第1話 精霊術士の学園 上
2024年4月12日、1話から73話まで改稿しました
名もなき時代。氷河の災厄を越え、かつて住んだ場所を追われ生き残った数少ない人々は、精霊の力を使い、邪霊を退けて暮らしていた――
大陸西岸にあるエレメント公国。その国境の近くの高台に精霊術士が通う学園――公立精霊学園はある。そこが単に学園と呼ばれているのは、この国に精霊術士を育てる学園が一つしか無いからだ。
その学園の正門広場で、周囲の生徒達の視線を集める二人の兄妹がいた。彼等彼女等が皆それぞれの校舎へ向かっているのを見るに、今は始業前の登校時間だろう。
「じゃあお兄ぃ、わたしは中等部こっちだからまたお昼にね!」
「ああ。学長には俺が話を通しておくからヒナは教室に行ってて。昼休みに高等部の玄関で待ってるよ」
そう言って別れ、妹――ヒナは中等部の校舎へ駆けて行った。二つに括った茶髪が跳ねて建物の中へ消えていくのを見送り、兄は学長がいるであろう教員棟へと歩いた。
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「……ダメだ、迷った。広いってか迷路かよ。案内板とか無いのか?」
威勢よく教員棟を目指して入ったは良いものの、どこに学長がいるのか全く分からない。かれこれ十分程歩き回って、気付いたら同じ入口にたどり着いてしまった。仕方ない、道が分かる人を探そうと作成変更を決意した時。
「どうしましたか? ここは関係者以外立ち入り禁止ですけど」
ややハスキーな女性の声。訝しげに聞く声の主の方へ振り向くが……
「いない?」
「います! そこまで小さくはないはずですよ! それより教員棟に何か用ですか? 見たところ貴方、生徒ではないですよね」
失礼ね、とこちらを見上げる顔は少々不機嫌そうだった。学生服ではなくスーツを来ている彼女は、おそらく教員だろうが……小さい。振り返って一瞬頭すら見えなかったのは、子供かと疑う程に低い身長のせいだ。十四歳のヒナより小さいんじゃないか?
「ちょっと、ボーッとしてないで。ここは教員棟ですよ? どなたか先生に用事ですか?」
「あ、すいません。学長に用があるんですが、迷ってしまって」
「あら、お客さんですか。学長なら今は二階の学長室にいるはずです。案内しましょうか?」
ありがたい申し出に、お願いしますと頭を下げてついて行くことにした。何度も道を曲がった先の階段を上り、また同じような廊下を通り過ぎてからようやく一際重厚な扉の前に辿り着いた。これは一人では無理だったな。
「ここ、安全のために複雑になってるんですよ。帰りも誰かに案内を頼んだ方がいいですね」
「そうなんですね。ありがとうございました。えっと……」
「ホムラ・ソージア。学園の卒業生で、新任の教師です。生徒ではないですからね。あなたは?」
「ミヅカ・リオです。今日から高等部一年の編入生ですので、よろしくお願いします」
「あら、編入生だったの。じゃあこれからよろしくね。くれぐれも、私の事はソージア先生って呼ぶように!」
そう念押すように言った彼女はやや駆け足で廊下を戻り、曲がり角でまた立ち止まって振り向いて、
「教員棟で迷ったらまた呼びなさいね。リオ君、貴方に大精霊の加護を!」
今度こそ立ち去って行った。ソージア先生か。またお世話になるかもなと思い、学長室のドアをノックした。
入れ、というぶっきらぼうな声を聞いてから部屋のドアを開ける。中には老齢の女性が一人、デスクの前で退屈そうに書類を眺めながら座っていた。
「失礼します、ミヅカです」
「やあ。待ってたよ、ミヅカの坊主。母親から手紙で話は聞いとるよ。長旅ご苦労さん」
掛けたまえ、と低いテーブルを挟んだソファーを指して自分も対面にどっかりと座り込んだ。クッションを軋ませる体躯からは歴戦の気配を感じさせる。
「公国に着いたら学園を頼れと言われました。それと貴女に会ったら渡すようにと母から手紙を預かっています。母とお知り合いなんですか?」
「そうさね、まずは自己紹介だ。私の名はヴィオテラ・ノーミオ。ここの学長だ。君の母、シオンとは……まあ旧知の仲ってやつだな。昔私も極東に行ったことがある、と言えば分かるだろう?」
「極東に来てたって事は、遠征軍……やっぱり、軍人としての母との知り合いなんですね」
「なんだ、仕事の事は聞かされてないのか? まあアイツらしい。心配させたくも無かっただろうしねぇ」
「はい。軍に関わることだとしか」
白髪交じりの頭を掻いてぼやき、学長は真面目な顔になった。
「そうとも、ミヅカ・シオンは極東統治領の軍人だ。君は覚えて無いだろうが、シオンは遠征中にこの国で君を産んだ。彼女が君と共に極東へ帰ったのがもう十五年近く前になるな。大きくなったもんだ」
懐かしいなと呟き、俺が手渡した手紙に目を通しながら学長はそう言った。
この世界は何百年も前に陸地の殆どを氷河に覆われ、生き残った僅かな人々は世界の数カ所に纏まった。最も多くの人が大陸西岸に作ったエレメント公国、大陸の東の島国へ逃げ延びた人々による極東統治領、そしてその間にある山脈の向こうのドラヴィド国。氷河の災厄によって、多くの文明や文化、技術、知識、そして住む場所が失われたというのは誰もが知っている話だ。
その限られた温暖な地帯でさえも、人の住まない土地には邪霊が跋扈しており、百年ほど前からつい最近まで世界の両端にある二国は細々とした交流しかなかったのだ。しかし、軍や貿易といった国の関係者しか行き来できなかった制限がこの十数年で撤廃されて、ようやく本格的な国交が始まったという。俺とヒナが極東からここまで来れたのも、遠征軍の定期便について来たからだ。
それでも、三国を繋ぐのは氷河の時代以前に作られたという街道と、山を貫くいくつかの坑道のみ。そこから更に海を越える必要のある極東との交流は、多大な労力を要するのだ。
「私が初めて極東に行った時は驚いたよ。公国の精霊術は世界一だと思っていたが、極東の技術は我々とはまた違った進歩をしていた。そのスピードも尋常じゃない。極東と争うつもりは無いが、まさに目に見えた脅威だった。これからはもっと互いの交流が必要になると思って、未来の若者を育てるために反対を押し切ってどうにか学長になったんだがね……って、ババアの昔話はいいんだよ。用ってのは編入の手続きだろう?」
「はい。それとお金はあるのですが、住む所を紹介して欲しくて。俺と妹の二人です。出来れば学園に近い所が良いんですけど……」
「ハハハ、ガキが遠慮すんなって。私とシオンの仲だ、そんくらい世話できる。男女別にはなるがウチの寮に入ると良い。制服とか必要な物も適当に見繕わせよう」
豪快に笑って彼女は快諾した。なるほど、ここに来る途中に見えた建物の一つが学生寮らしい。
「ほれよ、手紙は封がしてあったからお前は読んで無いんだろ? 先の定期便で私に届いたのと内容は同じだ。予備を持たせるなんてシオンらしいねえ」
返された手紙には、母らしからぬ簡潔な挨拶と依頼が書いてあった。編入の許可と住む所の手配、そして陰ながら二人をサポートしてくれという内容だった。文体からは気安さを感じ、母が極東軍の中でも公国との外交を行うような立場だったことに今更驚かされる。そしてこの学長も、同じく外交官だった。そもそも公国唯一の精霊術を教える学園のトップともなれば……平たく言うなら、偉い人。母はそんな人物と知り合いだったのだ。
「何から何までありがとうございます」
「気にすんな。その代わり今日からはここの生徒だ。規則には従って貰うぞ。ま、お前の母親ほど厳しくはないだろうけどな」
寮母と担任には話は付けてある、と言って立ち上がる彼女は手を差し出した。
「ここは学び舎だ。学問を存分に深めたまえ。貴方の学園生活に大精霊の加護を」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
握手をすると、力強く握り返される。こうして俺の学園での生活が始まった。
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丁度私も下に行く用がある、と言った学長と共に一階の職員室に向かった。迷わないよう気を遣って階下に送ってくれたみたいだが、用事というのも本当らしい。
「おーい、ケルヤはいるか? 例の編入生だ! 連れて来たぞー!」
「学長、声が大きいです。隣で会議中なのでお静かにお願いします」
入るなり大声で人を呼ぶ学長であった。豪快な人物だが、声も豪快なようだ。そんな彼女を諫めるのは、ケルヤと呼ばれた眼鏡をかけた線の細い男性教師である。いきなり呼びつけた彼女に畏縮した様子も無いので、いつもの事なのかもしれない。
「かったいなぁお前は。ほれ、今日からお前の生徒だぞ?」
「……学長、ここは公共機関ですが慈善事業でやっているのではないんですよ?」
「問題ないさ、私のポケットマネーだ」
「教員の負担も考えて下さい。去年は八人も連れてきて、今年も早速二人なんて先が思いやられます。それに国外からなんて……」
「迷惑かけるような奴は連れてこんよ。出身も関係無い。それに、これは必要な事だ。何度も言ってるだろう?」
学長は急に真剣な目付きで言った。どうやら俺の編入にも何か問題や目的があるらしい。さっき言ってた「未来の若者を育てるため」ってやつだろうか。しばらくして彼の方が折れたのか、ため息をついて俺の方に向き直った。
「あー……その、目の前でこんな話を聞かせて申し訳ないけど、君は悪くないから気にしないで下さい。改めて、僕はケルヤ・スオロン。君のクラスの担任です。これから一年間宜しくお願いします」
「ミヅカ・リオです。宜しくお願いします。えっと、大丈夫なんですか?」
「おーう、大丈夫だ。坊主も悪くないし私も悪くない!」
「悪いとは言いませんが、その分仕事はきっちりして頂きますよ。彼は僕が預かるので学長は仕事に戻って下さい。承認が必要な書類がいくつかありますので、確認をお願いします」
「ハイハイ、厳しいねえ。この私に指図たぁ偉くなったもんだ。それじゃあ坊主、頑張れよ!」
「あ、はい! ありがとうございました!」
バタバタと去って行った学長の背中に礼を言う。残されたケルヤ先生は、呆然としている俺にぽつりと囁いた。
「あんな感じでも、学長には学長なりの考えがあるそうですから。さて、教室に行きましょう。皆歓迎しますよ」
やや足早に職員室を出た彼と共に、俺は教室へ向かうのであった。
初めまして、ロングフイと申します。本日2020年7月6日より小説の投稿を始めました。初めての投稿ということで至らない点も多いとは思いますが、是非読んでいただければ幸いです。
ご挨拶を活動報告に掲載しましたのでそちらにも目を通していただくとありがたいです。
ご指摘、ご感想等お待ちしております。