。それが兄の務めだ。
「前から言ってたもんね。でもさ、お兄ぃが無理しなくてもいいんだよ?」
不安そうに袖を掴まれた。珍しく弱気な妹だ。
「大丈夫だよ。危なくなったら他の人に任せるからさ」
「怪我しないでね? 約束だよ?」
いつになく心配するヒナの頭をポンと撫でる。思えば、最近のヒナはずっとこんな感じだ。……母さんと、敵対するって決めた時からだな。
「……大丈夫だ」
もう一度そう言って、俺はヒナを置いてリギスティアさんとの打ち合わせに行った。
見送るヒナの不安そうな顔が、やけに脳裏に染み付いたまま離れなかった。
■□■□
翌日の朝、俺はとあるホテルの一室にやって来た。ドラヴィドの兵団が泊まっている、大使館から歩いてすぐのホテルだ。シルフィオ家の親戚筋が経営しているらしい。
「若、お茶でもお淹れしましょうか」
「ありがとうございます。でもやめて下さいよ若は。リオでいいです」
「これは失礼。ではリオ様と」
「せめてリオさんでいいですって」
ベッドが二つ置かれた部屋には俺の他にウンディーノ家直属の護衛隊が二人いる。一人は今お茶を用意しているナイルさん。もう一人はドアの近くで黙って立っているヨハンさんだ。四十歳くらいのナイルさんに様付けで呼ばれるのは少し居心地が悪い。
「若……リオさんは高等部の一年でしたか。歳の割に落ち着いてらっしゃる」
「いえ、緊張してるだけですよ。これから戦うんですから」
「そう気負わないで下さいよ。若を命に代えても守るのがあっしらの仕事ですので」
「じゃあ尚更ですね。守られなくて済むように気を付けます」
ナイルさんはヨハンさんに目配せをすると、彼もまたゆっくりと頷いた。門番の如く立っているのは、俺を守るためなのだろう。それにしてもナイルさんは俺を若と呼びたいようだ。もう好きにさせよう。
「あっしにも中等部の一年になる息子がいましてな。若を見習わせたいですぜ」
「見習うなら妹の方にしてあげてください。ヒナは優秀ですから」
「謙遜なさらんでくださいよ。極東からウンディーノ家に迎えられるなんて大したもんなんですから」
「たまたま……いえ、今まで色々と知らなかっただけですよ」
やたらと持ち上げられて悪い気はしないでもないが、少しこそばゆい。だが、彼らからしたら俺は特別なのだろう。この辺のギャップもまだ飲み込めていないな。
「それに、そのお歳であっしらより強いんですから。もっと自信を持ってくださらねえと、こっちもやりづらいんですぜ」
そう。俺は彼らよりも強いのだ。昨日の顔見せの時に一度だけ手合わせしたのだが、純粋な剣技や体術ではいざ知らず、精霊術を駆使した戦いでは完勝だったのである。護衛隊と聞いて胸を借りるつもりでいたけど、正直拍子抜けだった。
「分かりました。堂々としてた方がいいですよね」
「そうしてくれると助かりやす」
謙遜とか無自覚という訳でもないが、俺が自分自身をそこまで強いとは思えないのは、周りの人間によるところだろう。母さんに始まり、この国に来てからはティフォ先輩、イレア、リギスティアさん、ティターニアさんと強者の上澄みばかり目にしてきた。今回、ドラヴィドの兵士と戦えば自信が付くのだろうか。
「……若、時間です」
今日初めて口を開いたヨハンさんが、出発の時を告げた。彼まで俺を若と呼ぶんだな、と思えるくらいには緊張は解れていた。
「リオさん、貴方の今の長所は面が割れていないことです。ドラヴィドの人間よりも、ノーミオ家に警戒されにくい事が今回は重要ですから」
リギスティアさんは昨日そう言っていた。巫女家の中で腕が立つ者は、他家に知られている事がほとんどなのだ。だが、ウンディーノ家の一員となって日が浅い俺は顔を覚えられていないのである。学長は俺の事を知っているが、今の所は俺がウンディーノ家とここまで深い繋がりを持っているとは思っていない。
「行きましょう」
だから俺は、できるだけ目立たないように二人の後ろに付いて行く。向かう先はシルフィオ家とノーミオ家から派遣されたホテルの監視チームだ。その中にはセレナの姿もある。
「皆様、お集まり頂きありがとうございます。昨日伝達した通りの配置にそれぞれお願いします。トラブルがあれば当家の者か、わたくしに直接お伝えくださいまし。その場での解決は決してなさらないようにくれぐれもお願いしますわ」
後半の語気を強めて「警告」する。対するノーミオ家の面々は慇懃無礼を絵に描いたような態度だ。よし、俺に注目している人はいない。セレナがここに派遣されたのは、俺の存在をカモフラージュする役目もあるのだ。もっとも、彼女の実力もあってこそだが。
「巫女様、今日は宜しくお願いします」
「ええ。ウンディーノ家の方々もご協力感謝いたしますわ」
形式的な代表としてナイルさんが挨拶をする。ふと、セレナがこちらを向いた。パクパクと動かしている口に目を向けると、「が・ん・ば・っ・て・く・だ・さ・い・ま・し」と読み取れた。気付かれないようにする中での彼女の精一杯の応援だ。コクリと小さく頷き、俺達はその場を後にした。
監視を始めてから二時間。目立った動きをしてこなかったドラヴィドの兵士達が、ちらほらと部屋から出始めた。時計の針はそろそろ天頂を指す頃。昼飯時だ。
「……若」
「なんですか?」
相変わらず黙りこくっていたヨハンさんが小声で話しかけてきた。
「見回り、行ってきます」
「分かりました。戻るまでは俺がここに立っています」
三人のうち一人が交代で見通しの良い通路を見張っていたが、今からは警戒を強めるようだ。すると彼の姿が見えなくなってすぐに、一人で残された俺に話しかけた者がいた。
「やあ。君、ホテルの人かい?」
「ただの警備です。何かあれば一階のロビーへどうぞ」
事前に決められた通りの受け答えをする。相手は俺と同年代ほどで、浅黒い肌に短い黒髪の少年だ。ドラヴィドの兵士の一人だろうか。
「まあ何でもいいや。少し話し相手になってくれよ」
「業務中ですので」
警戒した。背中に忍ばせた大振りのナイフを意識する。左右に視線を飛ばし、有事に備える。
「そうピリピリしないでくれよ。こっちは暇で暇で仕方がないんだからさ」
「すみません、業務中ですので」
相手にしないと含意して同じ言葉を繰り返したが、彼は無視して喋り始めた。勝手な奴だ。
「オレたち、普段はドラヴィドで邪霊を狩ったり警備の仕事してんだよ。アンタも同業なら分かるだろ? そしたら急にお国から集められてよ、エレメントに行くって言うんだ」
無視しようとしたが、何か情報が得られれば好都合だ。そう思ってしばらく話を聞いた。飯が不味いだの同僚がうるさいだのと言った話を聞き流していると、
「――でさ、昨日こっち着いたら邪霊じゃなくて人と戦えって言うんだぜ? ミコだかなんだか知らんけどよ、先に説明しとけってんだ」
「……っ」
咄嗟に武器を構えそうになった。こいつらは、最初から戦うつもりで来てる。俺達巫女家を狙っている。穏便に、なんて考えは意識の外に追いやった。
「ま、精々巻き込まれないようにしとけよ? 余計なお世話かもしれねえけどな」
本当にただの雑談だったのだろう。じゃあな、と手を振ってそいつは去って行った。名前も聞かなかったが、顔はしっかりと覚えた。
「若、どうかしましたかい?」
入れ違うように休憩から戻ったナイルさんが、考え込む俺の様子を伺った。
「いえ、なんでもありません。交代お願いします」
きっと、戦うことになる。素性も名前さえも知らないが言葉を交わした相手とだ。現実味を帯びてきた戦いに、俺は少し身震いした。
■□■□
その後は、少年も彼以外も話しかけてくる事はなかった。少しホッとした。これから戦うかもしれない相手のことなんて知りたくない。
彼から聞いた話は休憩の時にセレナに報告した。それからは特に何事も無く時間だけが過ぎて、最も警戒すべき夜になった。
「若、交代です。しばらく仮眠をとったらヨハンに声かけてやって下さい」
「分かりました。何かあればお願いします」
これからが本番だ。動きがあるとすれば闇の中でだろう。逸る気持ちを抑え、俺はベッドで眠りに就いた。緊張を保っていた体は、ストンと眠りに落ちていった。
――男の演説は続く。
「――生命とは何か、人類とは何か、ヒトの意識とは何なのか? 科学技術の停滞を打ち破る答えはそこにあったのです! 我々が見ていた科学やエネルギーといったものは、表面的なものでしかなかった。既存の科学の物差しでは測れない生命の神秘、それを解明し、形にしたものがこの『大精霊』なのです!」
抽象的な概念を並べる彼の……いや、「俺」の台詞は自分でも殆ど分からなかったが、人々は揃って聞き入っていた。絶え間ないシャッターの音と光は俺を照らすスポットライトだ。
「これからの科学は、一歩進んだステージでの研究が主になってくるでしょう。その第一歩を創り出せたことを僕達は誇りに思います。より一層の――」
熱を込めたスピーチをしていると、誰かに体を揺すられた。なんだよ、人が気分よく話してるってのに――
「――若。若、起きて下さい」
「……っ! すみません、何かありましたか!?」
目が覚めた。俺の肩を叩くのはナイルさんだ。目を擦りながら飛び起き、状況を確認する。部屋の様子は変わらない。ただでさえ朧気な夢は一瞬で記憶の彼方へと消えた。
「ヨハンの奴が帰ってこねえんです。だけど外は静かだ。見に行きましょう」
「はいっ」
装備を整え、部屋を出る。ポーチにはウンディーノ家謹製のマテリアル・オーダー用のガラス球を入れておいた。いずれ使うことになるだろう。
廊下はとても静かだった。物音一つしない。深夜なら当然とも思うが、ドラヴィドの兵士達は夜でもずっと騒いでいたのだ。人の気配も無い。
「階段は見張ってました。出入口は一階だけ。下からの報告もありませんでした」
「窓から出て行った、とかは?」
「ここは三階ですから、あの人数が窓から降りて行けば騒ぎになります……いや、待てよ」
ならば残された行き先はあと一つ。
「やられた。屋上です」
ナイルさんがそう言うと同時に、俺達は階段を駆け上がった。
「屋上の警備は!?」
「シルフィオから一人とノーミオから二人です!」
不安だ。四階に登っても人はいない。そのまま屋上へ上がる階段へ向かうと、
「ヨハン!」
「ヨハンさん!」
扉の前の短い階段の前には大柄な男が倒れていた。
「若……上に……」
そう言った彼は虫の息だ。指さす先は屋上への扉。暗くて見えないが、床に流れる黒々としたものは……血?
「先に行ってて下さい、若! あっしは応急処置したら後で追いつきます!」
「わ、分かりました!」
ナイルさんは冷静だった。大丈夫だと自分に言い聞かせる。彼に任せて俺は行かなければ。
扉を開けた先は、戦場だった。
「精霊よ――圧し折れ、石斧!」
「ボルテックスファイア!」
「っらぁあああ!!」
血風吹きすさぶ戦場。轟と鳴る炎の渦がそれを焦がしていき、闇夜を紅く彩る。
「クソっ、遅かった!」
何故こんな騒ぎが階下に聞こえなかったのか? そんな疑問は捨て置き、構える。
「――マテリアル・オーダー!」
黒い球体を盾状に広げていく。どっちを止める? まずはノーミオの二人……いや、あの炎が厄介だ!
「流泡!」
盾を構え、水膜で防御する。
「……『加速』っ!」
躊躇わずに突っ込む。敵は渦の中心にいるはずだ。
「はぁぁあああああ!!」
盾を薄く、薄くしていく。熱が伝わる。息を吸うのも辛くなる。
「ぅらあっ!」
そのまま、幅広の刃物と化した盾を振りかぶった!
ガシュッ、という音がやけに鮮明に聞こえたのも束の間。炎がさらに襲い掛かる。
「っく……!」
後ろに飛び退くこともできず、壁のような炎を通り抜けた。熱い、より、痛い。腕は赤く熱を帯び、毛は焦げて縮れている。
「てめぇっ!!」
振り返ると、再び右手に炎を滾らせた男が。左腕は、肘から先がざっくりと抉れて垂れ下がっている。顔と同じ浅黒い色の両腕は炎に照らされていた。
「……お前は」
「んだよ、弱っちそうに見えたってのに」
痛みに苦悶の表情を浮かべながらも悪態を吐くのは、昼に話しかけられた男……いや、自分と同じくらいの少年だった。
「死ねっ! ブレイズクロー!」
間髪入れず、炎が意思を持った爪のように伸びる。遅い。達人の剣技には遥かに及ばない。
「ちょこまかとっ!!」
盾で防ぎながら避け、周りを見渡す。屋上にいるのは彼の他に八人。その内倒れている三人が共にシルフィオ家とノーミオ家の者なら、戦況は不利だ。だが、他の者は俺達の戦いに近づけてすらいない。この炎が敵味方問わず燃やすからだ。
「余所見してんじゃ、ねえっっ!!!」
「っ、と!」
慣れてくれば全く怖くない。逃げながら考える。他の奴等はどこだ?
「お前らの目的はなんだ!」
「知るかよ! お前らを殺せば金が出る! そんだけだっ!」
話にならない。そして逃げてばかりでは埒が明かない。
「覚悟、しろってか」
盾にべっとりと付いた彼の血は、焼け焦げて嫌な臭いを発している。目を背けたい。でも、やらなきゃいけない。向こうは殺す気で来ている。
ここは、戦場だ。
「……『加速』っ!!」
一歩。盾で防ぎきれなかった炎が服の袖を焼く。
「おらああァァ!」
二歩。雄叫びと共に大きくなる炎で視界が奪われる。熱い。
三歩。背中のナイフに手をかける。まだ相手からは見えていない。
四歩。届いた!
「はぁあっ!!!」
夏の間、何百何千と振った上段の構え。寸分の違いもなく、目指すは首筋。即死の急所。
「ッッ!! ブレイズっ……!」
遅い。俺がそう思うよりも先に。
視界が赤で染まった。
■□■□
それからは、あまり覚えていない。立ち向かってきたのは二人。あとは屋上から飛び降りて逃げて行った。
その二人も、同じように斬った。思考を奪う熱は相手の術か、はたまた体の内からこみ上げるものか。鼻を突く血の匂いは誰のものかすら分からない。
無我夢中でナイフを振るい、精霊術も尽きた時。立っていたのは俺だけだった。足元に転がるのは、敵の死体と砕け散ったガラス球。
「……若、ご無事ですか」
「逃げた奴等は追っていますか?」
俺は冷静だったと思う。鈍い感覚が伝える死の感触は、一周回って思考を冷ました。
だから、そんな顔するなよナイルさん。四十のオッサンがさ、子供に怯えた顔するなよ。
「し、下に逃げた者はシルフィオ家の者が。屋上から逃げた者は分かりませんが、市内を警備している当家の者が捕らえているはずです」
「分かりました。任せます」
自分の仕事は終わった。そう思った瞬間。
「ぉぅえぇっ……」
吐いた。喉を刺す不快感は、いとも容易く意識に黒い幕を下ろした。




