第97話 猜疑と確信
「今日、リオのお母さんと会ったの」
少しの間をおいてから喋り出したイレア。予想外の言葉だった。まさか、本人と会っていたのか。
「朝、お婆様を迎えに行った時ね。ホールの前で学長に挨拶してたら、シオンさんが来たのよ」
開会式が始まる前、ゲストが中央棟に集まっているというのは聞いていた。当然、母さんもその一人としてそこに来たのだろう。今日の母さんは、本当にただの来賓として振舞っていたらしい。
「正式に公国に来るのはリオが生まれた時以来だから、お婆様とも十五年ぶりだったみたい。私とも一応初対面ってことになってて……緊張しちゃった」
「そんなに会ってなかったのか? いや、確かにそうか……リギスティアさんも春まで、俺のことは母さんの子供ってことくらいしか知らなかったしな」
俺は、母さんはこれまでに何度もリギスティアさんや学長と会ってるんじゃないかと漠然と考えていた。二人とも母さんとの秘密を頑なに話してくれないし、常に母さんのことを気にしていたからだ。
それに、昔から母さんは一日か二日ほど家を空けることが度々あった。あれは縮地を使って公国に行っていたんだろうと何となく思ってたけど……違ったな。夏休み前に母さんが来た時の学長の様子は、やけに嬉しそうだった。頻繁に会ってるなら、急だとか驚いたとかって言葉は出ないはずだ。そう、つまり母さんが縮地で自由に移動できるようになったのはつい最近のこと。そもそもの話、簡単に行き来できるなら仕事を理由に俺達だけを先に公国に行かせる訳が無い。
「縮地に囚われ過ぎてたな……」
そうだ。そうなるとここ二、三年の邪霊出現の原因にも合流する。単に学長が公国を軍事化するための起爆剤とか邪霊を転送するための実験だと思っていた。もちろんその側面もあるのだろうが……母さんからすれば、逆か。人間を移動させるための実験として邪霊を使っていたってことなのか。
「でも一応俺の父さん――夫の実家だろ? なんでそんなに行かなかったんだ?」
「それは……気まずいから、じゃないかって」
「は?」
気まずい? 意味が分からない。そんな理由で?
「あんまり詳しくは教えてくれなかったけど、お婆様は最初、リオのお父さんとお母さんの結婚に反対してたんだって」
「……そんなの初めて聞いたんだけど。なんで?」
「そこまでは。でも、何となく予想はできるよ。その頃ってさ、リオのお祖母さんが亡くなってすぐだよね」
「ああ。病気って言ってたな」
父さんの手掛かりを掴むため、その母親――リギスティアさんの妹で、俺の祖母に当たる人物について調べてみたことがあった。どうせ隠されているだろうと期待していなかったが、ただ「病死」とはっきり分かったのだった。俺が生まれる少し前のことだ。
「十七年前のドラヴィドとの戦争の前後って、巫女家で病気が流行ってたでしょ?」
「言ってたな、リギスティアさんも。セレナのお父さんは暗殺されたけど、公には病気でってなってるらしいし」
「うん。その事件よりはもっと前の頃だけど、ノーミオ家でもシルフィオ家でも、もちろんウンディーノ家でも大勢亡くなったんだって。戦争と病気で国全体が不安定だったの」
「……それで、極東から来た母さんとの結婚は反対したってことか?」
「多分。やっぱりウンディーノ家は保守的な風潮があるから」
そして反対された結婚を強行したから、父さんと一緒に極東に行った……駆け落ちか? いや、そこまでじゃないだろうな。リギスティアさんは未だに母さんとの秘密を律儀に守ってるし、気まずいという程度のいざこざがあっただけだ。そして学長は母さんが巫女家に対して功績があると言った。つまり最終的には母さんを私的にも公的にも認めたってことだし、反対していたのは俺の父親の方にも理由がありそうだ。
「それで、お婆様はシオンさんとずっと会ってなかったから……疑いすぎてたんだって。もしかしたら、恨まれてもいたんじゃないかって」
「でも、母さんは俺達を父親の実家じゃなくて学長に預けようとしたんだろ?」
「それも多分……」
「気まずかったから、か。なんなんだよそれ」
しかし俺が今ここにいるのは、ミゲルさんが手紙に細工をしたからだ。未だに面会の許可が下りないあの人は、一体どこまで関わっているんだろうか。あの母さんが信頼すると言ったくらいだ。もしかしたら母さんが結婚した時の事も知ってるかもしれない。
だが。
「……それで?」
「それでって、その……」
「それで、どうして母さんが敵じゃないって?」
この話が全部正しいとしても。母さんが、極東が、俺達の敵じゃないって理由にはならない。
「どうして母さんを信頼できるんだよ。どうやって母さんを信用すればいいんだよ。なあ?」
「言ってたの、私達に危害は加えないって。討伐演習の時の事は、リオとヒナちゃんの気持ちを確かめたかっただけなんだって。二人のことよろしくって、言われたの」
「嘘かもしれないだろ」
「ううん、シオンさんは嘘を吐く人じゃないってお婆様が言ってた。だから、少なくとも私達の敵ではないって……」
「それも騙されてるかもしれないだろ!」
何故全て隠した? どうして何も言わなかった? ああ、知ってるよ、母さんが秘密主義で口下手なことなんて。だから信じられないんだ。何もかも。
「……聞いて、リオ。リオがこんなに疑うようになっちゃったのも、お婆様は自分のせいだって思ってるの。自分が疑ってるせいで、リオにも疑わせてしまったって」
「リギスティアさんは悪くないよ。母さんが怪しいせいだ。疑って当然だろ」
「ううん、違う。お婆様と同じで、リオも見えなくなっちゃってるだけだよ」
「何を根拠に?」
「私は実際に会ったんだよ? 全く敵意は無かったの。お願い、信じてあげて。私達が機会を作るから、話し合って欲しい」
「無理だ。じゃあ留学生の奴等はなんなんだ?」
「それは……ちゃんと聞けば分かると……思う」
そう懇願する彼女と俺の間には、一本の溝があった。冷たい水の流れる、深い溝が。
「イレアは、母さんの肩を持つんだな」
「ちがっ……!」
「ごめん。俺はイレアまで疑いたくない。でも、母さんは信用できない」
「……そう、だよね。ごめんなさい、リオ。勝手に色々言って」
ソファーの背もたれに体を預け、目を閉じる。疲れた。一日の疲労がどっと押し寄せた気がした。
「――どっちにしろ、明日からもやる事は変わらないよ。留学生を倒して、決勝に行く。そもそもウンディーノ家としてもそれがベストだろ」
「……うん。そうだね」
「ほら、先に風呂入って来ていいよ。そろそろヒナ出ると思うから」
「あ、リオが先でも……」
「ちょっと外出てくる」
リビングの扉を開け、冷え切った廊下を歩く。玄関のハンガーポールからコートを引っ掴んだ。
「……ごめん」
無意識に勢いをつけて閉じてしまった扉の向こうから、そう聞こえた気がした。
ああ、クソ。イレアと喧嘩なんてしたくないのに。イレアは俺を想って言ってるんだって、頭では分かってるのに。
「はぁ……」
溜息は白く濁って夜に染まっていく。夜の寒さはもう冬も同然だ。
「母さんは……何がしたいんだ?」
分からない。だから信用できない。でも、イレアは母さんを信じた。俺はイレアを信じたい。俺さえ母さんを信じれば丸く収まるのか? ……いや、多分今直接会っても、俺には母さんの気持ちが分からない。
留学生もだ。あいつらは母さんのためと言って俺達を敵視した。もしあれが彼女等の独断だったとしても、それを差し向けたのは母さんだ。俺には疑うことしかできない。
それに、俺だけの問題じゃない。一番悩んでいたのはヒナだ。今思えば、少し前までのヒナは元気が無かった気がする。だが最近はそんな様子も無いし、いつの間にかイレアとも前より仲良くなってたから、俺が気付かないうちにケアしてくれたんだろう。……そう、夏休みの頃からだ。母さんが敵になったと考え始めてから、ヒナはずっと悩んでいた。
「俺が疑ってるからか?」
全部、俺が母さんを疑ってるからか? そのせいでヒナも悩ませたのか? だとしたら、俺は何を根拠に母さんを信じればいい? また堂々巡りだ。結局分からないから信じられない。信じられないから、疑うしかない。それとも頭空っぽにすればいいのか? 無理だ。俺は無邪気に信じられるほど馬鹿じゃないし、かと言って母さんの真意を見抜けるほど頭はよくない。中途半端にぼやける視界に映るものには、疑いの目しか向けられない。
そして、その時。空回りする思考を千切るような――殺気。
「――!?」
暗闇の中、微かな足音。こちらに向かってくる。覚えのある気配。しかし、こんな雰囲気は初めてだ。何故?
「やあ、久しぶり」
謎の殺気には似つかわぬ、いつも通りの挨拶。
「……ティフォ先輩」
揺れる門灯に照らされたのは、ティフォ・ベントの微笑みだった。
■□■□
「久しぶりですね、先輩」
ポーカーフェイスにも近い表情と殺気の意図を測りかね、俺はただ同じ挨拶をした。しかし彼は門の所で足を止めたままだ。
「先輩?」
「ん? ああ、いや。……あんまり元気そうじゃないね」
「疲れてるからです。あとはちょっと……機嫌が悪いので」
まったく、こんな時に来やがって。今日エスメラルダ先輩と話したからか? 最近見ないなとは思ったけど、タイミングが良いんだか悪いんだか。そう思っていつも通り適当に返事をしたが……彼の返答は、俺が予想だにしないものだった。
「奇遇だね、俺もさ」
「……俺も?」
「いやあ、不機嫌なとこは後輩に見せたくないじゃん? でも元霊祭も始まっちゃったし、ちょっと収まったから会いに来たけど……ごめん、あんまりかも」
「何かあったんですか?」
「……」
答えは返って来ない。なんだ? 様子がおかしい。いや、変なのはいつもの事だけど、こんな先輩は初めて見る。
「そっちは? 何があったの?」
「いつも通りですよ。母さんのこととか、留学生のことで悩んでるだけです。結局分からずじまいですけど」
「……なるほどね。トーナメント戦はどうだった?」
「もちろん勝ちましたよ、予選ですから。イレアもルー先輩も本戦進出です」
「へえ、やるじゃん」
そこまで言って、俺は違和感を覚えた。――わざわざ試合の結果を聞いた? なんでも盗み聞きして、当然のようにこっちの事情を把握してるはずの先輩が? 彼はそのような情報交換じみた世間話をしない。自分が知っていることについて、確認のために敢えて聞くようなことをしない。知らない事は勝手に調べるか、端的に尋ねるかだ。つまり。
「先輩、最近は何してたんですか? こっちの事も分からないくらい忙しいんですか?」
「いや。ちょっとね」
「体調悪いとか? まさか風邪なんてひきませんよね?」
「……ま、例えるなら持病かな」
持病。俺は今になって、何度か先輩が言っていたことを思い出した。頭が痛い、と。片頭痛? まさか、そんな事を殊更大袈裟に言う人間ではない。意味の無い、どうにもならない事を彼が主張することはない。
暗闇にぼやけた表情を見るため、玄関の石段を下りる。彼は後ずさりした。
「先輩、本当に大丈夫なんですか?」
「――か――くな」
「先輩?」
「近付くなって言っただろ!」
激昂。体が宙に浮く。圧迫感。これは……握空!
「せん、ぱい――!」
藻掻けども、足が地に着くことはない。クソっ、何があった? どうして先輩が俺を? まさか、彼も――
「良いことを教えてあげるよ。悩んだなら、力で解決すればいい」
「な、にを……!」
何が起こった? どうしたらいい? いや、今やるべき事は一つ。この術から抜け出さないと。
「最悪、全員殺せば世界は平和になる。俺はその手段を持ってるからこそ別の方法で目指してるんだ。でも、悩んでるんだろ? だったら戦えよ。悩んでるうちに、何も選べなくなる。その前に戦え。勝ってから悩め」
「今、も……です、か……?」
「かもな」
加速は、多分ダメだ。俺を包む空気の塊を突破できるイメージが湧かない。二重加速をやるには集中できない。硬化も、圧迫されている状態を固定するだけだ。マテリアル・オーダーは……腕輪は家の中。他の手段は……そうだ!
「――アイシクル、ランス!」
「っ!」
体の隙間に氷を生み出す。すると、俺を握る空気の手が緩んだ! 今だ!
「『加速』っ!」
初めて驚いたような表情になった先輩から飛び退いて距離を取る。咄嗟の判断だったが、正解だった。恐らく氷によって空気の手が冷やされて萎んだのだろう。
そして同時に、俺はようやく彼を理解した。
「……頼むよ」
「分かりました」
それだけ言って、ティフォ先輩は去って行った。思えば、今日は一度も俺の名前を呼んでいない。そして今までの言動を合わせて考えれば、理由も想像がつく。意識して抑えていたものを。その上で、俺達に協力してくれていることを。無意識に排除していた可能性が現実味を帯びて浮上する。
「ったく、頼り方がヘタクソだな」
少しの安堵と、事態の進展を理解した不安。それらを抱え、俺は玄関の扉を開けるのだった。




