第39話 再開と決別
母さんは昔から、厳しくも、優しい人だった。自身については多くを語らなかったが、俺やヒナの事を常に気にかけ、女手一つながらも育ててきた。仕事でいつも忙しく家事は俺達に任せっきりだったが、休日には勉強を見てくれたりトレーニングに付き合ってくれた。
家族三人。物心ついた時から父はいなかったから、これが俺達には普通だった。普通の幸せな家庭。母さんは、俺とヒナにとって誰よりも信頼がおける家族――だった。
「母さん……!」
「お母さん!」
どうしてここに? なんで急に? 会いたかった。寂しかった。今まで何してたの? どうして軍の事を黙ってたの?
言いたい事は山ほどある。だが……今言ってはいけない事もある。十中八九母さんは学長――ノーミオ家側だ。そして俺達はノーミオ家と対立している。母さんと極東軍の目的が分からない以上、俺達の立場を悟られるべきではない。
「さて、親子の再会に水を差すわけにゃいかんな。シオン、私はしばらく外すぞ」
「お気遣いありがとう、ヴィオテラ」
そう言うや否や学長は部屋を出て行った。彼女も俺達がウンディーノ家の人間だとはまだ知らないはずだが、イレアとの仲から多少は感づいているかもしれない。この場に居ないに越した事は無いので好都合だ。
扉が閉まり、学長の姿が完全に見えなくなってから俺は改めて母親の顔を正面から見る。変わらない。最後に会った、あの日から。
「……母さん、久しぶり」
「うん。元気そうで良かった。ごめんね、遅くなって。それと二人には色々黙ってて」
「ううん、お母さんも事情があるんでしょ? わたしとお兄ぃは大丈夫だよ」
「それより、どうして急にこっちに? 母さんは今まで何してたのか教えてよ」
「そうね。どこから話そうかしら?」
まずは母さんの事情を探る。何を知ってて何に関わっているのかが分からないと、俺もどこまで話していいのか判別がつかない。ヒナもその辺は理解してるだろう。
「じゃあ今更でしょうけど……お母さんの仕事は、軍で精霊術を研究している機関の所長。それと同時に遠征軍の指揮を任されているの。今回は研究所の仕事が急に入っちゃったから一緒に行けなかったんだけどね」
「やっぱりそうなんだ。それで?」
「今まで二人に黙ってたのは、まだ二人が子供だったからよ。お母さんの仕事、ちょっぴり危険だもの」
ごめんね、と謝る母さん。嘘は見えない。俺達を心配してくれていたのは紛れもない事実だ。
「今回も本当はリオ達と一緒に行くつもりだったんだけどね、親離れにも良い機会かなって。……うん、二人とも逞しくなった」
「最初は大変だったけどね。もうちょっと先に説明して欲しかったよ」
「ごめんごめん、でもお母さんが極東に残るって決まったのは本当に急だったの。だから手紙だけ書いたんだけど、説明不足だったわね」
「そうだよーお母さん。びっくりしたもん」
「ふふ、ヒナもお母さんがいなくて寂しかったかしら?」
「べ、べつに大丈夫だったよ!」
なるほど。母さんが仕事の話を今まで明かさなかったのと、公国に行けないことが急に決まったのが重なってしまったのか。ただの偶然だ。母さんの秘密主義と話下手は今に始まったものじゃないから仕方ないな。
「で、急にこっちに来たのは?」
「ごめんね、それも今は話せない。それに、またすぐ向こうに戻ると思うから」
「そうなんだ……ねえお母さん、わたしもこっちで色々あったんだよ」
それからはヒナが学園に来てからの事を色々と話し、それを聞く母さんは終始ニコニコしていた。ウンディーノ家の事など言ってしまわないがヒヤっとしたが、ヒナもうまく誤魔化していた。
「――でね、その時ミカラちゃんがね、」
「ふふ、今度また紹介してちょうだい? ごめんねヒナ、そろそろ時間かしら」
「あっ、ごめんお母さん」
「いいのよ。もっと聞かせて欲しいもの」
母さんはふっと真面目な顔になって目を瞑り……何か精霊術を使った?
「さてと、本題に入りましょうか。もう盗み聞きする人もいないわよ」
鳥肌が立った。開けられた目は真剣な、いや、無機質で冷たい目だ。盗み聞きというのは心当たりがあるが、ひとまず置いておこう。
「そうね、進捗はどう?」
あっさりとした、だが直球の質問。ぼかした聞き方だが、俺もとぼけるつもりは無い。
「水と風はもう行った。土と火はまだ目処が立ってないかな」
「あら? てっきりまだ土だけかと思ってたわ。ヴィオテラも忙しいのかしら?」
「あっ、えーと、そっちは後でいいかなって。それに手紙だと学長には話すなって書いてあったじゃん」
そうか、母さんは俺が学長にまず相談したのかと思ってるのか? あの手紙では学長にも秘密にしろと書いてあったはずだが……
「手紙……? リオ、次に来た時に見せなさい。まだ持ってるわよね?」
「うん、持ってる。どうして?」
「後で教えるわ」
母さんの態度が一変して剣呑になった。なんだ? あの手紙の内容が間違っていたのか?
「まあいいわ。それより二人はウンディーノ家とシルフィオ家の方と仲が良いの?」
「え? ああ、まあ。たまたまだよ」
俺は、何故か嘘を吐いた。理由は分からない。けど、もしかしたら母さんの次の言葉を予想していたからかもしれない。
「そう。なら――」
確信した。
「二家の動向を私に報告しなさい」
母さんが、敵に回ったと。
■□■□
手足の感覚が薄い。どこに向かっているんだっけ? そうだ、寮だ。学長室を出て、荷物を取りに寮に歩いてるんだ。
確か……用事があると言った母さんはすぐに席を立ったんだ。あの時の俺は、いつもみたいに「うん、分かった」って言ったはずだ。声が震えていたかもしれない。母さんが敵になった。そのショックが大きすぎたのだ。
「――お兄ぃ、待ってよ!」
「っ、ヒナ……」
後ろを歩いていたヒナが小走りに追いかけてきた。随分と早歩きになっていたらしい。気付けばもう寮の玄関前だ。
「ヒナ」
「なに?」
「母さんは、もう俺達にとって敵だ」
改めて言葉にすると動悸が激しくなる。拳を握る力が強くなる。薄々感じていた事が明確化された。もう後戻りはできない。
「俺達にスパイになれって言ってきた。母さんは戦争を推し進めるノーミオ家の側で、極東軍はその発端かもしれない。協力なんてできない」
「分かってる」
「……いいんだな?」
「お兄ぃこそ、大丈夫なの?」
「大丈夫」
大丈夫な訳が無い。親と縁を切ると言っているようなものだ。でも、どっちつかずの状態が一番危険だ。両方を敵に回すことになる。
「行こう。もう迎えが来るから」
「うん……分かった」
ヒナの問いに答えること無く、俺達は迎えに来た霊動車でウンディーノ家へと向かった。
「んー、とうちゃーく!」
「リギスティアさんに挨拶しなきゃな。イレアもいるかな?」
移動中は努めて明るい話題に徹したのもあって、お互いリフレッシュできた。せっかくの夏休みだ。羽を伸ばすとしよう。門の前で話していると、中からソージア先生が出迎えた。
「長時間のご移動お疲れ様です。ご当主様がお待ちですのでご案内します……なんてね。前にも言ったけど、私は使用人の扱いだから一応気を付けて下さいね。ここはうるさい人も多いから」
「ありがとうございます。先生も来てたんですね」
「学園で業務もあるから行ったり来たりよ。しばらくしたら纏まった休みが取れるから、イレアさんも入れてご飯でも行きましょ? 一班の慰労会ね」
「おーいいねー! イレアお姉ちゃんって今いる?」
「ええ。ご当主様と一緒に待ってるわ」
そう言って先生は俺達を謁見の間に案内した。途中で荷物をスムーズに預かってくれる使用人達を見ると、まるで自分が偉くなったような気分だ。いや、実際そうなのかもしれないが。
到着した部屋にいたのはリギスティアさんとイレアだけだった。
「お二人ともよく来て下さいました。これから夏の間よろしくお願いしますね」
「こちらこそお世話になります。早速なんですけど、お時間いいですか?」
「構いません。学園の方で何か?」
「はい。実は――」
この場にいる者が全員聞いても問題無い人だと確認して、俺は今さっきの出来事を伝えた。
「……そうですか。彼女の動向を至急確認します」
「学長は、母さんが連絡も無しに急に来たって言ってました。それに本来は今は遠征軍が来る時期じゃないはずですよね?」
「ええ。密行であれば由々しき問題です。友好国ではありますし、ノーミオ家が歓迎している以上表立った反対はできませんが、極東が新たな何らかの移動手段を獲得していた場合は危険極まりないですから」
そう言ってリギスティアさんはまた一段と難しい顔をした。
「しかし、母親と敵対ですか……勇気ある決断に感謝します。安心してください、貴方達の立場は絶対に我々が守ります」
「ありがとうございます……正直、母さんの事はまだショックです」
「私が何を言っても慰めにはなりませんが、お二人を家族として迎えるための努力は惜しみません。せめてここを我が家と思って寛いでください。イレア、部屋の案内を頼めますか?」
「はい、お婆様」
「しばらくよろしくな、イレア」
「後でイレアお姉ちゃんの部屋、遊びに行っていい?」
「うん、よろしく。べつに良いけど、部屋隣だよ?」
「え、そうなの? へ~」
そう聞いてヒナがニヤっとしたのを俺は見逃さなかった。何を考えているかなんてお見通しだぞ。
「私も客間を使ってるからね。こっちよ」
案内された先は、以前とだいたい同じ場所にある部屋だった。前に使った所よりも少し広いか? 暖炉の代わりに付いているのは室温を変える霊道具だ。備え付けの家具からも待遇の良さが感じられる。
「すごーい、ベッドおっきい!」
ヒナの部屋も同様だった。全く同じ部屋が廊下に並んで隣接しており、奥からイレア、俺、ヒナの順だ。確かにベッドが大きい。大人二人くらいは余裕で寝転がれる広さだ。ヒナがまたもやニヤリとこちらを向いたが、流石に邪推が過ぎるだろう。うん、落ち着け。それは無い。
「二人はこの後どうするの?」
荷物を解き終わった俺はイレアと一緒にヒナの部屋にいた。荷物がやたら多い彼女はまだ洋服をハンガーに掛けている。
「そうだな。やる事は特に無いけど、ちょっと体を動かしたいな」
「移動で肩凝っちゃったからわたしもー」
「じゃあ散歩でも行く? 海まで歩こうよ」
潮風の吹く海沿いを歩くのは気持ちが良いだろう。そんな話をしていたらヒナが片付け終わったようだ。
「お待たせ。荷物減らしてくればよかったよ」
「じゃあ行こうか……っと、まだ何か残ってるぞ?」
床にヒラリと落ちた紙を拾い上げる。封筒だ。それもデジャヴを感じる無地の封筒。流石の俺でも予想がつく。
「こんなの入れた覚え無いけど……開けるよ?」
「ったく、いつ忍ばせたんだか」
「あ、もしかして例の先輩の?」
イレアも分かったようだ。そして予想通り、文面の最後には彼の名前が。
『やあ、ちょっと気になる事があったから連絡するよ。学園に誰かが来ているみたいなんだ。特徴からして君のお母さんだと思う。もう会ったかい?
分かる範囲の行き先は大使館と学園だけど、途中でノーミオ家の人間に会ってる。やはり極東軍がノーミオ家に関係しているみたいだね。君も気を付けてくれよ。
偉大なるティフォ先輩より
追記 君の動向を把握できなくなった。近い内に会いに行くよ。場所はウンディーノ家の本邸かな?』
「あー、まあ、今までの手紙の中だと一番予想の範囲内っていうか」
「お母さんと会ってる間に入れたのかなー。女の子の荷物漁るとか、つくづくデリカシー無い人だね」
「二人とも驚かないんだ……私は未だに怖いよ。知ってる? この人ってうちとかシルフィオ家だと、神出鬼没の怪人扱いされてるんだよ?」
「ははは、いいなそれ。今度会ったら言ってやろ」
「変態ってのも付け加えといてね」
俺達のあんまりな言い様にイレアも閉口した。でも今なら聞かれていないから問題無いな。まあ、面と向かって言ってもいいんだけどさ。
「ねえ、このお兄ぃの動向が分からなくなったってのは?」
「ああ。前からティフォ先輩の情報収集能力って謎だったろ? あれの正体だよ」
「確かに、巫女家とかドラヴィド国の情勢まで知ってたのは不思議ね。分かったの?」
「前から予想してたけど、今日確信した。ティフォ先輩は風の精霊術で、文字通り俺達の会話とかを聞いているんだよ」
先輩がいなくなる前、たびたび一方的に精霊術で連絡をとっていた。あれの応用だろう。素人の俺には分からないが、先輩なら数か所の音声を同時に聞く事くらいできそうだ。しかし母さんには気付かれて持続できなくなったのだろう。
「あ、今日お母さんが言ってたやつか。でも普通はそんな術使ったら気付かれるはずだけどなあ」
「そうなのか?」
「うん。バレないようにするのも頑張ればできるとは思うけど、何か所も同時にってのは意味わかんない。やっぱそういうのも含めて変態だねあの人」
「ティターニア様に勝つくらいの使い手ならあり得なくは無いのかな?」
「まあ常識が通用する人じゃないしな」
ティフォ先輩だし。そう結論付けてこの話は終わりとなった。後でリギスティアさんに報告するとしよう。というかこんな場所に来て捕まらない自信があるのか? ……あるんだろうなぁ。
■□■□
「おー、海だー!」
日が茜色に染まり始めた頃、俺達は予定通り海まで散歩に来た。海沿いの街にあるウンディーノ家本邸ならではのレジャーだ。
「海なら極東にもあるんじゃないの? というか島国よね」
「まあな。でも砂浜なんて無かったぞ? こっちだとまだ残ってるんだな」
極東の海は漁業のための港と一般人は立ち入り禁止の軍港、残りは崖だった。川遊びなら行ったこともあるが、海水浴なんて文化は無かったな。そもそも極東の中心は山に囲まれた盆地だ。海なんて普段は視界にすら入らない。
「わー冷たーい!」
早速ヒナは靴を脱いでパシャパシャと水を蹴っている。そうだ、こんだけ水がある所なら何かの修行ができないかな?
「イレアは入らないのか?」
「うーん、水はちょっと苦手っていうか……嫌いじゃないんだけどね。ほら、凍らせちゃうから。昔それで怪我した事あってね」
「なるほどな」
近くの岩に腰掛け、水辺ではしゃぐヒナを眺める。ふと、平和だなと思った。横に座るイレアはぼんやりと遠くを見ている。そういえば、俺達って婚約者なんだよなあ……
「なあイレア」
「なに?」
湧き出た気恥ずかしさをかき消すように話しかける。少し考えたが気が利いた話題なんて無かった。
「あー、そのな。今日俺達は母さんの……敵になった。縁を切ったんだ」
「……うん」
「知っての通り、俺達は父親を知らない。ウンディーノ家の人らしいんだけど、多分もういないんだと思う。イレアも知らないんじゃないかな」
「そうね、聞いた事ないもの」
「だから、俺達には家族がいない」
そう聞いてイレアが俯く。彼女も両親を亡くしているのだ。境遇は全く違うが……結果は同じだ。
「リギスティアさんは俺達のことを家族だって言ってくれた。俺からしたら他人だったけど、リギスティアさんにとっては最初から孫みたいなものだったのかもな」
ショックで気付かなかった寂しさが急にこみ上げてきた。そうか、俺は寂しかったんだな。久しぶりに会った唯一の親が味方じゃなくて。
「だからさ、何ていうか……これからも、よろしく。で合ってるかな?」
「うん。私達はリオとヒナちゃんの味方だし、家族だから。あはは、ちょっと恥ずかしいね」
そう言って笑う彼女の頬を染めたのは、夕日だけではないはずだ。
大きな変化を迎えた。今年の夏はやる事が多くなる。ゆっくりと傾いていく夕日を見つめ、俺はそう思った。




