第46話 ティフォ・ベントの夏休み
「ヒマだ」
ティフォ先輩は唐突にそう言った。いや、先輩が何か言う時はいつも唐突なのだが。
「ヒマだあーーっ!!」
「うっさい」
先輩と俺がいるのはウンディーノ家の本邸の客間。俺が夏の間借りている一室である。そこの広いベッドを我が物顔で占領して喚いているのが、俺の元同室……そして今もこの部屋に入り浸っているティフォ先輩である。
「だぁーー! ひま! ヒマ! 暇! 向こうに動きが無いとこんなにやる事無ぇの!?」
「先輩、それ以上騒ぐなら追い出しますよ? こっちは勉強してるんですから」
外は朝から雨が降っている。次第に土砂降りになり、今日の修行はお休みとなったのだ。先輩の叫びも雨に掻き消された。確かに俺も暇なので授業の復習をしているのだが、あまり身が入らない。
「勉強~? どーせ夏終わったら授業なんてまともにできないんだから無駄よ無駄」
「だからこそでしょう。てか学園が潰れるような事態にならないために動いてるんじゃないですか」
「真面目だなぁリオ君は。何やってんの?」
先輩が言うことは分からないでもないが、勉強を疎かにする理由も特にない。かと言ってやる気がある訳でもなく、惰性で本を開いているだけだ。
「数学ですよ。期末試験、舐めてかかったら凡ミス連発したんです。疲れてたからってのもありましたけど」
ちょっと言い訳をした。不真面目なティフォ先輩の前では真面目ぶりたいのだ。
「ほーん、関数のとこか。この辺って公式覚えても計算めんどいよな。俺嫌いだなぁ……お、ここ間違ってる」
「あ、ホントだ。先輩って数学得意でしたっけ?」
教科書を覗き込む先輩に一瞬でミスを看破された。なんだか釈然としない。
「得意も何も、俺天才だよ? 教科書レベルなら見りゃすぐ分かるし。伊達にサボってねぇって」
「こいつ……」
自分で天才って言い切りやがった。が、悔しいことに今までの数々の言動から全く否定できない。
「てかそんなに暇なら雨の中どっか行けばいいじゃないですか。あ、知ってます? ウンディーノ家の人って雨だとちょっとテンション高いんですよ。水がいっぱいだからかな」
「濡れるからやだよ。てか何その話、おもしろ」
朝会ったリギスティアさんから使用人に至るまで、今日はやたらとにこやかだった。何かあるのではと思ったほどだ。あの仏頂面の宰司ですら笑顔で挨拶してきたんだぞ? 不思議なことにイレアはそういう様子が無いので、水の精霊術使いあるあるなのかもしれない。
「でも確かに俺も台風の日とかはテンション上がるなあ。リオ君は……そういうの無いのか」
「どーせ俺は得意な系統とか無いですよーだ。あー、全然集中できない」
雑談は進むが、ページは先程から全く変わらない。よし、やめるか。
「先輩、なんか面白い話あります?」
「すげえ適当な振りじゃん。ま、あるけど? 聞く?」
諦めた俺は教科書を閉じて後ろ向きに座り直し、椅子の背もたれに顎を乗せて先輩の話を聞き始めた。
■□■□
先週くらいかな、俺は大使館の周りをうろついてたんだ。リオ君のお母さんでも出てこないかと思ってね。まあハナから望み薄だし結局その日は会えず仕舞いだったんだけどさ、大使館から出てきた女の子に話しかけられたんだよ。妹ちゃんくらいの歳の子かな?
「すいません、兄を見ませんでしたか?」
「ん? 誰か探してんの?」
聞くと、身長は俺と同じくらいで眼鏡かけた真面目そうな人。髪は彼女と同じ薄緑がかった短髪、歳は二十二って言ってたよ。名前は教えてくれなかったな。
「もし見かけたら妹が探していたとお伝えくださいまし。それではお願い致します!」
で、そのまま走って行っちゃったんだよ。
■□■□
「ちょっと待った待った、その兄ってオクタールさんですよね? じゃあその子ってセレナ?」
「だな。俺はすぐ分かったけど、向こうは俺がティフォ・ベントだって気付かなかったっぽい。まあちょっと変装してたし、大使館前なんつーシルフィオ家の庭にいる訳ないからな」
そういえばセレナは先輩の顔を知らないんだな。その上姿を変えていたら気が付かないのも仕方ない。普通そんな所にいるとは思わないだろうが、この男は普通とか常識が通用する人間ではないのだ。
「そんでな。他のシルフィオ家の人に見つかったら面倒だから繁華街の方ブラブラしてたんだけど、運良くか悪くか、しばらくしてまた会ったんだよ」
■□■□
「あ、先程の方! ありがとうございました、兄は見つかりましたの」
「そりゃ良かったな。んで、またなんか用?」
「はい、実はもう一人探している者がいまして。今すぐという訳ではないのですが――」
再会した彼女に再び探し人の特徴を聞くことになった。彼女が言うには俺くらいの背の高さで、俺みたいな金髪に碧眼、風の精霊術を扱う男だって。
「んー、つまり俺みたいな奴ってこと?」
「はい。この辺りによくいると聞きまして。これも何かの縁ですの、もし見かけたらお教え下さいます?」
「いいけど、見つからないんじゃないかなあ」
ちょっとビビったよ。もしかしてカマ掛けられてんじゃないかなってさ。
「あの、よろしければ貴方のお名前を教えて下さいます?」
「俺? 俺はリオって言うんだ。よろしく」
「まあ、お兄様と同じ名前ですの。こちらこそよろしくお願いします。わたくしは……シルティと申します」
すまんねリオ君、名前借りたよ。まあそんなに珍しい名前でもないし、向こうも偽名だったからお相子だったな。そんな訳で、彼女と一緒に俺を探すことになったんだよ。意味分かんねぇよな。
てかお兄様って何?
「で、なんで俺……じゃなくてそいつを探してんの?」
「はい、実は一度お会いしたくて。彼は風の精霊術がとても強いとお聞きしていますの」
「ふーん、それってどれくらい?」
「わたくしの母よりも強いんです。あっ、母はその……かなり精霊術に通じているというか、そのっ」
正直全く隠せてなかったけど騙されておいたよ。というか俺がバレたら不味いからな。せっかくだし一緒に歩きながら話を聞いたんだ。
「まあ、訳アリなんだな。言わんでいいよ」
「ありがとうございます。母もその男を探していますの。でも、わたくしは個人的に会ってみたいんです」
今会ってるんだけどな。
「なんで会いたいんだ?」
「わたくし、精霊術には自信がありますの。もちろん母には全く及ばないのですが、いずれ越えなければならないのです。だから母が認めたほどの方が気になって仕方がありませんの」
「なるほどねぇ。じゃあ聞くけど、強いってなんだ?」
あまりにも当たり前のような質問にキョトンとしてたよ。ちょっと意地悪な聞き方だったかもな。
「なにって……精霊術の扱いに長けて、周りの者を守れることと思っていますが、違いますの?」
「うん、まあ合ってるな。でもそれは別に誰でもできるだろう?」
「誰でも?」
「そう、力で守るのは自分じゃなくてもいいんだよ。守れる力を持った人を味方にできれば、その目的は達成できるだろ? 人望ってのも強さだと俺は思うよ」
「うーん、でもいざという時に自分の力が無いと困りますし、そもそも強い人でなければ味方を作れませんの」
首を捻って考えている。帝王学ってのは難しいからな。俺も昔は学ばされたけど、未だに完全には理解できてない。人の上に立つのがめんどくさい俺みたいな奴には不向きなんだよ。
「ま、こうやって一人で探してるんだし、難しい事考えるより動く方が得意なんでしょ?」
「そうですの……いえ、一人ではありませんわよ。貴方が一緒に探して下さってるじゃないですか――あっ、なるほど!」
何か納得したようにポンと手を打った。
「例えば貴方がその男だとして、こうやって味方に付けられれば良いということですのね!」
「ははは……まぁ、間違ってはないかな?」
本当に気付いてないのかだんだん不安になってきたよ。こりゃ将来は先代よりも手強いかもな。俺はそろそろ退散することにした。
「さて、悪いが俺も用事があるんだ。ここらで失礼するよ」
「いえ。ありがとうございました。よい事も教えて頂きましたし、貴方に出会えてよかったですの。うふふ」
「いや、礼には及ばんよ……ん?」
なんか言い方に違和感があったんだよな。それはすぐに確信に変わったんだが、
「それではまたお会いしましょう、ティフォグランデ様!」
小声でそう囁き、彼女は走って行った。
いつ気付いたのやら、やっぱりバレてたよ。でも少し見くびってたかもしれん。
「こんにゃろぅ……」
そのうち成長したら色んな意味で戦ってみたいな。母娘諸共蹴散らしてやろうか、なんて珍しく思ったよ。
■□■□
「結局バレてたじゃないですか」
「それな」
面白いというか、いつも通りの先輩の話だった。セレナも遂にこの男に出会ってしまったんだな。
「でも流石巫女というか、優秀だねぇ。あのアグレッシブさは母親譲りじゃないかな? 怖い怖い」
「シルフィオ家に見つかりたくないくせに、あの辺ほっつき歩いてる先輩が言います?」
「それな」
ブーメランを華麗に受け止める先輩。何を言っても無駄である。
「いやまあ、単にブラブラしてた訳じゃないんだぜ? ちょっと確かめたいことがあってさ」
「なら相手しなくても良かったじゃないですか。てか他に変な事は吹き込んでないでしょうね? ティターニアさんに言いつけますよ」
「言ってない、言ってないから。マジで見つかるとめんどくさいんだよあのババアは。俺は勝ち逃げしたいの」
聞かれたら絶対アウトな事言ったな。なんでこの人ってこんなに迂闊なんだろうな? 自分に自信がある人の究極系なのだろうか。
「まあ、セレナも先輩と会った事はティターニアさんには言ってないと思いますよ。勝手に動いたのを怒られたくないでしょうから」
「そう信じてるよ~」
情けない先輩の声に溜息が出る。ふと外を見ると、雨が弱まってきたようだ。
「ほら、雨弱くなりましたよ」
「なに小雨になったから帰れみたいに言ってんだよ。完全に止むまでここにいるからなー」
「チッ」
「あ、舌打ちしたなコイツ! もっと先輩を敬えって!」
「そういうとこですよ」
ウダウダ言う先輩は、結局夜遅くになっても止まなかった雨の中を帰るのだった。明日の朝にシルフィオ家の人がやって来るのを知っていたのだろう。
残念ながら翌日になっても雨は止まなかった。終始テンションの高いウンディーノ家の人々を尻目に、俺は蒸し暑い中を憂鬱に過ごすのである。
そして時は過ぎ、実りの多かった八月は終わった。これからは動き出すための様々な準備が行われることになる。
嵐の前の静けさとも言えるような、平和な夏休みは幕を閉じたのだ。




