第45話 とある放送委員の夏休み
ルーヴェラント・ラ・カールギウス・オ・アイラという少女がいる。
彼女は公立精霊学園の高等部三年に所属する生徒であり、同時に放送委員の一人であった。よほど親しい人でもなければ彼女の長い本名を覚えていないだろう。そして彼女自身もフルネームに拘りは無く、周りに自分の事を「ルー」という愛称で呼ばせていた。
つまりは、ヒナの先輩でありエスメラルダの友人の「ルー先輩」の事である。
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夏休みに入っていつもより更に人気のない放送室で、エスメラルダは業務に当たっていた。すると、重厚な扉がノックもなく開けられる。こんな真似ができるのは自分が知る中でたった一人。予想通り遠慮なく入って来た親しい顔に、彼女は微笑んだ。
「お疲れ様、委員長」
「ごきげんよう。ルーさんは何をしに?」
「ちょっと様子見に。ダメ?」
「まさか。お茶でも淹れましょうか?」
「いいっていいって、もう終わるでしょ?」
ルーがここに来た一番の理由はエスメラルダと一緒に帰る事だった。彼女に頼まれた訳でもないが、迎えに来たのである。もちろん今日に限った話ではなく、これもいつも通りのやり取りである。
エスメラルダとルーは古くからの付き合いだった。彼女らが初めて言葉を交わしたのは中等部に入学するよりももと前であり、揃って放送委員に入ってここまで来ている。
放送委員に副委員長なんて役職は存在しないが、もしそれが誰かと聞かれたら、委員の全員がルーだと答えるだろう。寧ろ一般の生徒からは本当に副委員長だと誤解されていそうだ。公私ともにそんな仲の二人である。
「ねえねえ、この前行ったカフェで新作出たらしいよ。行かない?」
「構いませんけど……まったく、それが目当てでしたのね?」
「あはは、バレちゃったか」
冗談めかして言い合い、片付けをして部屋を後にする。二人は静かな校舎を歩いて校門を出た。
「そーだ、ティフォの話って聞いてる?」
「ええ、耳にはしています。ウンディーノ家とシルフィオ家に付いて協力するそうですね」
「いなくなったと思ったらコレだもんねー。学園戻ってくるのかな?」
「それは有り得ませんわ。ヴィオテラ学長に目を付けられてしまったのですから。わたくし達はできれば関わるべきではありませんわよ」
通りを歩きながら声を潜めて話すのは、件の男と動き出した巫女家の情勢についてだ。一応は中立を保っている放送委員のトップとして、表立ってどちらかに付くわけにはいかない。もっとも、ヒナのような例外もあるが。
「とは言ってもねー。何もしなくても巻き込まれるって事はあるからね。アタシはともかく委員長は狙われやすいんだよ? ――分かってる?」
「ええ。すいませんルーさん、またお願いしてもいいかしら?」
「りょーかい」
唐突にそう言い、二人は進路を変えて路地裏へと歩いて行った。カフェへの道とは逆方向だ。
「……バレバレだっつの」
ぽつりと呟いたルーの後方から、同じ道を歩いて来る男女の姿がある。今日のは一段とお粗末だなと思った。
「ごめんなさいルーさん! わたくし、急用を思い出しましたの。お先に失礼しますわ!」
そして極めてわざとらしく、後ろの二人に聞かせるようにエスメラルダは言った。そのまま走って向かいの通りへと去って行き、残されたのはルーと男女だけだ。
「――てな訳だ。お嬢は用事があるからさ、お引き取り願おうか?」
「いえ。貴女だけでもお話しませんか?」
「ご主人の身に危険があっては困りますよね。それに貴女も怪我はしたくないでしょう」
脅すように問いかける男女。そんな二人を一瞥して、ルーは吐き捨てるように溜息を溢す。
「あのさ、三ついい?」
自分達より年下の少女に呆れたような声音で言われ、二人は少し目つきを鋭くした。そんな小物っぽさを見てルーは更に呆れるのだが、それはさておき。
「まず、アンタらに話すことなんて無いし、お嬢はアタシの主人じゃない。友達だよ」
ルーは武器を構えた。まるで虚空から取り出したかのような剣に、男女は即座に警戒する。
「それと――アタシに怪我させられるとか、本気で思ってんの?」
言うや否や、地を蹴って飛び出す。女との距離は一瞬で詰められた。
「はああぁぁっっ!!!」
一閃。
血飛沫が舞う。
躊躇など、ありはしなかった。
「精霊よ――!!」
だが、相手も黙っていない。男はすぐさま炎の壁を生み出し、距離を取る。相手は武器を使う。近距離にならなければ――
「――らあああぁぁぁ!!!」
そんな甘い考えは、炎と共に風圧で吹き飛ばされた。
「精霊よ――烈風!」
ルーの持つ剣が、風の勢いで飛んでくる。
男は最期の瞬間、彼女が立っていた足元が不自然に隆起しているのを見た。だが、迫る死から目を逸らす虚しい抵抗は意味をなさず、
「ごふぁあっ……」
短い断末魔を漏らし、男は倒れた。鉄の剣は正確無比に男の心臓を貫いている。即死だ。
「あーあ、楽しいお出かけが台無しじゃん……委員長、出て来ていいよ」
男が完全に動かなくなったのを確認して、ルーは声をかけた。女の方は見るまでも無い。
「まったく。もう少し穏便に済ませられませんの?」
路地の奥に避難していたエスメラルダが戻ってきた。彼女もこの血生臭い光景を見ても顔を顰めるだけだ。
「しゃーないじゃん。来る方が悪い」
「……ええ、そうですわね。さあ、片付けますわよ」
そう言いながら、二人はゴミでも扱うかのように風の精霊術で死体を纏める。数分の後、鉄の箱に収められたそれらはルーが背負った。
「じゃ、悪いけど先に帰るね。カフェはまた今度ってことで!」
「分かりましたわ。お父様にもよろしくお伝えくださいまし」
「はいはーい。じゃあね」
人を斬った後とは思えない、屈託ない笑顔でルーは走り去って行った。残されたエスメラルダもそれを気にする仕草は無い。
「……最近、この手の者は増えた気がしますわね。わたくしの政治的価値なんて殆どありませんのに」
その代わりに、辟易した様子で帰路に就くのだった。
彼女達は幸運であった。戦争の前兆が起こす事態に……人の死に、慣れていたのだから。
そして他の学園の生徒達も、今はまだ幸運であった。様々な事件は、彼ら彼女らの知らない所で進んでいたのだから。
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「ただいまー」
「お帰りなさい。早かったですな」
「うん、刺客が二人。倉庫に入れといたよ」
「またですか……お嬢様のご様子は?」
「いつも通り。慣れっこだよ」
家に着いたルーは、迎えた父に今日の出来事を報告していた。
「場所は?」
「大通りの東。あのカフェ……って言ってもパパは分かんないか。えっと、本屋だっけ? あの辺りの裏路地」
「いや、分かりました。後で調査を向かわせましょう。二人の身元は?」
「うーん、分かんないけど、一人は火の精霊術使ってた。話し方にドラヴィドの訛りとかは無かったかな。こっちで雇われたゴロツキじゃない?」
「そうですか。ご苦労でしたな」
このやり取りも、二人にとっては特別な事ではなかった。
「そうだパパ、今度剣教えてよ。最近また弟子とってるんでしょ? アタシにも稽古つけてよー」
「時間があれば。仕事とは別ですぞ」
父は二階に上がって行った。素っ気なく返す父にルーは少し不満顔である。夏休みだと言うのにちっとも時間をとってくれないな、と頬を膨らましていた時、玄関が開く音が来客を告げた。この気配は。
「よっす! 調子はどう、カール……ってゲッ、お前もいたのかよ」
「ここ、アタシの家なんだけど」
「えぇー、この時間ってアイツと一緒じゃなかったのかよ? 悪ぃ、やっぱ出直すわ!」
男はそう言って家主に顔も合わせず、一瞬で去って行った。特に用事があって来た訳でも無いのだろう。そういう奴だ。
「はぁ……アタシも夏休みだってのになぁ……」
そうだ、今度パパが仕事に行く時に付いて行ってみようかな。どんな子に教えてるのか気になるし。
「ねえねえパパ、あのさ――」
つまらない夏休みを打開すべく、ルーは動き出すのだった。なお、この頼みは無碍に断られるのだったが。
ルーヴェラント・ラ・カールギウス・オ・アイラ。長ったらしい名前は母の出身の伝統に則った、「カールギウスとアイラの娘」という意味である。とある剣術の師範の娘であり、公立精霊学園の生徒にして放送委員。そして父の言いつけで、亡命したドラヴィド王族の血を引く娘を、友人として護るのが彼女の仕事である。
苦労人気質の彼女もまた、この一連の騒動に巻き込まれるうちの一人であった。




